
アメリカのトランプ大統領が現地時間1月20日に就任して、1カ月半が経ちました。トランプ氏は多様性を重視する「DEI(多様性、公平性、包摂性)の取り組みを廃止し、「性別は男女のみを認める」とする大統領令を発効するなど、多様性やマイノリティーを否定する言動を加速させています。アメリカの「DEI」の精神は後退し、分断の時代へと突き進むのでしょうか。米・カリフォルニア州立大助教授の大矢英代さんに話を聞きました。

失望した若者たち 選挙戦で透けて見えたトランプ氏の勝利
――今回の大統領選はどのように見ていましたか?
もう1年ぐらい前から、これはトランプ氏が勝つだろうなと思っていました。バイデン(前大統領)があまりに人気がなく、加えてイスラエルのガザ侵攻があり、若者たちがバイデン政権に非常に失望したんですよね。大学の中で反戦運動が起きているのに、その声を無視するかたちで、米政府は露骨なイスラエル支援を続けました。同じ政策を副大統領のカマラ・ハリスさんが引き継いだことで、若者たちの「裏切られた」 という感覚が若いリベラル層に残ったのだと思います。
連邦政府と州政府 二つの役割分担と強い権限
――トランプ2.0が始まって1か月半が経ちました。米国で生活されていて変化を肌で感じますか?
今のところ、私はそんなに変化を感じないです。 カリフォルニアに住んでいるからかもしれませんが。アメリカは連邦政府と州政府の二つの役割分担があって、州政府は、独自の法律や行政機関を設置するなど強い権限を有しています。例え連邦政府が多様性を認めないような方針を打ち出したとしても、州は必ずそれに従わなければならないということではないですし、連邦政府が方針を強制するようならば州の権限を盾に裁判で争います。ただし、知的財産権や戦争の宣言など連邦法が強制力を持つ場合もあります。なので、今すぐ、カリフォルニア州が連邦政府の方針に従うという実感はありません。ただ、例えばトランスジェンダーの学生が、パスポートを新しく取得しようとしたときに、性別の欄が自分の生まれたときの性になっている、とかそういう話はあります。パスポートは連邦政府の管轄下にあるので、連邦政府の政策に従わざるを得ないのです。
DEIへの影響は?
――トランプ氏はDEIポリシーを否定する政策を次々と打ち出しています。やはりマイノリティーの方たちの危機感やショックは大きいでしょうか。
それはあるでしょうね。性の多様性もそうですが、学生たちが感じている衝撃が大きい。特に私が教えている大学の学生は、家族の中で大学に進学したのは自分が初めてという人が70%います。いわゆる「ファーストジェネレーション」 と言われる学生たちで、だいたい家族はメキシコや南アメリカからの移民なんですね。自分の両親が、不法滞在の身として米国に来て、市民権を取得したり、しなかったり、そんなグレーゾーンがありながらアメリカで暮らしている。自分自身のアイデンティティーは、親が生まれた母国で、英語は第2言語。自分が生まれ育ってきて大事にしてきた価値観がすべて攻撃対象になっている。私もアメリカの中では外国人なので、もしかしたら明日になったらビザが無効と言われ、この国から退去しろと言われるかもしれない。そういう不安がないわけではない。なのでそうした学生たちの気持ちはよくわかります

――トランプ氏がDEIを廃止し、さらに強権な姿勢を貫けば、優秀な移民や外国人はアメリカから出て行ってしまう可能性はありますか?
