「韓国の歴史はドラマよりドラマティックだ」とはよく聞きますが、まさに12月3日尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領による「非常戒厳」の宣布、その後一連の動きは目を離せないほどの事態を引き起こしています。12月31日、高官犯罪捜査庁など合同捜査本部は、内乱容疑で尹氏の拘束令状をとり、1月3日には令状の執行を試みましたが、大統領警護庁に阻まれて執行を中止しました。
コモンズでは、緊急オンライントークとして、12月に「現場からの当事者の声」を2本配信しました。
1本目は、尹政権の言論弾圧に対峙してきた独立メディア・ニュース打破のキム・ヨンジン代表です。
もう1本は、韓国の言論の民主化とともに40年以上、メディア監視を続けてきた民主言論市民連合(通称:民言連)のシン・ミヒ事務所長とキム・ボムビッナレ 参与チーム長です。
なぜこの2つの団体に話を聞いたかというと、尹政権が韓国国内でどのような政策を実行してきたのかという視点が、日本の報道にはほぼ欠けていると思ったからです。それがわからないと、なぜこれほど多くの韓国の市民たちが怒って立ち上がっているのか理解するのが難しいと思います。
日本の報道、とりわけテレビ放送では、尹政権のネガティブ情報はほとんど出ない一方で、最大野党の「共に民主党」の党首・李在明さんのネガティブ情報が大量に出回っています。たとえば、フジテレビの「日曜報道 THE PRIME」2024年12月15日放送(45分)では、李在明(イ・ジェミョン)さんを「対日強硬派」とし番組の4分の1に当たる約11分を使い批判しました。さらに尹政権の対日外交については、「元徴用工」問題解決への尽力、シャトル外交再開、輸出規制をめぐる提訴取り下げ、処理水問題の不安払拭、佐渡金山の世界遺産容認をあげ、「政権が変わったら日本にマイナス」だとしました。
フジテレビだけでなく日本の報道では、「日韓関係を良くした尹大統領」という言説が目立ちます。しかしこれは外交問題に特化した見方であり、かつ「良い」とは日本の現政権にとってのことです。
緊急トークを聞きながら、「12月14日に行われる2度目の弾劾訴追案の審議直前の弾劾集会は歴史的な瞬間になる、その瞬間を直接自分の目で見て取材したい」と思いたち、12日の夜にチケットを購入し13日夜、ソウルに着きました。
定宿にしているゲストハウスに着くと、そこには「弾劾せよ」のプラカード、お手製のアヒルのペンライトが飾られ、テレビでは国会前の集会が生中継されていました。画面右上にはユンソンニョル弾劾票決までの時間がカウントダウン方式で表示されています。あと18時間です。
弾劾を求め続々と国会前へ 全国各地合わせて225万人
翌朝、汝矣島(ヨイド)の国会議事堂前に早めに行かないと地下鉄から降りることができなくなると聞き、防寒対策をして(この日最高気温3度、最低気温マイナス4度)、11時半に出発。国会議事堂前駅に着くとすでにたくさんの人、人、人……、弾劾要求署名のエリアもできていて早速プラカードを受け取り、地上へ上がると、今度は、ハンギョレ新聞、京郷新聞、時事INなど韓国の進歩派メディア(韓国では大きくいって保守と進歩〔革新〕でメディアの性格も違う)の号外を次々と渡され、各団体が作るさまざまなプラカードや地面に座るための野外シート(集会を無事に進行するため、参加者はできる限り座るように促されていました)も受け取りました。
国会前はすでにたくさんの人がいて、弾劾などと書かれたペンライトが売られていたり、無料で水やカイロ、果物なども配られたりしていました。
集会は長いのでまず腹ごしらえをしようと、長い列をなしている食堂の一つに並びました。一人だったので相席はいいかと聞かれ、もちろんと答えると、若い男性でした。名前はパク・ドヨンさん、32歳で会社員。会社員だから週末にしか来ることができない、今日は2回目で、後で友人と合流すると言います。
