子どもの学校での性被害、「信じない」のは誰? 「言えないことをしたのは誰?」の著者、漫画家のさいきまこさんに聞く

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学校での子どもの性被害 大人が気づけるかがカギ

「言えないことをしたのは誰?」という漫画単行本が7月、現代書館から発売されました。全25話上下巻で計940ページにおよぶ本書が扱うテーマは「教師による生徒への性暴力」。作者のさいきまこさんに、お話を伺いました。

(聞き手・阿久沢悦子)

あらすじ 中学校の養護教諭、神尾莉生は、知らない女性からの電話で、同僚の男性教諭が11年前、生徒に性加害をしたことに気づく。性暴力は現在進行形で、運動部の顧問の立場を利用して行われ、タイプの違う女子生徒3人が次々にターゲットにされる。告発しようとした莉生は「同僚を陥れようとした」と言われ、職員室で孤立してしまう……。

性被害の影響は人生を左右してしまう

——さいきさんは、貧困ジャーナリズム大賞特別賞を受賞した「陽のあたる家」など生活保護や子どもの貧困をテーマにした漫画を書かれてきました。今回、学校の中の性暴力をテーマにされたきっかけを教えてください。

生活保護をテーマにひとり親に取材を重ねる中で、過去の性被害でメンタルダウンして働けなくなくなっている人たちがいることがわかりました。性被害の影響は深刻で、何年も続き、人生を左右してしまう。いつか描くことができればと考えていました。

そんな中で「ルポ保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル」を上梓されたジャーナリストの秋山千佳さんから、養護教諭から「こういう本が漫画になっていたら読みやすい」という声が上がっていると聞き、講談社の「ハツキス」の編集部に企画を持ち込みました。2〜3話で完結するプロットを5〜6本出したのですが、そのうちの1本が「性被害に遭う女子生徒」の話でした。このテーマは2〜3話では扱うことは難しいと考え、1本の長編として描くことにしました。

中学校教員「見たことも聞いたこともない」

——ストーリーを考えるにあたり、どんなところに話を聞きに行かれたのですか?

帝京短大の養護教諭の富山芙美子さんにお会いして、お話を聞きました。長く中学校の保健室に勤務し、教員の性加害事件に対応したこともある方です。

ところが、現役の中学校教員に取材を始めてみると全然、性暴力の話が出てこない。「見たことも聞いたこともない」とか「そういう話をすること自体がためらわれる」という空気。漫画の中で主人公とは別の学校の養護教諭に「同僚の教員に疑いを持つだけで、侮辱でしょ」と言わせていますが、それに近い空気を非常に感じました。

(C)さいきまこ「言えないことをしたのは誰?」 現代書館

——えっ、これだけ、教員による性暴力やわいせつ行為が報道されているのに、ですか?

報道されているけど、それは自分の学校とは関係がない。あくまで「特殊な例でしょ?」という受け止め方が多かったです。性暴力に対応した教員側のケースは富山先生と、もう1ケースぐらいしか聞けなかった。

一方で、被害者は自分が受けた被害を自覚するまでに、長い時間がかかります。名古屋のピアサポートグループで数人から話を聞きましたが、一番若かった人でも20代後半でした。実際に被害にあってから十数年経って、やっと言える人が多いんです。これが、事件の発覚の遅れに大きく影響しています。

あなたが悪いんじゃない

——性被害をテーマにした作品は描き方によっては二次被害を生んでしまうといいます。描き方で気をつけた点はどんなことですか?

自分を含めてあまりにも被害が根深いものだとわからなかった、知らなかった。それが知られていないが故に二次加害が起こっていると思うし、支援の手薄さ、量刑の短さにも影響している。性交同意年齢を13歳から16歳に引き上げたり、グルーミングに関する規定が設けられたりと刑法が改正されても、まだ手ぬるい部分が残っている。それは被害の実態が知られていないからだと思いました。

一方で、「生涯の傷だよ」と訴えたいけど、当事者が「一生の傷」と言われてしまった時には、その人のコア(核)を奪ってしまうし、傷つきを生んでしまうだろうと。

その加減が難しかったですね。

最後は被害を受けた女性が上向きになっていくところまでは描かなきゃとおもいました。現実としては、その後の長い期間に浮き沈みがあるんですが、いったん希望が持てるところまでは描いておくことにしました。

また、当事者は、声を上げられる人はすごいけど、声を上げられない自分はダメだと思いがちです。たとえば、裁判に訴える被害者を描く時にも、「裁判に訴えられて偉い」とか、「加害者をこらしめるべきだ」とかそういう描き方はしないように気をつけました。

できなくてもそれはあなたが悪いんじゃないし、どうしたいかは本人が選択することだというのを前面に出さなきゃなというのはありました。

被害を受けた女子生徒も4人とも違うタイプの子を描き、「こういう子が被害に遭いやすい」という偏見を持たれないように配慮しました。

被害者、支援者の声を「嘘」と決めつける構造

——性被害に関しては被害者も、そして支援者も、訴え出た時に信じてもらえない。まず「嘘だ」と言われる構造も描かれています。主人公の神尾先生が、「思い込みで同僚をわいせつ教師扱いにしたのか」「ひでー、つか、こえーよ」と陰口を言われ、職員室で孤立してしまう過程が非常にリアルでした。

自分は被害を聞いたときに「嘘だ」と思ったことはないので、「嘘だ」と思い込む心理はわからないのだけど。

でも、「嘘だ」と思い込んでセカンドレイプをしてしまう人は少なくない。その心境を、作中の岸先生という女性教師に託しました。「何もなかったということならそれでいい」「それとも言えないようなことをしたの?」と被害にあった子どもを詰問してしまう。

