わたしたちはここにいる あるトランスジェンダー女性の声

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声を上げるのが怖い。そう思わせるような社会を変えていきたい

 「LGBTQ」という言葉をさまざまな場で目にするようになりました。著名な当事者の講演を自治体が主催することも、最近は珍しくありません。LGBTQという言葉を知る人は、秋田県内でも確実に増えていると感じます。
 その一方、誤った情報に基づく当事者への誹謗中傷が深刻化しており、地方で暮らす当事者はますます、声を上げにくい状況に置かれています。

 10月20日、秋田市で「トランスジェンダーと話してみませんか?」という会があり、トランスジェンダー女性のAさん(46)=秋田県潟上(かたがみ)市=が半生を語りました。トランスジェンダーのリアルを知ってもらおうと、秋田県の民間団体「性と人権ネットワークESTO」が昨年に続き開きました。詳報します。

好きな色を「卒業」させられ

 「この会場に入ってきた時から、自分は周りの人と服装とかいでたちとか、いろいろ違うということを自覚しています。それでもこれは、自分の本来の姿です。あえて周りの人と同じような姿になって、偽って生活する必要はない。そういうスタイルに、今は落ち着きました」。8人の参加者を前に、Aさんが語りました。

 生まれた時に割り当てられた「男」という性別。それに違和を感じ始めたのは、小学校にあがる前でした。ごく自然に、姉たちと同じく女の子の服を着たり、リボンを結んだりしていましたが、次第に大人から「周りの男の子と同じようにズボンをはかなければだめ」と言われるようになりました。

 「赤やピンクは『卒業』して、青とか黒い色を選ばなければ」と言われたとき、幼いながらも「なぜ私は女の子なのに、男の子みたいに扱われているんだろう?」と不思議に思いました。「幼いので具体的に思考できているわけではなく、ただ『なぜお姉ちゃんたちと同じくできないんだろう、なぜ急に男の子らしくしなさいと言われるんだろう』って、漠然と変だなと思いながら幼少期を過ごしていました」

「トランスジェンダーと話してみませんか?」のちらし

「男の子」という檻に苦しめられる

 小学校入学で待ち受けていたのは「黒いランドセル」です。「当時(1980年代)はまだ、女の子は赤いランドセル、男の子は黒いランドセルという位置づけが決定的なものでした。小学校は、私にとっては地獄のようなところで、当然その状態になじめるわけがなく、最初の1年か2年ほど通って、以降はずっと不登校でした」

 酷いいじめがあったわけではなかった、とAさんは振り返ります。ただ学校のなかにある「男の子」「女の子」という檻(おり)に、ひたすら苦しみました。

 当時、髪を伸ばして結っていたAさんは、クラスメートから「男なのに女っぽい」などとからかわれ、先生にもよく髪型を注意されていました。

 ほとんど不登校だった6年間で、記憶に残るのは体育の時間です。Aさんの学校では男の子が廊下、女の子が教室で着替えをしていましたが、Aさんは「女っぽいから女子の中で着替えろ」などと言われ、女子のいる教室に無理やり入れられました。男子からいじめられているAさんに、女子たちは「気持ち悪いから外で着替えて」と言い、教室からも追い出されました。

「ここには自分の居場所はない」

 「廊下でも教室でもなく、トイレや、先生に連れられて行った教員用の更衣室で着替えることもありました。そのとき思ったのは、学校という所には自分の居場所はないし、誰も話を聞いてくれないということです。なぜ自分は周りの女の子と同じようにできないのだろう?と思いました。けれどそのことを、先生や親にどう話したらいいのか分かりませんでした。体は男だけれども、自分は女の子なんだということをどう伝えればいいのか、子どもに分かるわけがありませんでした」。そのまま、中学校も不登校になりました。

 「なぜ学校に行かないのか」。不登校になってから、Aさんは親や先生に幾度となく「行かない理由」を聞かれました。「LGBTQという言葉すら存在していない時代でしたし、地域性というか、田舎ということもあって、不登校になった私は周りの大人から『この子はほかの子と同調できなくて、周りの輪に入れなくて、おかしな子』みたいに言われていました」