分野によると思いますね。人文科学系であれば、ヨーロッパの大学に行こうかとなるかもしれませんが、コンピューターサイエンスとか、いわゆるAI開発なんかだとアメリカは世界のトップです。特にシリコンバレーは最先端です。名門のUCバークレー校やスタンフォード大、マサチューセッツ工科大などでコンピューターサイエンスを学びたいという学生は多く、そういう人は変わらずアメリカを選ぶのではないでしょうか。
はき違える「Equity」と「Equality」
――DEIに対するバックラッシュについては懸念していますか。
ありますね。アメリカという国がもともとDEIを大事にしていた価値観が壊れている気がします。アメリカという国は、ネイティブアメリカンを虐殺しながら建国した恐ろしい歴史がある。アメリカの成り立ちの歴史を振り返ると、イスラエルがガザでやっていることがそのまま国内で起きていた。ネイティブアメリカンの人権や命を踏みにじり、ひどい人種差別を行ってきた国です。だからこそ、その反省を踏まえてDEIという価値観が生まれたわけです。「Equity」(公平性)と「Equality」(平等性)を浸透させながらやってきたのがアメリカ社会なんですね。

両者の違いを説明する時、よく使われるのが、サッカーの試合の例です。身長差のある2人の兄弟がサッカーの試合を見に行ったとします。観客席からは前の人の頭でコートがよく見えない。それぞれに同じ高さの踏み台をあげるのが、「Equality」(平等性)。しかし、これでは、背の低い方の子どもはまだコートがよく見えないので、踏み台をもう一段増やしてあげます。これが「Equity」(公平性)の考え方です。今の米国では、後者の「Equity」の考え方が壊されてきているように感じます。アファーマティブアクションで有色人種や貧しい家庭出身の学生が優遇されれば、それは有色人種ではない人にとってEqualityではないと言う。でもそれって、もともと経済的に苦しい立場に置かれてきた人たちに対するEquityだよね、だからいいんだよって話にならなくちゃいけないのに、Equalityじゃない、逆差別だという。トランプ氏はDEIは不公平を生み出すから廃止すると言っていますが、公平性を保つためにDEIがあるのに、間違った形のEquityという言葉が社会に浸透している。アメリカがこれまで何十年と育ててきた公平性の価値観が、ボロボロと壊れだしているようなそんな感覚があります。
日本のDEI アメリカの水準に及ばず 動向気にしている場合?
――日本では企業のDEI担当者が今後日本のDEIはどうなるのか、押し進めてもいいものかと懸念しているとの声も聞かれます。日本の女性管理職率は11%、アメリカは40%を超えていてそもそも全然追いついていない状況なのですが、アメリカの動向を気にしています。
そもそもDEIがある程度確立して、じゃあこれからどうしようかという議論ならわかりますが、何もできていない状態の人たちが、アメリカがやってないから、自分たちもやらなくてもいいのではというのは、おこがましいですよね(笑)。日本のDEIの基準がいかに日本の外と比べてひどい状況にあるかということを日本の人たちが気づいていない。それが一番問題だと思います。

機内で見えた日本のジェンダーギャップ
何年か前に、日本に帰国する時に、ある日本の航空会社の飛行機に乗ったのですが、マイルがたまっていたので、ビジネスクラスに乗ったのです。食事のメニュー表を見て驚きました。著名なシェフがプロデュースしたこだわりの機内食だとして調理人の顔と名前が載っていたのですが、すべて男性だったんですよね。それを見たときに、これを海外の人が見て、「今からどんなジェンダー差別のひどい国に行くんだろう」と思うのではないかと。まったくプラスに映らないのに、けっこう誇らしげにPRしていることにも衝撃を受けました。
日本はアメリカのDEIの動向を気にせず、ジェンダー平等が進んでいる北欧をお手本にした方がいいと思います。日米関係、防衛政策なんかは特にそうですが、アメリカがどうこうじゃなくて、主権国家としての日本が何をしたいのか、どうするかというのを大前提に決めていかなきゃいけない。逆に、アメリカが日米関係と言っているかというとそんなことはない。彼らは、日米関係という構造で世界を見ているわけでは全くない。トランプ政権がDEIを廃止しようが、本来、日本への影響はないことが正しい。影響が出ることを許してはならないのです。
