韓国の作家ハン・ガンさんノーベル賞受賞 翻訳者・斎藤真理子さんに聞く

記者名:
ハン・ガンさんⓒ백다흠

世界がこの人を必要としていた!ノーベル文学賞受賞したハン・ガンの魅力とは

韓国の作家ハン・ガンさん(53)が2024年のノーベル文学賞を受賞したというニュースは韓国をはじめ世界中を駆け巡りました。東アジアの女性として初の受賞となります。

韓国・ソウルの大型書店ではハン・ガンさんの本を買うために連日、長い行列ができています。ノーベル賞受賞(10月10日夜)から10月13日正午までにハンガンさんの作品は累計50万部売れたと報じられました。日本でも在庫切れ・重版中の本が続出しています。

一方、ハン・ガンさんは受賞記者会を開きませんでした。作家で父親のハン・スンウォンさんによると、「娘は、ロシア-ウクライナ、またイスラエル-パレスチナ戦争が激しく、毎日死体が運ばれてくるのに、何のパーティをするのかと言い、記者会見をしないことにした」と言ったそうです。

ハン・ガン(韓江)プロフィール
1970年、韓国・光州生まれ
出版社勤務を経て、作家としてデビュー
2005年、『菜食主義者』で韓国最高峰の文学賞である李箱文学賞を受賞、2016年にはアジア人初のマン・ブッカー賞国際賞を受賞
2017年、『少年が来る』でイタリアのマラパルテ賞を受賞
2023年、『別れを告げない』で韓国人初となるフランスのメディシス賞(外国小説部門)を受賞。24年にフランスのエミール・ギメ・アジア文学賞を受賞した

“世界がこの人を必要としたのだろう”

ハン・ガンさんの主要作品をはじめ、数かずの韓国文学を翻訳されてきた斎藤真理子さんにお話を伺いました。

斎藤真理子さん。撮影:増永彩子

――作家のハン・ガンさんがノーベル文学賞を受賞したことを聞き、どうお感じになりましたか?

まだ若いのでずっと先だろうと思っていましたが、受賞を知って、世界がこの人を必要としたのだろうなと思いました。ジェノサイドを背景に人間の尊厳の回復をテーマとして書いている作家なので、今日的状況に合致しています。

英語圏では、『菜食主義者』と『少年が来る』の2冊、そして『白』(日本語タイトル:『すべての、白いものたちの』)が読まれており、選考理由の「歴史的なトラウマに立ち向かい、人間の命のもろさをさらけ出す強度のある詩的散文」と合致するからです。
『白』も詩的散文という意味では合致しますが、歴史的トラウマが強く出ているのは特に『少年が来る』です。

『菜食主義者』きむ ふな訳 クオン
『少年が来る』井手俊作訳 クオン

――斎藤さんはご著書『韓国文学の中心にあるもの』の中で、『少年が来る』を「光州事件1を描いた小説の決定版」とされていますね。ハン・ガンさんにとって「これは避けられない小説、ここを通過しないとどこにも行けない」作品だったと。
斎藤さんは、そのモチベーションの背景を2010年代の韓国社会の変化だと指摘されています。李明博・朴槿恵両政権の時代は「光州事件に対する態度にさまざまな変化が見られ、インターネット上で事件の犠牲者や遺族へのヘイト発言がくり返されることも多かった。ハンガンがこの小説を構想し、2014年に完成させたのも、そうした事情を受けてのことと見ていい」。その通りだと思います。光州民衆闘争が韓国現代史にあってどれほど重要なものなのか改めて感じます。
今、韓国で話題になっていますが、朴槿恵政権が作った現政権を批判する「文化芸術界ブラックリスト
2」にハン・ガンさんが挙げられていたということも今更ですが納得できます。