トランスジェンダーの旗と同じ水色、ピンク、白のビーズを詰めた小瓶。秋田県内のアライが手作りしました

幼少期から苦しみ続け、うつ病を発症

 大人になり、就職活動をするときも「男の子」という檻がAさんを苦しめました。

 「仕事をしなきゃいけないという年齢になって、でもそこでもやっぱり、誰かに悩みを話せる環境は自分の周りにはありませんでした」。髪を短くし、スーツを着てネクタイを締め、ハローワークや会社の面接に行くことは、Aさんにとって大きな苦痛でした。

 「とりあえず社会人として生きていかなければいけない、だから無理やり『男』として就職活動をしました。けれど無理やりやっているから、応募する意欲や働く意欲は、あるわけがありません。当然、担当者に見透かされて『働く気がないんだったら最初から応募しないでください』と言われたこともありました」

 就活はうまくいかず、自宅にこもって出られなくなる状態が長く続きました。そうするうちに髪は長く伸び、ポニーテールを結えるまでになりました。けれど就職活動をするため、せっかく伸びた髪を再び短く切り、本来の自分を隠して「男」にならなければいけない――。そんな生活を10年も繰り返すうちに、Aさんはうつ病を発症しました。

 「私は、笑わなくなったし、怒らなくなったし、苦しいと思わなくなったし、悲しいとも思わなくなっていました」。精神科の主治医からは「幼少期から積み重なってきた体験で、感情を出せなくなっている」と告げられたといいます。

「性同一性障害」という言葉に出会う

 「なぜ自分は周りの人と違うんだろう? 知識も何もないまま、ずっと悩んできました」。42歳のとき、Aさんはインターネットで「性別の違和感」「死にたい」と、初めて検索しました。そこで表示されたさまざまなサイトをたどり、ある言葉に出会いました。「性同一性障害」です。(※現在は障害ではなく「性の健康に関する状態」に分類されており「性別不合」といいます)

 「あ、これなのかなと思いました。ちょうど同じ時期にYouTuberとして活躍しているかずえちゃんのカミングアウト動画を見つけて。それを見たときに、自分の幼少期から40代に至るまでの性別の違和感、意味のわからない状況は、性同一性障害なんじゃないかと気づきました」

 2020年春、Aさんは秋田市の医療機関を受診。「性同一性障害」の診断を受け、女性ホルモン補充療法を受けるようになりました。

「本来生まれるはずだった体にかえりたい」

 ホルモン療法を始めるにあたり、主治医から何度も意思を確認されました。しかし、Aさんの答えは揺らぎませんでした。「この状態で生きてくのは、もう耐えられない。治療で苦しんでもいいから、本来生まれるはずだった体にかえりたい」

 治療を始めると同時に、周囲にトランスジェンダーであることをカミングアウトしました。地元の潟上市役所の福祉窓口にも相談し、生活保護をはじめとするさまざまな支援制度にもたどり着くことができました。2022年秋からは、秋田市の就労継続支援B型事業所に週1、2回、通っています。

 ホルモン療法を始めると、副作用による頭痛や吐き気、めまいなどさまざまな不調に見舞われ、寝込む日が多くなりました。因果関係は不明ですが、片耳が難聴になり、両目の視力も弱くなりました。

 この日も体調に不安があり、スピーカーができるかどうか、直前まで分かりませんでした。それでも参加した理由について、Aさんはこう語ります。「プライドパレードに参加したりして、外を歩くことはできないけれど、自分が話せる状態のときにこうして伝えていきたい、と思いました」

自身の半生について語るAさん

当事者が医療機関を受診することの困難

 Aさんは子どものころ、左利きだったそうです。けれど小学校のとき、右利きに矯正されました。

 「家族も親戚もみんな右利きの中で、自分だけ左利きだったので『縁起が悪い』と言われました。そして右利きに矯正されたんですけれど、大人になって気がついたら、いつの間にか左利きに戻っていました。私はLGBTQの当事者であり、トランス女性であり、身体障害があり、精神障害もあり、左利きということで、自分のカウンセリングを担当している先生から『レアキャラ』と呼ばれています」。ほんの少し笑顔になりながら、Aさんはそう語りました。

 「レアキャラ」であるがゆえに、マジョリティ(多数派)とは異なるさまざまな困難に直面しています。例えば、医療機関へのアクセスです。

 Aさんはいま、本来の性である女性として暮らしていますが、戸籍上の性はいまだ「男性」となっています。このような日常の性別(女性)と戸籍上の性別(男性)の食い違いによって、トランスジェンダー当事者のなかには医療機関の「受診控え」をする人もいます。

