8月27日から千葉市美術館市民ギャラリーで始まった美術展「〈101・人〉 関東大震災から101年—人災の記憶を未来に伝える—」の会場を訪れると、呼びかけ人の宋明樺(ソン・ミョンファ)さん(34)=写真=は、会場の中央に敷かれたカーペットの上に座って話しましょうと案内してくれました。このカーペットはミョンファさんの家で使っていたものだそうです。このように、この美術展は、作品展示のみならず、今までの活動や身近なものも展示しながら、人との関わりの中で問題意識を深めていきたいとミョンファさんは語り出しました。
本展を主催したのは、千葉県に拠点を置く在日朝鮮人1・日本人のアーティストや市民たちによる団体「関東大震災朝鮮人虐殺から101年目を迎えて千葉県の美術シーンを再考しそのあり方を模索するプロジェクト」(愛称「百美+(ひゃくび)」です。
この美術展開催のきっかけは、関東大震災時の朝鮮人虐殺から100年にあたった昨年のことでした。
県の公立施設でも展示されない朝鮮人虐殺
千葉県立中央博物館は、2023年8月から約2ヶ月間、「関東大震災から100年―災害の記憶を未来に伝える―」と題した展覧会を開催しました。それを見に行ったミョンファさんは、「石碑の拓本がメインの展示にもかかわらず、朝鮮人らの虐殺や犠牲者追悼碑について一言もなかったのが衝撃でした。証言は多く残されているのに、県の公立施設でも展示されない。自分たちが動かなければと思った」と言います。
美術の力で表現することは可能なんだ!
ちょうどその頃、神奈川・横浜で開催されていた、日韓のアーティスト約40人による美術展「アイゴー展」を見て、「美術の力で表現することは可能なんだ!」とエンパワーメントされ、23年9月に自身の生活範囲である千葉を拠点に置く在日朝鮮人やアーティスト7人が集まって、実行委員会「百美+(ひゃくび)」を発足したのです。
美術展のタイトルは、千葉県立中央博物館の展示タイトルのパロディで、「100年→101年」「災害→人災」に変えました。
その後、読書会や学習会、フィールドワーク、ワークショップを重ねながら、問題意識を共有し作品制作につなげていきました。
フィールドワークでの出来事が作品に
特に、船橋と習志野・八千代エリアの2カ所で行われたフィールドワークは印象的だったと言います。
船橋のフィールドワークの際、各自<巡りのボックス>を用意し、フィールドワークの中で自分の感想を書いた付箋や、落ちていた小枝などなんでも入れて持ち帰り、最後にどんな箱を作ったのかをお互いに共有するというワークショップをしました。その時、ある参加者が虐殺現場にゴミが落ちているのがすごく嫌で拾ったと言ったのです。それを聞いたミョンファさんはハッとしたそうです。「同じ虐殺現場を歩いていたのに、私は目に入らなかった」と。それは自身の作品づくりにもつながりました。
また、八千代市にある「なぎの原」を訪れた時のことです。ここでは6人の朝鮮人が虐殺されたという記録が残っています2。当日、現場である住宅街の中にある空き地には、看板が建っていたました。下見の時にはなかったものでした。
「避難場所」
土地所有者より災害避難場所、住民交流の場として借用しました。
宗教や慰霊訪問者の立ち入りはお断りいたします。
これを見て参加者はみな驚き、どのような経緯でこんなことになったのか疑問に思いました。「住民の人たちの揺れも感じました。3ヶ月後、これらの看板はなくなっていました」とミョンファさん。
この出来事は後に、共同制作作品<土から記憶を掘り起こす?!>となりました。実際の看板は、宮井優さんの映像作品<屍の上>の中に登場します。
虐殺された6人の朝鮮人は丁寧に埋葬され、その埋葬場所の目印として、こぶしの木(モンリョン)があったそうですが、今はありません。「百美+(ひゃくび)」では、<목련(モンリョン)ーこぶしの木ー>を共同制作することにしました。
身近な素材である巻きダンボールで幹を作り、布や紙を巻きつけていきました。根元はチョゴリを縫う際に使われる布を置きました。
モンリョンの花は、夏用のチョゴリに使われる布モシと朝鮮の伝統的な紙ハンジで作り、観客はその花をホチキスでとめ足していけるようになっています。
虐殺現場の雰囲気、匂いを共有したい
こぶしの木の手前には、ミョンファさんの作品<잡초 뽑기− 雑草 −土の香り>があります。
