“男はこう”“女はこう” ある日、新聞に載った全面広告

記者名:

男はこう、女はこうと決めつける意見 新聞に載っているの見て驚いた…

「男の遺伝子や男性ホルモンの中には、戦いのプログラムが組み込まれている」
「仕事に対する意欲や情熱が男性の方がはるかに強く」
「女性は守るものがあるだけに保守的であり、受動的になりやすいものです。戦いも避ける」

去年11 月、新聞の紙面1ページ全てを使って、こんな主張が展開されました。高知県内でシェア約90%の高知新聞に載った意見広告です。これに対し、ジェンダー平等に取り組む市民たちが批判の声をあげています。

あがった批判の声「ジェンダー・ステレオタイプの強化につながる」

去年11月1日付の高知新聞。高知・南国市にある南国中央病院の山本浩志会長による意見広告「男と女の違いを考える」が掲載されました。山本氏は、「男女の性差を否定する、あるいは解消するジェンダーフリーという考え方には私は反対の立場です」と前置きしたうえで主張を展開。このような見出しが並んでいます。

・男と女、オスとメスには本質的な違いがある
・「美しい」と表現される母性本能の正体は?
・女性は母性本能をもつことで男性とどう違ってくるのか
・男の本能の中にある戦いのプログラム
・面子や見栄が男をつくり、女性を守る原動力になる
・男の脳、女の脳

山本氏による意見広告より(高知新聞 2024年11月1日付)

この意見広告に疑問の声をあげたのが、高知県内の市民でつくる「ジェンダー読書会ほたえる有志の会」です。去年11月26日、掲載した社会的責任を問うとして高知新聞に公開質問状を提出。質問状のなかでこう指摘しています。

「山本氏はジェンダー平等の実現をめざす考え方(彼の言葉でいう「ジェンダーフリー」 )のことを、「男女の性差を否定する、あるいは解消する」 ものだと考えています。 しかしこれは誤りです。性差とは、女性と男性それぞれの集団間の違いのことであり、ジェンダー平等の実現をめざす取り組みは、集団としての男女の性差を否定などしていません。めざしているのは、性にもとづく差別や搾取、抑圧をなくし、個々人が性別にかかわらずにゆたかに暮らすことのできる社会です」

「山本氏はまた『ジェンダーフリー』に反対の立場だとして、ホルモンや脳など生物学的な性差を根拠に、男女には気質や行動の違いがあるのだという主張をしています。しかし性差とは、前述のように、女性と男性の人間集団間の平均的な差を指すものです。男女の平均値の差よりはるかに大きな個人差があることがここでは無視されています。また近年の研究では、そもそも、ヒトの大半の脳はそれぞれ男性的な特徴と女性的な特徴の独自のモザイクを持っており、ヒトの脳自体は女性的でも男性的でもないことが明らかにされています。生物学的な性差により男性と女性には生まれつき違いがあるという認識は、ジェンダー・ステレオタイプの強化につながります。特に山本氏の依拠する性別二元論の枠組みは、多様な性のありようを否定し、性的マイノリティの人権を侵害するものです。また子どもを産み育てることにのみ女性の特質を見ていることは、SRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ=性と生殖に関する健康と権利)にも反するものと言えるでしょう」

ジェンダー読書会ほたえる有志の会から高知新聞への公開質問状(2024年11月26日)

「ほたえる有志の会」で、公開質問状の提出を中心となって進めたのが、高知大学の佐藤洋子准教授(労働社会学・地域社会学)と高知県立大学の長澤紀美子教授(社会福祉学)です。2人に話を聞きました。

高知大学 佐藤洋子准教授(写真:本人提供)

高知大学 佐藤洋子准教授
この意見広告には明らかに誤りだと考える点が多くあります。また、個人の尊重という視点が抜けていることが問題だと考えます。特に、他の地域もそうだと思うのですが、今、少子化対策という名の下で子どもを産み育てるということが女性に強く求められているなか、それを強化するような発信になってしまわないかと考えました。

高知県立大学 長澤紀美子教授(写真:本人提供)

