神戸の在日コリアンの100年を、写真や映像で展示 くらしとことばのミュージアム、今秋開館へ

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神戸の在日コリアンの「くらし」と「ことば」の歴史を写真からたどってみたよ

日本でも有数の在日コリアンの集住地区、神戸市長田区で、その100年以上にわたる暮らしの変遷を記録するミュージアムが、この秋の開館を目指しています。名称は「神戸在日コリアン くらしとことばのミュージアム」。

現在、設立資金をクラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/736879)で募っています。

展示予定のたくさんの家族写真を紹介するとともに、このミュージアムに込めた思いを、資料館設置準備の会の金信鏞(キム・シニョン)さん(71)、落合知子さん(56)に伺いました。

家族写真を手にする金信鏞さん=神戸市長田区

両親の故郷で見つけた家族写真

金信鏞さんは山口県下関市で生まれた在日2世。父と長兄の後を追って、8歳の時に母、兄たちと神戸に移り住みました。しかし、父はすぐに亡くなってしまい、母が女手一つで4人兄弟を育てたといいます。朝鮮学校に入学したもののなじめずに、日本の公立学校へ。弁護士を目指しますが、当時は司法試験に通ったとしても、司法修習が受けられるのは日本国籍がある人に限られていました。国籍要件を知り、夢が急速にしぼんだ金信鏞さんは大卒後、東京で民族団体の専従になります。しかし、やがて組織が教条主義的だと感じるようになり、神戸に戻りました。

再び民族運動を始めたのは、保護者としてでした。民族名で学校に通う息子がいじめられたのをきっかけに、民族差別の解消を訴え、「神戸在日コリアン保護者の会」を結成。教員や教育委員会に働きかけ、神戸の公立学校で民族学級(オリニソダン)を開くなど、在日3世、4世の子どもたちが朝鮮民族の文化や言葉に触れる機会を模索してきました。

2004年に母が亡くなり、両親の故郷、巨済島(コジェド)を訪ねました。そこで、母が日本に行く前の16、7歳ごろの写真と、自分が幼いころに家族6人で撮り、日本から韓国に送ったとおぼしき家族写真を見つけました。

金信鏞さんが、両親の故郷巨済島で見つけた若き日の母の写真(右)と家族写真

「写真を見て、自分のルーツがここにあると腹に落ちました。民族と出会い、繋がったとやっと思ったのです」

3世、4世の子ども達に民族の文化や言葉を継承する難しさを感じていたけれど、2世の自分でさえも薄れていた。もしかしたらこうした家族写真が民族のアイデンティティーを呼び起こすきっかけになるかもしれない——。

地域の足下から多文化共生を知ってもらう

そう考え、神戸市内の在日仲間に呼びかけて、古い家族写真を集め始めました。寄せられたのは1920〜1970年代のおよそ200点。葬儀や結婚式をはじめ、花見や町工場の風景など日常生活をとらえたものもありました。2010年、12年、16年と3回にわたり、長田区で写真展を開いたところ、日本人も含め連日100人が訪れる盛況ぶりでした。

還暦祝いに集まった親族。朝鮮の暦「檀紀」の表記がある

「家族写真は、在日にとっては民族の暮らし、文化が写し込まれているもの。そして日本人にとっては、共に作ってきた、そして阪神淡路大震災で失われた街の風景が写っているものだったんです」

須磨浦公園での花見。チマチョゴリを着て踊る女性たち

一枚の写真を見ながら、在日コリアンと日本人が「なつかしいなあ」「あんた、写ってるで!」と声を上げて話し込む光景があちこちで見られました。こんな風に地域の足下から多文化共生を知ってもらうことが大事なのではと思ったそうです。

家長が中心。実は右端に写っている男女の結婚写真だという

2014年にJR新長田の駅前に、代表を務める一般社団法人「神戸コリア教育文化センター」の事務所を構えました。長田区の中でもコリアンが古くから集住していた地区です。ここで当事者や研究者から歴史を学ぶ「長田在日大学」や、韓国語教室を開いてきました。

