生活保護基準額の引き下げを違法とする最高裁判決を受け、対応を検討してきた厚生労働省専門委員会(委員長・岩村正彦東大名誉教授)が17日、報告書案を取りまとめました。専門委員会では行政法学者や経済学者らが判決の拘束力などについて検討を重ねてきましたが、厚労省は一貫して、違法とされなかった「ゆがみ調整」を使った再引き下げの可能性へと議論を誘導。その結果として、原告と原告以外に分け、再減額を行えるかどうかについて、四通り以上の案を併記する報告書案となりました。どの案を採用するかは今後、上野賢一郎・厚労相の政治判断に委ねられることになります。原告らは同日、「再引き下げを断じて容認しない」とする声明を出しました。
厚労省が議論をリード
2013年からの平均6.5%、最大10%の生活保護費減額を違法とし、処分取り消しを求めて生活保護利用者約1000人が起こした「いのちのとりで訴訟」。その愛知、大阪両訴訟をめぐり、最高裁第三小法廷(宇賀克也裁判長)は2025年6月、引き下げを「違法」とする判決を言い渡しました。
判決は裁判官5人全員一致で、引き下げの主要な根拠とされた「デフレ調整」(物価が下落した分、生活保護費を引き下げる)について、「専門的知見との整合性を欠き、厚生労働大臣の判断の過程及び手続きに過誤、欠落があり違法」としました。一方、所得下位10%の世帯の消費実態と生活保護世帯を比較し減額するという「ゆがみ調整」について多数意見は違法とはしませんでした。また、国家賠償請求は、棄却されました。
厚労省は判決を受け、8月から専門委員会を開き、対応を協議。専門委員会ではこれまで「判決の拘束力は名古屋・大阪訴訟の原告のみに及ぶ。原告以外とは区別して検討すべきだ」「判決はゆがみ調整は違法としておらず、ゆがみ調整だけのやり直しは可能ではないか」「低所得世帯の消費水準との比較によって高さ調整(再減額)ができるのではないか」などの議論がありました。
結果として17日取りまとめられた報告書案では次のような論点が併記されました。
①原告については改定前基準との差額保護費を全額支給するが、原告以外については再度減額処分を行う。
②原告についても原告以外についてもゆがみ調整に加えて、高さ調整による再減額改定を行う。
③原告についても原告以外についてもゆがみ調整のみを行う。
④原告についてはゆがみ調整のみを行い、原告以外については高さ調整も併せて行う。
原告と原告以外の扱いに差
専門委員会で興津征雄委員(神戸大教授)は「最高裁は一部取り消しではなく、全部取り消しとしたのだから、原告には満額の追加支給をするべきだ」と話しました。一方で「原告以外には判決の効力が直接及ばないのだから、ゆがみ調整や高さ調整はやり直す余地がある」としました。永田祐委員(同志社大教授)も「日本の社会保障の基盤が違法とされたことは重大」とし、基本的には興津委員に同意しました。
一方、太田匡彦委員(東京大教授)は「ゆがみ調整で再度の基準設定を行うことは許されている」と判決を解釈。「結論だけいうと、原告への再度の高さ調整はまずい。ここについて委員の意見は共通しているので、ご配慮いただきたい」と述べました。
再発防止「明記すべきだ」
また、新保美香委員(明治学院大教授)や永田委員など複数の委員から「再発防止について、報告書に明記するべきだ」との意見が出ました。
岩村委員長は「ゆがみ調整の再実施については、原告について可能かどうか意見が分かれた。高さ調整については厚労相の裁量権の範囲内でできるのではないか」とまとめました。また、原告と原告以外への対応に差をつけることについては「生活保護法の無差別平等原則は、訴訟をしたかどうかを考慮要件としていない。ただし、10年以上争った原告には、紛争の一回的解決の観点から、相応の留意が必要だ」と話しました。
社会援護局長、当事者へのお詫びなく
議論を受け、鹿沼均・社会援護局長は「委員のみなさまにおかれましてはご多忙の中、活発なご議論をありがとうございました。類を見ない重要かつ難しいご議論をいただきました。本委員会の審議結果を踏まえ国会論戦や、実務にあたる地方自治体の意見を伺いながら、厚労省の対応を速やかに決定したい」と挨拶しました。最後まで、生活保護利用当事者に負担をかけ、最低基準以下の生活を強いたことへの謝罪やお詫びはありませんでした。