高知県立大学 長澤紀美子教授
私は、社会福祉学部の教員で、また、性的マイノリティに関する啓発活動をしていることもあり、意見広告のなかでは男性と女性以外のトランスジェンダーやノンバイナリーの存在が見えなくなっている点を看過できませんでした。県内有数の医療法人の会長が“社会の公器”である高知新聞でこうした意見広告を出すことの影響の大きさも考えました。

生活ニュースコモンズの取材に対し、意見広告を出した山本氏は「今回はお答えできません」としています。

「男性はこう」「女性はこう」は、科学的に間違い

そもそも、人間の性別は男女2つのみで、生まれたときに割り当てられた性別のまま生きる――という考え方は、現実とは異なります。実際には、生まれたときに割り当てられた性別と異なる性別で生きている人がいます。男性か女性かという性別二元論にとらわれない「ノンバイナリー」という人もいます。性のあり方というのは非常に多様で、グラデーションのどこに位置するかは人によって少しずつ異なるのです。

MOTHLADY

一方、今回の意見広告に限らず、社会の中には、男女の2つしか性別がないかのような前提で、「男性は~~だから○○」「女性は~~だから○○」「男性脳、女性脳がある」などとする考え方は今も根強く残っています。これに対し「科学的根拠に乏しく、性別役割分担を助長する恐れがある」と指摘してきたのが、認知神経科学者の四本裕子東京大学教授です。今回の意見広告への考えを聞きました。

東京大学 四本裕子教授(写真:本人提供)

Q意見広告のなかでは「男性ホルモンは胎児の生殖器を男性化するだけではなく、脳にも作用し妊娠16-28週で心理的にも男性としての心の発達を促すとされています。その意味では男女の性差は胎児期に決まり、生まれる時は男児は男として、女児は女として生まれるようにプログラムされています」とあります。

四本)脳が男女で同じか違うかというかという問いに対しては、当然違うというのが答えにはなります。ただ、生まれた時に割り当てられた性別やホルモンが唯一の原因だとして論理を展開するのは、明らかに差別で、ニューロセクシズムという名前もついています。

ニューロセクシズムとは、「脳は変わり続ける」という性質を無視して、「男女の脳は生まれつき異なるから、行動や思考も異なる」とする科学的根拠の無い考え方です。では、脳は何から最も影響を受けているのか。四本教授は「社会や教育」だと説明します。

四本教授の資料をもとに作成

四本)「脳の機能・構造」と「行動・思考」「社会・教育」は、互いに影響し合っています。すべてが原因ですべてが結果ですが、大きな効果を持つのは「社会や教育」です。太い赤い矢印で示されている部分です。

四本教授の資料をもとに作成

四本)意見広告にはいくつも問題がありますが、その一つは、この「社会や教育」が及ぼす影響を無視し、今あるさまざまな性差をすべて生まれ持った性差だとしている点です。明らかに誤った議論です。

意見広告のその他の部分についても、四本教授はこう指摘します。

(意見広告より)「戦いというのはオス(男)の持って生まれた生物学的特性であることは間違いありません。男の遺伝子や男性ホルモンの中には、戦いのプログラムが組み込まれているものです」

四本)テストステロン(男性ホルモンの一種)が人間の攻撃性に影響を及ぼしているのか調べた研究は多くあります。動物の場合、テストステロンと攻撃性に明らかに大きな相関があるということが知られていますが、人間に関しては、テストステロンと攻撃性の相関は非常に弱いということが科学的に明らかになっています。基本的にはテストステロンが攻撃性に対して直接的な原因となっているというエビデンスは乏しいと言われています。
私がよく紹介する論文にこのようなものがあります。“競争で報酬を得るゲーム”と、“一人で黙々と作業をこなすことで報酬を得るゲーム”を選ばせたところ、男性優位の社会では男性がより競争を好みました。ところが、女性優位の社会では女性の方が競争を選ぶという結果になりました。社会構造が違えば、同じ実験でも逆の結果が得られるほど、「社会」の持つ力は大きいと言えます

