生活保護の生活扶助基準額が2013年から3年にわたり、平均6.5%、最大10%引き下げられたことは違憲として、全国29都道府県で1,000人を超える原告が国を訴えている「いのちのとりで」訴訟の最高裁第三小法廷(宇賀克也裁判長)での弁論が5月27日に開かれました。この日は13時から大阪訴訟、16時から愛知訴訟について原告側と被告である国側が双方の主張を展開。判決は6月27日に言い渡されます。
原告側の報告集会の会場には310人が集まり、オンラインは107カ所で視聴されました。原告の弁論の内容とともに、その様子を詳報します。
いのちのとりで訴訟 国が2013年から2015年にかけ、段階的に生活扶助基準を平均6.5%、最大10%引き下げたのは生存権を定めた憲法25条に違反するとして、生活保護の利用者らが減額の取り消しを求めて訴えた。提訴は2014年から2018年にかけて29都道府県の地裁で行われ、原告の数は計1000人を超えた。これまでに31の地裁で判決が出され、20勝11敗。11高裁の判決は7勝4敗。2023年4月の大阪高裁(原告敗訴)と2023年11月の名古屋高裁(原告勝訴)で判断が分かれており、今年5月27日に最高裁で弁論が開かれた。
「だいじなもの」を手放しながら生きている
大阪訴訟の弁論では、まず、脇山美春弁護士が「(基準額の)引き下げによって生活保護利用者が受けた影響」について陳述しました。
「この裁判の原告らは、普通に生活をしていたけれど、思わぬ理由で生活保護を利用せざるを得なくなった、どこにでもいる市民です。原告らは、友人や家族といった、当たり前の他者・社会との関わり、『だいじなもの』を手放しながら生きています」
ただ「生かされているだけ」の私
次いで、原告の小寺アイ子さんが陳述しました。
カラオケの常連さんの葬儀、行けなかった
原告の小寺アイ子です。80歳です。私は2000年、カラオケ喫茶「アイアイ」を始めました。常連さんにはとてもお世話になりました。
2012年、初孫が生まれました。店の休憩時間に、お風呂に入れたりして、毎日孫と一緒に過ごしました。今、私は4人の孫のおばあちゃんです。
2013年、私は生活保護の利用をはじめ、「アイアイ」を手放しました。その後の私にとって、お世話になった常連さんに会うこと、孫のために何かしてあげること、それが生きる楽しみでした。
しかし、保護費の中から、そのためのお金を出すのは簡単ではありません。私には難病指定されている病気があり、体温調整がうまくできません。一日中エアコンをつけて家で生活をすることが多く、電気代が高くなります。普通に生活すると、ひと月の保護費は残りません。
それでも、孫や常連さんのため、お金をなんとか作りたいと思い、節約をしてきました。
私は、歩くとすぐに、息があがります。それでも、食費の節約のため、お店を回って安い物を買い、作り置きをしました。服や靴は貰い物です。ご飯をまとめて炊いて冷凍し、寒い時には着込み、電気代を抑えました。お風呂は3日に1回です。
節約してできたお金で、2カ月に1度、常連さんと会うのを楽しみにしてきました。また、孫のために毎日100円貯金をしてきました。たまったお金で、クリスマスと誕生日に、孫達にケーキを買ったり、お年玉を渡したり、ジュースやお菓子を買ってあげました。
しかし、保護費は徐々に減ってきました。2018年、私は、常連さんと会うことをあきらめました。常連さんからのお誘いを断りました。常連さんが入院しても、お見舞いに行けませんでした。常連さんが亡くなっても、お葬式に行けませんでした。
孫のための100円貯金もあきらめた
今の私にとって、4人の孫だけが生きがいです。
しかし、年を取るにつれて体力もなくなってきて、以前のように作り置きができなくなりました。お惣菜屋さんで買うことが増え、食費が高くなりました。
なんとか食費を抑えるため、1回の食事を、おかず1品にすることが増えました。よく買うのは、4個セットで130円ほどの豆腐です。そのうち1つだけを食べて夜ご飯を終わりにすることもあります。
