歴史否定論を強化する「国旗損壊罪」〜朝鮮近現代史の視点から

記者名:
姜徳景〈鳥になって〉部分

「国旗損壊罪」何が問題なの? 朝鮮近現代史の視点から考えてみるよ

加藤圭木 
一橋大学教授
(朝鮮近現代史)

「国旗損壊罪」を創設する法案は、6月30日に衆議院本会議で通過し、7月9日に参議院内閣委員会で実質審議入りした。この法案に対しては、「表現の自由」「思想・良心の自由」を脅かすものであること、処罰を必要とする具体的な「立法事実」がないことなど、数多くの問題点が指摘されている。ただし、「国旗損壊罪」について、日本の近現代史、とりわけ侵略戦争と植民地支配の歴史に即して検討する議論は必ずしも十分になされていない。

筆者も所属する日本歴史学協会などの歴史学関係諸学会は声明「国家主義の台頭と思想・信条の自由侵害をもたらす「国旗損壊罪」の制定に反対する」を6月24日に発出した。声明が指摘するように、敗戦前の日本では、国旗などのシンボルは国家主義・軍国主義を強化し、人びとに国家への忠誠心を植え付ける役割を果たしてきた。国家による「愛国心」の押しつけなどの思想統制に反対する人びとは、国家権力による弾圧の対象となった。さらに、このように国家主義・軍国主義が強化される中で、侵略戦争や植民地支配が遂行されてきた。日本の植民地や占領地でも、人びとに日本の国旗が強要された。

本稿は、この声明の問題意識を踏まえながら、朝鮮近現代史を研究する立場から日本国旗(「日の丸」)と朝鮮侵略・植民地支配の関係について掘り下げるものである。具体的には、日本の朝鮮侵略・植民地支配の下で「日の丸」がどのような役割を果たしたのか、朝鮮人はそれにどのように対応したのか、そして朝鮮人にとって「日の丸」はいかなる意味を持っていたのかについて論じる。これを通じて、「国旗損壊罪」の問題点を朝鮮侵略・植民地支配の観点から捉え直したい。
なお、本稿において、「朝鮮」および「朝鮮人」は民族および地域全体の総称として用いる。

仁川国際空港の島に立てられた「日の丸」

韓国を訪れる観光客の多くが利用する仁川国際空港は、永宗島(ヨンジョンド)に位置している。永宗島は、1875年の雲揚号(うんようごう)事件(江華島事件)の現場の一つである。
雲揚号事件は、1875年9月、3日間にわたって行われた、日本海軍軍艦・雲揚による朝鮮への軍事侵略である。この事件を契機に、日本側は朝鮮に開国を迫り、翌年には日朝修好条規が締結された。近代日本による朝鮮侵略の第一歩とされる事件である。
雲揚はまず江華島の草芝鎮砲台などを攻撃したのちに、永宗島の永宗鎮を軍事占領し、朝鮮人兵士35人を殺害した。そして、日本の兵士たちは永宗鎮の太平岩の峰に登り、「御国旗」を掲げた1。ここでいう「御国旗」とは、1870年に太政官布告により「海軍旗章」として規定されたもので、「日の丸」のことである。日本海軍は、「日の丸」を掲げることで、日本による占領を目に見える形で示した。

十五年戦争期、日本軍が占領した地点に「日の丸」を掲げ、占領を可視化したことは比較的よく知られているが、近代日本が対外侵略に進み出した初期からそうした行為は行われていたのである。

図1:「朝鮮国雲揚鑑へ発砲の義に付御届」『雲揚. 孟春.朝鮮廻航記事 明治8年』(「戦史史料・戦史叢書検索」より)

永宗鎮は現在復元され、近くには35名の朝鮮人兵士の慰霊碑が設置されている2。日本海軍が「日の丸」を掲げた太平岩は残されていない。

図2:永宗島の朝鮮人兵士の慰霊碑(2023年加藤圭木撮影)

植民地化過程で毀損された「日の丸」

1894〜1895年の日清戦争では、日本軍は朝鮮王宮を占領し、また3〜5万人といわれる朝鮮民衆を虐殺した。さらに1904〜1905年の日露戦争では朝鮮植民地化政策を本格化させ、1905年には武力を背景として大韓帝国(朝鮮は1897年に大韓帝国と国号を変えた)の外交権を強制的に奪い「保護国」とした。これは事実上の植民地化に他ならなかった。朝鮮人は義兵戦争などの形で抗日運動を展開したが、日本軍はこれを弾圧した。

