「クルド人として生きること、それ自体が政治的」 俳優で脚本家のムラト・チチェクさんを映画上映で追悼 高尾署に勾留中に腹膜炎で死亡

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その名を忘れない。留置場で病死したクルド人俳優ムラト・チチェクさんを追悼する上映会があったよ。

クルド人俳優で脚本家のムラト・チチェクさん(49)が7月2日、警察署に勾留中に亡くなりました。8月6日夕、東京大学駒場キャンパスでムラトさんが出演した映画「みんな、おしゃべり!」(2025年、河合健監督)の追悼上映会が開かれました。主催は20〜30代を中心としたグループ「平和と民主主義を求める<青と花と光のレジスタンス>」。150人が参加し、日本政府の排外主義的な政策の犠牲となった、早すぎる死を惜しみました。

旅券不携帯で逮捕、勾留の必要があったのか

ムラト・チチェクさんの死亡の経緯は警察庁の国会議員への説明によると次の通りです。

6月25日、旅券不携帯の現行犯で逮捕され、警視庁高尾署に留置された。6月29日に嘔吐、30日に腹痛を訴えた。7月1日、外部の医療機関を受診し、超音波検査などを受けたが、服薬以外の治療はなされず。夜中には「熱い」と訴え、検温の結果は34度台。7月2日に死亡が確認された。7月3日に行われた司法解剖の結果、死因は十二指腸潰瘍穿孔による腹膜炎の疑い。

旅券は死後、自宅から見つかりました。「旅券不携帯で逮捕、勾留の必要があったのか」「警察が医療につなげるのが遅すぎたのではないか」などの疑問点が、国会議員や支援団体、遺族から指摘されています。

芸術とは与えられた現実に疑問を投げかける力

追悼集会では昨年劇場公開された「みんな、おしゃべり!」が上映されました。日本手話とクルド語。ともに「絶滅危惧言語」とされる言葉を使う人たちがどのようにコミュニケーションを取り得るのか。住宅地の商店街を舞台に老若男女が入り乱れて繰り広げる騒動を、大真面目かつコミカルに描いています。

ムラトさんはクルド語に誇りを持つケバブ店の店主を演じていました。

劇場用パンフレット(すでに完売)に収録された座談会で、ムラトさんはこんな言葉を残していました。参加者の一人が読み上げました。

「クルド人として生きること。それ自体が政治的なんです」
「人生そのものが物語であり、映画なんだと私は思っています。言葉を奪われ、故郷を追われ、異国で新たな表現を模索する。その中で出会う人々、交わす言葉、感じる矛盾。全てが創作の種です。芸術とは、与えられた現実に疑問を投げかける力。そこに嘘があると感じたら、私はその嘘を暴きに行く。そして、見過ごされてきた声に光を当てたい。クルド人として、そして一人の人間として、私はこれからも物語を紡ぎ続けます。年齢を考えれば、健康的に生きられるのはあと20年ほどですよね。これから先は自然と動物の中で暮らしたいとも考えているんです。きっと、そこで私は物語を書き続けるんだと思います」

追悼の寄せ書きにはムラトさんの似顔絵も=東京都目黒区(主催者提供)

遺されたシノプシスを映画に

上映会の後、河合監督と日本クルド文化協会のチョーラク・ワッカス事務局長の対談があり、生前のムラトさんのエピソードが明かされました。

「川口(埼玉県川口市)に行った時は、ムラトさんの家に泊まり、いろんな映画の話をした。ムラトさんは黒澤明のファンで、全作品を観たと言っていた。私も黒澤の自伝的な書籍『蝦蟇の油』を読んで、日本社会について議論を交わした。彼が書いたシノプシスはたくさん遺されている。これから映画にできればいい。彼は分け隔てなく人と付き合う。よい関係性をたくさん作った人だった」(ワッカスさん)

「息子のヒワ役の俳優さんは、実はクルド語が話せない。普段の生活ではトルコ語と日本語を使っている。クルド語のセリフを徹夜で覚えてきたら、ムラトさんが現場でセリフを変えてしまって、困ったことがあった。クルド語に関しては、他の出演者に対しても、とても厳しかった。でも、自分がミスをするとテへっと笑って、『もう一回やろう』と言うなど、チャーミングなところがあった。最初は日本人が作るクルド人の映画を添削してやろう、という気持ちでやってきて、脚本を読んだら『これは俺の物語だ』とノリノリになった」(河合監督)

ムラトさんの遺稿となったシナリオのタイトルは「愛と影」。トルコで生まれた2人のクルド人が日本に来て、少しずつすれ違っていく物語。浅草や明治神宮、長崎でロケハンもしていたそうです。ワッカスさんは「なんとか形にしたい」と話しました。

ムラトさんの思い出を語り合う河合健監督(右)とチョーラク・ワッカスさん=東京都目黒区(主催者提供)

遺族「真実が明らかになり正義が実現されることを心から願う」

会場では遺族からのメッセージも代読されました。

私たちの大切な息子であり、兄でもあるムラト・チチェクを忘れることなく、このような追悼の会を開いてくださり、私たち家族の悲しみに寄り添い、温かい支えと連帯を示してくださったことに、家族を代表して心より感謝申し上げます。
ムラトは、いつも笑顔で、優しく、人を大切にする人でした。
困っている人がいれば、自分から進んで手を差し伸べ、見返りを求めることは決してありませんでした。
誰に対しても分け隔てなく接し、人を差別することなく、温かい心で向き合っていました。
家族をとても大切にし、私たちを喜ばせるためにいつも一生懸命でした。
家族や友人が悲しんでいると、自分のことのように心を痛める人でした。
正直で、誠実で、思いやりにあふれていたムラトは、彼を知るすべての人から愛され、信頼されていました。
私たちは今も、彼の優しい笑顔と温かい心を毎日恋しく思っています。
ムラトは、より良い未来を夢見て、7年間、家族と離れて暮らしていました。
私たちは、いつか再び会える日を信じ、その日を楽しみに待っていました。
しかし、その願いは叶いませんでした。
もう一度会うことも、最後に抱きしめることもできないまま、ムラトを失いました。
この悲しみを言葉で表すことはできません。
私たち家族にとって、この悲しみは一生消えることのない深い傷です。
私たちは、ムラトが留置中に起きた重大な過失によって命を失ったと考えています。
私たちが最も望んでいることは、この出来事のすべてが明らかにされ、独立した、公正で透明性のある調査が行われ、責任がある人には適切な責任が問われることです。
私たちは、ただ真実が明らかになり、正義が実現されることを心から願っています。
ムラトは、もう私たちのもとへ戻ってくることはありません。
しかし、この出来事が忘れ去られることなく、二度と同じ悲しみを味わう家族が生まれないように、私たちはこれからも声を上げ続けます。
私たちは、ムラト・チチェクという名前が、正義、人権、そして人間の尊厳を守るための力となることを心から願っています。