2013年から2015年にかけ、生活扶助基準額を最大10%引き下げたことを違法として全国の生活保護利用者ら約1000人が国を訴えた「いのちのとりで訴訟」の最高裁判決からまもなく2カ月。国は原告らが求める生活扶助基準の白紙撤回と被害補償に応じず、異例の膠着状態が続いています。7月1日には福岡資麿・厚生労働相が原告らの頭越しに、判決について検討する専門家会議を設置すると閣議後の記者会見で発表。8月13日にその第1回会議が開かれました。インターネットで会議を傍聴し、いのちのとりで大阪訴訟弁護団の小久保哲郎弁護士に懸念点について伺いました。
いのちのとりで訴訟 国が2013年から2015年にかけ、段階的に生活扶助基準を平均6.5%、最大10%引き下げたのは生存権を定めた憲法25条に違反するとして、生活保護の利用者らが減額の取り消しを求めて訴えた。提訴は2014年から2018年にかけて29都道府県の地裁で行われ、原告の数は計1000人を超えた。これまでに31の地裁で判決が出され、20勝11敗。11高裁の判決は7勝4敗。2023年4月の大阪高裁(原告敗訴)と2023年11月の名古屋高裁(原告勝訴)で判断が分かれ、今年6月27日に最高裁が「引き下げは違法」とする統一見解を判決で示した。
委員に「生活保護基準の専門家がいない」
最高裁判決への対応に関する専門委員会(以下、専門家会議)は生活扶助基準額を決める社会保障審議会生活保護基準部会の下に設置されました。

設置にあたり基準部会の岡部卓委員(新潟医療福祉大特任教授)は「原則公開で行うこと」を要望。「今回の最高裁判決は大変重い」として、専門家会議に次の4点を検討するよう求めました。
①判決を受けて国にどのような義務が生じているか
②判決が問題とした「基準部会の審議を経ずに基準の設定がされた」ことについて、今後の基準部会の関与のあり方
③算定根拠についての見解
④原告、被告、双方の参考人らの意見聴取
専門家会議の委員には基準部会から岡部氏、宇南山卓氏、栃本一三郎氏を除く6人の委員が横滑りし、新たに、太田匡彦委員(東京大教授)、興津征雄委員(神戸大教授)、別所俊一郎委員(早稲田大学教授)が加わりました。太田委員と興津委員は行政法学者、別所委員は経済学者です。
委員の人選について厚労省は記者の質問に対し、「最高裁判決の主旨を吟味し、判決が行政にどのような拘束力を持つのかについて検討するために、行政法の見地からご意見をいただきたい」としています。
一方で、原告側の弁護士らからは「メンバーに生活保護基準の専門家がいない」と懸念する声が上がっています。社会学、社会福祉学の分野から入っているのは2人。新保美香委員(明治学院大教授)はケースワーカー出身ですが専門は困窮者自立支援制度、永田祐委員(同志社大教授)の専門は介護保険、ほかは法学者4人、経済学者3人という布陣です。
「かつて基準部会の委員だった岩田正美さん、阿部彩さん、山田篤裕さんら生活保護利用者の生活の実情を踏まえて基準額の妥当性を判断できる専門家が見当たらない」(小久保弁護士)

