衆院選2024「個人的なことは政治的なこと」③  能登地震 放置と「選挙終われば、知らんぷり」は許されない 

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能登地震についてどの政党がどんな公約を掲げているんだろう

元日の地震に続き、9月21日の記録的豪雨で、石川県の能登半島北部は、輪島市、珠洲市、能登町を中心に、再び壊滅的な打撃を受けた。「放置されている」といわれ、遅々として進まない復興に批判の声も上がる中、大半の住民が仮設住宅に移り住み、少しずつ日常を取り戻しつつある中での大災害で、元日の避難状況に引き戻される事態となっている。豪雨から間もない9月23日に訪ねてみると、輪島市、珠洲市では、道のあちこちに押し流された大きな流木が横たわり、泥がぬかるみ乾いた土が埃となって巻き上がっていた。川には茶色い濁流が流れ、川の岸は大きくえぐり取られ、橋にはおびただしい量の流木が絡みついていた。被害は前述の3市町のほか、志賀町、穴水町にも及び、14人の尊い命が奪われた。

本格的に仕事開始して豪雨被害に

輪島市の中心部、輪島塗の職人らが暮らす河井町では、床下浸水の被害で高齢者施設をはじめ、住居や事務所が泥まみれだった。道端には泥で無残な姿となった冷蔵庫、整理棚、コピー機、家具が出されていた。住民やボランティアたちはブラシや水切りを片手に室内の水を含んだ泥をかき出し、衣服や水につかった荷物をゴミ袋に入れて外に出していた。

元日に被災し仮設住宅に住みながら、仕事で通う事務所が浸水した70代女性は事務所の前で泥だらけで清掃していた。

「朝出勤した後から激しく雨が降り出し、(住宅を囲む)用水から水があふれ出てきて浸水した。仕事で使う車2台が水に浸かりダメになった。6月に仕事を本格的に再開したところだったのに」

別の同市内に暮らす別の女性に9月20日から21日にかけて雨が降り出したころ避難の呼びかけがあったかどうか尋ねると、「20日夜からひどい雷と雨で、外の音が聞こえなかった。防災無線があっても聞こえなかったと思う」と当時を振り返った。

床上浸水した輪島市内の中心部(2024年9月撮影)

被災後の「すぐに使える土地」探しでいいのか

同市宅田町の仮設住宅は胸までつかる床上浸水となった。70代男性は、キッチンのある部屋とカーテンで仕切られた2間のある仮設住宅に住んでいた。家財が所狭しと並んでいたが、被災した自宅から持ち込んだベッドなどのなけなしの家財、衣服全てが、下水の混じる泥水を被った。流しの引き出しにはあふれんばかりに泥水が入っていた。「つま先立ちで必死に避難した」という証言とともに、洪水のすさまじさを見せつけられた。

同町の仮設住宅は、洪水浸水想定区域に建設されたものだ。この70代の男性は豪雨になると近くを流れる川が逆流する危険性のあるとの懸念を同市職員に伝えたが、特に大きな問題にならず、心配していたという。その心配が現実になった。

輪島市宅田地区の仮設住宅。豪雨で胸まで水に浸かった(2024年9月撮影)

石川県によると、豪雨時点で完成していた仮設住宅のうち、輪島市5団地、珠洲市1団地で床上浸水した。輪島市については、仮設住宅全体の6割が洪水浸水地域に建設されていた。現在の災害救助法に沿った地域の防災計画では、事前に応急的な仮設住宅の予定地を決めておくことは義務化されていない。被災で混乱する中、被災した自治体自らが「すぐに使える土地」を探すことになる。すぐ確保できる空き地となると当然限られてくる。自治体を責めるだけで終わらない課題だ。日本の各地で線状降水帯などによる記録的な豪雨災害が頻発する中、二度と「二重の災害」で被災者を苦しめることがないよう、検証し防止策を講じることが必要だ。防災のあり方が問われている。

県では今後、泥を被った仮設住宅に復旧工事をして、再利用するという。備え付けの家具以外にテレビ、冷蔵庫、洗濯機の購入支援を公費で行う予定だ。ただ、失った家財はこれだけではない。

