2024年12月3日の尹錫悦(ユン・ソンヨル)政府による非常戒厳の宣布は、韓国政治史に大きな傷を残しただけでなく、韓国市民社会のトラウマと負の遺産を呼び起こした。国会議員や市民たちの必死の努力によって戒厳は速やかに解除されたが、無謀かつ無責任な権力者によって、韓国の憲政秩序と民主主義は一夜にして大きく揺るがされた。2025年が明けてからも政治的混乱の日々は当分続くであろう。
2024年の大統領弾劾デモは多くの点で以前とは違っていた1。もっとも大きな特徴は、若い世代の女性たちが大いにデモを盛り上げていたことであった。デモの参加率のデータ(通信データをもとに推計する生活人口統計)でも、20〜30代の男女の差は歴然としていた。たとえば戒厳後の週末に行われたデモの参加率は、20代女性が18.9%と最も高く、20代男性は3.3%と最も低かった。こうした違いはなぜ生まれるのだろうか? 若い女性たちはなぜデモに積極的で、若い男性たちはなぜ消極的なのだろうか。本記事ではこうした問題に焦点を当ててみたい。それはつまり、女性たちのデモ参加の背景にいかなるジェンダー問題が横たわっているのか、ということである。
南泰嶺に集まった若者たち
その前に、この怒涛の2024年12月に起きた出来事について、もう少し現場の雰囲気と熱量を伝えておきたい。クリスマス目前の12月21〜22日にかけて、韓国南部の全羅道・慶尚道から来た農民たちがソウル南部の南泰嶺(ナムテリョン)で警察と対峙するという事態が起きた。農家の生活に関わる法律案を拒否した政府に反対し、トラクター37台、貨物車50数台とともに大行進をおこなった農民たちが、ソウルに入る目前で道を遮断されたのである。農民トラクターデモの企画者は、SNSを通じて緊急の呼びかけをおこなった。「市民のみなさん、南泰嶺峠に来てください」。
その日の夜には数千人の市民が南泰嶺に集まった。先の生活人口統計によると、集まった市民のうち20〜30代女性が全体の42.64%にのぼった。多くはSNSで現場の様子を見て居ても立ってもいられなくなった若者たちであり、なかには農家で生まれ育った者たちもいた。若い男性の参加者も戒厳直後より増えていたが、参加した者たちはみな「ほとんどが若い女性たちだった」と口を揃えて言った。老年の農民と若い女性という、これまでになかった新しい連帯のかたちに市民社会は大きく鼓舞されていた。参加した若者たちは、みな思い思いの連帯の言葉を残した。
「両親が一睡もできずにこの場に閉じ込められている。申請して許可されたデモなのになぜ警察が阻むのか」、「不条理な国家の失敗をただすために、畑仕事に使うトラクターでアスファルトを走ってきた農民たちと共に」、「農民たちが無視されることに、女性として憤りと悲しみを覚えた」、「人数が多いほど暴力的には鎮圧できないということを体感した」、「本当の世界はネットの外にあった。世界への愛を経験した」など。「南泰嶺の戦い」と名付けられた農民デモは、警察が撤収するまで28時間続いた。
そして、国会前デモの時もそうであったように、南泰嶺でもまた多くの食べ物と飲み物、カイロ、ブランケット、耳あて、手袋など防寒グッズが誰からともなく支給された。ひときわ寒い夜であった。匿名の差し入れやシェアは、もはや韓国のデモには欠かせない文化となった。ここでもまた若い女性たちは先頭に立っていた。記事にアップされた当日の写真をみると、ティッシュやおやつや薬を詰め込んだ大きなバッグを抱えている姿、あるいはゴミを袋にまとめている女性たちの姿が目に入ってくる。若い女性たちの連帯行動は、SNSを通じたKpopのファンダム活動に慣れているためだというが、それだけでは説明がつかない。彼女たちはなぜそこまで動けるのだろうか。
尹錫悦政府とアンチフェミニズム
女性たちのデモ参加の背景には、ここ数年のあいだに積み重なった尹錫悦政府に対する怒りがある。このことを見くびってはならない。韓国ではよく知られていることだが、尹錫悦は大統領選候補だった頃から「女性家族部廃止」2を公約とするなど、アンチフェミニストたちの票集めを意識した扇動的な振る舞いをおこなってきた。大統領就任後も廃止方針を明確にし、現在までも長官不在の状態にしておくことで女性家族部を形骸化させてきた。その他にも、内閣女性クォータ制の廃止、女性の兵役義務化、女性団体に対する監視の強化など、ジェンダー問題をめぐる女性たちの取り組みを否定するような政治をおこなってきたのである。
