《2026衆院選 私の論点④》高市政権が見ようとしない「社会保障で支えられる側」から いのちのとりで愛知訴訟弁護団・久野由詠さん

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政治の役割は生活保障。誰でも生きていく上で必要となるニーズを申し訳ないと思わせないでほしい。

2012年、自民党の世耕弘成、片山さつき、高市早苗各議員(当時)らも参加した生活保護バッシングの結果、翌年から生活保護の生活扶助基準が引き下げられました。その後、生活保護利用者ら1000人超が、国を相手取り提訴した「いのちのとりで訴訟」は2025年6月、「引き下げ決定の過程に過誤・欠落があり違法」という最高裁判決で決着しました。しかし、国は新たに基準を設けて小幅な引き下げを再実施し、その差額のみを給付するという異例の対応策を決定し、今に至っています。「最後のセーフティーネット」をめぐる国の判断はこれでいいのか、いのちのとりで愛知訴訟弁護団の久野由詠さんに聞きました。(聞き手・阿久沢悦子)

裁判に敗けた国が勝った原告を下に見ている

——いのちのとりで訴訟の最高裁判決から7カ月。厚労省は「生活扶助基準の引き下げを新たな基準で再実施し、差額のみを支給する」「原告に関しては、引き下げ前との差額を特別給付金として支給する」という方針を出しました。受け止めは?

原告と非原告について対応が違うというのが気になります。

私が接してきた原告たち自身が、一緒に裁判を闘ってくる中で、訴える内容が深く、自分だけのためじゃないというように、どんどん変化していっているんですね。

最高裁の弁論や判決を受けてのコメントで、「この判決がすべての生活保護利用者に影響する」「生活保護基準と連動している社会保障制度(*1)があるから、すべての人に関係する」というので、すごく喜んでいたところがあるんですね。

*1……生活保護基準は少なくとも47の社会保障制度と連動している。具体的には最低賃金、年金、医療保険、介護保険、税金、就学支援など、子どもから高齢者まであまねく層の基準額の算定に利用されている。

裁判の過程でも、さまざまなバッシングに耐えながら、むしろバッシングがあるからこそ、自分のことだけを主張することは許されないと感じさせてしまったのかもしれないんですけれども、そういう思いで闘ってきた原告たちの思いをまた踏みにじるものだと思っています。

つらい中でも声を上げられる人と、上げることすらできない人たちを権力が区別して取り扱い、分断すること自体、許せないなと思いますね。

また、差額の給付というのはすごく「恩恵」的で「裁判をがんばってきたから、あげますね」と、裁判に敗けた国が勝った原告を下にみているかのように扱っているのが透けて見えるなと思います。

最高裁で勝訴した後の集会で、判決の意義を語る久野さん=東京都内

社会に届く、勇気を与える判決だった

——非原告には、子どもがいてバッシングを怖れた、書類の書き方がわからなかったなど様々な事情があったことが、集会などの発言からわかってきました。久野さん自身は原告になるか迷う方々と接してこられましたか?

判決が出た後、昨年11月26日に、日本弁護士連合会で全国一斉生活保護ホットラインを開催したんですね。判決にかかわらず、生活が苦しいので生活保護を受けようか迷っている方を利用に繋げたり、生活保護を受けていて不当な取り扱いをされた方など、広く声を集めて生活保護制度の改善につなげようという活動を日弁連や各地の弁護士会ではずっとしてきています。

昨年の相談の中には、判決に関する質問もありました。保護を利用していて、「自分は原告じゃないんだけどどうなりますか」という質問や、「原告が闘ってきてくれたことにすごく感謝しています」という声が複数ありました。判決の結果自体は、社会に届くもの、勇気を与えるものだったんだなと思っています。

だからこそ、その後の厚労省の対応というのは大きく注目されていたと思いますし、原告と非原告を分け、満額を保障しないという厚労省の措置によって、次に(訴訟への参加を)広く募ると言うときには、原告になっていなかった人たちに広がる可能性はあると思います。