こうした暴力的な植民地化政策の最中、日本による大韓帝国支配の「正当性」を人びとに示すために、大韓帝国皇帝(純宗)に各地を「巡幸」させた。「巡幸」には統監の伊藤博文が同行した(統監とは、日本が大韓帝国を支配するために設置した統監府の長のこと)。

侵略下に行われた皇帝の政治利用に、反発が広がった。各地で皇帝と伊藤を歓迎するために人びとに「日の丸」を掲げるように指示が出されたが、拒否する動きが相次いだ。義州では、「歓迎会場」に掲揚された「日の丸」が夜半に切断される事件が起こった3
こうした事態に日本側は強く反発した。当時の『東京朝日新聞』では、「日本国旗破棄す」や「国旗侮辱問題」などのセンセーショナルな見出しで報道が行われた。こうした報道を読んだ日本人の間で、大韓帝国の人びとに対する反発心が広がったと考えられる。

大韓帝国側の新聞である『大韓毎日申報』は、「国旗問題を弁論する」(1909年2月19日付)という社説で、朝鮮人が「日の丸」掲揚を拒否することは当然であると主張した。そして、日本の新聞が「日の丸」毀損を日本国家への侮辱だと主張して「支離滅裂な言説を紙面に毎日載せている」と批判した。

図3:『東京朝日新聞』1909年1月30日付
同2月27日付(「朝日新聞記事クロスサーチ」から)
図4:『大韓毎日申報』1909年2月19日付(「大韓民国新聞アーカイブ」より)

大韓帝国の廃滅(「韓国併合」)と「日の丸」

 1910年8月29日、日本により大韓帝国は強制的に廃滅させられ、日本の領土へと編入させられた。
 図5の写真は、1915年10月1日の朝鮮王宮・景福宮の正殿である勤政殿に掲げられた「日の丸」である。景福宮は朝鮮物産共進会の会場とされたが、その開幕式が行われた際の写真である。朝鮮物産共進会は、日本による朝鮮支配の「成果」を宣伝し、支配の「正当性」を示す政治的宣伝のために行われた行事である。景福宮に「日の丸」を掲げることは、大韓帝国が滅び、日本の支配下に入ったことを可視化する行為であった。
 なお、1920年代半ばには日本の朝鮮支配機構である朝鮮総督府の庁舎が、この景福宮の敷地内に建設され、勤政殿は庁舎によって覆い隠されることになった。この行為もまた、日本が朝鮮の支配者として君臨したことを、空間的に示したものといえるだろう。

図5: 『始政五年記念朝鮮物産共進会京城協賛会報告』(1916年)の掲載写真。(龍山歴史博物館ウェブサイトより重引。https://museum.Yongsan.go.kr/articles/view?boardCode=webzine_new&category=C8002-3&id=338&volume=C8001-3&utm_source=chatgpt.com。2026年7月9日最終閲覧)。

 筆者は、植民地解放から80年を迎える2025年8月に景福宮、そしてその正門前の広場(光化門広場)を訪れた。光化門広場では解放80年を祝う行事が盛大に行われた。景福宮は朝鮮独自の歴史の示す場所であると同時に、日本による侵略と植民地支配を象徴する現場の一つであり、韓国の人びとにとって歴史的に極めて重要な場である。

図6:2025年8月光化門広場(加藤圭木撮影)

「日の丸」を上書きしてつくられた太極旗

 2009年、ソウルの津寛寺の解体・復元工事の際に、仏壇の内側から太極旗(朝鮮の旗、現在は大韓民国の国旗)が発見された。これは、1919年当時の新聞等の資料を包む形で保管されていたことから、1919年頃に制作されたと推測されている。
また、この旗は、植民地下最大の抗日運動である1919年の3・1独立運動の現場で使用された可能性が高いとされる。3・1独立運動の際に、日本軍・警察による過酷な弾圧が行われ、数多くの朝鮮人が虐殺されたが、この太極旗には焼けていたり穴が空いているなど損傷箇所が認められるからである。厳しい弾圧と監視の下で、この太極旗は仏壇の内側に隠されることになったのだろう。なお、1919年前後に制作された太極旗はほとんど残されていないため、大変貴重な発見だったという4