それでも絶対にやめたくなかった孫のための100円貯金はできなくなりました。この4月、2人の孫が中学生と小学生になりましたが、お祝いを渡せていません。遠方に住んでいる孫には、最近会えていません。会いに行く交通費がありません。私の母は、孫にあたる私の娘にピアノを買ってくれました。同じおばあちゃんなのに、私はたった1日100円の貯金すらしてあげられない。私の今の立ち位置ってなんだろうと思います。
裁判官の皆さん。10年以上の裁判をたたかう中で、亡くなった原告もいます。亡くなった方や、声を上げられない生活保護利用者の気持ちを背負い、私の最後の闘いとして今日ここに来ました。
生活保護を受けている人は、毎日白米だけ食べていればいい、と聞いたことがあります。でも私は、人間らしく生きるためには、栄養のある食事をし、家族や友人と過ごすことが必要だと思います。常連さんにも孫にも、何もできていない今の私は、ただ「生かされているだけ」です。
私たちの苦しい生活を考えていただきたいです。
厚労大臣の「広い裁量」が争点に
伊藤建弁護士は、生活保護についての司法判断の変遷を引きながら、「大阪高裁判決の判断枠組みの誤り」について訴えました。裁判の争点の1つが、厚生労働大臣に減額を決定する「広い裁量」が認められるかどうかです。原判決は2012年の老齢加算判決の枠組みを用いながらも、生活保護法8条2項の後段のみをとって、「(基準額の決定には)『最低限度の生活の需要を満たすに十分なもの』との抽象的な要件が存在するのみ」であるから、「厚生労働大臣には広い裁量がある」としました。
これに対し、伊藤弁護士は「老齢加算判決によれば、(基準決定には)社会保障生計調査との合理的関連性が審査されなければならないし、専門的知見も『確立した専門的知見』に限定されない」と指摘。「保護基準が違法となるのは現実の生活条件を無視して、著しく低い基準を設定した場合に限られる」という国の主張に対し、「結果ではなく、基準の判断過程をこそ審査すべきだ」と反論しました。
「デフレ調整」のあり得ない前提
小久保哲郎弁護士は国が主張する「デフレ調整」について、意見を述べました。「デフレ調整」とは「物価の下落に伴い生活保護を減額する」こと。小久保弁護士は「最大の問題は、生活保護世帯が一般世帯以上に教養娯楽費を使っているというあり得ない消費構造が前提にされている点にある。その結果、テレビやパソコン等による物価下落の影響が増幅されてしまった」と主張しました。

国は当初「デフレ調整」の目的を「生活保護世帯の実質的購買力を維持するため」としてきましたが、敗訴が続くと「一般国民との間の不均衡を是正するため」と変遷させました。大阪高裁判決は変遷後の主張を採用し、リーマンショック後の一般国民の生活水準の悪化を厚生労働大臣が認識していたことは容易に理解できるとして、「国民感情」に依拠して引き下げたと追認しています。小久保弁護士は「基準改定で依拠すべきは国民感情のようなあいまいなものではなく、法律のはずだ」と訴えました。
本来は「速やかに引き上げるため」だった
尾藤廣喜弁護士は1970年から1973年まで、厚生省(当時)に勤務した経験を振り返りました。そのときに生活保護手帳と、小山進次郎著の「生活保護法の解釈と運用」を熟読したそうです。「解釈と運用」では、厚生大臣が生活保護基準決定の責任者であるのは、速やかな基準の引き上げを行うため、としています。
その上で基準決定に4つの条件を付けています。
- 基準は、合理的な基礎資料に基づいて算定されなければならない。
- 政治的色彩が混入することは厳に避けるべきである。
- 基準決定の基礎資料は専門的な審議会の調査研究に基づくべきである
- そのため、審議会の部会を設けてその意見を生かす。
尾藤弁護士は「本件引き下げは、これとは真逆の作業である」と断じ、「このような状態を解消することができるのは、司法しかありません」と述べました。
「絶望的な気持ちはずっと消えることがない」
愛知訴訟の弁論では、久野由詠弁護士が「健康的で文化的な生活を護る、人権のとりでとしての最高裁の矜持をもって、当事者の言葉を真摯に受け止めてください」と切り出しました。
