〈私はほんとうに、保護課にけんかを売りたいわけではないです。保護課から目をつけられるようなことだけは絶対にしたくない〉
秋田市で起きている生活保護費返還問題の当事者であるAさんから、こんなメッセージが届きました。10月30日午後6時過ぎのことです。
翌日の10月31日、Aさんは、この問題を追及している支援団体「秋田生活と健康を守る会」の集会に参加する予定でした。しかし、直前まで参加を悩んでいました。「秋田市との関係」を考えてのことです。
集会の会場は市役所内にある公共施設「センタース」の一室でした。
〈センタースで集まりがあることを保護課は知っているのでしょうか? 保護課にしてみれば、あまりいい気持ちはしないのではないでしょうか〉
Aさんからのメッセージには、そんな不安がつづられていました。私は「くれぐれも無理はしないでください」と返信しました。問題が起きて1年余り。Aさんをはじめとする120人の当事者は、物価高騰のなかで障害者加算を削られ、返還金(誤って支給された過去の生活費を返済すること)を突き付けられ、十分に苦しんできました。これ以上、精神障害に影響することは避けたほうがいいと思いました。
ケースワーカーへの感謝と市への疑念
Aさんにこのような不安を抱かせているのは、まぎれもなく行政です。しかし秋田市の責任を追及して不安が消えるほど、単純な問題ではありません。当事者であるAさんの気持ちは、複雑に揺れ動いていました。
Aさんの胸には、自分を担当するケースワーカーへの「感謝の思い」があります。と同時に、当事者から返還してもらうと繰り返す秋田市への「疑念」もあります。「秋田市とぶつかりたくない」「もう静かに暮らしたい」。けれど「秋田市のしていることはおかしいと思う」「ほかの当事者のためにできることをしたい」――。
自分たちを支援している存在に、苦しめられもするという複雑に入り組んだ状況のなかで、Aさんは「集会に参加する」という行動一つにも深く悩み、ためらっていました。
〈やはり行きます。他人ごとではないから〉
Aさんからそうメッセージが来たのは、10月31日の午前0時すぎでした。
「これほどの規模の問題は、聞いたことがない」
集会では、秋田生活と健康を守る会の後藤和夫さん、弁護士の虻川高範さん、そして生活保護行政に詳しい花園大学教授の吉永純(あつし)さん(公的扶助論)がこれまでの経過を整理しながら、何が問題かをあらためて示しました。
「120人に対して、8000万円にも及ぶ払い過ぎをしていた――本当に『払い過ぎ』かどうかは別として――という事態は、私も生活保護に40年ほど関わっておりますけれども、初めてのことです」。吉永さんが言いました。
吉永さんは京都市役所で生活保護行政に携わった経験があり、現在は全国公的扶助研究会の会長を務めながら生活保護をめぐる裁判や審査請求に関わっています。
「生活保護費は10年前に比べ、単純に計算しても8%以上引き下げられ、現在に至っています。一方で物価高、とくに食費は7、8%上がっています。つまり『保護費が下がった中で食費が上がっている』という状況が当事者には相当の打撃になっています。秋田市の当事者は、障害者加算を取り消されて2割以上の生活費が削られたうえ、さらにお金を返せと言われている。そういうことがいま行われているということを、まずは直視する必要があります」
千葉や岩手での「返還決定取り消し」
秋田市と同様の問題――自治体が障害者加算の認定を誤り、過去に受け取った加算を返すよう当事者に求める問題――が起きた地域では、当事者が県に不服申し立て(審査請求)をし、県が自治体の「返還決定」を取り消したケースもあります。例えば千葉県、岩手県です。
秋田生活と健康を守る会の後藤和夫さんは「秋田市は、返還予定額から自立更生費を引いて返還額を決め、それを1000円、2000円ずつ分割で返還させるという、一見配慮しているかのような方法をとっていますが、それ自体が違法である、取り消す、というふうな裁決をしている県があるわけです。秋田市でもいま、返還決定の取り消しを求めて3人の方が審査請求をしています。当事者に犠牲を押しつけるような姿勢を、変えていければと思っています」と話しました。
すべてが「事後報告」だった
「黙っていたら、過支給分を返せという話が当事者のかたがたに行っていただろうことは、想像に難くありません」。弁護士の虻川高範さんの指摘です。もし当事者が声を上げなかったら、この問題はどうなっていたか分からない、ということです。
昨年秋に明らかになった過支給額は約8100万円。秋田市は当初、この返還額から差し引く品目を「家具家電」などに限り、食費や消耗品は含まないと明言していました。その品目が、当事者側の声を受けて広がったことを考えると、市の判断は決して「自発的」なものだったとはいえません。
