100年前の関東大震災(1923年9月1日)の直後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「家屋に火をつけた」などの噂に端を発した、日本人による朝鮮人虐殺が関東一円で起きた。犠牲者は中国人や日本人の一部にも及んだ。その記憶を呼び覚まし、犠牲者の恨(ハン)を解く日韓のアーティスト約40人による美術展「アイゴー展」が横浜市青葉区の市民ギャラリーあざみ野で開かれている。8月20日まで。
ヘイトスピーチの隊列に遭遇
企画した高慶日(コ・ギョンイル)さんは、京都精華大に留学して風刺マンガを学んだ知日派。2010年ごろ、東京・新大久保で在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチの隊列に遭遇した。
同行していた友人が「関東大震災時の虐殺を反省していないからあんなことが言える」と吐き捨てるように言ったのを聞いて、当時の状況を調べ始めた。犠牲者が多かった荒川土手での遺骨発掘調査やフィールドワークにも加わった。
「こんな酷いことをなかったことにしてはダメだ」
思いが募り、100年の節目に日韓のアーティストに呼びかけて、展示が実現した。9月1〜10日にはソウル市のチョンテイル記念館でも展示する。
尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が日本との融和政策を進める中、韓国では「関東大震災時の朝鮮人虐殺や戦後補償の問題は、日本ではもう終わったこと」と報道されているという。
「でも、日本に来てみたら市民の学習会や展覧会がたくさん予定されていた」とコさん。歴史の漂白は日本だけの問題ではなく、韓国にもあり、今後もどんな社会でも起きる可能性があると感じたという。
「だからこそ、人類の、人権の問題として記憶を掘り起こし、作品として見せる意味があると思います」
「虐殺から、女性の顔は見えてこない」
出展した女性作家たちに話を聞いた。
大阪に住む在日コリアンのキム・ミョンファさんの「石ころの群像」は、素焼きの小さな玉が関東平野の地図を描いた旗の前後に並ぶ。
玉は虐殺現場となった荒川・四ツ木橋と旧中山道の周辺の土を使って素焼きした。どの玉にも「おっぱい」を示す小さな突起が付いている。
「記録に残っているのは、殺された人、殺した人ともに男性が圧倒的に多い。虐殺の話題からは女性の顔が見えてこなかった。でも、確実にそこに妊婦を含む女性たちがいたんです」。
ミョンファさんの先祖は留学生として来日し、「玉」と呼ばれていた。震災後、「玉」が無事だった一方で、「石」と呼ばれていた朝鮮人労働者が多く犠牲になった。
「いついかなる時でも、玉と石を分けるような分断・差別が、人を殺す。そんなことも表現したかった」。玉を焼いた時、土に紛れていた小石が表面に飛び出してきた。隠しても隠しきれないものが出てきた。そう思ったという。
「女・子どもを守る」の大義名分の下
いちむらみさこさんの版画「鉛に照らされた島の嘆き、祈り」は灰色を基調に、自警団、虐殺された人、現代社会で苦しむ人が層をなして黒い太陽に照らされている。
いちむらさんは「大人になって関東大震災時の虐殺を知り、衝撃を受けた」という。都内の公園でホームレスの仲間たちと暮らす。低所得、女性という生きづらさを抱えてきたが、日本の島で戸籍を気にせずに生きていける特権が、自分にはあるのだと実感した。
関東大震災の時の自警団は「女・子どもを守るため」という大義名分を掲げていた。その方便は有事法制の法理として現在も生きている。
「仮想敵を殺しても安心が得られるわけじゃないのに、恐怖をあおり、女・子どもを盾にして行動制限を課し抑圧する。それはずっしりと鉛に照らされているような感覚として今に続いている」といちむらさんは指摘する。
虐殺された父の血、少年に滴り落ち
福島県郡山市出身の在日コリアン金暎淑(キム・ヨンスク)さんは「100年前、あの日の景色を作る」と題した参加型の作品を出展した。
虐殺があった大正時代の四ツ木橋と白鬚橋のAI合成写真をメッシュ素材に印刷。細かな編み目に来場者が赤いビーズを赤い糸で縫い付けていく。
橋の下に蚊帳を吊って一夜を明かした朝鮮人の少年の上に、橋の上に様子を見に行って虐殺された父の血が滴り落ちてきたという証言から着想を得た。
メッシュ素材にしたのは「遠目にはあいまいで、見えるのに見えない史実」の暗喩だ。
東日本大震災後に上京。関東大震災時の朝鮮人虐殺に触れ、最初は絶望しかなかったが、歴史を掘り起こす日本人市民のフィールドワークに参加し、「事実を見つめている人がこれだけいるんだ」と勇気をもらった。
赤いビーズは血しぶきの表現だったが、来場者が真剣に針を通す姿を見るうちに、「希望の種」のように見えてきたという。「不信や不安を乗り越えて、この橋にきれいな花が咲くように、日韓の市民が種を撒いていきたい」
加害をえぐり、未来に希望
平和や鎮魂をテーマに創作を続ける森妙子さんは、「レクイエム、鎮魂曲」を出展した。紙を強く撚って作った編み目に、和紙でつくった100頭の蝶が止まる。
昨年、「表現の不自由展」に出展された日本軍慰安婦を象徴する「少女像」の、背景に置く「応答作品」として制作された。
韓国では死者は白い蝶になって舞い上がる、という。森さんは「和紙の蝶は、関東大震災で虐殺された人の化身。一見頼りなく揺れる編み目だが、撚った紙は強く、切れることがない」という。史実は容易には毀損できないという思いを込めた。
いずれの作品も歴史修正主義に抗い、100年前に殺された命を、現在に刻む試みだ。一方、東京都の小池百合子知事は過去6年間、関東大震災の朝鮮人虐殺追悼式典に追悼文を送って来なかった。今年も見送りが伝えられている。
だが、歴史から目を背けても、決して「なかったこと」にはならない。
女性たちのアートは、自分の立ち位置から100年前をたどり、加害をえぐり出すと同時に、未来に向けた希望を生み出している。この小さな美術展が日韓合同で開かれたことの大きな意味が、そこにある。
「アイゴー展」は入場無料だがPeatixかGoogleFormで事前申込が必要。問い合わせはaigoten100@gmail.com
(阿久沢悦子)