「仕方がない」と片付けないで 首相不在のハンセン病追悼式典で、遺族代表の女性が訴え

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ハンセン病に残る偏見や差別 なくすために行動を

6月22日は「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」。

国の隔離政策により、ハンセン病患者及び回復者が人権を奪われてきた歴史を反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓う日です。毎年この日に、国による式典が開かれていますが、今年は土曜日にあたるため日程を前倒しし、6月20日に厚生労働省前で開かれました。厚生労働大臣、文部科学大臣、法務大臣の出席はありましたが、岸田文雄首相は欠席。官房副長官が代理で挨拶を読み上げました。首相の欠席は安倍、菅、岸田と3代、12年にわたり続いています。

対して、当事者の言葉はどれも重いものでした。

遺族を代表してあいさつした女性は「過ちて改めざる 是を過ちと謂う」という論語を引き、国に対し「もっと本気を出して国民の生命と健康を守ってほしい」と訴えました。

その言葉を採録します。

私は190番です

 「私は190番です。こんなに短く、悲しい自己紹介があることをご存じでしょうか。きっとみなさんは理解も、知るよしもないでしょう」

 190番は、ハンセン病家族国家賠償請求訴訟での女性の原告番号です。国の誤った隔離政策で家族も差別を受け、一家離散などを強いられたとして、元患者の家族561人が国に損害賠償を求めた裁判で、熊本地裁は2019年6月28日、国の責任を認める判決を出し、双方が控訴せず確定しました。しかし、判決が出てもなお、実名で語ることができない家族が多くいます。

「私はみなさんと同じように、この地上にこの日本に生を受けました。しかし、一つだけみなさんと違ったことがあるんです。それは私は生まれた時よりすでに人権がなかったということなんです。この国の政策により、差別偏見の中で生きていかなければならないということが、決まっていたんです。それは私が生まれた時、すでに父がハンセン病患者で後遺症があったからです」

追悼式典は厚生労働省の玄関前に3つのテントを張って行われた=東京都千代田区

先生の顔も同級生の名前も記憶にない

女性には子どもの頃、学校での記憶がほとんどない、といいます。

「義務教育の間、先生の顔も名前も、同じクラスの同級生の名前も記憶にないのです。ただ冷たい視線だけが、私の記憶に残っています。生徒の中でも先頭に立って、私を無視し、排除するように、同じ子どもたちに促していたのは教育者の娘でした。

私はほとんどの時間を一人で過ごしました。給食が終わり、少し長い休み時間は生徒には一番の楽しみ。でも、私はその時間が大嫌いだったんです。いつも、運動場で先生と生徒が戯れる姿をただただ教室の窓から一人眺める。そんな時間だったからです。遠足等の行事も大嫌いでした。だって、一人で食べるお弁当がいやだったんです。先生や生徒の目には私は映っていなかったのでしょうか。いいえ、それは違います。理由は一つなんです。私はハンセン病の父を持つ子どもだったから。ただそれだけです」

惨殺された白い犬 自宅には放火の跡

近所づきあいもほとんどなく、家族ごと社会から排除された、と女性は言います。

「家で飼っていた白い犬がある日、つないでいたはずの鎖が外され、探し回ると、裏の雑木林の大きな木にロープで首から吊るされ、真っ白い体が真っ赤に染まるほど殴られ、殺されていました。ある時は家族が留守にしている間に、家に放火された跡が残されていました。私は、幼いながらもなぜ人がこれほど非情になれるのか、誰がこんなことを許しているのか、誰がこんなことをできる人間を生み出すのか、と考えました。

必死に暮らす私たち家族になんの罪があるのだろうと、何度も何度も自身に問いかけました」

それでも、女性ときょうだいは、両親に「差別、偏見を受けている」とは言えなかったそうです。

「生きているだけでつらく悲しく悔しい思いをしている両親に、これ以上悲しくつらい思いをさせたくなかった。しかし、今思えば周囲の人たちも、国から誤った施策の情報を操作、洗脳、扇動されてしまい、家族を守るため、大切な誰かを守るために、私たちを排除する選択しかなかったのだと思います」

国の誤った政策でゆがめられた姿

父は自分のつらさを言葉にすることはなかったものの、時として家族にあたることがありました。女性は父のイライラしている気持ちを黙って受け入れました。母の言葉があったからです。

「今のお父さんの姿は本当の姿ではなく、国の誤った政策により、ゆがめられてしまったもの。いつかそれが正される日がくるでしょう。だからあなたたちは何があっても、堂々としていなさい」

女性の母は70年前に父と結婚しました。ちょうど、父がハンセン病を発症したときでした。

「何が起きたか? 親、きょうだい、親戚、そして行政から猛反対されたんです。ハンセン病を患った人と結婚すると、あなたはもちろん感染するし、子どもも産めない、産んだとしても遺伝する。そう言われ、結婚をやめるように説得されたそうです」

