地方紙の記者だった数年前、原稿に書くのをためらった言葉がありました。「シスジェンダー」と「ヘテロセクシュアル」です。広く知られた言葉ではないから――という理由でした。
「性的マイノリティ」「LGBT」という言葉を書く機会は年々増えていったのに、結局「シス」「ヘテロ」という言葉を私は当時、ほとんど原稿に書きませんでした。
なぜ、それで済ませることができたのか。その理由をあらためて考える機会がありました。
6月9日、大館市で県北部男女共同参画センターが主催するLGBTQ理解促進セミナーがあり、NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」でジェンダー考証を担当している前川直哉さん(福島大学准教授、専門は教育学・ジェンダー/セクシュアリティの社会学)が講演しました。
以下は前川さんの講演です。
性のあり方が「大多数」とは異なる人々
性的マイノリティとは、どういう人たちなのでしょうか。私は「何らかの意味で、性のあり方が大多数の人とは異なる人」と定義しています。性に関する少数者、マイノリティです。
マイノリティというのは、単に数の問題ではなく「中心にいるか、中心ではない外れたところにいるか」というような関係でもあるのですが、何らかの意味で、性のあり方が大多数の人とは異なる人のことです。
「LGBT」という言葉は、ほとんどの方がご存知かなと思います。
L(Lesbian=レズビアン、女性として女性を好きな人)
G(Gay=ゲイ、男性として男性を好きな人)
B(Bisexual=バイセクシュアル、異性を好きになることもあれば同性を好きになることもある人)
T(Transgender=トランスジェンダー、生まれたときに割り当てられた性別と異なる性別を生きる人)
「生まれたときに割り当てられた性別」。ちょっとややこしい言い方をしていますが、おそらくここにいる多くの方は「あなたの性別は」と聞かれたときに「女性です」「男性です」と答えると思います。あるいは例えば、住民票やパスポートに「女性」「男性」というふうに書いてあり、「それが私の性別だ」と答えるかもしれません。
性別は「割り当てられたもの」
皆さんのその性別は、おそらくほとんどの方は、自分で選んだ性別というわけではないと思います。自分で決めたとか、自分で選んだというより、実は「女性」「男性」という性別は、誰かから割り当てられたものです。
性別は、いつ、どこで決まったものでしょう? 多くの方は生まれたときに病院などで「女の子ですよ」「男の子ですよ」と言われ、家族がそれを役場に届けに行く。そして「女性」「男性」という性別が割り当てられていく。
マジョリティの人、多くの人は、その「割り当てられた性別」に大きな違和感なく過ごしているわけです。けれども、数は少ないかもしれませんが、この「割り当てられた性別」と異なる性別を生きている人というのが一定数います。
「自分は女性と割り当てられたけれども、決して女性ではない」「女性ではなく、男性だ」という方もいますし「自分は女性でも男性でもない。その二つに分けるという分け方が、自分にはしっくりこない」という方もいます。
このように、さまざまな形で、生まれたときに割り当てられた性別とは異なる性別を生きている人たちのことを、トランスジェンダーの人と言います。
また asexual(アセクシャル=他者に対して性的な気持ちを持たない)、あるいはquestion(クエスチョン=好きになる性別や自分の性別について、はっきりと決められない、決めたくない)という人もいます。このように何らかの意味で、性のあり方が大多数の人とは異なる人を性的マイノリティといいます。
差別かどうかは、言った側が決めるのではない
私は大学の教員で、高校生や中学生、最近は小学生にも性的マイノリティの授業をすることがあり、そこで必ず言っていることがあります。例えば、レズビアンの人たちのことを省略形で「レズ」というのは差別表現だ、ということです。「差別する意図」がたとえなかったとしても、本人たちはそう呼ばれたくないのです。
レズビアンの人は長いこと「レズ」という侮蔑するような表現で呼ばれてきているので、自分たちで呼ぶのならともかく、他の人からそう呼ばれたくないという人がいるのです。
差別かどうかは、言った人が決めるんじゃないですよね。
「自分は単に省略形として使っているのです」「省略形として使っているんだから全然、差別する意図はないです」と言ったとしても、それを決めるのは、言われた側なのです。よく、差別発言をした人が「差別する意図はなかった」と言いますけれど、差別する意図を持って差別する人って、ほとんどいないんです。
ハラスメントも同じですけれど、朝起きて「今日は差別するぞ」と思って差別する人とかハラスメントをする人はほとんどいない。差別というのは、差別をしようという意図があってするものではなく、知識が不足していたり、注意力が不足していたり、そういうときについ言った言葉が、誰かを傷つけて「差別発言」になる。
差別というのは、誰もが――私も含めてですけれども――「つい」してしまう可能性があります。そして差別かどうかというのは、言った本人が決められることではありません。先ほどお伝えしたようにレズビアンを「レズ」と呼んではいけない。それは省略形ではなく、差別表現です。
ゲイの人を「ホモ」と言うのも同じです。「ホモ」という言葉は「homosexual(ホモセクシュアル)」の省略形ですけれど、ゲイの人はずっと「ホモ」と言われて馬鹿にされてきた歴史があります。これも差別表現です。こういったことを、学校などでは伝えています。
マジョリティにも名前がある
秋田県は東北の中でも非常に早く同性パートナーシップの制度ができました。性的マイノリティについては「知っている」というかたも多くおられるかもしれないのですが、では、性的マイノリティではない人——つまりマジョリティの人のこと——は、何と呼ぶでしょう?