傍聴はメディアのみ、配信のアーカイブは非公開
専門家会議は「原則公開」としながらも、会議を傍聴できるのはメディア関係者のみで、撮影は会議の冒頭のみ許可。YouTubeで同時配信しますが、アーカイブの公開はしていません。一般傍聴や、原告、弁護団など当事者の特別傍聴も許可していません。
記者が厚労省にその理由を尋ねると、「ライブ配信を行っていることで原則公開に資しているといえる。アーカイブ配信ではなく、後日まとめる議事録を正式な記録としたい。厚労省の他の検討会でもコロナ以降は一般傍聴を入れていない」という回答でした。
原告と弁護団は8月18日の4回目の厚労省交渉(メディア非公開)で、改めて当事者の傍聴を認めることと、YouTubeでのアーカイブ配信を求めました。このときは「持ち帰って検討する」という返答だったそうです。
原告対応は企画官、専門家会議には局長が出席
原告らとの厚労省交渉には、保護課長以上の職責の人が出席したことはありません。
一方、専門家会議には、岡本利久・大臣官房審議官、鹿沼均・社会・援護局長ら幹部が出席しました。
鹿沼局長は会議の冒頭、挨拶でこう述べました。
「最高裁判決では、(2013年の)改訂当時、生活扶助基準と一般国民の生活水準の間に不均衡が生じていると判断したことについて、統計などの客観的な数字との合理的関連性や専門的知見との整合性に欠けるところがあるとは言いがたい、とされたものの、一方で、物価変動率のみを直接の指標とすることについて基準部会による審議検討を経ていないなど、その合理性を基礎づけるに足りる専門的知見があるとは認められず、デフレ調整にかかる判断の過程及び手続きに過誤欠落があったとして、生活保護基準改定に関する行政処分が取り消されました。厚生労働省としては司法の最終的な判断を真摯に受け止め判決の趣旨及び内容を踏まえた対応のあり方について専門家の先生方にご審議いただく場を設けるべく、本委員会を設置することとした」
そして「非常に重要かつ難しい議論になる」との見通しを示しました。
デフレ調整について後付けの説明
次いで保護課長補佐が2013年保護基準改定の経緯について説明しました。
「2007年の検証結果によると、全国消費実態調査特別集計によれば、所得の下位10%の生活扶助支出相当額より、生活扶助基準額の方が高くなっており、均衡が適切に図られるよう物価変動率を指標とし、デフレ調整とゆがみ調整を行った」
「全国消費実態調査に基づき改定する場合には減額幅が12.6%と大きくなるため、生活保護受給者の生活に配慮する観点も踏まえ、4.78%の減額とした」
これについて、太田委員から「これは当初からの説明ではないですよね。訴訟の中で後から言い出した説明だったと思うんですが」と指摘が入りました。
厚労省は「当時の基準部会において説明をしていた数字と言うことではない。あくまでその後の裁判の過程の中で行政側から説明した内容ということです」と説明の一部を翻しました。
この点は原告団や弁護士らがたびたび「厚労省の主張の変遷」として追及してきた点です。
小久保弁護士は「本来なら12.6%下げるところを4.78%にしたという説明は、愛知訴訟の控訴審の結審直前(2023年7月)に出てきたもの。この説明を専門家会議でもしれっと出してきたのは問題だ」とし、「私たちは違法とされた保護基準改定を白紙撤回して、減額分の完全補償を求めているが、厚労省の説明からはなんとかして減額幅を小さくして補償額を減らそうという意図が見える」と指摘しました。

「裁量権の逸脱濫用」という地雷を再び踏むのか
判決の拘束力については2人の委員から意見がありました。
太田委員は「判決の法的効果を狭く考えるよりも、いったん裁量の逸脱濫用があったとして取り消しを命じられたわけですから、厳密に我々の言う取り消し判決の拘束力が及ばないにしても、同じことをやると地雷を踏んで裁量の逸脱濫用があったと言われそうな点もあるかもしれません。そういう問題があるということを意識しておいてほしい」と述べました。
興津委員が「今回の最高裁判決の主文で言い渡されたのは個々の生活保護受給者に対する減額変更処分が取り消されたというのが一番の結論だと認識している。他方で、厚労省の説明は基準の改定が違法であったかどうかに焦点があてられていると思った。(この会議では)個々の受給者に対する減額処分が取り消されたということの規律をどう考えるのかを検討するのか。それとも、基準改定の違法性を是正するための措置を、個別の事件を超えて一般的に検討するのか?」と問うと、厚労省は「両者についてご議論いただきたい」と返答しました。
原告や弁護団のヒアリング、どうなる?
厚労省は8月末に開く予定の専門家会議の2回目以降に、原告や弁護団(参考人)らのヒアリングを実施したい、という意向を示しています。

原告らは8月18日の交渉で、ヒアリングに応じる前提として、「私たちのヒアリングを一度で終わらせず、議論の先行きが見通すことができそうな終盤にも原告や弁護団へのヒアリングを再度実施すること。原告らの意見を、会議の都度、書面で委員らに配布、縦覧すること」を求めました。厚労省は「持ち帰って検討する」と返答したそうです。
「謝罪」も会議の結論を踏まえて判断
原告らはこれまでの厚労省交渉で、一貫して次の点を求めています。
・違法な基準改定を行い、長年これを放置したことについて、まずは原告及びすべての生活保護利用者に対し、真摯に謝罪すること
・原告及びすべての生活保護利用者に対し、未払いの差額保護費を遡及支給するとともに、生活扶助基準と連動する諸制度(就学援助など)への影響を調査し、その被害回復をはかること
厚労省は謝罪について「専門家会議の結論を踏まえて判断する」と先送りの姿勢に終始しています。
小久保弁護士は「最高裁判決が出ているのに、いつまで違法状態を続ける気なのか。生活保護に対し社会の理解がないことを逆手に取られている。署名活動や地方議会での意見書採択を働きかけて理解を広げて行くとともに、一刻も早い謝罪と補償の実現を改めて求めたい」と話しています。