「わたしは中絶に救われた」 ステレオタイプの語りではない経験や運動の歴史 「わたしたちの中絶」の編著者にきく

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中絶をめぐる38の体験と意見に耳を傾けた。私の体のことは私が決める

あなたの中絶の体験を聞かせてください——1937年から2002年までに生まれた28人(女性/ノンバイナリー)による人工妊娠中絶の経験を収録した「わたしたちの中絶」が明石書店より刊行されました。編著者は劇作家で作家の石原燃さんと、フリーライター・編集者で「SOSHIREN 女(わたし)のからだから」でも活動する大橋由香子さん。本の帯には「誰も代弁できない声 産む・産まない・産めないを、国家や医療、他者が管理しようとするこの世界で『わたしたち』は自身の経験を語る」とあります。アメリカのトランプ大統領再選で、SRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ=性と生殖に関する健康・権利)へのバックラッシュが強まる中、わたしたちはどんな言葉を紡いでいったらいいのでしょうか。お2人に話を聞きました。(聞き手・阿久沢悦子)

「彼女たちの断片」から「わたしたちの中絶」へ

石原燃さんは2022年、経口中絶薬を服用する女性をとりまく群像劇の戯曲「彼女たちの断片」を書きました。その際、朝日新聞デジタルでロングインタビューに応じていただきました。

当時、石原さんは「中絶は『女の不幸』として紋切り型で語られてきた。でも(古い術式や薬の未承認などの)『医療の遅れ』と聞いてイメージが変わった。『不幸というより、女の権利の問題として怒っていいのではないか』と気づいた」と語っています。

「後悔や罪悪感はない」と言い切れた理由

その石原さんが、本書の「はじめに」で、自身の20歳の頃の中絶について回想しています。

「わたしには、中絶したことに対する悲しみや後悔はない。罪悪感もない」
「わたしはあのとき、速やかに安全な中絶にたどりつけたことに安堵していた。わたしは中絶に救われたのだ」

言い切りの潔さに驚きました。このような思いに至った経緯について、まず伺いました。

石原)実は戯曲を書く前に1本小説を書こうとして没にしました。そのとき、自分は中絶の語りの紋切り型に結構からめとられているなと気づいて、自分の中の既成概念を一生懸命そぎ落としていったんです。1回そういう風になると、戯曲を書き終わった後も、小さな違和感に日々気づくようになった。そのたびに、意識が変化しているのを感じます。自分の中の偏見って根深いですよね。この世界にがっちり入り込んでいるものなので、一度に払拭するのは難しい。中絶について運動をしている人でも日々、小さく目からウロコが落ちるような発見があると思います。

石原燃さん=東京都内

「はじめに」はみなさんに原稿をお願いするにあたり、「こんな主旨の本です」と説明するために最初に書いたもの。ただ、みなさんから原稿を集めている間に1年以上が経ってしまい、その間にも、意識のアップデートは続いていたので、刊行直前に読み返すと「これはちょっと違うかな」と思う部分が出てきて、少し書き直しました。

これを書いたら、こう言われるだろうという予測がよぎってしまうんですよね。それを防御しようとして、自分の傷になっている部分を過剰に書いてしまっていた部分などが見えてきて、そぎ落とし、どんどん言い切る方向になっていったという感じがあります。

(罪悪感はないと言い切った部分について)執筆者からの反応は特にありませんでした。文章全体に共感した人は何人か言ってきてくれた。罪悪感がなければないって書いても平気だよ、と示したいと思っていた節も若干あります。それが実際にどう作用したのかは、わからない。送られてきた原稿を読むと、逆のプレッシャーになった風でもなく、罪悪感があった人もなかった人も、率直な自分の気持ちを書いていると思います。

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中絶をめぐる長いお話

本書は3部からなります。

第1部は日本の中絶と女性運動の歴史をひもとく「中絶をめぐる長いお話」。

第2部は28人の手記「わたしの経験」。

第3部は研究者や支援者による論考「様々な経験に接して」。

テーマとして「孤立出産」「若年女性と沖縄での中絶」「10代の妊娠葛藤」「中絶をめぐる裁判」「日本における移民女性の中絶」「優生的な理由での中絶」「トランス男性、ノンバイナリー当事者の中絶」「国際団体による中絶支援」が取り上げられています。

大橋由香子さんは第1部を担当しました。

1907年 刑法堕胎罪の制定
1948年 優生保護法が制定され、堕胎罪の例外として中絶を許可
1949年 同法に「経済的理由」が加わり、中絶は実質的に合法化
1990年 新生児医療の進歩により中絶できる週数を24週未満から22週未満へ短縮
1996年 優生保護法から優生部分を削除し、母体保護法へと改称、改定

