とても静かな映画である。劇伴はほとんどない。足音。車の走行音。食器のふれ合う音。スマホのタップ音。そうした生活音にいざなわれ、あたかもドキュメンタリーを見ているかのように、気づけば映画の中に入り込んでいる。
競争に追い詰められて
韓国の地方都市・全州。高校の愛玩動物科で学ぶソヒ(キム・シウン)は、卒業半年前に、担任教師から大手通信会社の下請けのコールセンターで「実習」するように言われる。「下請けでも大手だ。こんなにいい実習先を開拓したんだ。後輩のためにもがんばれ」と担任。面接後、同じく実習中の彼氏にスーツ姿で会いに行き、その場でダンスを披露し合って転び、笑い合う。
コールセンターでは、通話を引き延ばし、顧客の解約を阻止するのが「仕事」だった。当然、イライラした顧客から、罵声を浴びせられる。人の声が重なりあって濃密なセンターの空気の中で、激しく罵られ、悲鳴を上げてヘッドフォンを外した時だけ、一瞬の静寂が訪れる。だがすぐにまた、何事もなかったかのように、少女たちの声が雲霞のように重なっていく。厳しいノルマと他の支店との競争にさらされて、次第に追い詰められていくソヒ。初雪が降った朝、ソヒが出社すると、親切だった男性のチーム長が、駐車場に停めた車内で練炭自殺していた。
「やめるな」と担任は言った
会社は実習生に口止め料としてボーナスを払うと提案するが、ソヒは最後まで抵抗する。口止め書類にとうとうサインしたソヒは、吹っ切るように成績を上げたが、新しい女性のチーム長は「実習生はすぐにやめるから」と成果給を払おうとしなかった。顧客の解約希望を次々受け入れていくソヒとチーム長は衝突し、ソヒは3日間の謹慎処分となる。
友達とカラオケに興じ、帰りの雪道で静かに手首を切るソヒ。病院に迎えに来た両親に車の中で「実習やめようかな」と言うが、その声は車の走行音に消され両親に届かない。
翌日、学校で担任と面談する。「やめるな」と言われ、ソヒは「私がどんな仕事をしているか知っていますか?」と問うが、担任はそれには答えない。
友達と昼ご飯を食べ、一人で店に入り、ビールを飲んだ後、ソヒはため池に足を進める。そして、静かにフレームから消える。
現実から目をそらす人々
後半は、刑事ユジン(ペ・ドゥナ)の視点で、ソヒが自殺するまでの足跡をたどり直す。コールセンター、高校、地方教育庁と、ソヒの死の責任を追及していくが、対峙する誰もが「競争社会だから仕方がない」とユジンから目をそらし、ソヒの家庭環境や性格のせいにする。
チョン・ジュリ監督は貧しさを繊細に描写する。
ユジンはソヒの自宅に遺品を押収に行き、愕然とする。「パソコンもタブレットもありません」。家庭にパソコンを購入する余裕がなく、もっぱらスマホ頼みの生活。それなのに、実習先ではパソコンで顧客に対応し、技能への対価は支払われない。デジタルネイティブのミレニアル世代に対する殺伐とした搾取の風景が立ち上がってくる。
あるいは、家の中でも薄手のダウンを羽織っているソヒの母。朝食の席でソヒ自身もフリースを着込んでいる。雪が降るような真冬なのに、たぶんこの家では節約のため、暖房をつけていない。父の車は車体に文字が躍る営業車だ。
重なり合う2人の女性の拳
前半にソヒが、後半にユジンが、一度ずつ拳を振り上げる場面がある。
ソヒは、新しいチーム長に「成果給を下さい」と要求して、「貧乏だからか。お金に汚い子ね」と吐き捨てられ、殴ってしまう。ユジンはソヒの高校に行き、教頭に「うちのせいじゃない。あの子は短気で問題があった」と開き直られ、拳で殴った後、「私も短気だから殴りました」と言う。
2人の女性の尊厳を賭けた拳が重なり合い、競争社会、格差社会を撃つ。
映画は実際にあった事件をモデルにしているという。韓国で映画が公開された1ヶ月後の今年3月、職業系高校の現場実習に関し、「勤労基準法」の準用を拡大する「職業教育訓練推進法」改正案が、国会で可決された。
行く先を失っていく日本の子どもたち
日本でも、少子化を受けて高校の統廃合が進む。大阪では維新府政になってから、「3年連続定員を割った府立高校は募集停止」がルールになった。22年度までの10年間で17校の閉校が決まった。家庭が貧しかったり、成績が伸び悩んだり、中学で不登校だったりと厳しい条件にいる子どもほど、行き先がない。韓国のような実習生制度こそないが、劣悪な条件でアルバイトをしている高校生や中退者なら、山のようにいる。