(意見広告より)「大昔の狩猟時代より、男は外で獲物を捕ることが自尊心の拠り所であった」

四本)2023年の民俗誌の分析研究でこのようなものがあります。世界各地の狩猟採集社会の79%で、女性が狩猟に参加していた記録が見つかったというものです。その地位は女性が母親になっても変わらず、女性が狩猟の指導に関わっていたことも明らかになっています。また、南北アメリカの107ヶ所の狩猟社会の墓を分析した2020年の論文では、遺骨や細胞組織などを分析した結果、狩猟に関わっていたうちの約40パーセントを女性が占めていたということです。一昔前までは、「男は狩猟、女は採集」だと思われていましたが、科学的に正しくないことが最近では明らかになっています。

わずかな男女差を上回る、大きな「個人差」がある

意見広告の終わりの部分で山本氏は、「ジェンダーフリーに反対するのは、それを推し進めていくとやがて男女は限りなく近づいていき、均一な社会をつくると思うからです。平等であるが単調で変化に乏しい社会です」と述べています。

山本氏による意見広告より(高知新聞 2024年11月1日付)

これに対して、四本教授はこう指摘します。

四本)そもそもジェンダーフリーとか、ジェンダー論をどういう意味で使っているのかがわからないのですが、人間を男と女の2色に分ける話をしているのであれば、そちらの方が限りなく均一な社会ではないでしょうか。
一番大事なのは「その差は一般化できるか」という視点です。たとえば、孔雀は、オスは大きくてメスは小さいと、性的に二分できます。一方、人間にこのような一般化できる差はあるのか。体の違いはもちろんありますが、思考や行動、能力について一般化できる差はありません。ほぼすべての男性はこうで、ほぼすべての女性はこうだと言うことはできません。この違いを理解しないと、すごく安易で間違った論理展開が行われるわけです。
他の例で説明しましょう。たとえば、ある学校でテストをしたら、「数学の平均点は1組のほうが高く、英語の平均点は2組のほうが高かった」という結果があったとします。この結果を見て、「1組の生徒は数学脳、2組の生徒は英語脳だ」となるでしょうか。ならないですよね。2つのグループに平均値がある場合でも、その背景に非常に大きな個人差があると認識することが大切なのです。
つまり、平均値としての性差はあるかもしれないけれど、その背景には非常に多くのオーバーラップしている“個人差”“ばらつき”があるのです。

四本教授の資料より

四本)もっと解像度をあげていってほしいと思います。人は、本当に多次元で、一人一人に何千もの軸があります。そんな多次元な人間を2つの次元に削減してしまうことは、そもそも人権侵害ですし、非常に前時代的で、可能性を矮小化させリソースを喪失させることにつながると考えます。

高知新聞「今回の意見広告は多様な考え方の一つ」

公開質問状を出した人以外の、他の専門家からも科学的な誤りが指摘される今回の意見広告。掲載は妥当だったのでしょうか。高知新聞の規定には、「虚偽又は誤認されるおそれがあるもの」は掲載しないなどとあります。「ほたえる有志の会」と高知新聞の、公開質問状でのやり取りです。

ほたえる有志の会
「今回の意見広告は、会社としてこの掲載基準を満たしたと判断し、掲載したものなのでしょうか」
 
高知新聞
「弊社の掲載基準に照らし合わせ、総合的に判断し掲載しました
 
ほたえる有志の会
「この意見広告を掲載することの社会的な影響をどのように考えたのか、お答えください」
 
高知新聞
「社会的に関心の高いテーマであり、多様な考え方があります。今回の意見広告はその一つだと考えています」

高知新聞からの回答(2024年12月13日)

「ほたえる有志の会」の高知大学・佐藤准教授は、こう説明します。

佐藤)「掲載を誰がどういう基準で判断したのか分からなかったので、ことし1月、2回目の質問状を提出し、審査をどのような体制で行ったのか、特にジェンダーバランスについても問いました」