ミョンファさんは、フィールドワークで虐殺現場のゴミを拾った話を聞き、追悼に対する価値観が変わったと語ります。関東大震災時の虐殺だけでなく、戦時中の強制労働、原爆投下などにより亡くなった朝鮮人を記憶する場、追悼碑や広場などを自分の足で歩き、雑草やゴミがあれば拾うような活動を続けてきました。「地域ごとに生えている草も違い、匂いも違う。そんな雑草たちを乾かして、ガラスの瓶に入れています」と語りました。
ガラスの容器は4つあります。千葉県八千代市(高津観音寺)、山口県宇部市(長生炭鉱)、福岡県飯塚市(無窮花堂)、そして広島県広島市(平和公園)です。
このうち広島のガラスの容器だけは、何も入っていません。「被害を追悼する平和公園には警備員がいて、雑草も生えていない。でもそれ以外の3地域の加害を記憶する場は、国ではなく市民が管理している。だから雑草も生えているのです」。
また、「広島の平和公園内にある追悼碑は「韓国人」表記。敷地の外には、朝鮮人民民主主義共和国への帰国記念時計台。ここで分断が起こっており、憤りを感じる状況があります」とミョンファさん。
「虐殺現場の雰囲気、匂いを共有したい」というミョンファさんは、「101年前と今の朝鮮人の“接点”を見つけたい。そうして初めて差別の根源は繋がっていることを自分のこととして捉えられる」と語ります。
さらにすぐ隣には、ミョンファさんのもう一つの作品〈장고(チャンゴ)ー身近なものを共有する〉があります。日本の植民地支配により、土地も言葉も奪われた朝鮮人。「でも、誰も奪えなかったものもある。歌やリズム、自然を愛する心とか……それらを、当時の朝鮮人と(今を生きる在日朝鮮人である)私は共有できると思い」、ハルモニ(祖母)から受け継がれたチャンゴ(朝鮮半島の伝統的な打楽器)も展示しました。8月31日(土)13時15分から、朝鮮人犠牲者にとって最も身近なチャンゴを使って、証言を残せなかった犠牲者の「証言」を想像するパフォーマンスをします。
思いを重ね合わせて
作家uhi こと鄭優希(チョン・ウヒ)さん(30)も千葉在住の「百美+」実行委員です。uhiさんは東京都墨田区にある朝鮮学校出身で、毎朝スクールバスで荒川を渡っていました。その頃、ハラボジ(祖父)がよくつぶやいていたそうです。あそこで朝鮮人がたくさん殺された、と。
「子どもの時見ていた風景と、虐殺の現場を重ね合わせるのがなかなか難しくて……。証言を読みながらも、自分の中でも風景を重ね合わせられるかなと、思いを重ね合わせて詩をつくりました」とuhiさん。その詩に、映像作家の崔藝隣(チェ・イェリン)さんが撮った映画の数カットを選びコラージュしてポスターにしたのが<流れゆく 遠い道>です。
この展覧会は“対話ありき”でやりたい
会場の中央あたりのくつろぎスペースには、小さな本棚の上に目をひく作品があリます。
これは、2017年から関東大震災時に虐殺された朝鮮人への追悼文送付を取りやめている小池百合子都知事が、朝鮮人虐殺に対する自身の歴史認識を問われた際に繰り返してきた言葉です。この文字は、虐殺被害者の証言が記された紙を切り抜いて作られています。
「百美+(ひゃくび)」は、小池百合子都知事に抗議声明を届ける予定です。
最後に、ミョンファさんは、「この展覧会は“対話ありき”でやりたい。フィールドワークの帰り道に浮かんだ歌とか、呟き……その一つ一つをも美術としてすくっていきたいという気持ちがあります」と語りました。
この言葉の通り、最終日までパフォーマンスやアーティストトークを通じて、“対話しながら観る”美術展は続きます。
美術展〈101・人〉 関東大震災から101年—人災の記憶を未来に伝えるーは、9月1日まで。10〜18時、金・土曜は20時まで。最終日は17時まで。観覧無料。
8/31(土)パフォーマンス、ミニフィールドワークなど。9/1(日)15時半より、アーティストトーク
問合せ:hyakubi.chiba@gmail.com Instagram:@hyakubi.chiba
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〔実行委員出品作品〕
宮井優〈屍(かばね)の上〉
林美蘭〈月、仮面(달,탈)〉
チファ(知樺)〈生を刻む〉
ファヨン〈何が明白な事実かは歴史家が紐解くものだ〉:写真6
uhi〈流れゆく 遠い道〉:写真5
ミョン|樺|ファ〈잡초 뽑기− 雑草 −土の香り〉:写真3
〈장고ー身近なものを共有する〉:写真4
在原汰智〈祈り〉
金明仙〈色褪せない記憶〉
〔共同制作〕
〈土から記憶を掘り起こす?! 〉:写真1
〈목련(モンリョン)ーこぶしの木ー〉:写真2