 特筆すべきは、この太極旗が「日の丸」を上書きする形でつくられたことである。こうした行為から、日本への抵抗の意思を読み取ることができる。

図7:ソウル津寛寺太極旗、1919年頃(表面) 
出典:国家遺産庁「国家遺産ポータル」서울 진관사 태극기、2026年7月3日閲覧。
ソウル津寛寺太極旗(裏面)

3・1運動直後の朝鮮社会と「日の丸」

 1919年6月に第一次世界大戦の講和条約が調印されると、これを祝して各地で「日の丸」の掲揚が命じられた。朝鮮人は、命令に従って、「日の丸」を掲げざるをえない場合が少なくなかった。しかし、日本の官憲はこれに満足していなかった。というのは、「日の丸」を「無意味」に掲げている、すなわち「日の丸」に対する敬意を全く持っていないと見られる朝鮮人が多かったからである5

 吉州では、朝鮮総督府の末端機構・面事務所(村役場)は、講和条約調印を祝賀するために「日の丸」掲揚を住民に命じたが、これに対して「弔旗」を掲げる者がいた。群山では、学校の生徒を動員して旗行列を実施したところ、生徒の大多数が配布された紙製の「日の丸」を破棄してしまった。これらの行動は、日本の官憲により大いに問題視された。

 3・1運動直後の学校教育の現場について、朝鮮人生徒に「日の丸」について教えようとしても、太極旗の話を持ち出してきて、受けとめてもらえなかったという状況が、日本の官憲により記録されている。また、同年、ある朝鮮人は、朝鮮総督府始政記念日である10月1日について、朝鮮人にとって「恨ある日」であるとして、そのような日に「日の丸」を掲げると国を失ったことを思い出してしまうとの感想を洩らしていた6

昭和天皇「即位の礼」と朝鮮社会

 1928年11月、昭和天皇の「即位の礼」が行われたが、平壌では警察署が「国旗掲揚状況」を徹底的に調査した。このような厳重な監視下、警察の「督励」により、多くの朝鮮人が「日の丸」を掲揚させられた。
 この直前に発行された『釜山日報』1928年10月27日付は、鉄原という地域における「祝祭日」の「日の丸」掲揚について、「申訳(もうしわけ)的に白布に赤丸をぬり、或は鮮紙に急造の日の丸を描き掲揚」といった状態だったことを報じている。鉄原警察署長は、「国家観念より観ても体裁上よりするも、甚だ面白からざる」として、「即位の礼」に向けて人びとに注意を与えたという。
 日本の官憲は「日の丸」掲揚を朝鮮人に強制し、天皇への忠誠心を暴力的に植え付けようとしていた。また朝鮮人が「日の丸」を掲揚しているかどうか執拗に監視を行った。一方、朝鮮人は「日の丸」を破壊することも少なくなかったし、朝鮮人に「日の丸」に対する敬意を持たせること、すなわち内面までを支配することは極めて難しかった。

日章旗抹消事件と「皇国臣民」化政策

 マラソン選手の孫基禎(ソン・ギジョン)は、1936年のベルリンオリンピックに、日本代表選手として出場し、優勝を飾った。これは朝鮮人に大いなる希望を与えるものだったが、日本代表選手の勝利とされてしまった。こうした中で、朝鮮人の新聞『東亜日報』は孫のユニフォームの「日の丸」を消去した写真を紙面に掲載し、日本への抵抗の意志を示した。これに対して、朝鮮総督府は『東亜日報』を発行禁止処分とした。なお、現在、ソウルのオリンピック主競技場の前には孫の銅像が設置されている7(右写真)。

図8:孫基禎銅像(2023年加藤圭木撮影)

 さらに日本による中国に対する侵略戦争が拡大する中で、朝鮮では朝鮮人を戦争に協力させるために「皇国臣民」化政策が行われ、天皇に対する忠誠心を植え付ける政策が強力に推進され、神社参拝や宮城遙拝、「皇国臣民の誓詞」の暗唱が行われるとともに、「日の丸」の尊重や掲揚の押しつけも一層強化された8

