私たちはつながっている

記者名:

絶望しそうな社会。だから、つながろう。

時代をつくる最高裁判決

 社会は確実に変わっている。まだまだ変えていける。そんな思いがこみ上げてくる出来事だった。

 2023年7月11日、最高裁判所が一つの判断を示した。経済産業省に勤めるトランスジェンダーの女性が、職場の女性用トイレの使用を不当に制限されたとして国に処遇改善を求めた訴訟で、最高裁は女性の訴えを認め、国の対応を「違法」とする判決を出した。裁判官5人の全員一致による結論だった。

 「一つの職場での、一つの事例」かもしれない。しかしこの判決は、トランスジェンダーの人権がいかに侵害されてきたかを可視化し、社会全体で考えていく出発点になるものだと感じている。
 判決の全文が最高裁ホームページに掲載されている。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/191/092191_hanrei.pdf

 この判決文を読みながら、私は一人の女性のことを思い出していた。

「女の子として生きたい」

 2019年の早春、私は東北地方に住むトランスジェンダーの女性(20代)に話を聞いた。仮名を唯さんとしておきたい。
 出生時、唯さんに割り当てられた性別は「男性」だった。男の子として育てられたが、小学校入学の前後から少しずつ、自分のジェンダーアイデンティティが女性であることに気づき始めた。それからずっと、唯さんは「女の子として生きたい」と願ってきた。

 小学生の時、同級生からよく暴力を受けた。「男らしくない」という理由だった。男子にいきなり蹴られたり、たたかれたり、学用品を隠されたり。中学生になると露骨な暴力は消えたが、代わりに言葉で傷つけられるようになった。「男のくせに」「女っぽくて気持ち悪い」。言い返せば倍になって返ってくると知っていたから、唯さんはじっと聞き流した。

 そんな子ども時代を、彼女は一人で生きてきた。相談できる人はいなかった。インターネットを使える環境はなく、自分の状況を親にも友達にも先生にも、打ち明けることはできなかった。

 唯さんは「私が変なのだ」と自分を責め、死を考えるようになった。
 「自分が何なのか分からなくなった。女の子なのか、男の子なのか、何なのか」。どうやったら死ねるのか考えない日はなかった、と唯さんは言った。

トイレや着替えに悩む

 学校生活の中で、とても困ることがあった。それは「男女別」になる場面だ。たとえばトイレ。割り当てられた性別である「男子」として振る舞っていたが、男子トイレに入ることは非常に苦痛で、誰もいないタイミングを見計らって個室に入った。時間があるときは、人けのない体育館のトイレに駆け込んだ。

 着替えも悩みだった。体育の時間は毎回誰にも見られない場所へ行って急いで着替え、乗り切った。修学旅行で男湯に入ることは、到底、できなかった。怪しまれずに入浴を断るにはどうしたらいいか、必死で言い訳を考えた。

 唯さんに話を聞いた日から、4年が過ぎた。
この社会は、彼女にとって少しでも生きやすいものに変わっただろうか?

深刻化するトランスジェンダーへの差別

 最高裁での歴史的判決とは裏腹に、いまSNS上では、トランスジェンダーの女性への差別をあおる言葉が勢いを増している。その象徴的な道具となっているのが「トイレと風呂」だ。

 トランスジェンダーの権利を保障すれば「『自分の心は女性だ』と偽った男性が、女湯や女子トイレに入ってくるかもしれない」などと不安を煽り、あたかもトランスジェンダーの女性が危険であるかのような印象を与えて憎悪をかき立てる人々がいる。このような言説を真に受けて「確かに不安だ」と言う人がいる。

 こうした言葉を聞いたとき、私は自分にできる限りの説明と反論を試みる。
 「男性が女子トイレや女湯に侵入するのはただの犯罪行為。偽って侵入する男性が問題であり、トランスジェンダーの女性は無関係だ」と。

 虚しくなる。問題が、どんどん本筋からそれている。
 私たちが目指していたのは、唯さんのような子どもたちが自分を責めず、死を考えずに学校生活を送れる社会にしていくことのはずだ。

 「トイレと風呂」の話は、本筋ではない。しかしこの話に触れるたび、私は、子ども時代の唯さんを思う。
 こっそり体育館のトイレに走る姿。
 体育着を手に誰もいない場所を探す姿。
 修学旅行のお風呂をどう断ろうか、一人で考えている姿。

 こういう日常を生き抜いてようやく大人になった彼女たちが、なぜまた傷つけられなければならないのだろうか。

社会が変わってきたからこそ

 いったいなぜ、どこで「潮目」が変わったのだろう。
 少なくとも数年前まで、LGBTQ+の人権をめぐる問題がようやく広く認知されてきたという、かすかな手ごたえがあった。

 たとえば2016年には、愛媛県の中学校で男女別のトイレのほかに誰もが使える「みんなのトイレ」がつくられたというニュースを目にした。LGBTQ+について学んだ生徒たちがアイデアを出し、実現したものだった。
 2015年以降はパートナーシップ制度(※同性カップルを婚姻に相当する関係と認めて証明書を発行する制度)を導入する自治体が全国に広がってきた。
 2023年5月には、元首相秘書官の差別発言(※LGBTQ+について「見るのも嫌」などと発言した)をきっかけとしてLGBT理解増進法案が国会に提出され、6月16日に可決・成立した。

 一方、この法案が国会に提出された時期からの1、2カ月で、「トイレと風呂」を使ったトランス女性への差別が急速に広がっていった。今回の最高裁判決に対しても、トランスジェンダーの人権を否定するようなコメントが見られる。

 社会は着実に変わっている。マイノリティーの可視化が進み、さらに次の段階へと。だからこそ、マイノリティーの人権を奪おうとするバックラッシュ(反動)が起きているのかもしれない。

私たちは連帯している

 女性への差別は終わっていない。むしろ、根を深めているように思う。
 「女性の安全」をたてにトランスジェンダーの女性を差別する動きが、それを物語っている。

 2022年9月に日本語訳が刊行された「トランスジェンダー問題」(ショーン・フェイ著、高井ゆと里訳)の書き出しに、こんな言葉がある。
〈トランスジェンダーが解放されれば、私たちの社会の全ての人の生がより良いものとなるだろう。(中略)依然として資本主義的であり、家父長制的であり続けている世界。そして、その世界を生きる人々を搾取し、格下げしている世界。そんな世界の中で平等な存在になることなど、トランスたちは望むべきではない。むしろ、私たちは正義を求めるべきなのだ。私自身のための正義。そして、私たちとよく似た他者たちのための正義を〉

 私たちは一人一人異なる存在だけれど、よく似ている。分断されている場合ではない、と思うのだ。             

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