首相、厚労相から謝罪がないまま総選挙へ

——判決後、厚労相が福岡資麿氏から上野賢一郎氏に、首相が石破茂氏から高市早苗氏に替わり、原告や生活保護利用者に最低限度以下の生活を10年以上も強いたことについての謝罪がないまま、解散総選挙となりました。優生保護法違憲訴訟の原告には歴代首相が繰り返し何度も謝罪をしているのとは対照的です。

生活保護を利用している人が人間扱いされていないというのは日々現場レベルで、個別の紛争でも感じていたところです。国のトップ、権力の中枢自体が、この問題の優先順位を極めて低く扱っている。そう思っているから謝罪しないでいられる。

日弁連の会長経験者が申し入れをしたら、厚労省の社会・援護局長が応対した。しかし、原告の交渉の場には7ヶ月間、姿を見せなかった。

一番、応対しなきゃいけないのは原告じゃないですか? それなのに、力や立場のある者とそうでない者を分ける。権威主義がそういう態度に表れている。

告示も給付も遅れていく。「一刻も早い被害回復」も言葉だけ。誠意を示さなければいけないとすら思っていないと思います。

そこに極めて大きな蔑視感情があるんじゃないかとずっと感じています。

最高裁前で「勝訴」の懸垂幕を掲げる原告ら。右から2人目が久野さん=東京都内

「保護費では生活できない」という多数の声

——「一刻も早い被害回復」は厚労省が専門家会議を開いて再引き下げを模索したことで半年遅れました。現状、物価高の中で、原告や生活保護利用者の生活はどのような状況ですか?

生活保護ホットラインでは、保護費で生活できないという声が多数寄せられました。障害加算があるかないかなどいろいろ聞いていって、計算に誤りはない。基準通り支給はされている。でもその保護費では生活できないという訴えが、愛知で相談があった45件のうち十数件を占めました。

食べるものがなくて困っている人には近くのフードバンクを利用してくださいなど小手先のことしか言えることがない。

生活保護の違法・不当な運用を争っているケースでは、生活保護を利用しているということに後ろめたさ、申し訳なさを抱えている方に出会いました。就労により最低生活費の基準をわずかに超え、6カ月が経過し、保護廃止になった方で、その後仕事が続かず生活苦に陥っている。でも、保護だけは絶対に利用したくない、と。金銭管理を受けることはもとより、保護を利用しているという状態を自分で受け入れられないというんですね。

基準額自体が低すぎて、それだけでは生活できない。そして物理的にものが買えないだけではなく、精神的に身を潜めるようにして生活していかなければならないという苦痛を抱え続けることになってしまっている。

そんなに忌避されるような制度は、セーフティネットとしてのあり方としてどうなんだろうと思います。

——いのちのとりで訴訟の今後の展望は?

愛知訴訟の原告は、10年以上に及ぶ裁判の中で亡くなった方もいらっしゃいますし、全体として高齢化が進んでいます。病状が進んで入院されたり、認知症が進んでやりとりが難しくなったりした方も半数近くいらっしゃる。運動を一番引っ張ってこられた方が最高裁判決の直前に亡くなったということもあって、新たな訴訟に向け、原告の掘り起こしに課題があります。

頑張った人は恩恵的に助けてあげるという首相の価値観

——高市首相の解散についての演説には、生活困窮者に対する言及がありませんでした。高市首相の発言、また今回の選挙をどのようにみていますか?

政治というのはその国で暮らす人々が当たり前の生活をできるというのを保障するということだと思います。日本でいうなら、8時間働けば生活を送っていける。働くことが難しい人を公助で支える。そういうことをつくるのが政治のベースにあると思うのですが、高市政権にはそういう感覚が全くない。

経済的生産性を生み出せるかどうか、国にとって役に立つかどうかを重要視し、そうではない、むしろ社会保障によって支えられるべき層を見ていない。見えていない。住んでいる時空が違うように見えます。どうしてそこまで目を向けずにいられるのか理解ができない。