20代前半の母が独力で調べ、出した答え

母は当時、地方の新聞社に勤めていました。

「この病気はそんなに怖い病気なのか、うつる病気なのか。母は自分なりに調べ、考えたそうです。

そこで母が出した答えは、ハンセン病はうつる病気でも怖い病気でもない、遺伝もしない。国や医療界の言っていることはおかしい、間違いだ。この国のすべてを敵に回しても、それを私が証明してみせる。ましてや病気だからと言って、大切な人を人として見捨てることはできない、と」

しかし、それから国の政策により母自身が人生を奪われていったといいます。結婚から数十年ぶりに墓参りのため帰郷した際、母はバスの中で、自分の母親を見かけ、「お母さん」と声をかけました。しかし、返ってきた答えは「私には娘はいませんよ」でした。

「どれだけ、悲しくつらい瞬間だったでしょうか。そして、私の祖母もまた、たった一人の娘を抱きしめてあげたい気持ちを押し殺し、非情な言葉を言わなければならなかった。これがね、これがこの国によって、引き離された家族の真実の物語なんですよ」

らい予防法は1996年にようやく廃止され、ハンセン病元患者らが起こした国家賠償請求訴訟で、2001年5月11日、熊本地裁は国の責任を認めました。

「母の考えはこの勝訴で証明されました。70年前、一人の若い女性がしっかり調べて考え出した答えは間違いじゃなかった。

じゃあ、日本国や政府は行政は無知だったのか、無能だったのか。私はそうではないと思います。なぜなら、明治40年代の新聞に、医師の談話が記載されていたからです。『ハンセン病は簡単にはうつらない。栄養を取り、休養すれば治ります』と。しかも完治している事例もあった。いくらネットやテレビがない時代でも、国や行政の耳には届いていたと思います。国が国民に真実を知らせず、だまして何をやりたかったのか、何が目的だったのか。私は人として考えた時、理解に苦しみます」

「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の碑」。ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会事務局長の竪山勲さんは「何の碑か忘れないために名前を長くしたんだよ」と語った=東京都千代田区

100年後の今、何が変わったでしょうか?

女性は会場の大臣らに問いかけました。

「この時代から約100年近く経ち、現在どうでしょうか?ハンセン病を患い、無念の思いでこの世を去らねばならなかった方達は今現在この世をどう見ているでしょうか。

何が変わったでしょうか?

変わりましたか?

変えましたか?

現在でも医療問題での差別や偏見はあり、社会や教育現場における人権侵害、差別、偏見は時代とともに形を変えながら、ますます増えていると思います。なぜ、このような問題が解決できず現在進行形なのか」

女性は論語の一節を読み上げました。

「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」

「私はこの言葉に尽きると思うんです。国は過ちを認め、国・地方自治体一丸となり、差別・偏見をなくすために努力をしていきます、と言われます。じゃあ、今日、この場に国を代表する方々、地方自治体を代表する方々がどれだけいらっしゃってますか? 国の代表がいらっしゃいますか? いませんよね。それが答えではないでしょうか?

今日本はとても不安定な状態にあり、何かがおかしいと思われて仕方がありません。ここにいる議員の方々は望んでその席についておられるのではなく、国民が安全安心穏やかに生活を営めるよう、思いを託し、国民のみなさんがその席を任せたのです。今一度初心を思い出してください。もっと本気を出し、差別や偏見のない世の中を作っていく。国民の人権を重んじ、生命と健康を正しく守り、未来の日本を背負っていく若者・子どもたちの人権が、私のように差別や偏見によって奪われる、そんな日本を残してはいけないのです」

「仕方」はたくさんある 行動で示して

女性は「ハンセン病の子どもだから仕方がない」とい言われ続けてきた、と振り返ります。

「仕方がない? そうじゃない。仕方はたくさんあるんです。考え方、やり方、解決策。仕方がないとは、考えることを最初から放棄した言葉にすぎないと思います。そんなまやかしのような、全てを終わらせようとする責任逃れな言葉を使う大人があまりにも多すぎる。

決まりだから仕方がない。

前例がないから仕方がない。

上が言うから仕方がない。

国が言うから仕方がない。

そうではなく、すべてにおいて今一度、意識改革をしてほしい。ここで皆さんに約束してほしい、これ以上国民を犠牲にすることがない日本国を作っていくと。今日、私の言葉が、心と頭にほんの少しでも届いたのなら、机の上ではなく、行動を示してほしい」

追悼碑には、白い菊の花が献花された=東京都千代田区

差別や偏見を「持っている」35%

全国のハンセン病療養所に暮らす人は720人(2024年5月1日現在)、平均年齢は88.3歳です。入所者の認知症や合併症は年々深刻になり、医療の継続にも大きな課題を抱えています。

一方、国民の偏見もまだ根強く残っています。昨年12月の、厚労省による初の意識調査(オンライン、回答数2万916人)では、ハンセン病への偏見・差別の意識を「持っていると思う」人が35%。元患者や家族と「手をつなぐなど身体に触れる」「近所に住む」などに「抵抗がある」という回答も1〜2割にのぼりました。

女性の言葉を胸に刻み、すべての人が自らの過ちを改める行動を、今、起こしていかなければならない。そんな思いを新たにした今年の式典でした。

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