 「耳の聞こえが悪くなった時、耳鼻科に行こうかと思いました。でも健康保険証には戸籍の性別(男性)が書かれているので、そのことをどうやって話せばいいのかと考えてしまって。医療機関を受診するのはとてもハードルが高くて、そのまま3年、4年と放っておいてしまいました。代償として、起きていても横になっていてもずっと耳鳴りが続く状態になってしまいました」

 マイナンバーカードを申請する時も、窓口でつらい思いをしました。「申請時に、わざわざメモ用紙に『自分はこういう者です、戸籍上は男です』と書いて窓口のかたに渡して、対応してもらいました。こういう一つ一つのことに、自分ではもう慣れたつもりでいたんですけれども、やっぱり積み重なると、傷になります」

あからさまな視線、変わらない意識

 空気のようにつきまとう、日常的な困難もあります。例えばあからさまな「視線」です。

 「自分の服装などを見て『あれは当事者だな』というふうな、あからさまな視線を感じるときがあって、そういうときにはちょっと、きついなと、困難だなと、思うときがあります」

 社会に出ていくことへの怖さ。不特定多数の人が集まる場へ行ったときの動悸、発汗、頭痛。いまだに襲われるこれらの症状は、Aさんがこれまで地域社会で受けてきた傷の深さを表しています。

 「いま学校ではジェンダーフリーの制服があって、男の子もスカートを履けるというところもあります。幼い男の子がスカートをはいているという話題が流れてきたとき、コメント欄には『ご両親の理解があっていいね』とか『自分らしくていいね』という言葉が書かれていました。でも、社会に出た時、当事者の子どもはいじめられたり、偏見の目で見られたりすることもあります。学校側が対応しただけでは、永遠に解決しない。どうしたらいいのかといえば、辛抱強く、こういう勉強会を開いたりして、興味持ってもらえるまで、情報を流すしかないと思っています」

「ここにたどり着いてくれてありがとう」

 この会が終わった後、Aさんからメールが届きました。〈どうしても話したいこと、伝えたいことがあったのですが、当日は時間の関係で話せないままだったので、文章にしました〉。そこには、Aさんが40代になって初めて出会えた「相談できる人たち」のことが、次のように記されていました。

 私はいま、地元の市役所の保健師さん、臨床心理士さんに月1回、カウンセリングをしてもらっています。体調や障がい、メンタル面で一般の仕事に就けないこと、障害の症状が重いこと、30数年の引きこもりなどもあり、まずは日常生活に戻るための一歩として「就労支援施設への通所を繰り返して外の社会に出ることで、日常の生活習慣を数年かけて整えていく」というところから始めています。

 就労日程は、週1日か2日くらい。支援員さんとの作業と対話療法は、通所日の1時間か2時間です。周りの利用者さんと一緒に作業したり、支援員さんと何気ない会話をしたりして、生活を取り戻しているところです。通所しているのは秋田市にある「ごろりんはうす」です。通所前の面談と見学は、市役所の保健師さんたちに同席していただく形でした。最初の段階では、私がトランスジェンダー女性であることには触れず、障害特性について、保健師さんに代弁してもらいました。その後、支援員さんたちにも、私のセクシャリティについて説明してもらいました。

 通所し始めて半年から1年が過ぎた頃、支援員さんに言われたことが、今でも心に残っています。「私たちはLGBTQ+の存在を福祉の専門職としては知っていたけれど、当事者の方とは、会ったことも、話したこともなかった。Aさんを受け入れることを前提に、全職員が数週間かけてLGBTQ+の勉強会をさせてもらった」「Aさんは長い時間、苦しんでこられたけれど、遠回りしてここにたどり着いてくれて、ありがとう」

 保健師さんたちからも「Aさんに教えてもらうことはとても多い。支える立場だけど、教えてもらうこともたくさんある。カミングアウトをしたとき、勇気を持って、覚悟を持ってSOSを出してくれてありがとう!」と言われたこと。

 この言葉を、一番伝えたかったのです。

「私たちは生きている、一個の人間として」

 10月19日には、秋田駅西口の大屋根通りで「秋田トランスプライド」のスタンディングデモがありました。トランスジェンダーの人権回復をめざし、秋田プライドマーチ実行委員会が昨年に続き開催しました。

