自民党埼玉県議団が10月10日、9月定例議会にはかっていた同県の虐待禁止条例改正案を急遽取り下げた。改正案は子どもだけの留守番や外出を「置き去り」「放置」とみなし、保護者の安全配慮義務違反とするもの。10月6日に埼玉県議会の福祉保健医療委員会で可決され、13日にも本会議で成立する予定だった。委員会を可決した条例案が一転取り下げられるのは異例。委員会の採決直後から、「条例改正となれば、埼玉県で子育てはできない」と県民から反対の声が上がり、オンラインの反対署名も全国に広がった。こうした動きが取り下げにつながったとみられる。
自民県議団「説明不足だった」
自民党県議団は同日、県議会の一室で会見を開き、取り下げの理由について「(条例改正案について)説明不足だった」と述べた。会見には田村琢実自民党県議団長と、中屋敷慎一・党県議団幹事長が出席した。田村団長は「(議員提案に向けた動きについて)指導不足だった」とも話した。一方で、「条例案の構成や議会の手続きに瑕疵はない」とし、一旦は取り下げるものの、今後、条例改正案を議会に再上程するかどうかについては説明を避けた。
条例案の正式名称は、「埼玉県虐待禁止条例の一部を改正する条例」。県議会最大会派の自民党県議団が提案した。「小学3年生までの児童を現に養護する者は当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない」として、家などに子どもを置いたまま保護者が外出することを虐待とみなして禁止。小学4年生から6年生については禁止ではなく努力義務とした。また、「県民は、虐待を受けた児童等を発見した場合は、速やかに通告または通報しなければならない」と規定した。ただ、罰則規定はない。自民党県議団は、車中に子どもを放置し熱中症で死亡する事件が相次いでいることを受けて、条例案を出したという。
「埼玉で暮らせない」動揺と批判広がる
委員会審議にあたり同県議団が、「放置」の事例として、「子どもたちだけの留守番」「未成年の高校生に小学生の兄弟を預けて買い物に出る行為」「子どもだけ家に残してゴミ捨てに行く行為」「子どもたちだけで公園などで遊ぶこと」「子どもたちだけの登下校」「子どもだけのおつかい」などと説明したことが報道され、保護者らに「それでは日常生活が営めない」と動揺が広がった。
県民からは「通常の子育てで虐待にあたるとなると埼玉で暮らせない」「通常の子育てをしていて虐待だと言われたら大きなショックを受ける」「小さい虐待通報の積み重ねで、最終的には虐待認定されてしまい、親子分離などになったら大変だ」など、条例案の中身に対する懸念の声が上がった。また、子育て当事者の意見を聞かずに、最大会派の立場を利用して委員会を通過させるなど、条例改正案作成に向けて事前の議論や合意形成のあり方が不十分だった点にも、批判が噴出した。
曖昧だった虐待判断の線引き
会見で、同県議団が「説明不足」だったとしたのは、埼玉県虐待禁止条例にすでに規定されている養護者の「安全配慮義務」の解釈についてだ。
条例は2017年6月の定例県議会で、全会一致で可決・成立。改正案は自民党会派内にプロジェクトチーム(PT)を立ち上げ、虐待対応窓口の視察などやパブリックコメントを経て、議員提案で作られた。改正案では、保護者の安全配慮の例として、家庭内で話し合いを持ち、子どもに防犯ブザーを身につけさせたなどを挙げ、こうした配慮を怠った場合、虐待と判断するとした。ただ、家庭内の話し合いの有無は、外からは分からない。「判断の線引きが曖昧だ」との指摘に対し、同県議団は「子どもたちだけで外で遊んでいたとしても、(安全配慮義務違反があったかどうかは)外見からはわからないので、虐待通報は少ないか、ないと考えていた」と説明した。
また、同条例改正案を作るにあたり、専門家などの指導・助言を受けたかとの生活ニュースコモンズの質問に対し、田村団長は、「PTのことなので、ここでは答えられない」とした。条例を運用する県当局との調整や、改正案作成への県の関与の有無についても、明確な答えはなかった。
無投票で民意の吸い上げ弱まる?
委員会通過後の条例案が取り下げに至った背景として、埼玉県内に暮らし、反対署名をした小学生の子どもを育てる女性は、埼玉県の選挙事情を挙げた。
県内51選挙区中25が1人区。今年3月の県議選では16選挙区の23人が無投票当選だった。無投票県議を抱える市区町村は46%と半数に迫っている。また定数93のうち、自民党県議団が58人と62・3%を占め、裕に過半数を超える最大会派だ。通常、地方の自民党議員は「ドブ板選挙」という言葉が象徴するように、地元住民との密着で運動を展開し、選挙を勝ち抜いてきた。
だが、埼玉の場合は、全国でも広がっている無投票選挙が相次ぎ、地元住民の意見を吸い上げて政策を立案する機能が弱まっていることがうかがえる。
子育て世帯の現実と乖離
さらに政治においてジェンダーの視点も遅れがちな環境にある。
県議会全体に占める女性議員の割合も16・1%にとどまり、自民党県議団には58人中3人しか女性がいない。条例案が子育て世帯の実際とかけ離れたものになっても、暴走を止めるブレーキ役がいなかったのではないか。今後、条例改正案作成に至る経緯について自民党県議団内の動き、また県や専門家などの関与や、今後の動きについて、十分な検証と説明が求められる。
反対署名、9万5000筆
同県内で2人の小学生を育てる保護者が開始した「Change.org」のオンラインの反対署名は、6日から11日早朝までに9万5000筆が集まった。さいたま市PTA協議会も浦和駅前の街頭でチラシを撒くなどしてオンライン署名を集め、9日には同会が反対の意見書を保護者の代表として提出した。こうした子育て当事者の声が取り下げを後押しした。
問われるべきは社会の構造
県内で、性暴力被害者の支援やジェンダー平等推進の活動を続けている70代女性は「すでに子どもに対するひどい虐待の状況が起きている中で、問われるべきは虐待が生まれる構造的問題だ。このような条例案ではなく、女性がどんな状況に置かれていて、社会がどうあるべきか、そこを問い直すような取り組みを求めたい」と話す。
(吉永磨美)
【吉永が出演し、取材報告を話した「荻上チキ・Session」です】