地方議会の傍聴者が守るべきルールを定めた標準規則が都道府県、市町村を対象に相次いで改訂された。規則の大幅な見直しはおよそ半世紀ぶり。議会運営のデジタル化や地方自治への「多様な人材の参画」など時代のニーズに合わせた内容となった。傍聴のあり方が変わることで、地方議会に対する関心や政治参加に変化は起きるのか-。地方自治が専門の横浜市立大の新垣二郎准教授に聞いた。
傍聴環境の改善にはどのような意義があるか
地方自治では、議会が行政をモニタリング(監視)し、住民が議会を監視することで良好な循環が生まれる。傍聴席の環境が変わることで、議場や議会に関する情報に対して住民の目が届きやすくなり、住民自治の循環を促す意味では一歩前進したと言える。
一方、仕組みが変われば、実態が変わるとは限らない。議会が「見やすくなった」からと言って、議場に来てもらえるかは別の問題。議会改革に直結する動きとして捉えるのは、早計だ。議論の過程を見せたり、政策課題を説明したりする機会は、傍聴とは別に引き続き工夫が求められる。デジタル技術の活用は、議会の可視化や情報公開に一定程度は寄与するが、現場の課題や住民が必要とする行政情報をどのように収集、分析して伝えていくかは、議会や議員個人の力量が問われる点だ。
残念ながら、議会は住民を信用せず、住民は議会を信頼していない現状がある。経済社会で生きている住民の関心を、地方自治に引き戻すことが重要になってくる。傍聴環境の改善は、そのための武器となる得る。夜間休日議会、通年議会といった議会改革を複合的に進めることで、住民と議会の相互理解を図ることが可能な「開かれた議会」になる

傍聴は地方政治に対する住民の関心に結びつくか
政治に対する国民の関心が高かった戦後の1950年代を過ぎると、国会の傍聴者数の減少に伴い国政選挙の投票率も続落したとの研究がある。統計的な数値はないが、地方議会でも地方選挙の投票率と傍聴者数の減少には同様の傾向がある。高度経済成長、バブル期を経て、住民の日常の関心は政治から離れ「おまかせ民主主義」が進んだ表れではないだろうか。
地方議会では、2000年ごろから改革が叫ばれ、議会中継など広報公聴の機能は充実した。近年の傍聴者数の減少は単に住民の政治離れを示すのではなく、地方政治に関する情報を得る手段が多様化した影響もある
平成の大合併を受けて地方議会を取り巻く環境は激変した
過去30年ほどで地方分権改革が進み、国から委託されていた事務の多くが、市町村の自治事務となった。平成の大合併を経て1990年代に3000余あった市町村は、2010年までに約1700へと減少。地方への権限委譲に伴って自治体の裁量は高まり、予算や人事の権限を持つ行政の存在感は増した。一方、地方議会では議員削減が進み、平成の大合併以前はおよそ6万人いた地方議会議員は、3万人台までほぼ半減。地方議会が関与できる行政サービスは拡大したが、その中で議員がどのような役割を果たしているのかが見えづらくなった。人口減少や議員のなり手不足への強い危機感から、議会改革の議論は盛んになったが、市民の間では依然として議会に対する「不要論」は根強い
地方議会は住民の声に耳を傾けていると言えるか
過去約40年間の住民投票を巡る動き(約300件)を全国的に調べてみると、市町村合併の可否、自治体の再開発計画や学校の統廃合の賛否など議会に提案された直接請求が可決された割合は7.4%。2023年度までの過去5年間、神奈川県内の30市町村(政令市を除く)で陳情・請願の採択率を調査すると、採択率は全体平均38.1%。直接請求に比べてやや反応は良いが、直接請求や陳情請願に地方議会が応えているのかと言われると、ほぼ否。特に議会運営に対する陳情・請願の採択率は5.7%と極めて低く、議会改革に対する住民の要望には地方議会はかなり冷淡だと言える結果だ
多様な人材が地方政治に参加するには