原告団らが緊急声明
報告書とりまとめを踏まえ、原告団ら「いのちのとりで裁判全国アクション」は緊急声明を発表しました。
① 確定判決を受けた原告については、減額処分の取り消しによって、改定前基準による保護費の給付請求権が生じていることに争いはなく、新たな減額改定は違法な事後的不利益変更であって許されない。
② 生活保護法8条2項は「最低限度の生活の需要」を超える保護基準の設定を禁じているものではなく、本件訴訟の代表訴訟的正確や平等原則からすれば、すべての生活保護利用世帯について改定前基準による差額保護費の全額保障を行うのがもっとも簡明で被害救済にも資することは明らか。
③ 「デフレ調整」による再減額改定は、訴訟の反復禁止効、紛争の一回的解決の要請等に反し許されないとされた通り、“蒸し返し”そのものであり、到底容認できない。
④ 最高裁判決が違法としたのはすべての生活保護利用世帯に適用されてきた厚生労働大臣告示。本件訴訟の代表訴訟的性格や平等原則からすれば、原告とそれ以外の生活保護利用世帯を分ける対応も許されない。
その上で「生活保護世帯の8割は高齢者世帯と重度の障害・傷病世帯であり、本件訴訟に立ち上がった1027名の原告のうち2割を超える233名がすでに亡くなっている。私たちは命あるうちの早期全面解決に向けた適切な政策判断と原告を含む生活保護利用世帯に対する直接の真摯な謝罪を改めて強く求める」と結びました。
敗訴者がコントロールする委員会、公正中立?
大阪訴訟で原告側代理人の小久保哲郎弁護士は「いろんな案が併記され読みにくい報告書になっている。微修正はあるだろうが、厚労省はなんらかの再度の減額処分を行う方向だろう」と話しました。
伊藤建弁護士は「全額補償を支持する委員がいなかったのが残念。蒸し返しできないというのは原告との関係だけでしょ?という意見は到底容認できない」。
西山貞義理弁護士は「厚労省という敗訴当事者がコントロールする委員会は公正中立なのか、始めから疑問に思っていた。私たちの意見は反映されず、委員も厚労省の誘導に引っ張られた」と総括しました。
高木健康弁護士は「明らかに厚労省が主導権を持って(再引き下げの)蒸し返しの提案を次々と行ってきた。旧基準に基づく補償をしたくないというのがありありとわかった」との見方を示しました。
再度減額処分あれば、取消訴訟へ
その上で弁護団は今後、再度の減額処分が行われるのであれば、その取り消し訴訟を提起することになる、との見解を明らかにしました。
9回に及んだ専門委員会の評価について、小久保弁護士は「いくつもの見解を併記し、最終的には政治的判断に委ねるとした。それならば何のための専門委員会か?敗訴した厚労省が基準のやり直しに大きな時間を割き、原告に負担を強いた」と話しました。
埼玉訴訟原告の男性は「検証委員会を開かずに専門委員会を開いたことに最も問題がある」としました。「また同じ過ちを繰り返すことになり、厚労省がやったことのひどさが社会に伝わらない」
愛知訴訟原告の澤村彰さんは「原告側は生活保護基準に紐付いている社会保障制度も含めて見直してほしいと要望してきたが、専門委では全く議論されていない。他の制度も含めて検証の俎上にのせ、反省を今後の社会保障行政に生かしてほしい」と訴えました。
厚生労働省側は原告との行政交渉の席で「原告らに謝罪するかどうかは、専門委員会の議論を踏まえて検討する」と発言してきました。専門委員会では「謝罪の是非」については全く話し合われませんでした。
高市早苗首相は11月7日の衆院予算委員会で、「最高裁で厚労相の裁量による減額に過誤・欠落があり違法と判断されたことについては深く反省し、おわびを申し上げます」と謝罪しました。6月末の判決以降、政府として謝罪の意を示すのは初めてのことです。
原告団は「首相の謝罪は一歩前進ではあるが、生活保護利用者に対して直接、十数年にわたり最低限度以下の生活を強いてきたことをお詫びし、被害者が納得する被害回復策を伴わなければならない」と要求しています。