「私は性的マイノリティではない普通の人」でしょうか。あるいは「私のセクシュアリティはノーマル」でしょうか? この表現に問題があるということに、お気づきいただけますか。
「私は普通です」と言ったとします。では、性的マイノリティは「普通じゃない」「アブノーマルな人」ということなのでしょうか? そもそも、何かを、誰かを「普通」「普通じゃない」と決める、そこに権力関係があるのではないでしょうか。
これも実は「知識がないと、差別につながってしまう」ということの典型なのですが、マジョリティを指す言葉を知らないでいると「いや、私は普通ですよ」「ノーマルですよ」と、意図せずに誰かを傷つける差別表現をしてしまうのです。
マジョリティにも呼び方があります。
異性愛者、つまり異性を好きになる人のことは「heterosexual(ヘテロセクシュアル)」と言います。
トランスジェンダーではない人——生まれたときに割り当てられた性別に違和感なくそのまま生きている人のこと――を「cisgender(シスジェンダー)」と言います。
これも一つの「知識」なのです。
名乗らなくても済むという不均衡
「性的マイノリティとかLGBTという言葉を聞いたことがある」という人は、どれくらいいますか?(参加者が挙手で回答)。ありがとうございます、ほとんど全員ですね。
では「ヘテロセクシュアル」という言葉を知っていた方は(参加者が挙手で回答)…半分くらいですね。では「シスジェンダー」を知っていた方は(参加者が挙手で回答)…2、3割くらいですね。
大学で同じ質問をしても、「LGBT」は9割以上の学生が知っているんですが「ヘテロセクシュアル」「シスジェンダー」となると、手の挙がる数が一気に1割ぐらいに減ってしまう。
不思議な話ですよね。
「ヘテロセクシュアル」と「シスジェンダー」はマジョリティですから、圧倒的に数が多いんです。数は圧倒的に多いのに、自分たちの名前を知らない。これはなぜなのか。
マイノリティには細かく細かく、名前をつけるのに、マジョリティの方は「普通ですよ」と言って名前を名乗らない。そこに私は、不均衡、不平等、一つの権力関係があるんじゃないかと感じています。
例えば、もし「私はレズビアンです」「私はトランスジェンダーです」とそれぞれに名乗る場があったとしたら「私はシスジェンダーのヘテロセクシュアルの女性です」というふうに名乗って初めて、対等な関係に近づける。こういう「言葉」を広く知ってもらうことが大切なのかなと思います。
「性のグラデーション」を知る
「性のグラデーション」の話も、学生や子どもたちによくします。
日本には「戸籍の性別」というものがあります。ちなみに戸籍というのは、世界で日本にしかありません。戸籍という「家族単位で住民を管理するシステム」があるのは世界に日本だけです。すごくマイナーな制度なんです。他国にも住民登録とか住民票はありますが、個人単位です。戸籍って「家」なんですよ。
「家族で管理する制度」は世界的にも非常に珍しいんですが、日本国籍の人は戸籍に登録されますので、「女性」か「男性」か、戸籍上の性別というのが記されます。けれども、生物学的な性別は、そんなにパキッときれいに分かれるものではないのです。
中学校の保健の教科書で「第二次性徴」の記述があります。「第二次性徴が来ると、男性は声変わりをして喉仏が出てきて、だんだん体毛が濃くなってきて、筋骨隆々として…」などと言ったりしますけれど、これってかなり、個人差がありますよね。
当然、背の高い女性もおられますし、声の高い男性もいますし、体毛の薄い男性もいます。そうはいっても男性と女性とでは性器の形が全然違うじゃないか、と言われるかもしれませんが、性器の形も実はかなり千差万別です。典型的な女性の性器、男性の性器のどちらでもない、という方が一定数います。体の外についている性器は男性器だけれど、体の内側に女性の性器、子宮がある、そういう人もいます。
私たちが思っている以上に、人間の体には生物学的に見てもかなりグラデーションがある。「女性」「男性」って、実はそんなにパキッときれいに分かれてはいないのです。
「性表現」は「見た目の性別」と言われたりします。服装とか髪型とかメイクとかアクセサリーとか、しゃべり方とか立ち振る舞い、それらを全部入れたりすることもあります。これもあるものを「女性的」、あるものを「男性的」とすること自体、一つの差別の温床になりやすいですし、性表現にもかなりグラデーションがあります。