図9:「皇国臣民の誓詞」
出典:水野直樹ほか偏『図録 植民地朝鮮に生きる——韓国・民族問題研究所所蔵資料から』岩波書店、2012年。

日本軍「慰安婦」制度の被害者にとっての「日の丸」

 1991年8月14日、韓国の金学順(キム・ハクスン)は日本軍「慰安婦」制度の下で被害を受けたことを実名で告発した。日本軍「慰安婦」とは、日本軍が戦地・占領地につくった「慰安所」で日本の軍人等の性の相手をさせた女性たちのことである。女性たちは「慰安所」において性奴隷状態とされた。日本国家の責任が問われているものの、日本政府は法的責任の認定や賠償、再発防止措置など十分な対応をしておらず、未解決である9
 金学順は同年12月に来日し、各地で証言を行った。その際に、次のように述べた。

(日本へ行く)途中、機内の窓から外を見ますと、赤い日の丸に似たもの(ツルが羽を広げて身を丸くしている日本航空のマーク)が目に入ったのです。それを見た瞬間、五〇年間の私の人生を滅茶苦茶にした日本にたいする思いが一気にこみ上げてきて、胸をしめつけるような感じがしました。軍人たちがどこへ行っても日の丸を掲げて、「天皇陛下万歳」と言いました。日の丸という言葉を聞くだけでも、頭の中が腐ってしまうほど嫌な思いがする体験をしてきたのです。そのことがよみがえり、いまでも日の丸を見ると胸がドキドキするのです10

 「日の丸」に対して、拒否感や恐怖を抱いたのは金学順だけではない。同じく日本軍「慰安婦」制度の被害者である姜徳景(カン・ドッキョン)は、被害者たちが共同生活を営むナヌムの家で、美術を習い始め、被害体験や日本に対する思いを絵として表現するようになった。

 図10は〈憤り〉という作品である。1995年にソウルでこの作品が展示された際に、姜徳景はテレビ局のインタビューに応じて、「日章旗だけ見ても腹が立ちます。自分でも知らないうちに、こう赤く血のように、こんなふうに描いたんです。それで、日本軍は謝罪せよ、と」と述べている。

図10:MBCニュース映像「日本軍慰安婦問題アジア連帯会議ソウルで開幕」1995年2月27日より切り抜き。https://imnews.imbc.com/replay/1995/nwdesk/article/1948352_30705.html

 姜徳景がこの絵を描いたのは、日本政府に自らの被害に対して謝罪を求めたにもかかわらず、日本軍「慰安婦」問題の責任と誠実に向きあわず、日本の政治家が被害者の尊厳を貶めるような発言が繰り返されたからである。姜徳景はこの絵を何度も描いたという11

姜徳景〈鳥になって〉(1996年)という作品でも「日の丸」が描かれている。絵をよくみると、「日の丸」には×や矢印がつけられている。

図11:姜徳景〈鳥になって〉(1995年)出典:脚注11

姜徳景が自らの被害体験や日本に対する怒りを絵で表現するようになるのは、絵を習いはじめてから2年ほど経ってからのことだった。当初は身の回りのものなどを描いており、深刻なトラウマがある中で、被害体験や日本に対する怒りを表現するまでには時間を要した。

図12の絵は、姜徳景が亡くなる直前に描いた〈松代大本営〉(1996年)である。姜徳景は、日本の敗戦、朝鮮の解放を松代の「慰安所」にて迎えたが、その光景を描いた。姜徳景によれば、赤い丸は「日の丸」である。「日の丸」にとらわれた姜徳景に、鳥が解放の手紙を届けているのである。

図12:姜徳景〈松代大本営〉(1996年)出典:脚注11


歴史否定論(歴史修正主義)と「国旗損壊罪」

 1875年の雲揚号事件(江華島事件)以来、朝鮮侵略・植民地支配と「日の丸」は密接不可分だった。植民地支配下では、朝鮮人に「日の丸」の掲揚等が強制され、日本への服従と忠誠を可視化する手段として用いられた。

したがって、「日の丸」は朝鮮人にとって、日本の侵略・暴力と切り離すことはできない問題であった。朝鮮人は「日の丸」に強い反発を抱き、暴力的な支配に対して、「日の丸」掲揚の拒否、あるいは「日の丸」を破棄・消去・書換えなど形で抵抗を繰り広げた。

日本はこうした朝鮮人の抵抗を、強圧的に抑え込もうとした。「国旗損壊」を含めて展開された朝鮮人の抗日運動に対する弾圧政策と、現在国会で審議されている「国旗損壊罪」は、時代状況や制度的な違いがあるにせよ、国家の暴力に異議申し立てする者を抑えつけるものであるという点で共通している。

