委員会可決から一転、本会議前に取り下げられた埼玉県の虐待禁止条例改正案をめぐり、反対署名を集めた女性らが11日、厚生労働省で記者会見を開いた。
登壇したのは条例改正案に反対のオンライン署名の呼びかけ人野沢ココさん、署名活動に携わったみらい子育て全国ネットワーク代表の天野妙さん、日本大学文理学部教授の末冨芳さん。
居てもたってもいられず署名立ち上げ
野沢さんは埼玉県西部で小6、小3を育てるワーキングマザー。改正案に気づいたのは10月5日朝刊の記事だった。この条例改正案で、子どもの「放置」とされていることが禁止されれば、私の生活が成り立たなくなる。そう直感したという。
相談した天野さんに、6日の委員会を傍聴してもらった。天野さんから委員会で可決したことを知らされた野沢さんは、居ても立ってもいられず、6日夕、オンライン署名を立ち上げた。
10日の会見で、自民党県議団は、「説明不足」に至った背景を、虐待にあたる「放置」の定義について、マルバツをつけなければいけない状況に追い込まれ、説明したからだと述べた。
だが、6日の委員会では、自民県議が、自宅での短時間の留守番も「放置」と考える、と説明していた。
「一人にしない努力、ずっとしてきた」
野沢さんは言う。
「朝のごみ捨てや近所に回覧板を回す、きょうだいの送迎のための留守番など、親は短時間でも子どもをひとりにしないように努力しながら、それでもどうしても家に置いて出ることがある。子どもにしたって、(連れて出ようとしても)家でやりたいことがあったり、その時の気分で行きたくなかったり、寝てしまっている子もいる。条例改正案には、親は子どもと離れず、ずっと監視していろと言われている気がしました」
さらに野沢さんは「放置」を「虐待」といわれると親の心の深い傷になるとも指摘。園バスや車中への置き去り事件などは、車内カメラやセンサーなどテクノロジーで防止できる場合があるとも訴えた。
自民党県議団は「放置」や「虐待」にあたらないと判断するための「保護者の安全配慮」を「家庭において安全に関するルールづくりが行われていること」と説明した。だがそれは外からは見えてこない部分だ。誰が、安全配慮義務があるかどうかを判断できるのか。
野沢さんは、条例が通って通常の子育ての行動を虐待としてしまったら、緊急性を最も要する声を拾うことができなくなる可能性についても指摘した。
「そんな中で、県民に通報義務を設ける、過度な禁止の義務を負わせることが本当に子育て世帯のためなのでしょうか?」
まずは子育てしやすい環境整備を
「埼玉県は学童保育の待機児童数が多く、やむなく父母が学童を運営している所もある。児童館など安心して過ごせる場所も少ない」
野沢さんはまず子育てがしやすくなる環境整備を求めた。
「社会を挙げて子どもの安全を実現するにはどうしたらいいのか。どうしたら子どもが大人に忖度することなく自由に自分らしくいられるのか。こども基本法では、支援が重点に置かれています。こどもの発達に応じた最善の利益を求めるとしています。県議のみなさんにはこども基本法にのっとった手続きを実現してほしいです」
「誤解でした」で幕引きするな
野沢さんと天野さんは同日、加藤鮎子こども政策担当大臣と渡辺由美子・こども家庭庁長官に、要望書「こども基本法の周知徹底を全自治体首長・議会にお願いします」を提出した。
要望書では、自治体の条例案やこども計画、こども政策について、こども若者、子育て当事者の意見表明・参画、意見の尊重の手続きを明確化することなどを求めた。また、子育て支援の充実、外遊び環境の安全確保や虐待が起こらないようにしていく仕組みなど、社会全体でこどもを守る環境整備が必要だ、としている。
天野さんは「こども若者、子育て当事者の意見表明・参画がなされていれば、条例改正案はこういう結果にならなかった」と話した。
自民党県議団は条例改正案についてパブリックコメントを実施したと説明しているが、その件数も内容も非公開だという。野沢さんは「県民の声を本当に聞いたのか疑問が残る。中身はオープンにして広く周知してほしい」と訴える。天野さんは、「何より子ども本人に意見を聞いていないのではないか?」と疑問を呈した。その上で、「いきなり通報義務のある条例から始めるのではなく、社会全体でこどもを守る環境整備をしてからだろう」と述べた。
10日の自民党埼玉県議団の記者会見について、天野さんは「県議たちは『誤解』の一言で終わらせたが、そうではない。多くの方からこれだけの反発が出ているのに、『誤解でした』では説明になっていないと思う」と不誠実な対応に苛立ちを顕わにした。
署名伸び続け10万筆に
署名は11日午後4時現在で99616筆を数えた。取り下げた後も署名数は伸び続けている。会見後、野沢さんたちの署名は、程なく10万筆を超えた。
(署名サイト:https://www.change.org/p/10月13日可決予定-stop-埼玉県-子どもだけの登下校禁止条例-虐待禁止条例-改正案に反対します)
