「女であること自体が罪だと言われているみたい」
インドのドキュメンタリー映画「燃えあがる女性記者たち」の中で、一人の記者がつぶやいた。それは女性の記者として、母親として、私がずっと感じてきたことだった。
私は自分が女性であること、母であることを、できるだけ出さないように働いてきた。子持ちのわりに、できるやつだ。そう思われたかった。誰に? 同僚の男性たちにだ。
私が出産した20年ほど前、職場の女性記者は数えるほどしかいなかった。子育てしながら働く外回りの女性記者は、私が初めてだった。
新聞社の「本流」といわれる政治部や社会部といった部署を、私はほとんど経験せずに働いてきた。
そういう私が生き残るには「本流」で場数を踏む男性たちの2倍、3倍、頑張るしかなかった。
何も積み上がっていなかった
子どもが1歳になったばかりのころ、私は夜勤職場に異動した。挽回のチャンスだと思った。朝刊が刷り上がる午前1時、2時まで働いた。夜勤を終えると祖父母に預けた子どものもとに帰り、一緒に眠った。
数年後には「生活報道」の記者になった。子どもが幼いため労働時間に制約はあったが、夜も土日も、できる限り人々の声に耳を傾けた。ハンデのある自分だから書けるものがあると信じた。ジャーナリズムに「本流」なんてない。私を支えたのは、声を伝えなければという使命感だった。
家に居ても仕事のことばかり。いつもどこか「うわの空」だった。怒っているか、うわの空かという母親だから、子どもにはほんとうに申し訳ないことをした。半端な自分が情けなくなった。女であること、母であることが、私を罪人にしているようにも感じた。
そうして20数年、働いてきた。男性記者のように、いや男性記者以上に働いた、と自分では思っていた。けれどそう思っていたのは、どうやら自分だけだったようだ。
私は気が付いた。組織が求めるのは、結局「本流」での経験なのだと。女であること、母であることを罪に感じながら、私がこれまで積み上げてきたものはなんだったのだろう? いや、実は何も積み上がっていなかったのかもしれない。
まるで「女であること自体が罪だと言われているみたい」。私は新聞社を去ることにした。
踏まれる痛みを知っているからこそ
インドのカースト最下位の女性たちでつくるメディア「カバル・ラハリヤ」の姿は、私に痛みと希望をくれた。痛みは、常に「空気」を読んでいた自分への戒めだ。
組織を出て思うのは、結局、男性中心社会はどこまでもついて回る、ということだ。
「差別を乗り越えていけ」と娘たちに言い聞かせている女性記者のミーラが「そういう私も差別を克服できていない。社会の構造を背負って生きている」と語っていた。だから彼女の「ペン」は強い。踏みつけられる痛みを知っているからこそ、見えてくるものがある。
そして女であること、母であることは、罪などではない。それを罪だと思わせる社会の構造があるだけだ。
この空気の中で闘っていく
宗教色を前面に出すインドの現政権について、女性記者たちが口々に語る場面がある。
「女性の活躍なんてますます難しくなる」「空気が緊迫して恐怖が広がってる」ー。ミーラたちは仲間に向けて「私たちは独自の視点で取材を続けていこう」「この空気の中で私たちは闘っていく」と呼びかける。
国民の8割をヒンドゥー教徒が占めるというインドでは「ヒンドゥー至上主義」が広がり、政治の右傾化が進んでいる。それを象徴する場面が終盤、訪れる。ヒンドゥー教の祭りに熱狂する人々。誰もがそれを支持し、望んでいるかのように見える。その光景をミーラはじっと撮影し続ける。
日本でも、右傾化とジェンダー平等に対するバックラッシュが勢いを増している。私はこれからも、書くたびに葛藤するかもしれない。「おかしいと感じているのは自分だけなのではないか」「声を上げたところで何も変わらないのではないか」と。
だがもう、空気は読まない。楽観できないこの空気の中で、私も闘い続けよう。