こうした日本における法整備、法改定と、それに伴う女性たちの運動をまとめています。

第1部を書いた経緯について大橋さんに聞きました。

優生保護法の改定と女性たちの抵抗

大橋)2018年に国家賠償請求訴訟が起きて、強制不妊手術の問題が大きく取り上げられるようになって、優生保護法の理解が変わったと感じます。堕胎罪の例外として中絶の許可条件を定めた法律でもあることが、いまやマスコミの人にもほとんど知られていないようになったんですね。中絶をめぐる優生保護法問題を知ってほしいと思いました。

もう一つは、1970年代、80年代に経済的理由の削除や胎児条項(*1)を入れようという法改定が国会で議論され、対抗する女性たちの運動があった記録を残したいという思いがありました。障害者運動と女性運動が分断されないための試みも含め、書いているうちに、第1部がどんどん増えていきました。

*1 胎児条項……胎児に病気や障害がある恐れが認められる時にのみ中絶を許可するという条項。

大橋由香子さん=東京都内

優生保護法改定で中絶を禁じようという国会の動きへの反対運動の中で、当時の女性たちも「中絶って自分にとってなんなんだろう」「体に向き合ってみよう」と考えたんですね。「中絶——北と南の女たち」という映画の上映会でアンケートをしたり、身近な女たちで話し合いをしたりということが各地でたくさんあった。80年代には出版物もずいぶん出ています。ミニコミも出された。それらが入手しづらくなり、中絶についての語りがあったことも忘れられそうになっている。そこで、それらを少しパッチワークしてつなげてみました。そうすると今回集めた第2部の手記や聞き書きとすごく繋がっているな、と気づいたんです。

80年代「悲しいけれど必要なこと」

人によるといえばそれまでですけど、罪悪感を持って苦しんでいる人は、今回経験を寄せてくれた中にもいるし、再掲した人の中にもいる。でも70年代、80年代の手記の中にも「遅れていた月経が来ただけのこと」「中絶は自分にとっては必要だった」と書いている人がいるんですね。

それでも80年代当時は、「できればしたくないことですが」と前置きしたり、「本当は避妊を充実させるべきで中絶は最後の手段」と語る人が多く、中絶の必要性を訴える人たちにも、私を含めて「悲しいけれど必要なこと」というトーンが強かった。ところが、ここ3〜4年、SRHRの考え方が広まり、この問題に関心がある人の間では「罪悪感」「命の芽をつむ」「赤ちゃんを殺すこと」という言い方はそもそもおかしい、と考える傾向が強くなってきていると思います。

40年前の歌詞が、現在のコールに

昨年12月13日に、東京で「私のからだデモ」が開かれました。

https://www.instagram.com/watashinokarada_demo

撮影:私のからだデモ実行委員会

トランプ大統領の再選や日本保守党代表の「35歳を過ぎたら子宮を摘出」という発言など、SRHRが脅かされる出来事が続き、「私の体のことは私が決める」と改めて声を上げたスタンディング・アクションです。トランスジェンダーやノンバイナリーの人も含めた多様な集まりでしたが、その時のコールが40年前とあんまり変わっていなくて、驚きました。

「女倶楽部バンド」というバンドのレコードの中に、82年の優生保護法改悪反対運動から生まれた「女(わたし)の体は私のもの」という曲があるんです。「妊娠したのはあんたじゃないのよ、とんでもない堕胎罪」「私の体は誰のもの、当然私のもの」となどの歌詞を私はスピーチで紹介しました。女の体のリズムをポジティブに捉えているのも印象的で、その歌が40年経って、若い世代がつくった「私のからだデモ」のコールと重なっているのは、悲しいような——でも、つながれていることが嬉しかったです。

私はね、40年前と変わらないという以上に、悪くなっている気がするんですね。

まず、状況が変化しているのに、法律がバージョンアップされていない。堕胎罪も、中絶に配偶者同意が必要だとする母体保護法の規定も、未だに残されています。自分の体のことは自分で決めるのが当たり前なのに、女に決めさせない。女を信用しない。妊娠したって伝えたら、「本当に俺の子か」と女を信用しないミソジニー(女性嫌悪)は強まっているかもしれない。

女性は罰せられる、男性は罰せられない

中絶したら女性は罰せられる。男性は罰せられない。で、中絶するときには、女性は相手男性の許可がいる。そのために孤立出産に追い込まれた愛知の専門学校生のケースなど、ある意味で状況が悪化しています。