行政側が意見を募る「住民」は、自治会長やPTA会長といった立場の人が多く、各世帯主である男性が中心だ。行政サービスを受ける機会が多いはずの若者や女性、子どもの声が政治の意思決定から弾かれる構造が生まれている。いかに住民に近いところで意思決定の場をつくるかが、解決の鍵になる。例えば、本庁舎管理型ではなく、分庁舎管理型の仕組みに変える。政令市の横浜市では、市内の行政区ごとに人口増減や産業構造が異なり、住民が身近に感じる課題にもばらつきが大きい。課題や地域特性に合わせて行政サービスを生み出す仕組みができれば、行政区ごとに選出される市会議員の役割や重要度に注目が集まり、議員それぞれの工夫や取り組みがより問われる
なぜ議員活動は住民には見えづらいのか
地方議会の役割は3つある。①住民の公的な利益を行政施策に反映させること②自治立法を含む政策立案③行政の予算・人事権などへの監視があり、中でも行政に対する監視が最も重要な機能だと見る向きが強い。ただ、行政側が提出した議案はほぼ全て可決し、地方議会による議員立法は極めて少ない。「役割を果たしているのか」と厳しい目にさらされるのも無理はない。
ただ、議案提出を前に、議員が細かにチェックし、行政側と交渉しながら利害の調整を図る水面下の場面は多い。そうした過程は監視の役割を果たすものの、実質的な議論や駆け引きといった政治的なやり取りを全て公開するわけではない。非公開で議論するからこそ本音をぶつけ合ったり、議員側が行政の実情を知ったりする機会になることも現実にはある。一般市民の目に議論を広くさらすことが、必ずしも地方自治の育成にとって良い方向に向かうとは限らないと思う。
本会議は実質的に討論する場として設計されておらず、事前の通告や答弁書を読み上げるだけの「学芸会」だと揶揄(やゆ)される現状にある。たとえ形式的な場であっても、どのような議案が上程されるのか、誰がどういった政策課題について語るのか、事前に情報発信を行なうことは議会の信頼に繋がる。さらに重要なのは、会議の事前や即時の情報公開は難しくとも、事後に書面や音声を通じて討論や各議員の活動を市民が検証できる体制をきちんとつくることだ
議事録の即時公開や傍聴者の録音録画は制限する議会が多い
議事録の公開や音声や録画画像の公開は、実質的には行政側に運用が任されている。人員や予算の都合で議事録や会議録の即時配布や配信が難しいのであれば、議場での電子端末利用や録音録画といった傍聴者の権利は広く認めていくべきだ。もちろん、SNS投稿を含めた市民よる発信について、どこまでの権利を認めるかについては慎重な議論が必要だとは思う。
議会中継をインターネットで配信している以上、市民の記録活動を制限する合理的な理由は見当たらない。悪意のある編集や不正確な情報拡散を防ぐことと、傍聴者の記録活動を一律に制限することは、そもそも論点が異なる。音声や動画を含めた公的な情報が加工されるリスクは、傍聴者に対する制限で解決する問題ではない。 住民に対して説明責任を果たすためにも、丁寧な議論が必要になる
議会傍聴は今後、どのような議論が望まれるか
議会傍聴や議会に関する情報を得ること自体は、住民による「政治参加」ではない。傍聴はあくまで議会運営の一環であり、政治参加を促す役割といった広い議論はこれまでなかった。
市制・町村制は明治期に公布され、官治と自治のバランスをどのように取るかという視点で制度設計が進んだ。当時、市長は内務大臣が天皇に上奏して、承認を受けて就任していたため、議会の傍聴人による不敬を「取締る」目的があった。大正デモクラシーや女性参政権運動といった市民運動、近年では住民投票の条例化や議会基本条例の制定といった地方自治改革も経て、傍聴が政治参加への一歩を踏み出す前段階として性質が変化してきた。地方議会に対する不信感の払拭に向けても、傍聴を通じて有権者に議会活動の実態を知ってもらう意義は大きい。政治参加への一歩手前の位置付けとして傍聴のあり方を議論していくことが必要だ

新垣二郎(あらかき・じろう)
1980年、東京生まれ。早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士
宇都宮市市政研究センター、地方自治総合研究所常任研究員などを経て、2023年4月より横浜市立大国際教養学部准教授