前大統領の文在寅(ムン・ジェイン)が表面上はフェミニズムに親和的であったことから、メディアは「男性たちへの逆差別」という主張を文政権批判と絡めてくりかえし強調した。その過程で生まれたのが「イデナム(20代男)」という言葉で表象された「悔しい男たち」であった。アンチフェミニズムを糧に、この「イデナム」たちを支持基盤として登場したのが尹錫悦であり、また当時「国民の党」代表をつとめた若手政治家の李俊錫(イ・ジュンソク)であった。彼らは事あるごとに「構造的な差別はなくなっている」として、ジェンダー不平等を個人の能力の問題にすりかえていった。そして彼らこそが男の悔しさを代弁してくれると思っ(てしまっ)た若い男性たちは、バックラッシュの先鋒となっていった。つまり尹錫悦政権は最初からアンチフェミニズムと社会的不平等をエンジンにして出発したのだ。
いうまでもなく、ジェンダー平等は韓国において幻想のまた幻想である。教育における機会の平等が達成されている一方で、賃金・労働格差の面では、韓国はOECD国家のうちで性別による賃金格差が最も大きい国である。そもそも労働時間が極端に長く、男女ともに育児休暇の取得率が極端に低い。結婚・出産・育児・ケア労働のための退職は次第に減ってきてはいるが、2023年にも135万人の女性がキャリアを中断した。一度空白期間を経ると職場復帰、ましてや昇進などが難しくなるのは日本も同じだが、韓国では制度や企業文化、人々の認識などにおいてより厳しい状況にある。こうした現状こそが非婚や少子化の構造的原因である。
にもかかわらず、女性家族部廃止を掲げた尹錫悦政府は、女性政策全般において予算を大幅に削減し、女性の役割を結婚・出産・養育と結びつけるという、驚くべき旧時代的な政策に転換した3。ジェンダーやケアの観点から労働条件の変化が要求されているこの時代に、政府自らがジェンダー問題への構造的な理解やアプローチを無化したのである。もちろんジェンダーに限ったことではない。冷戦的でネオリべラルな言動を正当化する右派勢力の復活は、民主化以降の韓国社会全般において大後退をもたらしたといえる。
他方で、ここ10年間のフェミニズムの活性化のなかで、その洗礼を受けた多くの若い女性たちの思考や感覚は、尹錫悦に代表される右派政治家たちとは全く逆の方向へと価値づけられている。彼女たちはジェンダー問題だけに限らず、LGBTQ、障害者、移住者、非正規労働者などマイノリティの人権全般への感受性が強い。さらに、セウォル号沈没事故や梨泰院雑踏事故の大惨事をリアルな痛みとして経験している世代である。いくら能力主義や公正性という言葉でオブラートに包んだところで、構造的不平等を容認し、社会的災難の危険性を放置している保守政権の欺瞞に気づかないわけがない。
彼女たちの強みはまた、性暴力に反対する連帯運動の経験を共有していることである。2016年の堕胎罪廃止運動、2019年の#MeToo運動、盗撮ポルノ反対デモ、そして最近のディープフェイクポルノ4反対デモなど。性暴力がより巧妙化、デジタル化するなかで、上の世代以上に構造的なジェンダー不平等が具体的な性暴力に結びつくことを身をもって感じている。女性家族部の廃止も、若い世代の女性たちにとっては、日々の性暴力がより不可視化されるという不安や恐怖の予感と直結しているのである。
このように尹錫悦政権下の3年を過ごした女性たちには怒りがある。行動する正義があり、連帯する文化がある。この根底にあるものがフェミニズムである。
怒りを共にする「異なる人々」