一方で、第2部の聞き書きでは、母親から「あなたがいま必要なら、中絶をしてもいいんだよ」と言われてホッとした人もいました。こうやってフェミニズム的な考えが伝わっていくことで、今後、いい方向に変わっているという希望も感じました。

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どういう気持ちでしたか、とは聞かなかった

本書に収められた手記を依頼するにあたり、「思い出す手がかり」として編者は執筆者に質問を送りました。

たとえば、

・避妊はどのようにしていましたか? 中絶の後、変化はありましたか?
・妊娠にはいつ頃、どのように気づきましたか?
・誰かに妊娠していることを相談しましたか?
・病院の様子やスタッフとのやりとりについて覚えていることはありますか?
・入院はしましたか?その夜のことを覚えていますか?

などです。

具体的な事実、目に映った風景を中心に語られることで、手記には悲壮感がなく、偏見や「避妊に失敗した人」というジャッジからも免れています。

石原)そのときどういう気持ちでしたか?とは聞かなかった。気持ちを漠然と書こうとすると、たぶん、いろいろ引っ張られてしまう。そのときの光景とか、相手の反応とかを質問として投げかけて、具体的な記憶として描写してくれるといいな、と。

大橋)なるべくディテールを思い出してほしかった。病院をどうやって探したか、スタッフの対応、麻酔からさめて帰宅するまでのことなど、具体的に記憶のある範囲で、事実をなるべく書いてもらい、インタビューでも聞きました。それによって、時代の雰囲気、個別性が見えるようになり、中絶の語りのステレオタイプ、決まり文句的なまとめとは違うものになったと思います。

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中絶する人に避妊教育を強制 スティグマに

石原さんは昨年夏から秋にかけての3ヶ月半、セゾン文化財団のサバティカル助成金を得てイギリスに滞在しました。そのときに、ロンドンの中絶クリニック「MSI Reproductive Choices」なども見学。SRHRについて考えることが多かったといいます。

石原)日本でもイギリスでも、産婦人科医が中絶をする時、本人の希望を聞かずに、中絶する人に避妊教育を強制してしまう例が割とある。中絶にフレンドリーな産婦人科医でさえ、いいことのように言うんですね。「うちに中絶に来た人には必ず避妊の教育をします」と。避妊を普及させたい人が、熱が入りすぎて、「中絶なんて恐ろしいことにならないように、避妊しましょうね」という言い方になることもある。そういうことも、中絶をスティグマ化する要因になると知りました。イギリスでは「それはよくないんじゃないか」という議論が出つつある。でも、日本は全然ですよね。

日本では、義務教育のなかで性教育がきちんとされていないし、中絶のハードルも高いので、どこかで避妊教育をしたくなる気持ちはわかります。それでも、中絶を受けたいだけの人に対し、避妊教育をセットにするべきではない。妊娠の原因は避妊の失敗や無知とは限らないですし、少なくとも避妊教育を希望するか、本人の意向を聞いてからするべきことです。こういうところは私たちも意識を変えていく必要があると思っています。

堕胎罪があるから変えられない?

イギリスにも堕胎罪があるんですけど、一方で、医療の制度は進んでいる。出産はもちろん、IUDや低容量ピルなど避妊のための費用も、中絶のための費用も無料です。

日本では、堕胎罪がある限り何も変えられないという言い方をされることがありますが、イギリスでは堕胎罪があっても、中絶へのハードルは低くなってきた。もともと人権教育があるというのが大きい。「これは人権の問題だ」と言ったらピンと来る人が多いんです。

イギリスでは医療者は全員、中絶の教育を受けていますが、現在その内容が中絶に対して偏見をなくすためのより包括的なワークショップに変わってきているそうです。看護師や助産師の育成にも同じ教育が導入されることになったと聞きました。今広がっているワークショップは、何人かで話し合いをするもののようです。その中には中絶に拒否感を持っている人もいる。その人が初めから孤立しないように、近い考え方の講師もあらかじめ配置した上で、「どうしてそう思うのか」をみんなで話し合うのだそうです。これは意識を変えていく運動になる、と思いました。

出生前診断を受けた人を支援する団体も見学に行ったんですけど、産みたいか産みたくないかはその人の中で決まっているので、それに応じた支援をする。産みたい人に産まないようにする支援はしない。その逆もしかり。当事者が、ピアサポートをする場もある。検査の結果、堕ろすと決めた人も喪失に傷ついた人であるから、サポートが必要という考えになっているんだと思います。