 当日は近くの仲小路商店街を行進する予定でしたが、雨と強風のためサイレントスタンディングに変更。秋田県内のほか、岩手、宮城から駆け付けた計10数人が、トランスジェンダー・フラッグ(トランスジェンダーを象徴する水色、ピンク、白のストライプの旗)を手にスタンディングしました。

トランスジェンダー・フラッグを手に、秋田駅西口大屋根通りでスタンディングをする人たち(10月19日撮影)

 スタンディングをしていたメンバーの一人、秋田市の佐藤二葉(ふたば)さんは、トランスプライドに寄せて記したメッセージを掲げました。

 性同一性障害者特例法の全面改正、一般法化を強く望みます。昨年10月の最高裁判決により、特例法の3条4号(不妊化)要件は違憲無効とされ、多くのトランス男性が戸籍変更を進められるようになったことは大きな前進でした。しかし依然、特例法の改正は遅々として進まず、国際的にも人権侵害とされて勧告を受けている他の要件が今なお生き続けています。出生時に性別を割り当てる習慣と、それを反映し続ける性別の取扱いは、私達トランスジェンダーにとって大きな人生の楔(くさび)となっています。
 そして私達トランスジェンダーを含め、全ての人の性と生殖に関する健康と権利を尊重してほしい。トランスジェンダーにとって生殖器や妊孕性は性別を決定する記号ではありません。子を授かることを望み自らの生殖能力を利用したい人もいるし、そうでない人もいるのです。生殖は身体に義務付けられたものではなく、その人の固有の権利なのです。性別移行に当たって生殖能力とどう向き合うかはその人個人の問題であり、国が法を用いて選択肢を奪うのは明白な人権侵害です。
 性別移行におけるホルモン補充療法や性別適合手術は、性別違和を緩和することはできますが、完治することはありません。性別が記号やスイッチのようにある日突然ぽんと変えられるものではないことは、私達トランスジェンダーが一番よく分かっています。人口の1%に満たないとされるトランスジェンダーのことを理解してとは言いません。しかし恐怖を煽られ偏見に流され悪意をぶつけるのはやめてください。

 私達は生きています。一個の人間として。

トランスフラッグとメッセージボードを掲げる佐藤二葉さん(撮影=yamamoto yukiko)

 スタンディングをしていると、一人の学生がメンバーのそばにやって来ました。自身がトランスジェンダーであることや、将来の夢について話していったそうです。

 「ここにいる」と声を上げ続ける。声を上げられない日は、静かに立っているだけでいい。私たちにできることは、まだまだあると感じました。

秋田トランスプライドのデモ行進は雨で中止となりましたが、会場となるはずだった仲小路商店街の店舗にはトランスフラッグが掲げられていました

LGBTQ
L(Lesbian=レズビアン。女性として女性を好きな人)、G(Gay=ゲイ。男性として男性を好きな人)、B(Bisexual=バイセクシュアル。異性を好きになることもあれば同性を好きになることもある人)、T(Transgender=トランスジェンダー。生まれたときに割り当てられた性別と異なる性別を生きる人)、Q(Queer=クィア、性的マイノリティの総称。またはQuestioning=クエスチョニング、自分の性自認やどの性別の人を好きになるかについて不確かな状態の人)。LGBTQはこれらの頭文字をとった言葉で、性的マイノリティの総称の一つです。LGBTQ+の「+(プラス)」は、LGBTQだけではない、多様な性のあり方を意味しています
性的マジョリティとは、生まれた時に割り当てられた性別に違和感がない人(cisgender=シスジェンダー)で、かつ異性を好きになる人(heterosexual=ヘテロセクシュアル)のことを指し、人口の多数を占めています

トランスジェンダー
生まれた時に割り当てられた性別(戸籍などの性別)とは異なる性を生きる人のこと。性別の「割り当て」は通常、出生時の生殖器の外観によって「男」「女」「不明」に分類され、戸籍には「男」か「女」で登録されます。トランスジェンダー女性は、出生時に割り当てられた性別は「男」ですが、ジェンダーアイデンティティ(性自認)は女性であり、女性として生きる人のことです

【参考資料】
「13歳から知っておきたいLGBT+」 アシュリー・マーデル 著
「トランスジェンダー入門」 周司あきら 高井ゆと里 著
「トランスジェンダーQ&A」 周司あきら 高井ゆと里 著

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