神奈川県川崎市川崎区には在日コリアンの集住地区「桜本」がある。そこに暮らす在日1世のハルモニ(おばあちゃん)たちの暮らしを25年かけて追い続けた金聖雄(キム・ソンウン)監督のドキュメンタリー映画「アリラン ラプソディ〜海を越えたハルモニたち〜」が完成した。2月17日から全国各地で順次公開されている。
金聖雄監督は2004年、桜本のハルモニたちの遅れてきた青春を記録した映画「花はんめ」でデビューした。在日コリアンには選挙権も社会保障もない。働き詰めで苦しい生活を支えてきたハルモニたちが、子どもが巣立ち、夫を見送り、ようやく地域の共生施設「ふれあい館」の識字学級に通ったり、仲間と歌い踊ったりして、自分を解放していく姿が生き生きと描かれていた。
「アリラン ラプソディ」はその続編にあたる。日本の植民地政策や朝鮮戦争など「在日コリアン」が生まれた歴史的背景を織り込みながら、ハルモニたちが反戦デモや反ヘイトデモに声を上げていく様子を捉えている。
「話し足りない」と「話したくない」の間で
映画では場面が変わるごとに、海の映像が差し込まれる。
徐類順(ソ・ユスン)さんは1926年慶尚南道陜川郡生まれ。14歳で兄を頼って来日し、18歳で結婚し、娘をもうける。終戦後、朝鮮に帰国したが、母と夫を亡くし、娘と2人、朝鮮戦争の戦火を逃げ惑った。生活が立ちゆかなくなり、31歳で再び日本へ。
「何回海(を)わたったか」
北朝鮮への帰国事業で家族を送り出し、離散を経験したハルモニもいる。
海は家族を分断するものとして、ハルモニたちの人生に何度も横たわってきた。
ハルモニたちは2006年には沖縄へ。読谷村で集団自決があったガマを訪ね、海に臨む朝鮮人犠牲者の名を刻む「恨の碑」をさすった。「話し足りない」と「話したくない」の間で揺れながら、語られないできた戦争体験が少しずつほぐれ、言葉になっていった。
全国初の「ヘイトスピーチ規制条例」制定
2015年9月、安全保障関連法案の強行採決阻止を求めて日本各地でデモが繰り広げられる中、桜本のハルモニたちも反戦デモを企画した。赤、黄、青……一文字ずつ色を変えた「せんそうはんたい」の手作りの横断幕を掲げて800メートルを歩いた。
1937年生まれで、子ども時代に太平洋戦争を体験した趙良葉(チョウ・ヤンヨップ)さんは「日本が戦争に巻き込まれると我々が巻き込まれる。そういうことが二度と起こってはだめ」と力を込めた。
若い世代に車椅子を押されて参加したハルモニもいる。鳴り物も交え、「戦争反対」と声を上げる姿は誇らしげだ。趙良葉さんはのちに作文に書いた。
「先頭でマイクを持って800メートルを、みんなに呼びかけ、コールする役をした。最初は目の前がまっ白くなって失敗もしたけど、若者を戦場に送ってはならない 子や孫を、守りたいとの気持ちでがんばった」
だが、その翌年には排外主義を訴えるヘイトデモが桜本を襲った。300人のカウンターに囲まれデモは阻止できた。その場にかけつけたハルモニもいた。
「人に死ねの、殺せのは、絶対にゆるしてはいけない」
桜本を中心に市民から声が上がり、2019年12月、川崎市は全国で初めてヘイトスピーチに刑事罰を科す「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」を制定、施行した。
ハルモニたちの「せんそうはんたい」「さべつはゆるしません」は、人生に根ざしている。だから決してお題目にはならない。強く、まっすぐに見る人に刺さる。
(阿久沢悦子)
「ハルモニたちの人生を一緒に肯定しながら、見てほしい」
金聖雄監督インタビュー
――なぜ、ハルモニたちを撮ろうと思ったのですか?
私は在日2世。1世の母は77歳で亡くなりました。生きていたら今年で101歳になります。でも、生きている間に「どうやって日本に来たのか」と聞いたことがなかった。母と同じ年代のハルモニたちが、川崎で遅れてきた青春をパワフルに謳歌する姿を記録したのが前作の「花はんめ」です。当時は歴史を説明しない、描かないことを念頭に置きました。
その少し前、呉徳洙(オ・ドクス)監督のドキュメンタリー映画「在日」に助手として関わった。4時間にわたる大作です。その時に、日帝(大日本帝国)による植民地支配36年から始まる語り口は、もういいだろうと思ったんですね。在日とは過去からしか語るものがないのか。今にたどり着くまでに時間がかかり、今を描けない、そう感じました。
――「アリラン ラプソディ」では、記録映像も交え、むしろ在日の歴史に重きを置いています。
「花はんめ」の公開後に、映画やドラマ、音楽の分野での「韓流ブーム」が起き、日本で韓国の文化や言語に触れない日がないくらいになった。そんな中で在日の存在、歴史がすっぽりと抜け落ちているような気がしていました。
なぜ在日コリアンが生まれたのか。最低限のことはちゃんと説明したい。
植民地支配や戦争の影響を受け日本にわたった1世がいなくなると、「在日」の定義がよりボヤけてきて、語りにくくなっていく。ハルモニたちの語りを収められたのは本当にギリギリのタイミングでした。いま80代〜90代の彼女たちがいなくなったら、語る人がいなくなってしまう。
――「反戦デモ」「ヘイトデモ」。2つのデモの場面が印象的でした。
「花はんめ」を撮った後も、時々ハルモニたちを撮影していました。でも、ハルモニも年を取り、世代が変わった。「花はんめ」の主人公だったハルモニたちの方がパワフルだし、元気なんですよね。次の映画にするきっかけが見通せない中で、2015年の反戦デモを撮影しました。とても心の底から戦争はダメだと叫ぶいいデモ。彼女たちの言葉は「戦争反対」一つとっても、僕らが発するものと全然違う。
ところがその後、あてつけのように「ヘイトデモ」が激しくなった。僕はこれまでヘイトデモは映像に撮るべきものではないと思って避けてきたのですが、ずっと通ってきたハルモニの所に行くというので、撮りに行かなければと重い腰を上げました。撮った後も最後まで、ひどい言葉で在日の存在を否定するヘイトデモの場面はいらないんじゃないか、と迷いました。でもハルモニたちはどんな状況でも立ち上がるんですね。そこは強く描きたかった。
―ー識字学級で書いた作文も多く挿入されます。
ハルモニたちは自分の人生なんて語る価値がないと思っていました。最初は「ハルモニたちの夢は何?」と聞いても「そんなものはない」と。でも識字学級で、少しずつ人生にスポットがあたっていき、自分たちを肯定できるようになった。映画になったら、もっと肯定できて、いま、うちの主演女優たちはますます元気です。社会でも家庭でも締め付けられ、抑圧されてきた。いま、ようやくもう縛られるものがなく、どんどん花開いていく。そんなハルモニたちの人生を一緒に肯定しながら、映画を見てほしいです。
(聞き手・阿久沢悦子)
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「アリラン ラプソディ〜海を越えたハルモニたち〜」は22日まで川崎市アートセンターで上映。2024年2月中旬から、東京・新宿「K‘sシネマ」、3月以降、「シネマ・チュプキ・タバタ」(東京)、「横浜シネマリン」(神奈川)、「第七藝術劇場」(大阪)、「京都シネマ」(京都)、「元町映画館」(兵庫)などで上映。