「心の性別」では表せない
「性自認」(Gender Identity=ジェンダーアイデンティティ)は「自分自身が女性か、男性か」という性別の認識です。自分は100%女性である、自分は100%男性であるという人が多いですが、「自分は女性でも男性でもない」あるいは「女性でもあるし、男性でもある」「そもそもそういう二つにする分け方があまりぴったりこない」という人も一定数います。
ところでジェンダーアイデンティティを「心の性別」と訳すケースがあるのですが、私はその訳はあまり正確ではないと感じています。「心の性別」というと、何だか自分は女性だと「思っている」、あるいは男性だと「思っている」という、少し軽い感じに聞こえます。
しかし「あなたの性別は?」と聞かれて「自分は女性です」「男性です」と答えたとき、それは「思っている」わけではないですよね。性別は「思っている」ものではなく、アイデンティティにもっと深く根ざしたものです。ずっと長い間、誰が何と言おうと「自分は女性である」あるいは「自分は男性である」。それが、性自認です。
多くの人は、生まれたときに割り当てられた性別と性自認が一致していますが、それが異なる人が一定数おり、その異なる性別で生きている人たちのことをトランスジェンダーといいます。「心の性別」というちょっと軽い表現ではなくて、アイデンティティに根差したものなのです。
性自認が揺らぐ状態――Genderfluidity(ジェンダーフルイディティ)といって、性自認そのものが揺らいでいる状態がアイデンティティだという方も一定数いるのですが、基本的にはアイデンティティに深く根ざしているものを性自認と言います。
「人の数だけ性がある」
「性的指向」は「好きになる性別」のことです。これも「100%女性を好きな人」「100%男性を好きな人」もいれば、「男性を好きになることが多いけれど女性を好きになることもある」、あるいはその逆であったり「好きになる相手に性別は関係ない」という人もいます。
こうして考えますと、性のグラデーションのどこに位置するかは、一人一人ちょっとずつずれているのです。この話を福島の高校でしたときに、すごくいい表現をしてくれた生徒がいました。「人間の数だけ、本当は性別があるんですね」。ああ、その通りだなと私は思いました。
性のあり方というのは非常に複雑で、グラデーションのどこに位置するかは人によってちょっとずつ、ずれている。本当は、人間の数だけさまざまなパターンがあるのに、それをかなり無理やり「女性か」「男性か」にバキッと分けている。それが戸籍上の性別です。そこでしっくりいかない、そこからどうしても何かがこぼれてしまう、そういう状態にある人のことを性的マイノリティというのです。
ちなみに、性のグラデーションは見た目ではわかりません。見た目に表れるのは「性表現」だけで、そのほかの「戸籍の性別」「性自認」「性的指向」は見た目では分かりません。
見た目では分からないからといって「誰かな」と探そうとするようなことは、プライバシーの詮索ですからやってはいけない。では、どうするのか。「誰か分からないけれども、身近に必ず何人かいる」。そう考えながら、過ごしてほしいと思います。
社会を覆っている「2つの虚構」
「2つのフィクション」というお話をします。「人間の性別は男女2つのみで、生まれたときに決められた性別のまま生きる」――これを性別二分法といいます。「人はみんな異性を好きになる」――これを異性愛規範といいますが、この性別二分法と異性愛規範は、どちらも現実とは異なる虚構、フィクションです。
実際には、生まれたときに決められた性別と別の性別で生きている人はたくさんおられますし、異性を好きにならない人、同性愛だったりアセクシャルだったり、あるいはバイセクシュアルだったり、さまざまな性のあり方の人たちがいます。
ところが、日本の法律とか制度は、この2つの虚構を前提に全て組み立てられてしまっている。このため法律や制度によって息苦しさ、生きづらさを抱えることになっている。それが性的マイノリティの現状です。
性的マイノリティは、必ずいる
具体的にどういう困りごとがあるのでしょうか。
日本の性的マイノリティの割合として、よく「13人に1人」「7.8%」という数字を目にします。これは電通総研が大規模なネット調査で出したもので、この数字が独り歩きしがちなのですが、いろいろ調査の仕方によって数字が変わります。何より、性のグラデーションの考え方からすると、どこからが性的マイノリティかというのは難しいのです。