しかし、 2月に高知新聞から返ってきた回答には「適正公正な審査の判断ができる態勢をとっております」とあるだけでした。
生活ニュースコモンズの取材に対して、高知新聞は、「有志の会に回答したことがすべてです」としています。「ほたえる有志の会」の高知県立大学・長澤教授はー。

長澤)高知は自由民権運動発祥の地で、高知新聞に対しても人権問題を追究する姿勢を感じていました。それなのに、なぜジェンダーについては、多様な考え方の一つだから問題ないとして差別的な意見をそのまま掲載したのか疑問です。 “中立”を装いながら差別や抑圧に加担してしまっているのは問題だと考えます。

東京大学の四本裕子教授は、高知新聞の一連の対応について「責任は非常に重い」と指摘します。

四本)新聞社が、最初にこの意見広告の掲載の有無を判断した段階で、求められるレベルでファクトチェックをできなかったというのは残念ながら生じうるだろうと思います。ただ、掲載後に指摘を受けた段階でこの意見広告を「多様な考え方の一つ」だとした点は、新聞社として非常に責任が重いのではないかと考えます。「社会や教育が性差を生み出す」という点から考えると、この意見広告は、格差を拡大させる、差別を広げることに繋がるものです。発信力のある人や新聞社であれば、もう少し意識的に、我々はどんな未来を目指しているのか、差別とどう向き合うのか、特に若い世代や、性的な側面でマイノリティとして扱われている人、人権を侵害されている人たちにどんな未来を見せたいですかと問いたいですね。差別につながる発言は、多様な考え方のひとつとして扱われるべきではありません

声をあげ続ける理由

「ほたえる有志の会」は、高知新聞に対して2回目の質問状を出す際、日本新聞協会にも質問状を提出しました。新聞協会の広告倫理綱領に「新聞広告は、真実を伝えるものでなければならない」とあり、また、広告掲載基準に「虚偽または誤認されるおそれがあるもの」は掲載しないと定められていることを挙げ、高知新聞の掲載は妥当だったのか質したのです。
これに対し新聞協会からの回答は、「基本原則である新聞広告倫理綱領は各社の判断を拘束するものではなく、当協会は各社の広告掲載に見解を示す立場にありません」というものでした。

「ほたえる有志の会」では、この問題を広く社会で考えてもらうきっかけにしたいと、現在オンライン署名活動を行い、高知新聞の説明責任を引き続き問うています。

オンライン署名のサイトより

「ほたえる有志の会」の2人は、声をあげる理由をこう話しました。

佐藤)私は、高知のなかだと、大学に正規のポストを得ているなど強い立場の方にいると思います。だから、今回のような問題が起こった時にちゃんと声をあげないっていうのは“無し”だなと。力を持つ側にいる者として責任があるだろうと考えています。
ジェンダーをめぐる問題で、「これ、おかしいよね」と言えるような環境って多くはありません。でも私たちはこの問題以前にも、そういう環境を高知で少しずつ作ってきました。メンバーの中には、フェミニズムの書店を開いている人、高知でフラワーデモを続けてきた人などもいます。同じように問題だと感じているメンバーたちとアクションしていくことはすごく大事なことだと思います。私も、メンバーも、一連の行動の中でエンパワーされた(力をもらった)と思っています。

長澤)大学の社会福祉学部の教員である私が質問状の呼びかけ人になることで、学生や大学に影響があってはいけないと危惧しました。しかし、同じ医療福祉業界にいるからこそ、権威に屈服してしまうのではなく、きちんと声をあげるべきだと思い、呼びかけ人になりました。
高知県の様々な組織のなかで、ジェンダーをめぐる問題は日々起きています。例えば県議会でジェンダーに基づく偏見や無理解からの意見があったり、組織のトップが家父長的な価値観から性差別的な発言をしたりしても、そのままになっているケースが多くあります。
”意思決定層の多くを同質性の高い男性が占めるなかで性差別が不問にされる”という構造的な問題が、今回の意見広告掲載の背景にもあるのではないでしょうか。先の長い闘いになると思いますが、つながって行動していくことでそうした高知の土壌を少しずつ変えていきたいです。

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