「剥奪された存在」だと感じる人にとっては他人事ではない

ーー2021年に発表された『別れを告げない』は斎藤さんが翻訳されていますが、この作品も重要ですよね。

済州島四三事件3を扱う『別れを告げない』は来年1月に英訳が出ると聞いていますが、この作品も歴史的なトラウマに立ち向かうものです。

『別れを告げない』は、非常に深刻なテーマであり、また身体的に痛みを感じるような描写が続くにもかかわらず、読者から、読み始めたら途中でやめることができなかったという声を多数聞きました。自分はなんらかの意味で「剥奪された存在」だと感じる人にとっては他人事ではないというか、惹きつけられるところがあるのだと思います。

生と死の間を彷徨う人間は『少年が来る』にも描かれていましたが、『別れを告げない』でいっそうの深化が見られました。人間の生と死をめぐる想像力の可動域をぐっと広げるような小説です。

同時に、辛くて読めなかった、人間にこんな残酷なことができるのかという感想も多く目にしました。確かにそうなのですが、関東大震災の朝鮮人虐殺の例を見ればわかるように、地球上のどこでも起きてきたことである。そういう点を考慮すると読後の思考が深まるのではないかと思います。

 また、日本に住む在日コリアンの中には済州島にルーツのある人が多く、それらの人々は四三事件にかかわりがあります。ヤン・ヨンヒ監督のドキュメンタリー映画『スープとイデオロギー』を見ればわかる通り、日本社会はこの事件のサバイバーたちと戦後の時代を共にしてきました。その点からも、日本という地で読まれる意義のある作品です。

『別れを告げない』斎藤真理子訳 白水社

――『別れを告げない』は世界22か国で翻訳刊行がすでに決定しているそうですね。
斎藤さんのご著書(前出)で、ハン・ガンさんの「私たちに過ちがあるとすれば、初めから欠陥だらけで生まれてきたことだけなのに」という言葉を引いて、その「修復力」に注目されています。この点にもう少し触れていただけたら……。

これは難しくて短時間で答えが出せませんが、ハン・ガンさんは、痛みを痛みとして感じることが修復、回復の第一歩だと考えているのではないかと思います。

世界はもともと欠陥だらけであり、歴史も傷だらけである。それを一人一人が自分なりの工夫で穴を繕いながら生きていく。人と人のつながりによって生きようとするということではないでしょうか。

そんなことはもうやめてと、あのとき言えたらよかった。そんなふうに生きないで。私たちに過ちがあるとすれば、初めから欠陥だらけで生まれてきたことだけなのに。一寸先も見えないように設計されて生まれてきたことだけなのに。姉さんの罪なんて、いないかもしれない怪物みたいなものなのに。そんなものに薄い布をかぶせて、後生大事に抱いて生きるのはやめて。ぐっすり眠ってよ。もう悪夢を見ないで。誰の非難も信じないで。
ーーハン・ガン「明るくなる前に」『回復する人間』斎藤真理子訳、白水社より

――斎藤さんのご指摘の中で、ハン・ガンさんらの小説は「1970年代生まれの女性作家たちが、父親世代の作家たちの困難をよく知りつつ、そこにも内包された家父長制を解体しながら新しい歴史観を作り上げようとしたことを証明している」という点にも共感しました。

『韓国文学の中心にあるもの』斎藤真理子 イースト・プレス

斎藤真理子さんの最新刊『隣の国の人々と出会う: 韓国語と日本語のあいだ』(創元社)もあります。

なぜ韓国文学に惹かれるのか

――ハン・ガンさんをはじめ、日本でも韓国文学がたくさん翻訳され読まれています。なぜ日本社会の読者は韓国文学に惹かれるのでしょうか? 

どうも、韓国の小説は、読み手の奥深いところから感情や言葉を引き出す力を持っているようです。個人の中に社会があり、社会の中に個人がいる。その相互の関連性を浮き彫りにするような作品が多いので、自分に引きつけて味わったとき、発見があるようです。

これは、非常に厳しい現代史を体験し、今も分断という現実に直面している韓国文学ならではの強さだと思います。歴史が一人ひとりの人間に命中し、貫通しているような印象があります。そこから出てくる言葉の強度と、それでも抱く希望の練り上げ方が魅力ではないかと思います。

――これから韓国文学を読もうと思っている人へ、5冊推薦するとしたらどの作品を上げられますか?