市議会への初めての報告は昨年10月。Aさんを含む一部の当事者は、すでにその3カ月ほど前には障害者加算を取り消され、返還を迫られていました。
当事者にしてみれば、問答無用でことが進み、全て終わった後の「事後報告」に等しいものでした。
人が集まり「権力」になったときの怖さ
秋田は狭い地域です。知り合いの市職員の顔を思い浮かべて、私は「秋田市がそこまでおかしなことをするはずがない」と当初は思っていました。しかし、人が集まって「組織」になり「権力」になったとき、一人一人の個人とはまったく別の存在になるということを、忘れてはならないのだと改めて思いました。
虻川さんは、第三者委員会の必要性についても触れました。
「秋田市は『市が間違っていることはもう明らかだからこれ以上調べる必要はない』として、第三者委員会の設置については拒んでいるという状況です。しかし秋田市に責任があるというのであれば、どこにどういう原因があって問題が起こったのか、今後も起こらないようにするにはどうしたらいいのかということを、やはり第三者の目で、外部の目で調査し、原因を明らかにし、今後の再発防止策をつくるべきではないかと考えています」
そして、いま当事者が置かれている状況は人権に照らして大きな問題があることを改めて指摘しました。
「障害者加算を減らされた中から返せということは、健康で文化的な最低限度の生活を営むために支給された基準を――この額も必ずしも十分ではないのですが――さらに下回る生活を強いるということになります。これは人権問題だという認識が秋田市には欠けていると思いました。これは本当に、人権侵害です」(虻川さん)
根底にあるのは精神障害への差別
さらにこの問題の根本にあるのが、精神障害への差別です。秋田市によるミスは、障害者加算の認定の仕方が「身体障害」と「精神障害」で異なっている――言い換えれば、精神障害の当事者のほうが加算を受けにくい複雑な仕組みになっている――という「制度の違い」を見逃していたために起こりました。そしてこの制度をつくったのは、国です。
後藤さんは「身体障害のある方は、身体障害者手帳の等級で障害者加算が認定されます。なぜ精神障害では、それができないのか。ここには障害の種類によって差別をしているという問題があります。障害者差別解消法という法律もあります。そもそも身体障害者と精神障害者の差別をなくせば、この問題は解決するのではないでしょうか」と指摘しました。
差別的な取り扱いについて回答しない国
障害者加算を認定するとき、身体障害と精神障害とで取り扱いに差があることについて、秋田県など複数の自治体は国に制度改正を要望しています。(全文は「地方分権改革に関する提案募集」整理番号270にあります)
しかし国の回答は1次回答、2次回答(9月13日公表)ともに、改正は「適当ではない」というものです。
吉永さんは「(精神障害になぜ差別的取り扱いをするのかという)根本的な理由はいまだ明らかにされていません。最近の国の回答を見ても、何を言っているかさっぱり分かりません」と話します。
「同じ困窮状態であれば、あるいは同じ体の状態であれば、同じ保障をするということは、生活保護では当たり前のことです。ところが(精神障害への差別的な取り扱いの理由について)いまだに国ははっきりしたことを回答しません。精神障害のあるかたの障害者手帳は2年に1回チェックすることになっています。精神障害の症状が不安定なことに対する対応は、運用によってきちっとなされているわけです。生活保護というのは、その世帯の需要(必要性)に応じて行うことが生活保護法8条に書いてあります。同じように需要(必要性)があるにもかかわらず(身体障害と精神障害とで)違いがあるということ自体、おかしいことなのです」
ねじ曲げられる法の原則
障害者加算とはどのようなお金なのか、吉永さんは次のように説明しました。
「加算というのは、付け足しではありません。加算があって初めて、ほかの健常者と同じ生活ができるということです。ですから加算がないということは、最低生活以下の生活になっているということです。これは生活保護法9条にある『必要即応の原則』から導かれます」
「なおかつ生活保護には『貧困などの状態になった原因を問わない』という『無差別平等原理』という非常に重要な原理があるわけです。ですから、年金であっても手帳であっても、同じような生活困窮状態にあれば同じような加算を支給しなければいけない。これが生活保護の原理なんです」
なぜ法の原則が、秋田市で起きたような実際の問題ではここまでねじ曲げられてしまうのか。吉永さんは、次のように語りました。
「精神障害の保健福祉手帳ができたのは1995年。そこから既に30年近くたっているんですけれども、それでもやはり遅れている面が非常にあって、精神障害のある方が差別されていることが色濃く出ている案件だと思っています」