2024年の弾劾デモの過程で、カラフルな応援棒を振りながら叫ぶ女性たちの存在がひときわ目立っていたのは確かである。しかし、デモに参加する若い女性たちを新しい主体かのように評価するのは正しくない。2008年の李明博(イ・ミョンバク)政権下のろうそくデモ(米国産牛肉の輸入規制撤廃に反対した)の際も、ベビーカーを引いた若い母親たちや「ろうそく少女」と呼ばれた青少年たちの参加が話題になった。2016年の朴槿恵(パク・クネ)退陣デモの際、若い女性たちは当たり前に存在した。そして先にみたように、近年では特に若いフェミニストたちが独自のやり方で正義を実践し社会変革を牽引してきた。そうした連帯行動の蓄積が今回の尹錫悦弾劾デモで開花したのは、ある意味で自然なことだった。
各地でおこなわれた集会は、若い女性たちと共に、異なるアイデンティティが発現する場でもあった。集会での自由発言では、自らの職業や出身地や正体を明かし、当事者性にもとづいた言葉を発する人々が多かった。自らをホステスだと名乗ったある釜山市民は、「お前みたいな無知なやつが出ていって何ができるんだ」という声に反発するために、勇気を出して壇上に登ったと語った。「この峠〔大統領弾劾〕を越えることに成功しても、それで解決したとは思わないでほしい」、「周囲の疎外された人々に注意を払って欲しい」という彼女の要求は、怒りを共にした人々に深く鳴り響いた。おそらく、これまで何度発してもまともに聞き取られなかった言葉であったにちがいない。集会の現場は、周縁や底辺に位置付けられてきた人々の言葉の饗宴のようであった。これまでになかった公論の場が開かれたことも、今回の弾劾デモの新たな発見であった。
先にみた28時間の「南泰嶺の戦い」が終わった後、ある関係者はデモの経過とともにそのときの感慨を次のように書いた。
苦痛を直視しようとする心、他人の空腹と寒さから目を背けない心、差別と排除の苦痛を共にしようとする心が人間の心であり、人間の村に咲く花だと思った。私はこれらの顔からセウォル号の子どもたちを見た。セウォル号の子どもたちがその場に来たと固く信じた。死者が生者の道を開けてくれたと信じた。……セウォル号以前の世界と以後の世界は違わねばならないという意思が、人々の胸のなかに怒りの花を咲かせたと思った。……体面と良心が隊列を分散の道から救い出し、憐憫と怒りがトラクターの道を開けた。私は彼ら彼女らの形式の軽さと内容の重さを理解しようとした。私は彼ら彼女らをお腹いっぱいに食べさせるために農業をもっと一所懸命にやりたくなった。5
私は日々の忙しさを理由に、南泰嶺に駆けつけることができなかった。真冬の寒空の下で何時間もデモをするのは、多くの時間と体力を要する。行ける人が行くほかないが、やはり気持ちだけ参加したという人々は、みなそれを申し訳なく感じていた。動けなかった分、このことをぜひ書いておきたかった。上記の発言のなかには、私が2024年12月に学んだことがぎっしり詰まっている。他人の苦痛から目を背けないこと、共に怒ることで繫がること、死者への哀悼を通じて現在の生をとらえ直すこと。後日打ち上げまで行われたこの「南泰嶺の戦い」は、今後も語り継がれることだろう。その主人公はトラクターの農民たち、そして若い世代の女性たちとなるだろう。もちろん、本当の戦いはこれから始まる。怒りを共にすることを覚えた異なる人々がどんどん声を上げるだろう。
(ちょうきょんひ、聖公会大学=寄稿)
- 趙慶喜「女性たちの『消えない光』:ファンダムと共振する民主主義」『世界』2025年2月号。 ↩︎
- 2001年に女性部として出発し、改編を繰り返し現在に至る女性家族部は、女性の権利や家族、青少年問題などの政策に取り組んできた。保守政権の下では役割を果たし終えた不必要な部署だとの批判が強く存廃の危機に置かれている。 ↩︎
- 「尹錫悦政府1年、女性政策を振り返る」(2023.5.31)、韓国性暴力相談所ホームページ
https://www.sisters.or.kr/activity/law/6816 ↩︎ - AIを用いて加工されたポルノ画像や映像。実在の人物の顔と偽物の体を合成して作成されることが多い。 ↩︎
- キム・グァンソクさんのfacebookの書き込み https://www.facebook.com/kwangsok.kang ↩︎
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