ハン・ガンさんの作品に加えるとすると、以下の5冊です。

  • 『フィフティ・ピープル』チョン・セラン著 斎藤真理子訳 亜紀書房
  • 『娘について』キム・ヘジン著 古川綾子訳  亜紀書房
  • 『父の革命日誌』チョン・ジア著 橋本智保訳 河出書房新社
  • 『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ著 斎藤真理子訳 河出書房新社〔河出文庫〕
  • 『破果』ク・ビョンモ著 小山内園子訳 岩波書店

ハン・ガンさん

ハン・ガン作品リスト(日本語で読めるもの、原作発行年、発表順)
小説
『菜食主義者』きむ ふな訳 クオン 原作2007年
『ギリシャ語の時間』斎藤真理子訳 晶文社 原作2011年
『回復する人間』斎藤真理子訳 白水社 2013年
『すべての、白いものたちの』斎藤真理子訳 河出書房新社〔河出文庫〕 原作2018年
『少年が来る』井手俊作訳 クオン 原作2014年
『別れを告げない』斎藤真理子訳 白水社 原作2021年
エッセイ
『そっと 静かに』古川綾子訳 クオン 原作2007年
詩集
『引き出しに夕方をしまっておいた』きむ ふな・斎藤真理子 訳 クオン 原作2013年
「私の女の実」斎藤真理子訳(頭木弘樹編『ひきこもり図書館』毎日新聞出版2021年所収)※『菜食主義者』のもとになった短編。韓国での初出は1997年
「京都、ファサード」(『あなたのことが知りたくて――小説集 韓国・フェミニズム・日本』河出文庫2022年所収)※もともとは2019年に『文藝』の特集「韓国・フェミニズム・日本」に書き下ろし

ハン・ガンさんは音楽と歌が大好きで、自作の曲もあるほど。『そっと 静かに』の巻末付録だった歌をYouTubeで聴くことができる。

ノーベル文学賞受賞を知らせる電話インタビュー

  1. 光州事件:当事者らは光州民衆抗争と呼ぶ。1980年、全斗換率いる新車部が、拡大した学生の民主化開争と労働者の生存権闘争を鎮圧し権力を掌握するために非常戒厳令拡大措置を敢行(5・17クーデター)。これをきっかけに全羅南道光州市を中心に5月18日から27日まで展開された民衆闘争。一時は光州にコミューン的開放空間が実現した。これに対し、政府は空輸部隊を投入し無差別な暴行や虐殺を行った。韓国現代史の重要な転換点となった。
    その後民主化が進み、95年「5・18民主化運動等に関する特別法」制定で、全斗換、盧泰愚ら責任者が有罪判決を受けた。 ↩︎
  2. 2016年、朴槿恵政権下で現政権を批判する「文化芸術界ブラックリスト」が作られていたことが政府文害により発覚。リストは四つの署名簿から作られていた。セウォル号特別法施行令政府案反対署名、大統領選での文在寅支持署名、2014年ソウル市長選での朴元淳支持署名などで、あわせて9473人に及んだ。その中にハン・ガン作家も含まれていた。2017年、リスト作成・実行を主導した金渫春元大統領府秘書室長と趙允旋文体省長官が逮捕された。 ↩︎
  3. 済州島四三事件:1948年4月3日、米軍占領下の南朝鮮単独選挙に反対し民衆の武装蜂起が起きた。その武力鎮圧のため官憲は数万におよぶ島民を虐殺した一連の事件。この事件は韓国政府によって「共産暴動」とされ、長い間、タブーだった。80年代末以降の民主化の中で真相究明が始まり、2000年「済州4・3事件真相究明及び犠牲者の名誉回復に関する特別法」が制定された。 ↩︎