SPRINGの留学生排除から留学生学費値上げへ 学問の場に持ち込まれた国籍による差別と分断 お茶の水女子大学博士後期課程の大室恵美さんに聞く

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留学生だけ研究支援から排除、学費値上げ。学問の場にもちこまれた差別と分断

博士課程に進学する大学院生を経済的に支援する国の制度「次世代研究者挑戦的研究プログラム」(通称SPRING)の対象を「日本人」に限定しようとする文部科学省の方針に対し、大学院生らの抗議活動が続いています。学問の場に国籍による差別・分断を持ち込もうとする動きは、「留学生に限って学費を上げる」などの方針を東北大や早稲田大が打ち出すなど、別の形でも進んでいます。排外主義的な政策が大学・大学院にもたらすものについて、「JST-SPRING国籍要件反対アクション」の大室恵美さん(お茶の水女子大学博士後期課程ジェンダー学術研究専攻)にお話を聞きました。(聞き手:阿久沢悦子)

次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)
「わが国の科学技術・イノベーション」に貢献する人材を育成することを目的とし、2021年度に開始。博士課程に進学する大学院生が対象で、「自由で挑戦的・融合的な研究」を支援するために年間最大20万円、「学生が研究に専念できる環境を継続的・安定的に整備」するために生活費として年間最大240万円、その他キャリア開発費、大学事務費等合わせて1人あたり年間最大290万円を支給する。
財源は大学ファンドの運用益で、公募は国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が担う。対象者は約90の大学で審査・選考される。募集要項に国籍に基づく制限はなく、選考にあたりダイバーシティ、SDGsへの配慮を重視するとある。文科省によると2024年度の受給者10,564人のうち、留学生は4,125人。国会では2025年春から、「国益のため、対象を日本人にしぼるべきだ」などの意見が続出。同省は2025年6月、留学生の生活費分を「支給しない」との変更案を有識者会議で示し、翌7月に了承された。

一人でもいいからと始めた抗議活動

——SPRINGの改悪反対に取り組むことになった経緯を教えてください。

2025年の6月当時、実は別のアクションを準備していたんです。日本軍「慰安婦」問題に関するものです。ですので、それまで大学の自治や学費問題に関わってきたわけではありませんでした。研究関心が植民地朝鮮の歴史とジェンダーなので、「慰安婦」問題をやるべきだし、やりたいと思っていた。大学における留学生の地位に関心が最初からあったわけではなかった。昨年3月24日に自民党の有村治子議員が、国会質疑で「外国人留学生、特に中国人の数が多すぎる」と問題化した時も、まさかこんな質問を真に受けて文科省が政策につなげるとは思っていなかった。当初は全くノーマークでした。

6月26日に読売新聞で、「SPRINGを日本人に限る、という方針を決定した」という報道があり、「えっ、あの有村の質問がこんな形で帰結するの?」と思った。

私の博士生活を支える重要なメンバーに留学生の同期、先輩、後輩がいて、彼女たちの顔が浮かんだ。必ずしも全員がSPRINGの対象者ではないけれど、留学生は一律排除ですと聞いたらショックを受けるに決まっている。今まで支えあって、孤独な博士課程をギリギリ乗り切ってきた仲間として、行政が明確に留学生を排除することはあり得ないと思い、一人でもいいから、と抗議活動を始めました。

文科省前で「差別の春は叡智なき冬」と書かれたプラカードを掲げる大室さん(右)=2025年7月東京都

命綱のない崖を登り続けた仲間

——同期の留学生は、大室さんにとってどのような存在なのでしょうか?

博士課程の院生の生活ってめちゃくちゃ過酷なんですよね。

私は社会人を経て大学院に入ったのですが、働けば報酬が得られる社会人とは違い、博士は学費を払い、研究費が取れなければ自腹を切って捻出する。研究も労働ですが、その対価は全く払われず、持ち出しが発生する。

修士課程は、修士論文提出という一つの締め切りに向かって一斉にチームで書いていく、集団スポーツのように併走しながらゴールに向かっていくイメージがあります。一方で博士課程は、締め切りはそれぞれだし、どの学会でどういう発表をするか、論文はどこに投稿するかなど、自分でタスクを設定しないといけない。

そして、すべてが「選択と集中」の名の下に競争させられる。学会報告も論文投稿も全部競争。常に「お前は役に立つ研究をしているか」を問われ続ける。すべてがそのサイクルに取り込まれてしまっている。

私は100%資料調査なので、オフィスで孤独に資料と向き合って作業しているんです。文献調査のための研究費を申請しても蹴られることが多い。研究費獲得競争を勝ち抜かないと研究ができない。

なぜ、この状況を耐えられたのかというと、同期の存在がとても大きい。専攻は私を入れて4人、うち2人が中国人留学生です。

その2人のうち1人は、院生室の配属が同じなので、毎日顔を合わせる。締め切りもテーマも指導教官も違うが、同じ空間に来ていることで声を掛け合ったり、「なんか疲れてる?」「今日は元気そうだね」とお互いを気遣う営みが、大きな力になっていた。

