笹の墓標強制労働博物館紀行②北海道・朱鞠内「東アジア共同ワークショップ」20代女性初参加レポート

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ダム内部の監査廊の見学の様子=北海道・朱鞠内、2025年8月29日、撮影:羽和

8月25日山口県・宇部市にある長生(ちょうせい)炭鉱で、第二次世界大戦中の強制労働の犠牲者とみられる人骨が思いがけず発見された。私はそのタイムリーな報道に驚いた。というのも、私は8月28日から行われる同じく強制労働の現場だった北海道・朱鞠内(しゅまりない)でのワークショップに参加することが決まっていたからだ。

長生炭鉱も朱鞠内の雨竜(うりゅう)第一ダムも戦時中に強制労働が行われ、多くの朝鮮人や日本人が命を落とした、悲しい記憶が刻まれた場所だ。しかし、ほとんどのご遺体はきちんとした埋葬がなされないまま、今も土や水の中で眠っている。その悲しい過去を記憶し、ご遺骨を発掘、返還しようと行動してきたのは市民たちだった。
長生炭鉱では遺骨発掘とご遺族への返還を目指す「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」によって様々な問題を乗り越えながら、潜水調査が行われてきた。そして今回潜水調査の準備過程で偶然ご遺骨が発見されたのだ。

8月28日から31日まで北海道・朱鞠内で開催された「東アジア共同ワークショップ」には約70名が参加した。学生や市民、研究者やアーティスト、韓国、ドイツ、フランス、イギリスなど海外からの参加者もいて、ルーツはさまざまだった。
プログラムには、昨年秋オープンした「笹の墓標強制労働博物館」を含むその周辺のフィールドワークと4つのグループに分かれたグループワーク、さまざまな登壇者からの発表があった。その中で強制労働の現場である雨竜第一ダムの見学と、私が参加したグループワークの様子を報告したいと思う。

フィールドワークで印象的だったダム内部の監査廊の見学

フィールドワークは、強制労働被害者の集合墓地〜今はなき光顕寺(こうけんじ)跡地に建てられた、笹の墓標強制労働博物館〜ダムの横に建てられた殉職者慰霊塔〜ダムの内部にある監査廊〜朱鞠内湖の順で行われた。

その中で私が印象に残ったのはダム内部の監査廊の見学だ(冒頭の写真)。
監査廊は漏水点検や水の状態を測定するために作られる場所で、雨竜第一ダムでは地上から約50m下、急な階段を300段ほど下ったところにある。ダムは現在北海道電力の管理下にあり、見学も北電の担当者と一緒にまわる形だった。監査廊へ向かう急な階段はところどころ湿っていて、転ばないように気をつけながら進むと長い廊下にたどり着く。200mほど続く廊下はコンクリートの打ちっぱなしで、年間を通して気温が変わらず7~10度程度だそうで、8月末現在の外の気温との差は大きく、かなり寒かった。

担当者によると、監査廊の床や壁、天井は全て建設当時のまま、80年以上経った今も変わらずに使われているらしい。肌寒く薄暗いダムの天井には長い年月を想起させるように、時間をかけて溶け出したコンクリートの成分がつららのように垂れていた。そのつららの間にはフックの形をした金具が等間隔に設置されていたが、北海道電力には当時の工事記録がないそうで、そのフックが何に使われたものなのかは想像でしかわからないとのことだった。

ダムが完成した1943年から82年が経ち、当時の様子を語れるのはもうこの監査廊だけかもしれない。そう思うと壁や天井のコンクリートがより一層、重く冷たく悲しいものに見えた。

監査廊から300段の階段で地上に戻る=北海道・朱鞠内、2025年8月29日、撮影:羽和

監査廊内部の見学が終わり、地上に戻る際私の前にはさっき下ってきた急な300段の階段が待ち構えていた。明日の筋肉痛を覚悟し上り始めたがこれがとても大変だ。ヒーヒー言いながら休み休み上る。自分が運動不足であるのは重々承知だが、やはり健康な他の参加者たちも息は上がっていた。この大変な道のりを当時工事に参加した人たちは、重い荷物を持ちながら、きっと来る日も来る日も何往復もしたことだろうと思うと、現場がいかに過酷なのかが、ほんの少し想像できたように思えた。

