《2026衆院選 私の論点③》戦争は政治の延長にあり、人間の尊厳とは真逆 中野麻美さん

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人間は政治や経済の道具ではない。それが平和と人権の核心にある。

安全保障関連法(安保法制)の成立から10年。北海道から沖縄まで110人の女性たちが、その違憲性を訴え、国家賠償を求める裁判(通称:「女の会」訴訟)が続いています。原告代理人となる弁護団の一人、中野麻美さんは「強い国」を目指して全面的な安保政策を展開するという高市早苗首相の方針に強い危機感を抱いています。進行する軍事化と安保についてご寄稿いただきました。

解散は「国民のため」という定めを無視

「《政治の安定》なくして、力強い経済政策も、力強い外交・安全保障政策も、推進していくことはできない。この思いを胸に、《日本再起》を目指す広範な政策合意の下、自由民主党、日本維新の会による連立政権を樹立いたしました」

この施政方針演説から3か月も経たないうちに、高市早苗首相は、首相である自身に対する「承認」の是非を問う衆議院解散を宣言した。なぜ解散かという説明からは憲法によって行政権行使を付託されたものとしての責任を見ることはできなかった。

憲法67条に基づき自らを総理に指名した国会決議を「総理の専権事項」の名のもとに覆し、憲法7条の衆議院議員解散が「国民のため」になされるという定めをも無視しているからだ。世論調査の人気にあやかって、「強い国家」を目指して「専権をふるう総理」として自身の承認を求めるというメッセージである。前記の施政方針に掲げられた政策課題の具体像も不明で、その必要性・合理性・裏付けも明らかになっていないところで「民意を問う?」。これには多方面から疑問が噴出している。このまま承認を得られれば思う存分やらせてもらうというのか。人気にあやかって立憲主義さえ蔑ろにしてしまったナチスのワイマール憲法停止・独裁体制を連想させる。

国会議員秘書によるメディア記者への性暴力で国家賠償請求訴訟の原告代理人も務めた=東京都内

「軍事化」が脅かす生活・安全・人権

集団的自衛権行使等を容認する安保法制以降、安全保障政策は大転換を遂げた。2022年に岸田内閣が閣議決定した「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛整備計画」(安保三文書)は、軍事力の大幅強化や防衛費の大幅にアップとともに、経済安全保障の推進を打ち出した。高市首相の施政方針演説は、それをさらに強化して「強い国」「強い経済」をもって全面的な安保政策を展開するという。

しかし、この10年間、安保法制に基づく「軍事化」は、国民の生活と安全、自由と幸福追求などの基本的人権を圧迫してきた。貧困や格差、ハラスメント・暴力の拡大などとても自由で平等とはいえない生活と労働、中国などを仮想敵にして「力を背景にした外交」という政府言論が力によって問題を解決しようとする考え方や「排外主義」を増長させ、人々にリスクを引き受けさせている。「武器の爆買い」など軍事費がかつてなく膨張するところで、生活保護給付や社会保障給付には「圧縮」のプレッシャーがかかる。当面の生活苦への対処として消費税廃止などが声高に叫ばれるが、これまで社会保障に宛ててきた財源をどこから調達するか、軍事費がさらに大幅アップされるとなれば負担増は間違いないから、消費税減税だけで生活の安心を得られるというものでもない。

安保法制違憲訴訟を通して異議を唱える

「人間の尊厳」とは、人間は政治や経済の道具ではなく「主体」であって、誰もがかけがえのない存在であるという、平和と人権の核心である。戦争は政治の延長にあり、人間の尊厳とは真逆であることは、ナマのリアルな戦争体験を伝える言葉そのままに容易に理解できる。私たちは安保法制違憲訴訟を通して、国家の安全保障より人間の安全保障を求め、軍事化によるリアルを告発して安保体制に異議を唱えているが、その安保体制を実相化した安保三文書から過去を振り返れば、そこに、軍事化とともに、民主主義と人権の巨大な空白状態が存在していたことに驚愕させられる。