次いで原告の千代盛(ちよもり)学さんが陳述しました。

生かさず殺さずがずっと続く
原告の千代盛学、71歳です。私は全く目が見えません。目が見えていた頃は、30年近く和食の料理人でした。その後、糖尿病性の網膜剥離になり、失明して解雇されました。
生活保護は、3回くらい申請して、やっと認められました。ありがたいと思いました。ただ、生活保護でまかなえるのは、ギリギリの「日常の」生活です。
家電製品は壊れても買うお金がありません。冷蔵庫は買って25年くらい、掃除機が30年くらいで、いつ壊れるか心配です。
私は保護の引き下げで2650円の減額になりました。私たちにとっては「10円でも」大切なお金です。前から苦しかった生活は、一段と苦しくなりました。
引き下げ後ここ10年ほど、風呂は冬でもシャワーにして、こまめに止めています。今は物価も上がったので、週に1回しか入れません。以前は友人から誘われ近くの1回100円の温泉に行っていましたが、外に出れば食事などお金がかかるので、やめました。エアコンはできるだけ点けないようにしています。
食材は、目が見えないため、タイムセールに買いに行けません。今は1日1食しか食べられません。5〜6食分作ったものを小分けにして冷凍して、解凍して食べています。障害福祉サービスがありますが、(1ヶ月あたり)家事8時間、同行17時間、病院付き添い34時間と時間制限があり、超えると実費なので、それ以上は使わないようにして家の中にいます。
保護費は生活費に消え、最後に通帳にわずか残るかどうかの繰り返しです。生かさず殺さず、それがひと月とか限られた期間ではなく、ずっとです。毎日お金のことばかり考えます。不安で息が詰まります。
保護費が引き下げられ、絶望的な気持ちになり、それはずっと消えることがありません。
裁判所には、毎日お金のことばかり考えて暮らすことがどれだけ大変か、「亡くなった原告のことも含めて」苦しい思いをして生活している人の実態を少しでも分かっていただき、公正なる判断をしていただきたいです。
保護世帯の8割は単身なのに……
渥美雅康弁護士は「デフレ調整の違法性」について述べました。名古屋高裁判決は「デフレ調整のために生活扶助相当の消費者物価指数を用いたことは、統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性を欠いており、違法」と判断しています。
渥美弁護士は、「所得下位10%の『夫婦子1人世帯』の生活扶助相当支出額を基準に引き下げた」とする国の主張に対し、「生活保護世帯のうち3人世帯は5.5%に過ぎず、約8割が単身で、この基準は比較対象にならない」と指摘しました。さらに、引き下げの影響を見れば、「改定後の保護基準が現実の生活条件を無視した著しく低いものとなりかねないような重大な過誤、欠落があることは明らかだ」として、厚労大臣の裁量の範囲内であるという国の主張は認められないとしました。
多数決原理で少数者の権利を奪ってはいけない
西山貞義弁護士は「この裁判ほど、司法は何のために存在しているのかを意識する裁判はありません」とその意義を述べました。
司法は、政治部門の多数決原理とは異なり、個別事件における法適用を通じて、少数者の権利保護を含む法の支配・法による正義を実現することに本質的役割がある——西山弁護士は内閣法制局長の憲法調査会での答弁を引用しました。
そして、「生活保護は政治的に引き下げられた」「多数決原理を背景にした政治部門であれば、客観的数値や専門的知見に縛られず、少数者の『健康で文化的な最低限度の生活』を自由に奪えるのでしょうか」と疑問を投げかけました。「本件引き下げを司法が容認すれば、政治部門への統制が効かなくなる」とその違憲性を訴えました。
「生活保護のおかげで大学生活を終えられた」
弁論の最後に、1938年生まれの内河恵一弁護士が自身の生涯を振り返りました。