石原燃さん(右)と大橋由香子さん=東京都内

中絶を選んだ人へのケアが必要

大橋)出生前診断による中絶というのは、この本ではあまり扱っていません。日本は、病気や障害のある人は子どもを生むべきではない、不妊手術や中絶をしなければいけないと書かれた優生保護法が50年近くあった国です。病気や障害があるなら中絶を、という圧力が社会と行政によって作られてきました。そのため、出生前診断の結果の中絶に対して、自分たちの存在が否定されるという警戒心を、障害者運動に関わる人たちが抱いてしまいます。

でも、出生前診断によるものであってもそうでなくても、中絶を選んだ人へのケアというものは必要なはずです。産婦人科医療が利用者のQOL(生活の質)を考えるという発想は、出産分野や流産でもまだまだ乏しい。まして中絶はケアの対象になっていないのが現状です。

第2部の経験談の中でも、「医療者の対応に心が温かくなった」「紅茶とクッキーにホッとした」「細かい質問をしない態度に救われた」という医療者へのプラスの記述が出てきます。一方で、「こんなことが?」と信じられないような懲罰的な対応もある。医療者はルーティンとしてやっていることでも、施術を受ける人はどう感じるのか、中絶ではあまりにも軽視されてきたのではないでしょうか。

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「孤立出産」の報道に欠けているもの

第3部の論考の中に、神奈川新聞の加地紗弥香記者が書いた「孤立出産」があります。嬰児遺棄事件の報道に携わり、淡々と逮捕記事を書く中で、罪悪感を感じたという記述に、共感しました。私自身、新聞社時代に、女子生徒が誰にも妊娠を言えないまま高校のトイレで出産し、赤ちゃんが死亡、女子生徒が逮捕されたという記事を書きました。書きながら、「この逮捕はおかしくないか」と憤慨し、「法律の構成要件を満たしているんだから、当たり前でしょ?」と男性の同僚や弁護士にいさめられた経験があります。

妊娠や中絶に関する報道について思うことを石原さん、大橋さんに聞きました。

石原)法律がおかしいんじゃないかということを問うのも、ジャーナリズムだと思うんですよね。堕胎罪はいつの法律だと思っているんだ? 118年前だぞ、という……。

大橋)女性に参政権がなかった大日本帝国憲法の時代に作られた刑法堕胎罪を、なぜ見直そうとしないのか、本当に謎です。同じ刑法にあった姦通罪は、戦後廃止され、強姦罪は2023年にやっと不同意性交等罪に変わりました。一人では妊娠できないのに、女性のみを罰する堕胎罪はあまりに不公正です。中絶を、処罰の対象ではなく、ケアの対象にするという方向に変えていかないと、中絶にアクセスできずに孤立出産に追い込まれてしまう。産み育てられるための支援も養子縁組も大事ですが、中絶がもっと権利として、健康に必要なこととなってほしいです。

石原)ちょうど1年前に英国王立産婦人科医協会(RCOG)が医療者向けのガイダンスを発表したんですね。2022年12月以降、1年の間に、イギリスで6人の女性が堕胎罪の容疑で起訴された。妊娠して未受診だった女性が、説明のつかない妊娠の終わりを迎えて、病院に行ったところ、中絶を疑った医療従事者から通報されて、逮捕・起訴された。それが大きな社会問題になった。

ガイダンスは相次いだ起訴を受けて、「安易に通報するな」と医師らに求めています。必要とする医療支援が得られなかったことで、大きな負担を強いられた女性たちが告発され、流産や中絶によってではなく、警察の捜査によって大きな傷を負った上に、起訴されている事態であり、「彼女らを告発することに公益性はない」としたんです。

日本ではなぜ、こういう動きにならないんだろうと思いました。

大橋)日本でも流産の場合でも、相談したら逮捕されてしまったケースもある。病院に行けず、一人で産み落として出血多量で死ぬかもしれない女性が逮捕され、報道で名前や顔がさらされる。不条理すぎます。

私たちの社会の罪

石原)ちょうど帰国した頃、日本の新聞で孤立出産の記事を読みました。記者は女性に同情的なんだけど、前提として「(赤ちゃんを死亡させた)罪には問われなければならない」と書いてあった。また、妊娠した女性のことを、「母親」とも書いていた。その人は母親にならないことを選択したのに。そういう規範的でステレオタイプな報道がまだいっぱいあります。望まない妊娠をした人に同情して「気の毒だね」で終わってしまっては意味がない。その人が罪に問われなければならないというのは、今の刑法では仕方がないことだとして、本当はその罪は誰の罪かと言ったら、私たちの社会の罪でしょう? 妊娠した人を孤立出産に追い込む社会の罪は何なのかを、もう少し掘り下げてほしい。報道の人と一緒に考えるワークショップをやりたいです。