私たちは、高校生を、若者を使い捨てにしてはならない。そんな当たり前のことが、当たり前でなくなっている社会を憂う。ユジンのようにしっかりと目を開いて、この現実と対峙していきたい。
(阿久沢悦子)
死角だった高校生の実習現場
映画ライター・成川彩さんに聞く
ソウル在住で、著書「現地発 韓国映画・ドラマのなぜ?」がある映画ライターの成川彩さんに、「あしたの少女」が韓国社会に与えた影響について聞いた。
「高校生が自殺」の小さな記事
映画は2017年に実際にあった事件をモチーフにしています。卒業を目前に控えた女子高校生ホン・スヨンさん(当時18)が貯水池に身を投げて自殺しました。スヨンさんはコールセンターで現場実習生として働き始め、4ヶ月後に亡くなった。ノルマとされた顧客対応件数に満たないといわれて残業させられることが多い一方、契約上支払われるはずの対価もきちんと支払われていませんでした。
映画ではペ・ドゥナ演じる刑事が事件の真相を追いますが、実際にはスヨンさんの記事は「高校生が自殺」として小さく扱われたにすぎません。映画が公開されてから、友達と話しましたが、当時の記事を覚えている人はいませんでした。
業者、学校、教育庁による隠ぺい
当時、人権活動家が、この短い記事を読んで、地域の高校に片っ端から電話をかけ、「今はお話できません」と応対した高校に当たりをつけて、業者や学校、教育庁を追及しました。教育庁が就職率によって高校への支援金を配分していて、学校は就職率を上げることが目的化していた。この構図から、3者とも事件を隠そうとしていたんですね。コールセンターは、スヨンさんの自殺後5ヶ月たって、職場環境を改善すると発表しました。でも、高校生の現場実習の全体が変わったわけではありませんでした。
映画が社会を動かし、法改正へ
韓国では労働組合運動がさかんで、人権救済も試みられていますが、高校生の現場実習は、勤労基準法(日本の労働基準法)が適用されず、「死角」となっていました。
「あしたの少女」公開後、チョン・ジュリ監督と観客の対話などを通して、韓国社会全体がこの問題を共有し、考える輪が広がりました。そして今年3月、職業系高校の現場実習に勤労基準法の準用を拡大する内容の「職業教育訓練促進法」改正案が、国会本会議を通過しました。業者側の責務を強化し、現場実習生の保護を図るもので、改正案は「次のソヒ防止法」と呼ばれています。
実は「あしたの少女」以前にも、若者の労災死を描いた映画が撮られていました。シン・スウォン監督の「若者の光」(2020年)です。これもコールセンターで現場実習生として働く高校生の悲劇を描いていましたが、監督はこの映画を撮ったきっかけとして、地下鉄のホームドアの修理中、列車とホームドアの間に挟まれて19歳の男性が亡くなった事故を挙げていました。監督には20代の子どもが2人いて、韓国の就職難や若者労働のいびつさを身にしみて感じ、母親の視点を生かして映画を撮ったといいます。
チョン・ジュリ監督もまた、注目が得られにくい素材に取り組む女性監督です。「あしたの少女」はカンヌ国際映画祭に出品され、ペ・ドゥナというスターの出演もあり、観客動員数11〜12万と、非商業映画としては異例のヒットとなりました。この9月には韓国の映画評論家協会の最優秀作品賞を受賞しました。
現場実習制度、廃止の声も
韓国では今、女性の大学進学率が急伸し、80%を超えています。ソヒら職業高校生は大学に入れない10数%の少数派。親の経済的な事情から大学に行けない少女たちが、とても厳しい立場に置かれ、現場実習を担っています。
本来、実習とは社会に出て学ぶことを先取りして事前に学ぶものであるはずが、詐欺まがいのことをさせられたり、大人もやりたくない仕事をさせられたりしていた。そのシステムを維持することで得をしていた人もいた。死者が出るたび、企業側は「謝罪・改善します」と発表しますが、それは通りいっぺんのものでした。「次のソヒ防止法」が通った今、韓国内では現場実習の制度をやめさせようという意見も、聞こえてきます。このように映画が社会を変える一助となることも、韓国ではよくあります。 (聞き手・阿久沢悦子)