「これ知ってますか?」と彼が差し出したスマホには、国会周辺の食堂やカフェの地図がありました。それぞれの飲食店には「あと何食」と表示されています。有名無名問わずいろいろな大人たちが先払いをしてくれていて、若い人たちが無料で食べられるようになっているのです。どのお店に何人分の無料の食事やドリンクが残っているのか一目でわかります。このサイトの名前が「デモも食べてから」、文字通りデモに行く前に腹ごしらえできる仕組みです。韓国のことわざに「金剛山も食事後に」というものがありますが、「どんなに大切なことも、まずは食べてから」という意味で、これに掛けた名前ということはすぐにわかりました。人気歌手で俳優のUIや国会議員の曺国(チョ・グク)さんなど多くの著名人も参加しています。
「無料で食べられる若者たちに恩恵があるのはもちろん、集会に来られない人たちにとっても、寄付の形で参加することができる。お互いにいい方法ですよね」とパク・ドヨンさん。「誰か一人が始めることが大事。一人が二人に……とどんどん増えていく」と語っていました。
集会の持ち方、デモの仕方もさまざまなアップデートがあり、気づきの場になっているんだなあと感じました。「Kidsバス」のことも聞きました。ある人が自分のお金でバスをチャーターし、デモの現場に停車して、授乳の場や子どもの遊び場として利用できるようにしたものです。おもちゃやお菓子が用意され、子連れでの人たちにとってかけがえのない空間になっていました。
食事が済むと、外の人の群れはさらに膨れ上がっており、あるステージでは市民たちの自由発言が続いていました。合間合間にのど自慢のごとく市民が舞台に上がり、歌を披露。家で練習してきたという中年の男性がBLACKPINK(ブラックピンク)のロゼの「APT.」を歌い、若い観客たちが応援する場面もありました。梨泰院事件(2023年のハロウィンに起きた雑踏事故)で娘を喪った父親が涙ながらにスピーチする場面も。話す人も聞く人も真剣です。
午後3時になるとメイン舞台で、民主労組、参与連帯など1549の市民社会労働団体の連合である「尹錫悦即時退陣・社会大改革非常行動」(以下、非常行動)の集会が始まりました。非常行動は2016年の朴槿恵大統領弾劾集会も主催したネットワークです。前述のコモンズ緊急トークで民言連のシン事務所長は、名称に「社会大改革」が入っていることが重要だと言いました。それは、大統領だけ変えれば済むという問題ではなく、市民が共に社会を変えていくという意味が込められているからだそうです。
尹錫悦弾劾で「解決」ではない
「市民が共に社会を変えていく」――この気持ちは何人もの人の口からも聞きました。
この集会の数日前の11日、釜山の西面(ソミョン)で開かれてた弾劾集会で、「飲み屋の女性」と名乗る人のスピーチがあちこちで話題になり歓迎されていました。
「私たちは朴槿恵を弾劾し、また尹錫悦を弾劾しますが、同時に私たち国民の半分は朴槿恵と尹錫悦を選んだ人々です」
「もう一度お願いします。私たちの周りの疎外された人々に関心を持ってください。共に民主主義に関心を持ってください。皆さんの関心だけが、弱者を生かすことができるのです」
「私たちがこの峠を無事に乗り越えることに成功しても、これが終わり、解決、完成だとは思わないでください。穏やかな気持ちで両足を伸ばして、寝床に入らないようにお願いします」
こんにちは、お会いできて嬉しいです。
私はあそこの温泉場でカラオケの手伝いをしている、いわゆる飲み屋の女性です。
「あなたのように無知な者が出しゃばって何を言うのか」、「人々があなたのような人の声を聞いてくれると思うのか」などの言葉に反論したくて、また多くの人々が偏見を持って私を軽蔑し後ろ指を差したりしていることを知っていますが、今日私は民主社会の市民としてその権利と義務をつくそうと、この場に勇気を出して来ました。
私が今日ここに立った理由は、他でもなく、皆さんに一つだけ心からお願いしたかったからです。それは私たちがこの峠を無事に越えた後も、引き続き政治と私たちの周辺の疎外された市民に関心を持つことです。
私たちは朴槿恵を弾劾し、また尹錫悦を弾劾しますが、同時に私たち国民の半分は朴槿恵と尹錫悦を選んだ人々です。私の家賃が上がるから、北朝鮮を牽制しなければならないからと、私が属しているコミュニティの人たちがそうやって煽って、国民の半分が「国民の力」を支持していました。彼らはなぜそうするのでしょうか?