「身体障害と同じように見てほしい」
この日は当事者も参加し、発言しました。返還請求の取り消しを求めて秋田県に審査請求をしているBさんの言葉です。
「言いたいことは、身体障害者と同等に見てほしい、ということです。私らは物じゃないです。人間なんです。精神的障害になった人じゃないと、この苦しさというのは、分からないと思います。市役所の人にとっては事務的な仕事かもしれませんが、目の前が真っ暗になった方もいると思います。周りが全然見えない、これからどうやって生きていくか、それが全然分からないという方もいると思います。私もそうです」
Bさんは、障害者加算の取り消しと返還請求に対応しなければと考えて、就労継続支援B型事業所で働く時間をそれまでの週3回の午後のみから、週5回のフルタイムに増やしました。
「正直、つらいです。慣れていません、精神的に。でも中には、それすらもできない、外に出ることもままならないという方たちもいると思うんです」
私たちは物じゃない、身体障害と同等に見てほしい。Bさんはその言葉を再度述べて、発言を終えました。
秋田市議会で不採択になった「陳情」
実はこの問題をめぐり、6月の秋田市議会に1件の陳情が出されていました。「当事者に障害者加算の返還を求めないよう要望する陳情」です。
しかし、結果は「賛成少数」で不採択でした。
「当事者に返還を求めないでほしい」という陳情に賛成した議員は9人。このほかの26人は、賛成しませんでした。そのときの「各派の態度」も当日の資料として配られました。
陳情に対する秋田市側の回答には「費用返還を求めていく」とありました。
「返還額を決めるのは秋田市長」
集会では「前日の地元紙の記事を見て、初めて詳しい中身を知って、ひどいと思って参加しました」という市民もいました。そして「なぜこんなことが許されるのか」と怒っていました。また別の参加者からは「市の職員の方では『返還を求めません』と言えないのであれば、市長が、市の責任ですから返還を求めませんと言うべきではないか」という意見も出ました。
集会が終わり、Aさんの方を見ると、泣いていました。「いろんな人があんなふうに言ってくれて、胸が熱くなった」。Aさんがこれまで、当事者としてどれほど孤独を感じ、どれほど心細かったのか。私は、分かっていなかったと思いました。そしてAさんたち当事者の思いと、「不採択」を選んだ議員や秋田市との温度差を思いました。
花園大教授の吉永純さんは、秋田市と同じ問題が起きた愛知県豊橋市で市長らが自らの給与を減額処分し、市職員とともに穴埋めした事例にも触れていました。参加した議員は「政治解決しかない」と言い、秋田市長が返還額について決断するべき問題だと指摘していました。
現場の保護課が判断、決断できる域は、すでに超えているのだとこの日、あらためて実感しました。体調を崩して集会に参加できなかった当事者もいます。1日も早い解決を願いながら、発信を続けたいと思います。
これまでの経緯 秋田市は1995年から28年にわたり、精神障害者保健福祉手帳(精神障害者手帳)の1、2級をもつ世帯に障害者加算を毎月過大に支給していた(障害者加算は当事者により異なり、月1万6620円~2万4940円)。2023年5月に会計検査院の指摘で発覚。市が23年11月27日に発表した内容によると、該当世帯は記録のある過去5年だけで117世帯120人、5年分の過支給額は約8100万円に上る。秋田市は誤って障害者加算を支給していた120人に対し、生活保護法63条(費用返還義務)を根拠に、過去5年分を返すよう求めている。
【参考資料】
・東京新聞TOKYO Web 2024年9月10日 <視点>生活保護訴訟 政治への忖度を許すなhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/353145
・千葉日報 2024年7月10日 生活保護費13人に返還求めず 印西市の過大支給問題、千葉県裁決受けhttps://www.chibanippo.co.jp/news/national/1247495
・内閣府「地方分権改革に関する提案募集」https://www.cao.go.jp/bunken-suishin/teianbosyu/2024/teianbosyu_fushokaitou2.html
・あきた市議会だより195号 https://www.city.akita.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/317/tayori195.pdf
・東愛知新聞 生活保護費過払い問題で副市長らが一部補てんhttps://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/1838