(C)さいきまこ「言えないことをしたのは誰?」 現代書館

あまりにも根深く、この社会に身を置いた瞬間に洗礼を受けちゃっている。被害を受けた子どもが元気がないのは「保健室で甘やかされて怠けている」と見てしまうし、子どもの告発は疑うのが当たり前と思っている。岸先生がそこからどう学び起こしをしていくのか、どうやって「それはおかしい」と疑問を持つに至ったのか。そこから描いていければいいと思ったんですよね。

——被害者の言い分を疑う。そこにジェンダーの問題がありますよね。「女が言っていることは嘘」と、いうか。

2つの側面があると思うんです。

性被害をうけたトラウマで、言うことが二転三転したり、いきなり攻撃的になることがある。それが誤解されて、「女の言うことは信用できない」「被害者は嘘をついている」と言われることがある。これは医学的な問題。

もう一つはジェンダーですよね。「女の言っていることは信用できない」という偏見が根強い。これは社会的な問題。

医学的な問題と社会的な問題が、より合わさって、ぎゅうぎゅうに解きほぐせなくなっちゃっているのかなと。

「私の身に起きていたのはそういうことか」

——読者からはどんな反応がありましたか?

一番多いのは当事者からですね。私も被害に遭っていましたとか。自分は大学の時に教員との関係を恋愛だと思っていたけど、あれはグルーミングだったと大人になってから気づいたとか。作中にも、顧問に憧れて自らお気に入りになろうとする女子生徒が出てきますが、女性の場合、地位が上の男性と付き合っている自分が偉いという錯覚を「起こさせられ」やすい。漫画を読んで、自分に起きていたことはそういうことだったのかとわかった、というのがありましたね。

——単行本が出る直前に、横浜市教委が、教員による児童・生徒への性加害の裁判に教職員を動員して一般傍聴を妨げる「傍聴ブロック」を先導していたことが、明らかになりました。

まさに組織による隠蔽ですよね。学校って本当になんでも内々で処理しなきゃいけない。外に出しては行けないという体質が、一般企業以上にあるのかなという感じがしています。

いじめの処理を見ても明らかです。がんとして事実を認めない。第三者委員会が入ることをぎりぎりまで拒み続ける。そういう体質がある。そこから改めないとどうにもならないんだなと思いました。

「恋愛だと思っていた」という言い訳

——教員による性加害が明らかになった後も、保護者が「この先生は悪くない」「寛大な処分を」と嘆願したケースを取材したことがあります。

学校にも正常化バイアスがかかっている。嘆願する保護者は女親が多いと思うんだけど、こと性暴力のことでは、女性自身にもバイアスがかかるんですよね。それが怖いなと思う。「生徒が誘ったんじゃないか」「先生ははめられたんじゃないか」というのが、女親の口から真っ先にパッと出てくるというのはなんなんだろうと思うんですよね。

——処分を発表する教育委員会の書面でも、教員の側からの「恋愛だと思っていました」「好意を持っていました」という言い訳が堂々と通ってしまっています。

生徒にわいせつ 教諭を懲戒免職
教育委員会は27日、自校の女子生徒にわいせつな行為をしたとして、県央地域の公立中学校の男性教諭(26)を同日付で懲戒免職処分にしたと発表した。教諭は県教委に「好きという感情だけで行動してしまった」と説明し、謝罪している。県教委によると、昨年10月ごろから今年5月ごろ、女子生徒と自宅や学校外の運動施設の多目的トイレ内で複数回性交するなどした。運動部の顧問と部員の関係だったという(2024年8月28日、朝日新聞神奈川県版)

権力勾配があると気づいていてもいなくても、大人が小学生、中学生に恋愛感情を持つのは気持ちが悪いとしかいいようがない。力関係に圧倒的な差があるとも、「おかしい」とも、本人が思っていないのはなぜなんでしょうね? この記事の教諭と同様に、中学生に性加害をして、「本気で好きだった」と言った教員もいます。でもその教員は、すでに結婚していたんですよね。

「もしかして」と気づけるかがカギ

——学校での性加害をなくしていくためには、どういうことが必要でしょうか?

学校で教員から生徒への性加害が起こり得るということを、掘り返して公にしていく必要があります。近年、摘発件数が増えています。それに伴って相談も増えています。スクール・セクシュアル・ハラスメント防止全国ネットワーク(https://nposshp.org/)の相談でも「新聞の記事が出ると、被害を受けましたと50〜60代の人から電話がかかってくる」といいます。何十年も経ってから、あの時私が受けていたのは性被害だったと気づく。被害者が気づくから訴えることができるようになってきたのだと思う。

それでも、まだ氷山の一角ですよ。

もっともっと明るみに出していかなければいけない。

明るみに出る件数が少なすぎるから、教員が自分ごととして、自分の隣で起こっているかもしれないという危機意識が持てない。

知らないと気づかないということもあります。家庭内の性虐待についても、子どもの言葉を聞いて、「もしかして」と気づけるかどうかがカギになる。すべての大人が子どもへの性被害を、現に起こり得ることだと認識していかないといけない。

報道も、1990年代まではほとんど性被害について紙面や放送で扱ってこなかった。最近、子どもの性被害について特集されるようにはなりましたが、被害者の言葉を借りて、被害実態を訴えるだけではなく、なぜ学校で教員がそういうことをできてしまうのか、構造的な問題にもメスを入れて、被害を減らしていく報道が望まれます。


◆「言えないことをしたのは誰?」を学校に置いてほしいという活動が、始まっています。

SNSに感想を「#言え誰を私たちの学校に」を付けて投稿し、学校図書館に置いてもらえるよう後押しします。詳しくはホームページをご覧下さい。

https://sites.google.com/view/iedare-to-ourschool/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

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