江南に土地をもつ者ならともかく、何も持っていない20、30代の男性や老人たちは、なぜ「国民の力」を支持するのでしょうか? それは、市民の教育の不在と、彼らが所属する適切な共同体がないからです。私たちは、世界中で右傾化が加速する時代の真ん中に立っています。この巨大な流れを防ぐことができなければ、また別の尹錫悦、また別の朴槿恵、また別の全斗煥と朴正煕が私たちの民主主義を脅かすでしょう。
ですから、もう一度お願いします。私たちの周りの疎外された人々に関心を持ってください。共に民主主義に関心を持ってください。皆さんの関心だけが、弱者を生かすことができるのです。
あそこのクーパン〔韓国ネット通販大手〕では労働者が死にかけています。坡州(パジュ)のヨンジュゴルでは再開発の名の下に娼婦たちの暮らしの基盤が破壊されています。同徳女子大学では大学民主主義が脅かされており、ソウル地下鉄には相変わらず障害者の移動する権利が保障されておらず、女性たちに向けたデート暴力が、性的少数者のための差別禁止法が、移住労働者の子どもたちが受ける差別が、そして全羅道に向けた地域嫌悪が、これらすべてが解決されなければ、私たちの民主主義は依然として完璧ではないのです。
ですから、皆さんに心からお願いします。私たちがこの峠を無事に乗り越えることに成功しても、これが終わり、解決、完成だとは思わないでください。穏やかな気持ちで両足を伸ばして、寝床に入らないようにお願いします。以上です。
家の中で一番明るい光を持って集まった韓国の人たち
弾劾集会の現場では、いわゆる民衆歌謡も含め、少女時代のデビュー曲「Into The New World」(再び出会う世界)、ロゼの「APT.」など、K-popがたくさん歌われていて、若い人たちはLEDの応援棒(自分の推しのアイドルを応援するときに使う)を持ってきて振っていました。2016年の朴槿恵大統領弾劾のろうそく集会も平和な民主主義を守るデモとして世界的に評価されましたが、この時、ろうそくだったものが、今回はLEDライトに変化しました。そして人々が歌う歌にもK-popが加わったのでした。日が暮れると、応援棒の色とりどりの光が点滅し、群衆の数だけ煌めいていました。
ある海外の報道人が言ったそうです。
「国が暗い状態の中、家の中で一番明るい光を持って集まった韓国の人たち」。
マルチ・アーティストのイ・ランさんはこう付け加えてくれました。一番明るいだけじゃなく、若い人にとってはとても大切なもので、いつも家で丁寧に保管されている、と。だから、「国が暗い状態の中、家の中でとても大切にしてきた、一番明るい光を持って集まった韓国の人たち」なのだと。
私たちは群衆としてのパワーだけでなく、そこに参加する一人一人がどんな思いで現場に駆けつけているのか、もっと目と耳を凝らして知ろうとしなければならないと思います。
今回は参加者に若い人が多いとも言われています。若い人たちがどんな思いでここに集まったのか、少しですが想像してみましょう。
若い人たちのスピーチを聞いていると、セウォル号沈没事件や梨泰院事件で多くの若い命が失われたことも国家に対する不信、怒りとして胸の奥にあることが感じられました。
ある市民活動家は、ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの小説『少年が来た』を読んでいた若い人が多かったと教えてくれました。「『少年が来た』は、1980年、戒厳令下で民主化を求める市民たちが軍に虐殺などの武力弾圧を受けたことの苦しみや悲しみを描いたものだが、それが現実として迫ってきた。その時の衝撃をもって国会前に向かった若者は多いと思う」と話しました。
そのハン・ガンさんはストックホルムでの受賞記念講演で「過去が現在を助けている。死んだ者たちが生きている者を救っている」と語っていますが、まさにそのようなことが起きていると思えるほどです。
また、ある記者は戒厳令が宣布された日、浪人中の息子がいなくなったので心配していると、戻ってきた息子は、国会前に行ってきたと言ったそうです。その訳を訊ねると、「当然でしょ」という答え。友人は、普段政治の話をすることもない息子の言葉に驚いたとそうです。その時思い出したのが、2016年朴槿恵弾劾のろうそく集会に一度だけ連れて行ったこと。息子は当時11歳だったが、とても細かいことまでよく覚えていました。子どもは大人が幼いと思っていても、大人の姿を見ているのだと話してくれました。
大田(テジョン)からきて集会の舞台で発言したヤン・ソヨンさん(20代)は、「私は海が大好き。だから海に生きる生き物も大好き。尹大統領でなければ福島原発の汚染水をあんなに簡単に許さなかった、だから大統領を選ぶのは大事だ」と訴えました。
フェミニストたちは歌って要求する!尹錫悦は退陣せよ!