——高市首相はSNSで、首相官邸に障害がある夫が入るにあたり、バリアフリーに公費を使ったという報道を否定し、「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸に引っ越しませんでした」と発信していました。

助けを得なければいけないことが悪いことだと思っているようですよね。頑張った人は、恩恵的に助けてあげるという価値観。一連の発信には、そうした首相の価値観が色濃く表れているなと思いました。

バリアーがあること自体が本来問題なのです。誰でも生きていく上で必要となるニーズを、後ろめたいとか申し訳ないとか思わせないような社会保障の仕組みを作るのが本来の政治の責任です。

生活保護は公費で生活保障をするということの最たるものなので、そこには手をつけたくないというのが本音なのだろうと考えざるを得ないですね。

最高裁最終弁論時の集会で、国の主張の不当性について話す久野さん=東京都内

原告と非原告を分ける対応を見直して

——最高裁判決後の生活保護利用者への対応で、久野さんが「こうあるべき」と思う方策は?

一番は原告とそうでない人を分けるという対応を見直してほしい。デフレ調整の部分の再改定を一律行わないようにすべきです。それが最低限、最高裁の判決を守るということだと思います。司法判断を遵守してほしい。

ゆがみ調整について、判決では「不合理とは言えない」としているのですが、もともとゆがみ調整自体が、一般低所得者(第1十分位=所得下位10%)との比較をするものです。その中には生活保護の受給から漏れた人が多数含まれている。さっき例示したように、忌避感から生活が苦しくても生活保護を受けない人が大量に含まれているのです。そこと比較すれば、際限のない引き下げを招きかねない。本来はゆがみ調整そのものも、見直してほしい。国のセーフティネット、ナショナルミニマムを考える上で問題があると思っています。

手取りが増えなくても負担が減る社会保障の充実を

——選挙の中で社会保障、生活保護について論戦を期待したい論点があれば、教えてください。

生活保護を含む社会保障制度は、人が生まれてから死ぬまで必要になる支えを国が制度として整えるというものなんですよね。そこがいま、商品化され、自分の力で稼いで獲得していくものになってしまっている。そうできない生活保護利用者へのバッシングにつながっている。

資本主義や新自由主義的な考え方の転換を促すような発信に期待したい。そこには分断やバッシングを許さないというメッセージも強く出してほしい。

権力に対して自分の権利を主張することが当たり前なんだということを正面から訴えてほしいなと思います。

暮らしを守る、当たり前に生活していくということに対して、生活保護費があれば、1カ月は贅沢はできなくても健康で文化的な最低限度の生活を送ることができる状態の水準にするんだということ。

それと並行して、なにか生活で躓いた時に、雇用保険を充実させたり、保育の無償化をしたり、教育費を拡充したりして、受益者負担の軽減を目指してほしい。働いて働いて自分で糧を得るという方向ではなくて、社会保障として支える仕組みをつくるんだということを訴えてほしい。

財源については、私個人として消費税の廃止論者ではありません。もちろん逆進性の高い消費税ばかりが上がることには反対ですが、富裕層や大企業から法人税や所得税を取った上で、消費税が社会保障制度をつくることを支えるというのが将来的には目指す形だと思います。日本ではいま、国民に受益感が全然ないので、税負担への抵抗が生まれるのは当たり前。税の集め方、使い道を分かりやすく示して、実現できる具体的な道筋を示してほしい。

民主社会主義を掲げたマムダニ氏が当選した昨年のニューヨーク市長選に注目していました。日本でも「手取りを増やす」一辺倒ではなく、マムダニ氏の公約の柱となった住宅政策などのように、手取りが増えなくても負担が減るような提案を見たいなと思います。

くの・よしえ 弁護士(2012年登録)。名古屋第一法律事務所に所属し、家事、少年事件、労働事件などを多く手がける。「ブラックバイト対策弁護団あいち」を立ち上げ、学生へのワークルール普及や無料相談を行うなかで貧困や格差を生む構造的問題への関心が高まる。いのちのとりで訴訟では愛知訴訟弁護団の一人として、最高裁まで争った。