 日本では、植民地支配は良いこともしたとか、日本軍「慰安婦」は強制ではなかったなどと主張する歴史否定論(歴史修正主義)が大きな影響力を有している12。政府与党をはじめとした政治家にもこのような主張を行う者が少なくない。2018〜2019年頃には、朝鮮人強制動員問題(「徴用工」問題)で正義の回復を求める韓国側の対応に対して、「国際法違反」として官民を挙げて大バッシングを行ったこともあった13。日本の戦争責任・植民地支配責任を追及する韓国の人びとに対して、「反日」とのレッテルを貼ることも少なくない14(注13)。このような反発は、本稿で紹介した1909年の「日の丸」損壊事件に憤った日本側の対応と類似している。この事件に限らず、日本側は植民地支配下で正当な抵抗運動を行う朝鮮人に対して、「不逞」などのレッテル貼りを行ってきた。すなわち、戦争責任・植民地支配責任を追及する人びとを「反日」と見なす現在の認識は、かつての抗日運動への反発の延長線上にあるのである。

 日本による侵略・植民地支配の下での「国旗損壊」は、朝鮮人による正当な抵抗として位置づけられるべきものである。そこで問われるべきなのは、「日の丸」の掲揚が拒否され、あるいは「日の丸」が損壊された歴史的背景である。

日本社会において、朝鮮人の抵抗運動を正当な行為として受けとめられるような歴史認識を築くことは喫緊の課題である。国旗をあたかも神聖不可侵のものかのように位置づけようとする「国旗損壊罪」の創設は、それに逆行するものであり、歴史否定論を一層強化することが懸念される。


  1. 鈴木淳「史料紹介 「雲揚」艦長井上良馨の明治八年九月二九日付け江華島事件報告書」『史学雑誌』111巻12号、2002年。金興洙『雲揚号事件と江華島条約』東北亜歴史財団、2022年【朝鮮語】など。 ↩︎
  2. 一橋大学社会学部加藤圭木ゼミナール編『大学生が推す 深掘りソウルガイド』大月書店、2024年。 ↩︎
  3. 国史編纂委員会『駐韓日本公使館記録』第35巻、1993年。海野福寿『韓国併合史の研究』岩波書店、2000年など ↩︎
  4. 「国家遺産ポータル」https://www.heritage.go.kr/heri/cul/culSelectDetail.do?ccbaKdcd=12&ccbaAsno=0021420000000&ccbaCtcd=11&pageNo=1_1_1_0(2026/07/12閲覧) ↩︎
  5. 「講和成立と民情」1919年7月16日『不逞団関係雜件 朝鮮人ノ部 在内地 八』韓国史データベース「国内抗日運動資料:日本外務省記録」 ↩︎
  6. 拙著『紙に描いた「日の丸」——足下から見る朝鮮支配』岩波書店、2021年 ↩︎
  7. 前掲『大学生が推す 深掘りソウルガイド』 ↩︎
  8. 君島和彦「朝鮮における戦争動員体制の展開」藤原彰・野沢豊編『日本ファシズムと東アジア』青木書店、1977年など。 ↩︎
  9. 吉見義明『日本軍慰安婦』岩波新書、2025年など。 ↩︎
  10. 解放出版社編『金学順さんの証言——「従軍慰安婦問題」を問う』解放出版社、1993年。上杉聰『知っていますか?君が代・日の丸一問一答』解放出版社、2001年より重引。 ↩︎
  11. イ・ギョンシン著、梁澄子訳『咲ききれなかった花——ハルモニたちの終わらない美術の時間』アジュマブックス、2021年。 ↩︎
  12. 板垣竜太・加藤圭木・岡本有佳編『歴史は“強者ファースト”か?——日本社会にはびこる歴史否定を世界的に考える』岩波ブックレット、2026年。 ↩︎
  13. 岡本有佳・加藤圭木編『だれが日韓「対立」をつくったのか——徴用工、「慰安婦」、そしてメディア』大月書店、2019年。 ↩︎
  14. 一橋大学社会学部加藤圭木ゼミナール編『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』大月書店、2021年。加藤圭木監修『ひろがる「日韓」のモヤモヤとわたしたち』大月書店、2023年。 ↩︎

※本稿は、日本歴史学協会ほか共催の緊急オンラインシンポジウム「「国旗損壊罪」はなぜ問題なのか——歴史研究と歴史教育の立場から——」(2026年7月11日)での報告を踏まえ、加筆・修正したものである。