もともと集団的自衛権行使は、日本と密接な関係にある他国に武力攻撃が発生して「国民の生命・自由・幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態として「限定的に行使」するものだとされた。政府は必要なケースを列挙したり、「母子艦船」のフリップ(日本の母子が保護された米軍艦船が攻撃対象になる図)を示すなどし、「日本が米国の戦争に巻き込まれるなどありえない」と説明した。しかし、国会審議で、自国を守るためには個別的自衛権行使で足り、「立法事実」がないことを明らかになった。審議を打ち止めにして採決するなら本来「廃案」のはずだった。廃案にしないなら、「人間の安全保障」や「安全保障のジェンダー主流化」などもっと議論すべき課題はたくさんあったが、政府与党は「強行採決」に及んだ。野党は憲法9条に反するという国民世論や「立法事実」がないことをふまえ、その後「廃止法案」を上程している。

「女の会」訴訟の意見陳述集。120人の声が収録されている

民意による歯止めが利かない武力行使

ところが安保三文書は、武力行使をポジティブリスト方式によって「限定的」にしか認めないというものではなく、フルスペックで他国のために武力行使することを認めるものだった。この先には武器輸出三原則を無きものとし、国家機密法制とスパイ防止法で統制を強化し、モノ言わぬ体制をつくって国民を総動員して軍事化を進め、「専権事項」を盾に住民自治をも骨抜きにする思惑が透けて見える。このようなことが閣議決定(しかも米国との協議を先行させて)によって「安全保障」の名のもと、内閣が全権を委任されたかのようにフリーパスで実行されてしまう事態は、立憲主義の危機、それこそ日本国憲法の「存立危機事態」ではないか。元をたどれば、政府が憲法9条の解釈を変えて集団的自衛権行使を容認した2014年の閣議決定でも同様の手法が用いられた。

日本国憲法の前文と9条によれば、武力行使に対するシビリアン・コントロールが厳格に機能させられなければならないはずである。9条により戦争を放棄したからシビリアン・コントロールは必要ないという考え方は「空理空論」である。安保三文書が明らかにした安保法制の実相は、武器防護から重要影響事態、存立危機事態へとシームレスにエスカレートする武力行使に対し、民意(国会)による歯止めなど利かないことを思い知らされる。そして、敵基地攻撃(集団的自衛権行使にも用いる)も、これを行使するか否かの情報は米軍に握られ、それに従う以外にないという意味において憲法審査など機能する余地もない。ナマの人間の存在など軍事的合理性の前にはそもそも無化されてしまう。

さて、この武力行使を決断する権限(統帥権)を持つのが総理大臣であることに留意したい。高市首相の「台湾有事」をめぐる国会答弁は、総理が憲法98条(最高法規性と条約・国際法規の順守義務)・99条(公務員の憲法尊重擁護義務)にしたがって行動する可能性に深い疑念を抱かせるものであった。解散を表明する記者会見で、高市首相が繰り返し国民からの直接の信任を求めた「総理としての適格性」をいうなら、このことをまずもって問うべきだろうが、それは回避された。シビリアン・コントロールがこのようにして空洞化させられてしまうことは受け入れられない。

東京高裁で審理中の「女の会」訴訟では軍拡の生活への影響について意見陳述が続いている=東京都内

高市首相への白紙委任はあり得ない

高市首相が言う「力強い経済」「力強い外交」による「日本再起」の具体像は見えないが、このまま「専権事項」という名の統帥権行使によって憲法審査を回避し、シビリアン・コントロールも住民自治も人権も蔑ろにされてしまうのではたまらない。憲法66条2項は「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない」と定める。しかし、文民である総理や国務大臣が軍国主義者であることは禁止していない。軍事によって物事を解決する「統帥権」行使を野放しにする国の姿は、相互尊重を旨とする外交には重大な障害要因となる。過去に盲目となるものは現在にも盲目となる。過去を克服し真に未来に希望をつなぐ政治に期待する。高市首相への白紙委任はあり得ない。

なかの・まみ 弁護士(りべるて・えがりて法律事務所)。特定非営利法人派遣労働ネットワーク理事長。ビジネスと人権分野の訴訟を広く手がける。安保法制違憲訴訟「女の会」弁護団にも参加している。

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