可決の時間が刻々と迫る中、舞台には30人近くのフェミニストたちがずらりと並び、各自が一文字ずつさまざまな色とフォントのプラカードを掲げました。バックには5本の旗がはためいています。
「フェミニストが要求する! 尹錫悦は退陣せよ!」
その前にギターを抱えた一人の歌手がすっと立ちました。黒いロングコートをなびかせ、クールな雰囲気の凛とした佇まいに釘づけになりました。その人は、ソウル生まれのマルチ・アーティスト、イ・ランさんです。
一緒に合唱するのは、合唱グループ「知っているお姉さんたち」や韓国サイバー性暴力対応センターなど女性団体のメンバーです。
2曲目の「オオカミが現れた」はチェロの音とイ・ランさんの語りで始まり、「私の友達はみんな貧乏です/この貧しさについて考えてみてください」と格差や不平等について呼びかけます。そして、社会が、当たり前のものを要求する人々を “魔女・暴徒・狼・異端”という危険な存在として名指し弾圧する時、貧しく無力な人々がどのように抑圧されたのか、また差別に立ち向かいどのように抵抗してきたのかを歌っています。「そう、私たちが現れた」という意味が伝わるように歌詞を書いたそうです。
オオカミが現れた (늑대가 나타났다) *赤い部分は合唱
朝早く貧乏な女が餓死した子供の死体を抱き
貧乏な人々の村を 泣きながら通り過ぎる
魔女が現れた(合唱)
良いパンは金持ちに買い占められたことを
知った人々が棒と熊手を持って 城門を叩く
暴徒が現れた(合唱)
お腹をすかせた人々は野原の豆を拾っては食べつくし
金持ちの穀物倉庫を襲撃した
オオカミが現れた(合唱)
仕事しては心配し労働しては
悲しさに泣き 心の底から笑えない
礼儀正しい人々が走りはじめた
異端が現れた(合唱)
都市の城門は固く閉ざされて鍵がかかり門の外には人々が 魔女が現れた(合唱)
都市の城門は固く閉ざされて鍵がかかり 門の外には人々が 暴徒が現れた(合唱)
私の友達はみんな貧乏です
この貧しさについて考えてみてください
オオカミが現れた(合唱)
それはそのうちあなたにもふりかかかるでしょう
この土地には衝撃が必要です
異端が現れた(合唱)
私の友達はみんな貧乏です
この貧しさについて考えてみてください
魔女が現れた(合唱)
それはそのうち あなたにもふりかかかるでしょう
この土地には衝撃が必要です
暴徒が現れた(合唱)
私たちは役立たずではありません
あなたたちが食べるパンをつくるだけでも
オオカミが現れた(合唱)
葡萄酒を醸造しても食べられるのはそのかすだけ
子供を飢え死にさせるわけにはいかないのです
魔女が現れた(合唱)
暴徒が現れた(合唱)
異端が現れた(合唱)
オオカミが現れた(合唱)
今回の集会の大きな特徴は、20〜30代の女性が多かったことです。中でも20代女性の割合が18.9%で最も高く、参加者全体で女性の割合が男性を上回りました(ソウル市生活人口データで7日「弾劾集会」参加者推定人数を性別・年齢別に測定。京郷新聞より)。
これには尹政権の行った女性政策に一因があります。尹錫悦は大統領選で女性家族部廃止を公約に掲げ、 “構造的な性差別はない”と発言しました。性暴力防止と被害者支援の予算を削減など性暴力を構造的になくす政策はことごとく縮小されました。さらに尹政権は、同意のない性行為を犯罪とみなす、いわゆる「不同意姦淫罪」の導入を拒否し、女性・市民団体から糾弾されました。女性家族部は強い反対にあい、現在も廃止されていません。しかし今年2月、長官が辞任した後、いまだ空席のままです。