地震後9カ月で建設中の仮設も

豪雨当時、地震から9カ月経過する中で輪島市や珠洲市にはいまだに建設中の仮設住宅がまだあったことに驚く。そのうえ、建設中の仮設も浸水被害に遭ったのだ。

仮設住宅は「応急的」なものとして、県が法律に沿って建設することになっている。基本的には居住できる期間は2年間だが、すでに半年以上も経過してもすべてが出来上がっていない現状に「放置されている」という批判の声があっても否定できないだろう。事情はあるにせよ、どうして時間がかかったのかについて、今後の災害のために検証する必要がある。

生活に根差す「遺産」も被害

同市内では、地震を経ても居住可能だった家についても、そばにある山肌が豪雨で崩壊し、住めない状態になったところも多数ある。イヌやネコを飼っていたが、ペットとの同居は、避難所では難しく、納屋の一室でペットとの避難生活を余儀なくされる被災者も出ている。

今回の豪雨で流れ出た土砂が流入し被災した家屋(2024年9月撮影)

地震と豪雨による歴史的文化財への被害も深刻だ。漁師や海女が暮らす輪島市海士町、光浦地区も元日に大きく被災した。その町にある「奥津比咩(おくつひめ)神社」も参道前が土砂で埋まっている。紀元前の創建とされる輪島市の「重蔵(じゅうぞう)神社」や珠洲市の「須須(すず)神社」も大きな鳥居が倒れるなど、長年一次産業や地域住民をつないで繁栄の中心を担ってきた寺社も大きなダメージを受けている。そして重蔵神社からまっすぐに延びる「朝市通り」に面した商店や住居は、元日の夜の大火事で、消失した。すでに解体工事が進み、更地が目立ち始めている。

解体工事前の輪島の朝市が行われていた通り付近。大火事で尊い命と商店街が奪われた(2024年5月撮影)
解体工事が進み更地になりつつある朝市が行われていた付近(2024年10月撮影)

このほか、輪島市、珠洲市、能登町をはじめとして能登半島には縄文や弥生時代の遺跡、古墳、史跡など、人々の暮らしに根差した文化的、歴史的な文化遺産のほか、里山や海といった自然的な遺産も数多い。その多くが地震と豪雨で被害を受けていて、復旧は急務だ。

「外浦(そとうら)」といわれる、輪島市や珠洲市の沿岸地区では、地震で1000年以上の歴史がある製塩所も被害を受けた。地震から復旧する中、外浦地区でも、豪雨による土砂が地域に流入し、受けたダメージは大きい。

生活の拠点のあちこちが、修復されず更地になってしまう前に、今後のまちづくりについて、住民が主体的に関われる仕組みが必要だ。

豪雨で削り取られた珠洲市の山間部の川べり。豪雨数日後はその先に進めなかった(2024年9月撮影)

「目に見えない」被害の受け止めを

豪雨直後、珠洲市若山町の山間で暮らす60代女性は、暗がりの家から出てきて、ボランティアからペットボトルの水をもらって頭を下げた。女性の家は停電と断水で、オール電化のキッチンは使えず、暖房器具も使えない状態になっていた。

地震から10カ月経って「見えない被害」も深刻だ。取材中に、地震前には輪島の朝市で元気に野菜を売っていた高齢女性が、地震のショックで足が動かなくなってしまい、いまだに入院しているという話を聞いた。

地震でうばわれたものは「目に見えるもの」だけではない。半ば恒久的な被災者への心理的ケアも求められている。

元日の地震で通りの家屋が倒壊している珠洲市内(2024年5月撮影)

さらに、奥能登に住む子育て中の40代女性は「地震から9カ月経った今でも子育てしづらい日々が続いている」という。

「子どもの遊ぶ場所が激減している。公園や公共施設に仮設住宅や避難所ができるのは仕方ないことだが、子どもにとって安心して自由に遊べる場所は大事だ。通学路にも倒壊しそうな家屋があり、一人では歩けない。続けていた習い事が通えなくなっている。成長する子どもの数か月は大きい。子ども目線のインフラ復興についてももう少し、目を向けてほしい」

