権力者の言葉を鵜呑みにしないこと メディア不信回復の道筋示す韓国のドキュメンタリー映画「非常戒厳前夜」

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韓国の独立メディア「ニュース打破(タパ)」は2023年9月、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領(当時)への名誉毀損罪で検察の家宅捜索を受けた。この映画はその後1年半にわたる強制捜査と裁判闘争を追ったドキュメンタリーだ。

韓国では名誉毀損を捜査するのは警察。検察が出張ってくるのは違法捜査となる。ニュース打破のキム・ヨンジン代表は事務所への家宅捜索を当初拒否したが、弁護士と相談し受け入れることになった。検察は同時にハン・サンジン、ポン・ジウク両記者の自宅にも家宅捜索に入った。

ニュース打破と尹錫悦氏の対立の火種は10年以上前に遡る。不正融資事件にからみ、当時検察幹部だった尹氏が、弁護士となった後輩検事を被疑者の税務署長に紹介したのか。ニュース打破の2012年時のインタビューに尹氏は「しましたよ」と答えた。

記者の追及をかわそうとする尹錫悦氏(C)KCIJ-Newstapa

2019年7月、尹氏は検事総長就任前の聴聞会でこの発言を覆し、「そんなことはしていない」と証言。ニュース打破は偽証だと厳しく追及した。折しも文在寅(ムン・ジェイン)大統領が検察改革を進めようとしていた時。尹氏はその舵取り役を期待されており、ニュース打破には「検察改革を邪魔するな」という抗議電話が鳴り止まなかったという。

このことからわかるように、韓国の政治状況は単純な右か左かでは測れない。メディアもどの政党、どの政権からも独立していないと、正しい報道がなし得ない。そこにこの事件の一筋縄ではいかない面白さがある。

ハン・サンジン記者は携帯電話を押収され、友人に送った「尹を追い詰める」というショートメールが名誉毀損の証拠とされた。「バカバカしくて、情けなくて」と正直に心情を吐露する。捜査令状に署名しようとして震え、手が止まってしまったなど、被疑者となって気が動転した時の様子も率直に話し、観客の共感を誘う。取り調べでは検察官から416個もの質問を受けたが、多くが陰謀論めいたものだった。

ハン・サンジン記者(C)KCIJ-Newstapa

戒厳令の背景にメディア弾圧

名誉毀損をめぐる第二幕の舞台は報道通信審議委員会だ。同委員会には、ニュース打破の報道を引用した放送局への苦情申し立てが大量に送られたが、その多くがリュ・ヒルム委員長により煽動されたものだった。発信元はリュ氏の関係者ばかり、内容も180件がコピペだった。ニュース打破はリュ氏の弟を直撃し、「兄からは依頼されていないが、知人に依頼された。知人は兄の後輩だ」との証言を引き出す。

打破の記者はリュ氏も追い回す。オフィスの前、エレベーターの中、そして最後には車寄せでマイクを向け畳みかけた。「こんな取材は無礼です」と断られても「あなたがいつも逃げるからでしょ」「広報室に何度も質問状を送りました。答えないですよね?」「事実を確認したいだけです」「苦情申し立てを送れと指示しましたか?」「大統領の指示ですか?」と質問を繰り出す。そのすべてが録画されていることで取材の正当性が担保される仕組みだ。

キム・ヨンジン代表は2024年6月5日、検察に出頭する。居並ぶ他社の記者に「ここに立つべきは誰だと思いますか?」とたずね、尹大統領の妻、キム・ゴンヒ氏の名前を挙げた。「彼女の株価操作とブランドバックの贈答疑惑にからみ、大統領選の有力候補を批判的に報道した。検察の特捜部にとって尹氏は元上司。その名誉を守るために検察の権力を利用した。これは報復捜査といわざるを得ません」

検察に出頭し、記者らの質問に答えるキム・ヨンジン代表(C)KCIJ-Newstapa

裁判や国会での証人尋問が進む中、尹氏は次第にあせりを強め、12月3日の戒厳令に至った。あの戒厳令の背景には、大統領が検察権力と結託してメディアを弾圧しようとした事件があったのだとわかる。

権力者の言葉を鵜呑みにしない

テーマ、ストーリーもさることながら、映像の面でも観客を全く飽きさせない。テレビ報道にありがちなバストショットだけでなく、空撮やニュース映像を多用し、映像に緩急をつける。スタジオでの座談会収録の様子、高い位置から尹大統領逮捕の瞬間を狙うカメラマンたちの張り込みとその成果である映像を差し込むなど、映画のメイキングとしての側面も楽しめる。

韓国でも日本と同様にショート動画やSNSでフェイクニュースが跋扈し、オールド・メディアは信頼を失っているという。メディアはどうあるべきなのか。

映画の中のキム・ヨンジン氏の言葉が、その羅針盤となるだろう。

「全ての記者、韓国のジャーナリズムが不信を抱かれている。私たちにできることは権力者の言葉を鵜呑みにしないことです。検察からの情報を丸写しにした記事はいけません。根拠のある話なのか、どこまでが真実でどこからが誤った情報なのか、そこを検証するのがジャーナリストの役割では? 今日からでも実践できることだと思います」

映画「非常戒厳前夜」
監督:キム・ヨンジン 製作:ニュース打破フィルム
2025年/111分/韓国/ドキュメンタリー
原題 압수수색: 내란의 시작
配給 アギィ
9/6(土)〜東京・ポレポレ東中野 
9/20(土)〜札幌・シアターキノ
9/27(土)〜大阪・第七藝術劇場
10/3(金)〜京都・京都シネマ
10/4(土)〜神戸・元町映画館 ほか全国順次公開

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