そうやって1日1日を積み重ねてやっと2年半になった。

命綱のない崖を登り続けている。でも、その隣には同じように厳しい状況にチャレンジしている仲間がいる。だから進める。本当にかけがえのない人なんです。ある意味、家族に近い、自分の一部のような感覚。その同期のおかげで今まで来られたというのがある中で、その存在を真っ向から否定する政治、行政には何か言わないと、と思いました。

当事者である留学生は声を上げるのが難しい

——当事者である留学生が声を上げるというのは、難しいのですね。

私の同期は中国人なので、デモにはいけない。中国を批判するデモでなくても、なんらかの抗議活動に参加したことが危険分子扱いにつながってしまう。留学生自身が抗議活動をすることがどれほど危険かはあらかじめ知っていたので、だったら、日本国籍を持っていて在留資格に不安がない私がやるしかないと思い、活動を始めました。

声を上げる留学生には直接のバッシングもあるし、路上での抗議はストーカーされて自宅を特定される危険もある。そうしたリスクを負ってまで抗議活動に参加する留学生もいる。その必要がある状況に置かれているということだと思います。

フェミニズムが陥っていた「日本人ファースト」

——昨年夏以降の排外主義の広がりについて、大室さん自身が感じていることはありますか?

日本はこれまでも、朝鮮学校を無償化から排除するなど、特定のエスニック集団を排除、差別してきたわけですよね。朝鮮学校出身の人から、朝鮮民主主義人民共和国が「ミサイル」を飛ばすたびに、学校に脅迫電話がかかってくるとか、登下校中に脅迫されるとか、チマチョゴリの切り裂き事件が起きたりしたと聞いてきました。それが拡大したんだなという思いです。

植民地主義とジェンダーという研究テーマの中で、一番重視しているのはフェミニストや医療者の植民地責任。この排外主義の拡大がある中で、日本人フェミニストは何をしているのかが気になる。参議院議員選挙の時も、「高齢の女性は子どもが産めない」という参政党党首の発言に抗議する動きがあったが、自分のリプロダクティブヘルス/ライツ(性と生殖の健康と権利)については発言しても、排外主義をめぐってはどこか他人事という感じがある。

日本の社会運動はシングルイシュー主義が強いと言われ、それには一長一短がある。でも、排外主義によりこれだけ深刻な人権侵害が起こっているのに、まだまだ「自分のことじゃないから」とスルーしているフェミニズム運動が多いように見えます。

発言したとしても、今までの日本のフェミニズムやジェンダー研究が明らかに「日本人ファースト」だったことへの反省がない。

アメリカのインターセクショナリティ(差別や抑圧の交差性)理論を輸入した時に、理論の大きな柱である植民地主義が全く抜け落ちてしまった。そのことが不思議だったので、日本のフェミニストが「日本人ファースト」という言葉にびっくりしていても、「え? あなたたち、今まで日本人ファーストだったでしょ?」と思ってしまう。

私は見た目も、ルーツも、国籍も日本人という強い立場で、自身が排外主義の標的になることはあまりない。でも、だからこそやはり、まわりの日本人がどのように責任を感じ、行動しているのかが気になる。フェミニストもまた、「日本人ファースト」を形作る一つの勢力になっていたんじゃないの?と強く感じるようになりました。

新宿駅南東口広場でSPRINGからの留学生排除に反対するDJナイトも開いた=2025年8月、東京都

留学生の存在が日本の安全保障を脅かす?

——SPRINGの問題点について、あらためて列挙していただけますか?

一番の問題は学術や教育の文脈で外国人排除・差別が堂々と政治的、制度的に行われたことです。SPRINGの利害関係者はそんなに数として多くはないけれど、これを食い止めなければどんどん拡大する。現に拡大していっている。SPRINGは排外主義の象徴的な問題なんですね。

二点目は、問題化された文脈です。有村議員が質問した場所は参議院外交防衛委員会だった。議事録を見てみると、有村議員は『中国が攻めてくる』『日本はまさに侵略されている』とずっと話している。その延長線上に、『国民の税金で中国人留学生に金を出せるか』という質問が出てきた。学術や教育の中での差別が、安全保障や防衛の一環として問題化されたことに大きな課題があると感じています。

学術の軍事化が進んでいる。先日は防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に国立大学法人信州大学(長野県)が応募を解禁すると報じられた。

さらにこれはアクションのメンバーが明らかにしたことですが、JSTの理事も防衛省の審議会に有識者として名を連ねている。

こうした流れの中で、留学生の存在が日本の安全保障を脅かしていると受け取られている。

パッと「留学生だけ排除します」と聞くと、なぜそんなとんでもないことをと思うが、有村議員らがいう「学術振興」とは軍隊の兵器を効率的に開発するための道具であり、それが競争力のある学問、学術界と捉えられている。

そういう前提の中で、「日本の自衛隊の武器を開発するのは日本人でなければならない」という暗黙の論理が透けて見えてくる。中国人が日本のお金で留学し、軍事開発をし、その技術を中国に持って行かれたらどうするのか、と。敵である中国に塩を送るようなものではないか、という論理が、有村議員ら国会議員の間にまかり通っている。この点も非常に問題だと思います。