子どもといっても、年齢層は幅広く、中高生の目も必要だ。

「勉強をしている中高生も、環境が激変し、落ち着かずに眠れない子もいる。そんな中で学業や部活動に励んでいる。今まで市内にあった本屋がなくなってがっかりしている。受験生は赤本を買うところもない。本を読みたいけど読めない状況がある」

道路の陥没や隆起は半年経ってもあちこちにある(2024年9月撮影)

この女性は、知り合いの自治体職員に対してなぜ復旧が遅いのかをたずねたことがある。すると、その職員も「目の前のことに一生懸命だった」と苦しそうに答え、その言葉にはっとさせられたという。自治体の職員も人員が減らされる中、必死なのだ。

土砂崩れで埋まってしまった輪島市海士町の奥津比咩神社の手前(2024年9月撮影)

大雪予想で復旧待ったなし

気象庁の冬の天気予報(2024年12月~25年2月)によると、今年の冬は、日本では冬型の気圧配置が強まり、寒気の影響を受けやすいという。日本海側で降雪量が平年並みか平年より多い予想だ。大雪が重なれば、揺れて弱った家屋へのさらなるダメージとなる。二度の被災で、住民は限界に達している。早めの対策が必要だ。

元日の地震で倒壊した輪島市内の5階建のビル。10月時点で解体を待っている状態だ

歩み始める住民の動きを届けたい

その一方で、歩き出そう、動き出そうとしている住民たちに注目したい。その声を、その動きを全国に届けたい。

10月17日に取材のため輪島市を訪れた際、同市の老舗精肉店「藤田屋総本店」で能登のソウルフード「かかし」を買って食べた。数年前に家族で能登旅行をした時に食べたあの懐かしい味があった。

揚げたて熱々で美味しかった、輪島のソウルフード、藤田屋総本店さんの「かかし」

市の中心にある大型スーパーマーケットはしっかり動いており、活気づいている。輪島土産の「えがら饅頭」も手に入れた。

中浦屋さんの「えがらまんじゅう」。クチナシで色付けした餅米を載せ、黒のこし餡を包んだお菓子。クリのいがらに似ていることから名付けられたが、訛って「えがら」と呼ばれて、輪島朝市の名物だ

店内にはブースが設営され、朝市・夕市も展開。また、市内の飲食店関係者が集まって運営する飲食店も開業しており、ランチも食べた。フードコートを開設する動きも出ている。

買い物客が集まる輪島市の大型スーパーでは、朝市、夕市を施設内で展開している(2024年10月撮影)

住民目線を大事にした政策作りを

最後に能登半島の災害復興について衆院選の各党の公約を見てみたい。

与野党ともに、住民の声を反映する仕組みについて、具体的に掲げているところが見当たらない。

特に自民党は首相が現地入りし、本格的な財政的支援を約束する発言をしている。生活やなりわい、創造的復興、文化芸術、教育にも言及しているが、住民目線を大事にする視点を持ってほしい。

立憲民主党に至っては、災害救助段階レベルのすでに行っているような「当たり前」を掲げているのが気にかかる。補正予算を編成することや地域のコミュニティーの維持などを掲げているが、やはり住民の意見をもとにした計画づくりの視点がやや欠ける。

公明、共産、国民民主の3党は「被災者」ベースの公約を掲げていて、希望が持てる。れいわと社民も防災省創設を掲げるが、防災省が動き出す前の能登の住民に向き合った政策を具体的に打ち出してほしい。

維新については、その視点さえもないのか、「能登」の文字が、公約に見当たらず論外だ。

浸水した輪島市内の仮設住宅。厳しい冬を前に迅速な復旧がのぞまれる(2024年9月撮影)

いずれにしても、国は自治体に指示するだけでは役割を果たしておらず、国庫からの財政的支援がもっと必要だ。国会議員を輩出する公党は、公約だけ掲げて、「選挙終われば、知らんぷり」は許されない。

能登で暮らし続ける、働き続ける人たちの声をしっかり聴いていくことが必要だ。真の「住民の暮らしを守る」復旧復興が急がれる。

刈り取り前の稲穂。9月21日の豪雨ではすぐ近くの川が氾濫した(2024年10月撮影)

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