終戦時に7歳。実家は浜松の大空襲ですべてを失い、戦後も貧乏のどん底の生活が続いたこと。夜間高校を出て、その高校の用務員・事務助手として働き、22歳の時、中央大の夜間部に入ったこと。両親は病気で、治療費までは仕送りできなかったこと。上京して間もなく、母から「生活保護を勧められたけど、保護を受けるとお前が結婚できないかも」との手紙を受け取り、「心配しないで」と返したこと。
「私は、まさに『生活保護』のおかげで4年間の大学生活を終えることができました。国のやり方は、保護受給者の状況を理解しようとしていません。仮に貧しくとも、誰もが安心して生活ができ、その生涯を終えることのできる社会であってほしいと心から願っています。生活保護受給者の方々の生活の実態に十分な想像力を馳せ、憲法の精神と生活保護法の定めに従った正義の判決を切に願う次第です」
報告集会では原告からの訴えが続きました。
「食事をすることしか考えられない生活」
●神奈川県厚木市の高橋史帆さん
10年間ずっと大変ではあったけど、この2年ほどの物価の上昇で、「食事をすることしか考えられない生活」になってきた。以前は出かけることにいくらかお金を残しておけたが、出かける用事があってもその交通費も出なくて、あきらめることが非常に多くなった。週に2回入浴するのすら大変になった。ガス代、電気代が上がる。いかに栄養失調にならないかを考えるだけで、すごく心に余裕がない状態です。同じように生活保護を受けている精神障害がある友達は、月3000円〜5000円しか収入にならない作業所を辞めるのが不安だとか、飲食系で賄いが出る作業所を辞めたらどうやって暮らしていいかわからないとか、そういう人がたくさんいる。そのぐらい生活に余裕がない。生活保護の人は遊んで暮らしているなんてことは、ないです。これだけ苦しいとみなさんの周りの人に伝えてほしい。

「人間らしく生きたい」
●相模原市の武田新吾さん
私は28歳で若年性リュウマチになり、仕事を辞めざるを得なかった。33歳から生活保護を受けるようになった。そのときも、自分の気持ちの中では「自立をしなければいけない」ということで、生活扶助費の半分近くを使わずに貯金していた。あの当時は8万4000円あったから、それができた。そのあと、2013年からの引き下げで、毎月約6000円のダウンがあった。それで貯金が難しくなってきた。
私の趣味は旅行だった。旅行に行っておいしいものを食べるとか、人間らしい生活が大事なんだ。それがだんだんできなくなった。
生活保護を利用するということは、極論でいうと「我慢すること」。やりたいことを制約しないと生活できない。憲法でいう「健康で文化的な最低限度の生活」の最低限度とはなんだろうか。それが問われている裁判だと思う。
国の主張において、「生きるだけのレベルがあればいい」というものがあった。
神奈川の裁判は、「人間らしく生きたい」というフレーズで闘った。食べられればいいんじゃないんだということです。政府はデフレだということで引き下げた。いまは3%以上のインフレなんだから、毎年3%上げろというのが本質だと思う。ただ裁判に勝つだけじゃなくて、生活保護基準を引き上げろということが大事だと思っている。
「子が巣立ち、なおさらきつい」
●さいたま市の荒川公雄さん

生活保護を受けた時に夫婦と子ども3人の5人世帯。子どもは一番下が7歳、あとは小学生、高校生だった。当時、私が糖尿病になり働けず、家にお金が一銭もなくなった。
子どもを育てながら生活保護を受けるというのは非常に大変なこと。子どもは夏休みの宿題で、「家族でどこに行きましたか?」ときかれる。生活保護の家庭にそんな余裕はない。実際に、夏の家族旅行は一切行っていない。学校の行事には参加できるけど、家族レジャーはできなかった。
末っ子はずっと教員を目指していた。私は保護世帯からは、教員になれないだろうと思っていた。本人の意志が強くて、無事に昨年4月に大学を出て、特別支援学校の支援員になった。こうして成長する子どもがいたから、生活保護の中でも暮らせたんだろうと思う。