ある女性記者は尹錫悦を「女性嫌悪の大統領」と評しました。
弾劾可決の瞬間
さて、弾劾可決の瞬間です。韓国国会は16時過ぎから本会議が始まり、集会に参加した市民たちは舞台の大スクリーンで生中継を見守りながら、「尹錫悦弾劾!」と叫んで歌を歌い、応援棒を振って待っています。
国会議長が「可(賛成)204票、否(反対)85票、棄権3票、無効8票で(大統領弾劾訴追案が)可決されたことを宣言します」と発言するや、市民たちから一斉に大歓声が沸き起こりました。隣の人と抱き合う人、踊り出す人、泣き出す人……少女時代の「Into The New World」が流れるなかで、それぞれの表現で喜びを分かち合っていました。
この日、ソウルでは200万人でしたが、全国各地でも弾劾を求める集会は開かれていました。大邱・慶北5万人、釜山5万人、光州4万人、慶南3万人、全南2万人、全北2万人、大田1万5000人、蔚山1万人、済州島1万人、江原5千人、忠北5千人、忠南3千人=全国合わせて225万 8000余人(主催者発表による)。各地の様子を写真で見ることができます。
イ・ランさんインタビュー
「私たちはいつもここにいた。見てなかっただけ」
14日の弾劾集会でイ・ランさんと合唱団の歌とパフォーマンスを見て、ぜひ話を聞きたいと滞在期間が残り3日でしたが、あらゆるツテを辿って連絡を取りました。東京に戻る17日、ようやくイ・ランさんに会うことになりました。
今回の弾劾集会では20〜30代の女性が多かったと多くの人が指摘しています。それについてどう思いますかと訊ねると、
「私たちはいつもここにいた。多くの人が見てなかっただけ」とイ・ランさんはキッパリと答えました。
「かわい女子学生たち多いねとか韓国のおじさんたちは言っていますが、私たち女性にはマイクがなく、舞台に上がる機会もほとんどなかっただけ。1980年の光州のこととも連結するんですが、記録に残るのはいつも男性が中心です。光州でも女性がいて、青年がいて、障がい者がいたのに……」。
だから、「女性はいつも広場にいた」というプラカードを作ったと、FDSC(フェミニスト・デザイナー・ソーシャル・クラブ)が作成したさまざまなプラカードを見せてくれました。「女性」という部分を「青年」「障がい者」「移民」「クィア」などと入れ替えるよう工夫されたプラカードもありました。
FDSC(フェミニスト・デザイナー・ソーシャル・クラブ)制作のプラカード
舞台でイ・ランさんとフェミニストたちが、「フェミニストが要求する!」と言ったとき、笑っているおじさんもいたそうです。その時のことをマンガにした人がいました。
また、この集会の数日後、イ・ランさんが14日のデモのビデオをX(旧Twitter)にあげたところ、ある日本の男性からこんな書き込みがあったそうです。
『なんともかわいい女子大生によるデモ活動。いいビートで平和的です。伝えたい事があるから声を上げるって大切』。
「それで私はこう書きました。『私は39歳です。』(笑)」
合唱にこだわるワケ
12月14日に、イ・ランさんと共に、舞台に上がったのは、“非婚、クィア、フェミニズムを歌う”ことを標榜する合唱グループ「知っているお姉さんたち」のほか、フェミダンダン、炎のフェミアクション、FDSC、韓国サイバー性暴力対応センター、韓国女性の電話のメンバーの人たち、総勢30人です。