ルーツやつながりを求めて学び合う

センターには、誰でもふらっと訪れることができるコミュニティーカフェも併設し、様々な相談を受けました。「自分の故郷が知りたい」「相続で韓国の親戚と連絡が取りたい」「戦時中に釜山で世話になった人の消息が知りたい」。手がかりを探し、細い糸を一緒にたどりました。

「移住して時間が経ち、民族的なものから遠ざかって行く中でも、ルーツやつながりを求めて学び合う。これが長田のアイデンティティー、地域の宝なんです」と金信鏞さんは言います。

在日の経験が他国から移住者の道しるべに

神戸市には2024年4月現在、1万4638人の朝鮮・韓国人が住み、長田区にはその4分の1にあたる3680人が住んでいます。1980年代後半には長田区だけで1万人を超えていました。地場産業のケミカルシューズの作り手の多くが在日コリアンでした。長田区は近年は東南アジアからの移住も多く、ベトナム1633人、ネパール487人、ミャンマー284人など28カ国の人が暮らしています。

長田区で多文化共生のフィールドワークを長く続けてきた摂南大学の落合知子准教授は「在日コリアンの経験が、他の国から移住し日本社会を作っている人たちの一つの道しるべにもなる」と期待を寄せました。

岡山県で酒屋を営んでいた在日コリアンの女性。手前のやかんからどぶろくを注いで出したという

「くらし」と「ことば」の展示

くらしとことばのミュージアムは、教育文化センターの建物を改修して開館を予定しています。

「くらし」の展示として、1階に、膨大な家族写真のほか、在日コリアンの暮らしぶりを再現したジオラマ、1世の使っていた洗濯石、ホルモンを量り売りしたてんびんなどの生活用具、靴工場の仕事道具などを並べ、センターで聴き取りをした1世、2世のライフヒストリーの映像記録も公開します。

太平洋戦争末期には朝鮮人も徴兵された。神戸の繁華街、新開地の和平食堂前で出征を見送る人々

2階は韓国・朝鮮関連の書籍を集めた市民図書室とし、セミナーなどに利用。交流の場であるカフェも続けます。

長田区はまた、1948年に日本を占領していたGHQ(連合国軍総司令部)の命を受けて、旧文部省が朝鮮学校の閉鎖を命じたことに端を発した抵抗運動「阪神教育闘争」(注1)が起こった民族教育の象徴の地でもあります。

「ことば」の展示として、植民地下での日本語の強制や戦後の朝鮮学校弾圧により、民族の言葉を奪われた歴史、守ろうとしてきた歴史、獲得できないままにきた歴史を、資料を基に伝えます。地域の識字教室「ひまわりの会」で学んだ在日1世のハルモニ(おばあさん)たちの作文や詩、習字も展示する予定です。

長田区で在日コリアンの女性たちが使っていた洗濯棒(右)と天秤=神戸市長田区

金信鏞さんは「京都のウトロや大阪の猪飼野のミュージアム開設に背中を押された。私たちにもできる、と思った。センター10年の集大成として取り組みたい」と話しています。

注1)阪神教育闘争…1948年1月、文部省(当時)はGHQ(連合国軍総司令部)の指導の下、朝鮮人子弟を日本人学校に就学させるよう各都道府県知事に通達を出し、民族学校の強制閉鎖を命じた。これに抗議して同年4月、生徒、教師、父母など1万5千名が兵庫県庁近くの公園に集まり、うち数百名が県庁に突入し閉鎖命令を撤回させた。GHQのマッカーサー元帥は抗議行動を「暴動」として非常事態宣言を公布し、武力で運動を鎮圧した。1700名あまりが逮捕され、そのうち136名が軍事裁判にかけられた。

神戸市長田区にある神戸市立長田南小学校は、当時は神楽小学校という名前で、1946年から2年間、2つの朝鮮学校(建国小学校と朝鮮小学校)が併立していた。同校には朝鮮小学校の校名碑が建っており、毎年校名碑に集う会が催されている。