揺らぐ 米国の報道の自由
――トランプ大統領は取材を受けるメディアは自分が選ぶといってます。米国の報道の自由は保障されるでしょうか。
メディアの排除は露骨になるでしょうね。お前の会社は取材に来るな、みたいなのはあるでしょう。ただそれにアメリカのメディアが従うかと言われるとそうではないと思います。トランプ大統領の場合は、一期目も、メディアを介さず、SNSで発信しました。別にメディアを排除しなくても、メディアを無効化する作戦がある。そういう意味ではメディアを排除するのではなく、報道を無意味にすることはあるのではないでしょうか。さらに、メディアは連邦政府のニュースに追いつかなくなっていくのではないでしょうか。日々新しい大統領令が出され、大統領の発言にファクトとフェイクが入り混じっている。真実を掘り起こすのに時間がかかるので、ファクトチェックだけでも精一杯だと思います。
世界に背を向けるアメリカ国民 パリ協定離脱、WHO脱退・・
――パリ協定脱退やWHOからの離脱など、いろんな意味でアメリカは世界から背を向けているような気がします。アメリカの人たちは実はどう見ているのでしょうか。
私はアメリカに来て7年になりますが、気がついたことは、そもそも、アメリカ人は残念ながら世界に対する関心がほとんどないということです。世界で最も予算がある軍隊を持っていて、経済的にも最大国であるにも関わらず、アメリカが世界に及ぼしている影響について、アメリカの人たちはほとんど関心がないというのは、日本人からしたら理解が追いつかないかもしれません。例えば、アメリカの国防費がいくらですか?同盟国がいくつあるか知ってますか?なんてことを一般の人に聞いたらほとんど答えられないと思います。世界に米軍基地がいくつあると思いますか、と聞いてもわからない。特に外交政策と防衛費に無関心です。
パリ協定の脱退でアメリカが世界に影響を及ぼしているということも、アメリカの人は分かっていないし、そもそも関心がない。去年の5月にユネスコの世界報道の自由デーがあり、チリのサンディエゴでの会議に参加したのですが、そういうのに行くと学生たちは衝撃を受ける。その場で、ガザで取材をしている記者たちの話を聞くとアメリカで見ている世界と全く違うと驚くんですね。世界に触れることが大切だと思います。
止められない、イスラエルのガザ侵攻 遠のく平和への道
今、一番心配しているのは、アメリカとイスラエルが手を組み、この2か国がますます世界から孤立化するということです。昨年11月にイスラエルに現地取材に行ってきたのですが、イスラエルの人たちの声を聴くと、多くの人たちがこの戦争は正しいと思っている。すごく被害者意識を持っている。この戦争を始めたのは自分たちじゃないのに、世界は自分たちばっかり非難するって言うんです。アメリカが支援してるじゃないかというと、全世界が支援するべきなのに、アメリカ以外は自分たちを悪人扱いしているという。イスラエルから見ている世界と私たちが外から彼らを見ている世界は違うということが分かりました。そうしたときに、この二つの国がどんどん孤立すれば、第二次世界大戦の時にドイツと日本が孤立し、イタリアと3か国同盟をつくったような状況に似てくる。パリ協定やUNESCOからの脱退は、かつての日本の姿を見ているように感じます。トランプ氏は孤立、亀裂、分断をあおるような発言をしています。今、トランプ氏がやろうとしているのは、ロシアと結託して中国を包囲しようというものではないでしょうか。次の戦争がどうなるのか、非常に気がかりです。アメリカと中国の戦争、その最先端に立たされる沖縄というのが現実味を帯びてきている。次はAIと最先端技術をめぐる戦争になるでしょう。中国はディープシークを開発しアメリカの技術に追いついてきている。AI技術が、戦争の勝者を決める決定打になっていく。ウクライナ・ロシア戦争の停戦協定の裏で、次の戦争への準備が進んでいるような気がして怖いです。
大矢英代 / Hanayo Oya
ジャーナリスト、ドキュメンタリー制作者カリフォルニア州立大学ブレズノ校人文科学部メディア・コミュニケーションズ。・ジャーナリズム学科助教授。Netflix ドキュメンタリー「ターニング・ポイント:核兵器と冷戦」共同プロデューサー。早稲田大学 次世代ジャーナリズム・メディア研究所 招聘研究員