中絶は「あなたの元の体に戻ること」

大橋)言葉遣いも変えていく必要があると思います。中絶は「赤ちゃんを殺すこと」ではなく「あなたの元の体に戻ること」と言い換えたい。妊娠したとたんに女性のことを「母体」「お母さん」と書くのもやめてほしい。中絶した女性、妊娠を継続するしかなくて孤立出産した女性を、悪魔か鬼のようにみなす視線をどうしたら変えられるのか。

100%の避妊はないんだから、中絶は誰にでも起き得ること。読者がそう受け止められるように、記事の書き方を工夫してほしい。

韓国でも、堕胎罪をなくす運動の中で、言葉遣いを変えるということをしたそうです。

石原)あらゆる業界で、とりわけ報道、医療、支援団体がまず意識改革をしてほしいですよね。

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人権の問題だと確認していく

日本で昨年生まれた子どもは70万人を割り込み、急速な少子化が進んでいます。そんな中で、国と自治体による「官製」のプレコンセプションケア(女性やカップルに将来の妊娠のための健康教育・管理を促す取り組み)が「国民運動」として広がっています。「産めよ、増やせよ」の大合唱の中で、中絶を語るのに、どんな語りがあり得るでしょうか?

石原)私が最近思っているのは、これは人権の問題だともっと言っていかなきゃいけないということ。「生殖の自由」という人権の観点でいえば、中絶をする権利、産む権利は等しく同じ。もっと広くいうと、トランスジェンダーの性別変更に手術要件があるのも、障害者が子どもを産まないように圧力をかけられるのも、同じ権利の侵害です。一つ一つそう指摘して、「人権の問題」なんだと確認していく。私たちはとても分断されやすいので、同じ“権利”を求めているんだよということを確認していくことが大事だと思います。

サポートや情報を受けながら自分で決める

大橋)自分の体のことは、「サポートや情報を受けながら」自分で決めるというのを大事にしたい。日本だと、自分で決めるとか、自己決定というと、ものすごく孤独なイメージがあります。たったひとりで、誰にも頼らず、まっさらな状態で決めなきゃいけない。その結果は一人で責任を負うべきと勘違いされている。そうではなくて、誰かに相談して、悩みを打ち明けたり、愚痴ったりしながら、迷いながら選んでいくのが自己決定です。石原さんの戯曲にあったみたいに、女友達や母親、先輩女性たちに助けてもらいながら決める。失敗してもやり直せる。やり直すために中絶があるとも言えます。

歯が痛ければ歯医者さんに行くように、肩が凝ったらマッサージに行くように、中絶ができるようになるといい。経口中絶薬を使えば、家でもできる。病院に行きにくい人の選択肢が増える。経口中絶薬は、決して危険なものではないんだということを、第3部の「国際団体による中絶支援」から知ってほしいです。

よい中絶は自己肯定感を高めることも

石原)昨年映画化もされた「ジェーン」(*2)のメンバーたちは、「よい中絶とはなにか?」について考えていた。医療的な安全性だけじゃなくて、中絶を受ける人が主体であるかどうかが問われる。よい中絶は、自己肯定感を高めてくれるターニングポイントになり得る。でも、いま日本ではただただ傷つけられ、肯定感を削られ、それによって自暴自棄になる人だって出てきかねないような中絶になっている。私たちは、中絶はひどいものだと思い込んでいて、本当はもっと良いものにできるのだということがまだまだ全然知られていない。

医療の問題は大事です。手術の方法をより安全で負担の少ないものにすることも、薬を入手しやすくすることも大事ですが、それだけじゃなく、中絶を必要とする人にどう接するのか、どう支えるのがこの人が主体となることにつながるのか、医療者や支援者は常に考えてほしいと思います。

*2……「ジェーン」はアメリカ・シカゴに1960年代から1973年まで実在した、主に女性たちによる非合法の地下中絶組織。昨年ノンフィクションノベルの邦訳「ジェーンの物語」が出版され、劇映画「Call Jane」も公開された。

※大橋さんがメンバーの「SOSHIREN女(わたし)のからだから」などSRHR 市民レポートチームは、日本の外務省が、国連人権高等弁務官事務所への拠出金の使途から国連女性差別撤廃委員会を除外するよう求めた措置についての署名活動も行っています。


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