反対が大きなうねりとなったことについて、野沢さんは「現実世界を生きている私たちと議会の中で生きている議員の間に乖離がある。県民の声を反映するのが議会であるはず。このようなことになったのは大変残念だ。署名を立ち上げた後、どこまで賛同いただけるのか、さっぱりわからない状態だった。3連休に私も信じられないうねりが来たのは、驚いたし、これではやっぱり生活できないんだという直感が確信に変わった」と話した。
「議員が、条例ができれば予算や制度は付いてくると思っているのが問題。政治は受け皿を確保し、みんなが幸せになった状態で、さらに困っている人を助けるという風にならなければならないと思う」
「異次元」にいるメディアや男性議員
天野さんも「(委員会の質疑は)現実社会を生きていない殿上人のコメントのような、異次元にいる人たちという印象。私たちと大きな隔たりがあるように感じた」という。
天野さんはメディアの扱いについても言及した。
「金曜日に委員会で可決されたが、朝日も毎日も土曜日は埼玉版にしか載らなかった。こういうことはアンコンシャスバイアスの表れではないか。男性のデスクが一大事と思わない。女性の記者がいても、紙面に女性の意見を取り入れなければインクルージョンとはいわない。ダイバーシティ・インクルージョンのうちインクルージョンが足りていない」
同じ事は埼玉県議会にも言えるという。
「女性の議員はいる。パブコメもやったというけれど、女性の子育て当事者の意見を取り入れたのか。パブコメの結果、どんな意見を取り入れたのかではなくて、ただパブコメをやりましたというだけでよしとするのは、多数派である男性議員のおごりではないか」
実態に寄り添った政策を
条例案は取り下げられたが、自民党県議団は「白紙撤回」とは言わなかった。県議団は「条例案の構成や手続きに瑕疵はない」と言うコメントも出しており、再上程される可能性は残されている。
末冨さんは「まずは改正案が一度止まったことはよかった。この間、関係者にどうしてこうなったかを伺った。条例案が出される前から懸念もあったという。一度立ち止まって、こどもや子育て世帯の実態に合った条例案だったかを考え直してほしい。委員会で可決するまで、立ち止まれなかったことについては残念だ。これを機会にこどもや子育て世帯の実態に寄り添った政策ができるよう学びの糧としていただきたい」と話した。
天野さんは「(昨日の会見で、自民党県議団は)この条例案に瑕疵はないと言っているが、我々からすると瑕疵だらけだ。ゼロベースというより、その前のマイナスまで戻っていただき、とってつけた説明をせずに、襟を正していただきたい」と注文をつけた。
「議会に任せるだけでは変わらない」
今後、自民党県議団に求める対応について記者から質問が出ると、野沢さんは「まずはいったん立ち止まって、こども基本法を含めて何が子どもたちにとって最善なものなのかを考え直していただきたい」とした。具体的にはパブリックコメントをオープンなものにし、当事者と対話することを求めた。
その上で、野沢さんは「当事者」の定義に県議団との間にずれがあったとも指摘。「県議団の考える当事者は虐待を受けている子、虐待をしている親のみだったようだ。生活をしていく上での当事者はその少数だけでない。思い込みをとっていただきたい」
天野さんは「こども基本法に立ち返って、当事者の意見、参加表明を受け、意見を聞いて、子どもの権利と利益を実現する視点が大事。パブコメをやったからいいよね、というものではない。ヒアリングから始めてパブコメもやって、多くの人の意見や賛同を受け、委員会でもたくさんの議論が必要だ」とした。
率直に「今回、拙速でしたよね」と言う。「多くの人たちが知らないまま通っていたかもしれないと思うと、恐ろしい。子育て世帯を苦しめる内容ですから、どういうステークホルダーがいて、どのような意見を持っているのか、まずはヒアリングを進めてほしい」
一方、野沢さんは、これまで一市民として政治に関わってこなかったことへの反省や抱負を語った。
「私たちも考えを変えなければ。議会だけに任せておけないということが、今回の署名ではっきりした。署名以外にも世の中の関心は何倍もふくれあがっている。任せているだけでは変わらない。我々市民の側としても政治がどう動いているのかをしっかり確認していくべきだという、いい学びになった」
絶望と疑問が大きなうねりに
末富さんはこの条例案が社会に与えた波紋や影響の大きさについて言及した。
「保護者は、この条例改正が通ってしまえば自分たちの子育ては無理だと絶望されたのだと思う。保護者も日々ものすごく大変な中で、子どもが一人きりにならないように気をつかっている。でも、実際には学童に入れない。おうちで待っててね、ということがある。それを一方的に禁止されたというショックが署名につながった」と考察する。
さらに「子どもたちをひとりにするのは安全とは言い切れない部分があるかもしれない。しかし、こども自身の意見を聞かずに一切禁止というのは、本当に子どもがすくすく育つ環境と言えるのか。子どもの支援団体の発信を見ると子どもたちから『大人ってどうしてこんなこと考えるの』という疑問が強く出ている。県民で監視して通報することがいいことなのか、という疑問も大きなうねりにつながったのでは」と話した。
(阿久沢悦子、吉永磨美)