毎年9月1日に高校の「先輩」の手記を読み返します。
関東大震災の時に日本人による朝鮮人虐殺が確かに起きた——そのことを確認するためです。
本のタイトルは「関東大震災 女学生の記録」。母校のフェリス女学院(横浜市中区山手町)の150年史資料集の第1集として、2010年の12月に発行されました。
元になったのは「大正拾弐年九月一日大震火災遭難実記」。震災があった1923年の年末から翌年にかけて震災体験を書いた上級生の作文を、10年後に下級生が編纂したものです。151人の体験が収められています。
本科5年の嶋田初江さん(当時16歳)の作文には、こんな風に書かれています。
一夜、とうとう皆まんじりともしなかった。少し明くなったと思ふと、又横浜へ来る人、東京へ行く人がしっきりなく(ママ)通る。(中略)又幸に命は助かつたが、全身やけどをして帰つて来るかしらとて、私は線路に立つて一人一人見て居た。
すると突然、「朝鮮人が井戸へ毒を入れたから、暫く飲まずに居て下さい」と云ふ知らせ。この先水まで飲めないなんて、なんてあはれな事だろうと思つて居る間もなく、「ホラ朝鮮人が山へかくれた」と云ふので、気の荒い若い人達は、手に手に鳶口やふとい棒を持つて山へおひかけて来た。とうとう二人だけはつかまへられてしまつて、松の木へしばりつけられて、頭と云はず顔と云はず皆にぶたれた。気の立つて居る人々はそれでもまだあきたらず、血だらけになった鮮人を山中ひきづりまはした。そして夜になつたら殺そうと話して居た。
ほかにもたくさん、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「火をつけた」「襲ってくる」という伝聞が記録されていますが、実際に日本人が危害を加えられたという目撃談はありません。
こうした朝鮮人をめぐる流言について、戒厳令施行で9月4日に横浜に入った神奈川方面警備部隊の司令官奥平俊蔵陸軍少将は、自叙伝で「ことごとく事実無根」「意外の重大なる恐慌の原因となりしものは不逞日本人のなせるところである」と結論づけています。
一方で、避難場所に一緒に居させてくださいと言う人に、「誰だ?」と問い、「朝鮮人かどうかを確かめた」という記録もあります。
今、記録を読みながら、山の中を追い回され、ひきずり回された二人の朝鮮人の気持ちを想像してみました。ともに大震災で被災しながら、さらに朝鮮人だというだけでひどい暴力に遭い、逃げ場がない状況はどれほど絶望的だったでしょうか?
9月1日前後はSNSで歴史否定派の書き込みが続きます。一次資料にあたりながら、検証を積み重ねてきた先人の努力に敬意を表しながら、私は、私にとって身近な記録を何度でも読み返そうと思っています。