いま、引き下げの裁判をやっているが、物価が上がったら上げるのが当然だ。3人の子どもが巣立って夫婦2人になったが、楽にはならない。なおさらきつい。いまうちには現金が8000円しかない。次の支給日までの5日間、このお金でもたせなければいけない。経験したことがないような生活の中でも、この裁判が続く限りは闘っていく。勝利判決が出るのが当たり前だと思う。負けるというのはあり得ないと、自分自身に言い聞かせています。
ジェンダーバランス欠く法廷
愛知訴訟の弁論を終えて報告集会に駆けつけた久野弁護士は、法廷のジェンダーバランスについて話しました。

「法廷内の男女比がすごく気になりました。国側の弁護団10人は全員男性、最高裁の裁判官は5人中4人が男性。そこでもう半分くらい怒っていた。被上告人として国が最初に弁論をしたんですが、その主張はひどく、怒りが溜まりに溜まって、朝ドラの『虎に翼』のよねさんの『クソだ』というセリフをなんとか飲み込んで、決めた原稿を読むことに徹しました」
「国は原告の生活実態を何もわかっていない。原告から話を聞くと、引き下げられる前から、健康的で文化的な最低限度の生活が保障されていなかったんですね。にもかかわらず、国は繰り返し、『(引き下げに関して)厚生労働大臣の裁量が違法となるのは現実の生活条件を無視した場合に限られる』と主張した。もうずっと前から、あなたたちは現実の生活条件を無視していたではないか、と思い、本当に腹が立った」
判決の蓋を開けるまでやれることをやる
大阪訴訟の原告側代理人で、愛知訴訟も傍聴した尾藤弁護士は「国の弁論は大阪、名古屋とも全く同じ内容だった」と指摘。一方、裁判官が当事者の訴えを「概ね熱心に聞いてくれた」とし、「ありがたかった」と話しました。その上で「事件というのは生きている、最後の最後まで手を抜いたらだめです。判決の蓋を開けるまでやれることをやらなければならない。判決の後、何をするか、内容をどう生かすかを議論し、行動に移していかなければならない。これからも原告と弁護団のまとまりの良さを活かして、頑張っていきたい」と語りました。

いのちのとりで裁判全国アクションは署名活動に取り組んでいます。
5月27日までに最高裁に15万4,997筆を届け、なお続行中。集会では、判決の日までこの取り組みを続けることを確認しました。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc4y7FZ3Ovqj4X1ks_BEtMEyHQtGGlwqK-WDIzIcDZYy5Vemw/viewform
「私たちはあなたたちと同じ人間だ」
記者会見では、もし敗訴するとすればどのような場合か、という質問が出ました。
尾藤弁護士は次のように答えました。
「私が懸念しているのは政治的な問題です。愛知訴訟の一審、大阪訴訟の高裁判決は、ともに政治的判断の介入を認容した。論理の問題ではなく政治の問題となっている。だからこそ世論を高めなければならない。生活実態を無視して、先に基準を決めるような政治でいいのかと。そこを崩せれば勝てます」
世論に訴えていきたいことを問われ、原告の高橋史帆さんは「お前達を生かすために税金を納めていないと匿名の人から言われる。私たちはあなたたちと同じ人間だと言いたい」と話しました。
小久保弁護士は生活保護についての記事に「年金が生活保護費より低いのはおかしい」というコメントがよく付くことについて、「年金が低すぎるのだ。生活保護費はまさしくナショナルミニマム。生活保護バッシングをしていくと、年金生活の足下も掘り崩されることになると知ってほしい」と話しました。

尾藤弁護士は「政府は周到に準備をして今回の“事件”を起こした。社会保障改革推進法のトップで生活保護基準の適正化を掲げたのは、波及効果があるからだ。まず生活保護をバッシングし、基準を引き下げる。すると社会保障全体が下がる。こんなことをやっている国は日本だけです。バッシングによるマイナスイメージは社会に染みこんでいる。われわれの闘いはそういうところから取り組んでいかなければならない」と勝訴に向けた決意を述べました。
判決は6月27日15時に、最高裁で言い渡されます。