
地方都市と首都に住む2人の女性が、友情を育み、それぞれ自立や結婚、出産を経験。互いの人生を突き放して見ながら、生きづらさを分かち合う——。そんな様子を乾いた筆致で描いた韓国のグラフィックノベル「大邱(テグ)の夜、ソウルの夜」の作者ソン・アラムさんが、3月2日〜9日に来日し、茶話会や講演会を開いた。国際女性デーに寄せたイベントだ。
ソン・アラムさんは1981年生まれ。2007年から自伝的な漫画を描き始め、13年に「大邱の夜」を発表。17年に続編の「ソウルの夜」と合わせ、「2人の女の物語」として出版した。日本語版のタイトルは「大邱の夜、ソウルの夜」。吉良佳奈江さんの訳で2022年2月に「ころから」より出版された。
地方と首都、女性2人の自立と結婚
折り合いの悪い母と祖母の間で育ち、早く家を出たいと考えていた大邱のコンジュは、自分のブログに必ずコメントしてくれるイラストレーターのホンヨンにソウルの部屋探しを頼む。こうして知り合った2人の友情は、ホンヨンのできちゃった婚と、ソウルに出て働いたコンジュの帰郷により、変化を迎える。
最初に発表された「大邱の夜」は、お盆の祭祀(チェサ)のため、幼い子を連れて夫の実家に行ったホンヨンが、どうにか夜中に抜け出し、コンジュと再会。「嫁」として扱われることや、夫への不満を一気にぶちまける。夜中にコンジュは、母が入院している病院にホンヨンを連れて行く。しばらくしてコンジュの母が亡くなり、コンジュは結婚する。

「ソウルの夜」はその前日譚。認知症の祖母の世話をしながら、脱出を夢見るコンジュの大邱での暮らしと、ソウルでの生活に疲れて帰郷を決意するまでが描かれる。
「ホンヨンのモデルは私。コンジュは友達。一番個人的な話を書いてみたところ、普遍的な女性の話になった」とソンさんは言う。
祭祀を執り行うのは男だけ、女は部屋の隅
大邱の祭祀の話は、ソンさんの夫から聞いて漫画に盛り込んだ。
料理を作るのは女達。祭祀を執り行うのは男だけ。女は部屋の隅に立ちっぱなしで待機し、男たちが宴会をしている時、女たちは別の部屋で食事を摂らなければいけない。

漫画ではホンヨンがコンジュを相手に盛大に愚痴を言う。
「上のお兄さんは、ちょっと稼ぎがいいからって家では王様気取りで、偉そうなおっさんにもほどがあるわ。死ぬほどむかつく!」
「お義姉さんだってね、働いたこともある人なのに、何がよくてあんなダンナに合わせて生きているんだろう?できすぎた義姉のせいで、私ばっかりわきまえない嫁扱いされてさ」
「つーか、祭祀は男が仕切るのに、なんでその裏方は女にやらせるのよ」
テレビのニュースで「お盆直後の離婚率が上昇することがわかり……」とキャスターが言う場面も描かれている。
「あれはホントです。久しぶりに親子がお盆やお正月に会うと、刃傷沙汰になることが韓国ではよくあります」とソンさん。日本でもお盆に夫の実家に帰省するのを嫌がる女性は多く、昨年は「#旦那デスノート」がお盆前後にXのトレンドに上がっていたと伝えると、「ああ、同じですね」と笑った。
共働きは増えたが、家事・育児の負担は女性に
家事や育児についての描写もリアルだ。ホンヨンの夫テシクは仕事に就いてから一切家事をせず、散らかった部屋で子どもに生返事をしながら、ソファーに寝転んでサッカーを見ている。自室にこもって仕事をしていたホンヨンは、子どもの泣き声で居間に出てきて、テシクに「ごめん」と謝る。