三点目は手続き上の問題です。行政は根拠法があって初めて予算を執行できる。JST—SPRINGは科学技術イノベーション法に基づいているが、その第13条に「国は海外の地域からの卓越した研究者等の円滑な招へいを不当に阻害する要因の解消その他の卓越した研究者等の確保に必要な施策を講ずるものとする」とある。根拠法と真逆のことをするのに、省令も通達も出していない。ワーキンググループや人材委員会だけで決定していくというのは行政の暴走で、民主主義の逸脱だと考えています。

——「侵略」と名指されている日本で不動産を買い占めているトップクラスの中国人富裕層と、中国人留学生はそもそも階層が違うという指摘もあります。

中国人は都市戸籍の人と農村戸籍の人がいて、大きな格差がある。農村戸籍の人も留学できる先として日本があるのかなと思う。しかし、そんなことは国会議員らもわかっているようだ。以前、有村議員が竹田恒泰氏のYouTubeチャンネルに出演した際、「学費が安いからといって日本に来るのはお断りだよね」と言っていた。そしてそれが「留学生の学費を上げるべきだ」という論につながっている。日本を高く評価するゆがんだプライドが垣間見えた。有村議員はアメリカ留学経験があるが、「自分は自助努力でがんばった。だから日本に来る留学生も自助努力でがんばるべきだ」と思っているようでした。

留学生は受け入れコストがかかる?

——武蔵野美術大学が2025年度から留学生だけを対象に費用を徴収する制度を始めました。2025年秋、東北大学が国公立で初めて留学生だけ学費を値上げすると発表し、私学では早稲田大学も追随の動きを見せています。その理由として「留学生は日本語の習得など受け入れコストがかかる」としています。この動きはどう捉えていますか?

「あり得ない」というのが大前提です。その上で、「受け入れコスト」を理由にするのであれば、障害のある学生の学費だけ値上げしますか?と聞きたい。スロープや介助員をつけるなど「合理的配慮」が法律で定められているわけですから。

12月10日に行った院内集会で、立憲民主党の津村啓介議員が指摘していましたが、学術に関係がない人の間で、科学技術への関心が落ちている、理解が狭まっているという傾向がある。学術はいまやバッシングの対象になっている。武蔵野美術大学の時は「留学生差別」という声が上がったけど、昨年来の学術会議やSPRING改悪で地ならしされた後での「留学生だけ学費値上げ」なので、それほど世間の反応が批判的ではない。

東北大も一番乗りにはなりたくなかったと思うが、文科省が堂々とSPRINGから留学生を排除したので、「じゃあ、うちも」となったのではないかと思う。

学費値上げ反対運動の人たちが明らかにしてきましたが、そもそも大学の財政が厳しい問題は、学費値上げでは解決しない。高等教育への公費投入が必要です。

正規の留学生は日本語による選考を受けてくる。日本語資格試験を条件に課している大学もある。どこにそれほどの日本語フォローの必要があるのだろうと思う。留学生の日本語能力を理由に学費を上げるというのは、構造上成り立ち得ない。

移民の子どもたちに対しても、社会で生きていく上で必要な日本語学習を公金でフォローするという発想がない。日本語学習費用を上乗せするというのは、そういう社会だから出てくる発想ですよね。日本社会は、ずっと自己責任を追及してきた。そんな社会に多様性を包摂するような体力がないのは当然。でもやっぱりそれじゃだめだと思う。

昨年12月には博士課程支援の国籍差別反対を訴え、院内集会も開催した=東京都千代田区

あきらめていても行動をやめない

——「コストがかかるから留学生だけ値上げは仕方がない」「留学生に公費を使うなら、困窮家庭の日本人の子どもが大学に行けるようにしてあげたい」というふわっとした論調に流されがちです。こうした社会にどのように訴えかけていけばよいでしょうか?

私は結構、悲観主義者で、でも、日本社会が終わっていく中で、一番最初に犠牲になるのは、社会的に一番不利な立場にいる人。だから黙って見ているわけにはいかないと思って、行動している。

歴史の大きな流れの中で見ると、もう「帰還不能点」は過ぎていて、日本社会が壊滅的になることは確実だと思います。でも、東京大の隠岐さや香先生が同じく院内集会でお話されていた「抵抗が存在した社会というのは、その後転機が訪れて回復のフェーズに入った時に回復が早い」というのは、なるほどなと思った。

旧宗主国の人間が言及するのもおかしいですが、運動史の文脈で見ると、「勝ち」が絶望的でも独立運動をつないできた植民地はたくさんあります。世代をつないで、その火を絶やさずにいる。宗主国が自滅したから独立した植民地もあるけれど、そこまで火を絶やさなかったからこそできたこと。社会の体力として、いざというときに反射神経を行使できる身体的能力として、抗議活動を絶やさずにいることが重要かなと思う。抗議すること自体に意味が生じてしまっている状況の中では「あきらめていても行動をやめない」ことが価値を持つ。抗議する人を増やして可視化していくことをやめない、ということですね。

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