ただ、私が必ず言うのは「どのクラスにも、どの職場にも、必ずいます」ということです。国際的にも、日本でも、数%から10%という割合が示されています。なのに、日常生活では身近にいない存在とされてしまう。
例えば、異性愛を前提として「目の前にいる人は必ず異性を好きになるはずだ」と思い込んでいる。あるいは性別欄を「男女」のみとしている。最近は「その他」が増えてきましたが、まだまだです。
若年層、女性ほど高い「寛容度」
「寛容度」は若年層、女性ほど高いというデータが日本でも海外でもあります。逆に中・高年の男性が一番保守的だといわれているのですが、最近は中・高年の男性でも理解しよう、理解しなければというふうに考える人が非常に増えた印象があります。
秋田県もそうですが、パートナーシップ認定制度が導入されるなど自治体の動きが活発になっています。同性結婚については、実は最初に調査があった2015年以降、賛成の方が多いのです。
ただ、こういう調査もあります。「自分の家族が性的マイノリティだったらどう思いますか」という問いに関しては、まだ「嫌だ」と答える割合がちょっと高い。
つまり、自分の友達が性的マイノリティだったら、応援する。同僚や、あるいは部下が性的マイノリティだったら、応援する。けれど家族――自分の子ども、きょうだい、あるいは親――が性的マイノリティであることは「嫌だ」という人が、まだまだいるのです。
日本の政治家の国際感覚は
海外では、性別欄に「その他」を設けたり、トランスジェンダーが使いやすいトイレ――いわゆる「誰でもトイレ」がたくさん並んでいる状態をイメージしてください――を設けたりしている。私が行ったスウェーデンの大学では、あるフロアのトイレは完全にユニセックス(誰でも使えるもの)とし、別のフロアでは「自分は性別に分かれたトイレがいい」という人のために「男性」「女性」のトイレを設けていました。先進国を中心に、同性結婚や登録パートナーシップ――日本のパートナーシップ制度とは全然違っていて結婚とほぼ同じ権利が与えられるのが登録パートナーシップですが――そういう制度を導入する国も増えています。
ここで皆さんに質問です。
いわゆる先進国、OECD加盟国のうち、同性同士の結婚、または結婚とほぼ同じ登録パートナーシップを認めている国は、どれくらいだと思いますか? 3択でいきます。3割か、5割、8割か。
正解は8割(79%)です。ただ、それもそんなに歴史のある話ではないのです。アメリカは9年前です。有名なのは、アイスランドの首相のヨハンナさん。彼女は自分がレズビアンだということをカミングアウトして、首相として初めて同性と結婚しました。
皆さん、覚えていますか。去年(2023年)、ある国の首相秘書官さんが、とんでもない差別発言をしてしまったことを。
「見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」ということを言った。人権問題としてたいへんな差別発言だというのはもちろんですが、同時に私は「こんな人が首相秘書官で、国際感覚、大丈夫か」と思いました。アイスランドの首相は、女性同士で結婚しているのですよ? ルクセンブルグの首相も男性同士で結婚している。
「(日本の首相秘書官は)何を言っているんだ」と、正直ヒヤッとしました。
学校で直面する困りごと
学校では、子どもたちが困り事に直面しています。制服のこと、トイレのこと…外で水分を取らないとか、どうしても行きたいときには(人目につかない)授業中に行っていたとか、いろいろな話を聞きます。制服が着られなくて学校に行けなくなったという声は多いのですが、そのことを先生には言えなかった、という声もあります。そして同性愛の子どもたちは、周囲の無理解に苦しんでいます。最近は少しましになっていると思いますが、まだ「ホモネタ」などのからかいが、自尊感情を傷つけています。
2015年に文部科学省が通知を出して、性的マイノリティとされる児童・生徒にきめ細かく対応しようと呼びかけたのですが、残念ながら、教員の多忙化もあって十分な対策はまだされていないのが現状です。
そこに当事者がいるかもしれない
職場では、服装、トイレ、更衣室など性自認に関する悩みがありますし、同性パートナーがいても家族とみなされないという問題があります。そもそも、多くの人が「自分の職場に性的マイノリティはいない」と考えがちで、結局、当事者が誰にも相談できないという状態が続いています。