「韓国でも若い世代は共働きがとても多い。男性の参加度は少しずつ高まっているけれど、やはり女性が背負っている部分が大きい。家事や育児の責任は平等にあるはずなのに、やらないことへの罪悪感をより感じるのは女性です」(ソンさん)
娘は、母の感情のゴミ箱になってしまう
母娘の葛藤も日韓に普遍的だ。東京・谷中であった少人数の読書会でも、祖母をケアし、嫌っていた母を看取るコンジュに共感が集まった。
ソンさんはコンジュの母について、「夫の両親のケアをひとりで引き受けることに納得していない。でも、その不満を夫や義母には言わず、娘に愚痴を言う。娘は母の感情のゴミ箱になってしまう」とみている。
そのコンジュが母の葬儀の席で、ホンヨンに「結婚する」と告げる。ホンヨンにカカオトーク(日本でいうLINE)をひっきりなしに送ってきて、夫や姑の愚痴を言い、「妊娠した!」「つわりやばい」と訴えてくるようになる。
それを受けて、ホンヨンは次のように独白する。
「そのたびにコンジュが今経験していることを、自分は少し先に通りすぎたという事実にやけに満足したりしていた」
今ならコンジュの結婚は描かない
「大邱の夜」を描いてから10年以上が経ち、韓国の社会はものすごいスピードで変わっているという。
ソンさんは「今なら、コンジュの結婚は描かないと思う。今は結婚、出産を通した連帯感や、『結婚しても友達であることは変わらない』という言葉には拒否感があります」と話した。
なぜか。
「同じ道を通った」「結婚したもの同士」という連帯感は女性を「既婚者」「未婚者」で対立させているように見えてしまう。同様に「子どもがいる」「いない」も分けてしまう。「〇〇ちゃんママ」と呼ばれることが嫌なのに、子どもを中心にして子どものお母さん同士が仲良くなる関係性をよしとするのも違う気がする、という。
少子化対策が女性たちを分断
いま、韓国は急激な少子化を抑えようと、出産奨励政策として、子どもがいる世帯への補助金を手厚くしている。
「政策で利益を受けるものと受けないものがいる。国家が、既婚と未婚、子どもなしと子どもありの分断を進めているのです」

その渦に飲まれないように、ソンさんが個人的に実践していることは……。
「未婚と既婚で急に考え方が変わると思うことは危険。どちらかの集団に属していると思うと、個人が集団に吸収されてしまう。個人は個人でしかないのに、集団に属していると思うと、集団にかけられた否定的な言葉を全部攻撃と感じてしまう。私だって、自分の選択を後悔することはいっぱいある。それなのに、自分と違う選択をする人への反感が攻撃を深めている。属している集団に関係なく、個人として出会って、自分の考えを押しつけないようにすること。それがむやみに対立を深めないために必要なことではないかと思います」
「今でも共感できる」とねぎらわれた
谷中の読書会では、古本屋で買ったかと思うほど角が取れた本や、論文の資料かと思うほど付箋がいっぱいついた本を持ってきた日本の読者に「ねぎらわれた」と感じた。
「描き始めて10年、韓国で出版されて8年。この本はもう私の手を離れたと思うことが多い。韓国社会は変化が早く、もしいまこの本が話題になったら批判されるかなと思う。それも当然と思うほど、自分でも後悔がある。けれど日本の人たちに、今でも共感できると言われてなぐさめられ、ねぎらわれた。ここが好きだという場面を大事に考えてくれていた」
女性の決定に男性が口を出す隙はないと言えるまで
東京・神保町で開かれた講演会では最近の韓国事情についても触れた。

世代間対立が深まり、40〜50代の既得権益層に、20〜30代が押しつぶされそうだと感じている。一方で高齢世代はデジタル化についていけず、貧困が深刻だ。
軍隊文化と男女の対立は最高潮にひどく、韓国の男は「女も徴兵されて軍隊に行け」と言い、女は「だったら軍隊に送って、(社会の中で)同じ待遇にしろ」と返す。
2021年に堕胎罪が廃止されたが、代わる法律が制定されず、中絶した女性は罰せられないが、処置した医師が罰せられる可能性が残っているため、中絶が広がらない。
ソンさんは言う。
「堕胎罪をなくせ、とデモをしてなくしたけど、相変わらず女性の自己決定権は実現されないまま。女性が自分の身体について決める権利がいつになったら与えられるのか。女性の決定に男性が口を出す隙はないと言えるまで、どれだけ闘い続けなければならないのか」
韓国の若い世代で「フェミニスト」という言葉を「男の権利を剥奪する女」と否定的な意味で使う男性が増えている、とも話した。
「でも、女はそれほど男を嫌っているわけではないんです。自分たちがいじめられ、差別されてきた辛さをやり返したいわけじゃない。ただ、もう少し平等で、もう少しマシな世界を作りたいだけ」
講演会の締めくくりの言葉は、韓国だけでなく、日本にもアメリカにも共通する「願い」だった。
「スピード感をもって大きな世論が作られると、みんながついていってしまう傾向がある。どうか立ち止まって個人を、多様性を尊重してほしい」