もともと人が集まって歌う合唱が好きだったというイ・ランさん。大学卒業後、自分の話を楽曲にすることを10〜60代までの女性たちに教えていました。3枚目のアルバムを作る時、合唱が必要だと思い、メンバーを探しました。そんな時、2016年朴槿恵弾劾ろうそく集会でかっこいい舞台を見ました。「調律」を歌ったハ・ヨンエさんの舞台です。「眠るお天道様よ もう起きてください/昔の空の光のように一度調律してください」と、光化門広場を埋め尽くしていた市民がハ・ヨンエさんに合わせて「調律」を一緒に歌ったことに感動を覚えたと言います。
「いつか自分もこんなふうに集会でみんなと一緒に歌える、みんなの記憶に入ることができる歌を作りたい」と思ったそうです。
その一つが弾劾集会で歌った「オオカミが現れた」でした。
「たくさんの集会やデモでこの曲がリクエストされます。『オオカミが現れた!』のフレーズをみんな一緒に叫びます。オオカミの部分を自分の名前にしてみてと言ったりします」とイ・ランさん。
歌われた歌と歌われなかった歌
12月14日の弾劾集会で歌ったのは3曲。
1曲目は「世の光たち(빛)」。
クィアの人はカミングアウトもできず、自殺者も多く、葬儀を出さないことも少なくないそうです。韓国の葬式は家父長的なので、お互い治癒が必要。そのために作った歌だと言います。
歌詞には「悲しんでいる、孤独の中にいるあなたこそこの世の光だ」とあります。「2016年はろうそくが美しかった。今回はLEDの応援棒。消えない光たち。そこにつながりますね」とイ・ランさん。
2曲目は「オオカミが現れた (늑대가 나타났다)」。
この歌は、2022年に開催された第43回釜馬(プマ)抗争記念式でイ・ランさんが依頼され歌う予定でしたが、行政安全部が歌の変更を要求。歌えなくなりました。総演出のカン・サンウ監督とイ・ランさんは芸術検閲の危険性と表現の自由に関する問題として見過ごせないと、2023年末から、韓国政府や主催財団を相手に訴訟中です。この話は別項に譲ります。
抵抗の一つとしてミュージックビデオを制作の支援を募集しています。
3曲目は「私たちの部屋(우리의방)」。
イギリスの作家ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』を読んだ時、「「自分だけの部屋」を持てない女性がとても多いでしょ、お金もないしどうするの?と思って作った歌です」。
最後にイ・ランさんが教えてくれたことがありました。
K-popの歌が集会現場でたくさん歌われていると報じられていますが、BIGBANGやPHY(サイ)の歌が流れると、フェミニストたちは顔の前で手をエックスにして「이거 아니지(これじゃないでしょ〜)」と抗議したそうです。それを受け止めた主催者側がプレイリストから除き、誰でもプレイリストを申請できるGoogleフォームを公開しました。
「20~30代の女性が中心となった今回の集会文化において、女性嫌悪の歌詞と女性を性的に蹂躙する文化を共有したエンターテインメント会社やアーティストを拒否するための動きの表れだと思います」とイ・ランさんは語りました。
1986年ソウル生まれのアーティスト。2012年歌手デビュー。3枚目のアルバム『狼が現れた』を発表、第31回ソウル歌謡大賞「今年の発見賞」、第19回韓国大衆音楽賞「最優秀フォークレコード賞」と「今年のレコード賞」を獲得。
韓国芸術総合学校で映画演出を専攻した後、ミュージックビデオ、短編映画、ウェブドラマの監督としても働いており、主舞台で活動する韓国と日本両国で数冊のエッセイ、小説集を発表したりもした多才なマルチアーティスト。
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