SOGIハラ〈性的指向(Sexual Orientation)や性自認(Gender Identity)について差別や嫌がらせ(ハラスメント)をすること〉もあります。「ホモ、おかま」などの蔑称を使う、本人に直接言わなくとも例えば職場で「あの人ちょっとおかまっぽいよね」「男同士、気持ち悪いよね」などと言う。それを言ったとき、本人がいなくとも、同じフロアの誰かがそれによって傷ついている可能性があります。
あるいは「取引先に変に思われるからもっと男らしくしなさい」と言ったりする。下ネタやキャバクラの強要。無断で第三者に漏らしてしまうアウティング――。カミングアウトしたといっても、それは「あなたにだけ」カミングアウトしたのであり、本人の許可なく誰かに言うのは重大な人権侵害です。「差別」と同じように、行った本人の意図は関係ありません。
傷つけないために、知識を蓄える
からかっただけ、軽い冗談のつもり、は通用しません。大切なのは正確な知識です。実際、差別発言やアウティングで自尊心を削られていくことが多いため、性的マイノリティは自殺のリスクが高いということが知られています。
知識を得るためにおすすめの本として、たとえば石田仁さんの『はじめて学ぶLGBT』があります。2ページ完結で大切な内容が凝縮されていますから、職場に1冊、学校に1冊という感じでおすすめしています。
トランスジェンダーについては、最近ネット上で誤解に基づく一種のデマが生じています。「トランスジェンダーの人権を認めたら、女子トイレに男性が入ってくる」といったものですが、それは(侵入した男性を)警察が逮捕すべきだという話で、トランスジェンダーには直接関係ありません。性暴力を許さない社会を作ることと、トランスジェンダーの人権を守ることは、全く矛盾せず両立します。
そういった一つ一つの素朴な疑問に、丁寧に答えている書籍があります。高井ゆと里さん、周司 あきらさんの共著『トランスジェンダーQ&A』です。これもおすすめしています。
またこれは私の書籍ですが『地方と「性的マイノリティ」 東北6県のインタビューから』。
よかったら読んでください。
〈参考資料〉
・「性的マイノリティ(LGBTQ)の自殺対策を自治体で進めていくために」https://pridehouse.jp/legacy/wp-content/uploads/2022/03/3760aae90403e41b2238b941b23badb5.pdf
・電通LGBTQ+調査2020https://www.dentsu.co.jp/news/release/2021/0408-010364.html
・秋田県ホームページ あきたパートナーシップ宣誓証明制度https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/63250
・「結婚の自由をすべての人に」ホームページhttps://www.marriageforall.jp/marriage-equality/japan/
・法政大学ホームページ 「家族と性と多様性にかんする全国アンケート」https://www.hosei.ac.jp/press/info/article-20231027123950/
・BBC NEWS JAPAN 岸田首相、性的少数者蔑視の発言した秘書官を更迭(2023年2月5日)https://www.bbc.com/japanese/64527653
・LGBTとアライのための法律家ネットワーク ホームページhttp://llanjapan.org/lgbtinfo/2196
・AFPBB News アイスランド首相、同性愛パートナーと正式に結婚(2010年6月29日)https://www.afpbb.com/articles/-/2738197?cx_part=search
・AFPBB News ルクセンブルク首相が同性婚、EU首脳で初めて(2015年5月16日)https://www.afpbb.com/articles/-/3048755
・文部科学省通知「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/27/04/1357468.htm
・厚労省「性的マイノリティに関する企業の取り組み事例のご案内」https://www.mhlw.go.jp/content/000808159.pdf