四つのグループに分かれて作業

グループワークはアニマルレポートというタイトルで、次の4つのチームに分けられた。
・笹の墓標強制労働博物館のものがたり:きつねチーム
・なくなってしまった光顕寺のものがたり:しかチーム
・東アジア共同ワークショップのものがたり:たぬきチーム
・朱鞠内のものがたり:くまチーム
各チームは事前に出した希望をもとに大体15名ずつに分けられ、私はこの中のきつねチームに参加した。
きつねチームでは笹の墓標強制労働博物館館長の矢嶋宰さん(愛称:マリオさん)からの意見も聞きながら、博物館のSNS運用についてを軸に話し合いが進められた。新しい来場者の獲得のためにどんな投稿をしたらいいのか、現状マリオさん1人でSNSが運用されていて、その負担を減らすにはどうしたらいいのか、コンスタントに投稿するのかクオリティの高いものを一つ投稿するのかなどさまざまな角度からの意見を出し合った。SNS運用という長期的な課題を短い時間で話し合う中、最終日の全体発表に向けて今目に見える何かも作りたいということで、みんなの意見を集約しSNS投稿にも使える展示物を作ることになった。発掘と笹の墓標というものをテーマに、ワークショップ参加者の感想などを笹の葉に模した折り紙に書いてもらい、それを箱に入れて、見る人が箱の中から発掘して声を拾い上げるというものだ。拾い上げた笹の葉は今後SNSなどに投稿することもできるし、また今後博物館に訪れる来場者にも書いてもらうことができる。

全体発表に向けて方向性が定まったところで、他の参加者からの感想を集めたり、それを入れるための箱をまた笹の形に切った折り紙でデコレーションしたり、全部の作業が急ピッチで行われた。参加者が書いた笹の葉には、感想、詩や、これから来る来場者へのメッセージ、強制労働被害者の声を想像して書いたものなど、さまざまなものが日本語、韓国語、英語などで綴られた。

来館者が笹の葉に模した折り紙にメッセージを残す=北海道・朱鞠内、2025年8月30日、撮影:羽和

「美しい自然、悲しい辛い歴史が折り重なったこの朱鞠内という地でいろいろなバックグラウンドを持った方と語り合えるのが一生の思い出です」
「ヒグマより危ないものは何? 差別と忘却」
「私たちを忘れないでほしい。ずっとここにいます」

発表では実際に他のチームの参加者に笹の葉を発掘してもらい、いくつかのものを読み上げた。参加者たちの思いが読み上げられるたび自然と拍手が起こった。
ここで書かれた感想などは今後博物館のインスタグラムで活用されていく予定だ。

きつねチームの合同発表。右から2番目が筆者=北海道・朱鞠内、2025年8月30日、撮影:羽和

排外主義と差別

登壇者の発表についても少し付け加えておきたい。ワークショップではさまざまな登壇者による発表も行われた。
この朱鞠内での民衆運動を中心となって行ってきた殿平善彦さんのお話や、長生炭鉱での取材報告、アイヌエカシ(長老を指す言葉)の葛野次雄さんのお話など多種多様な話を聞くことができた。

中でも私にとって印象深かったのは最近の排外主義と差別についての発表だ。私は母が日本人、父がネパール人のダブルでいわゆる“純ジャパ”ではない。発表者のお二人も同じく海外にルーツを持つ方々で、身近な差別の現状や、最近の排外主義の動向について発表された。

一様に海外ルーツといっても歴史や背景はさまざまで、もちろん私と発表者のものは違う。でも、身の回りで起きてきたことはなぜかすごく似ていて、共感できることに喜んでいいのか悲しんでいいのか、とにかく共感した。

私も肌の色や名前の違いでいじめや差別を受けてきた一方、最近の“ハーフ”ブームで羨ましがられることもある。私の出自の話をすると、 “日本人”に私のことを「ほとんど日本人」と位置づけられたことが何度もある。自分が生きていく中で、私は自分のルーツがどこにあって、何人なのかということを嫌というほど気にして、考えさせられてきた。この問いを、同じように考え続けている人が他にもいるというのは、私にとってすごくありがたいことだ。でもそれと同時に、私が受けてきた差別は、在日コリアンの方々が受けてきたものとは背景も攻撃のされ方も全然違うし、私の国籍は日本で、戦争や植民地支配の「加害国」側の人間でもある。そんな私が彼女らと同じ立場で経験を語ってもいいのか、自分も差別する側にいつでもなり得てしまうのだということを改めて感じた。 だからこそこうして、対話することが何よりも大切だ。人々が集まり、歴史を学び、お互いの近況や状況を共有し、連帯する場は貴重で守っていかなければならないものだ。

(文・写真・動画/羽和)

笹の墓標強制労働博物館前で殿平善彦さん(階段中央、マイクを持つ)の話を聞く=北海道・朱鞠内、2025年8月29日、撮影:羽和

はわ 1999年ネパール生まれ。表現者。



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