医療的ケア児の養育者ら ドラァグクイーンになって自己表現

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ピンクの衣装をまとって「ドラヴァクイーン」に変身した、医療的ケア児を養育する竹之内祐子さん(右)。本物のドラァグクイーン、エスムラルダさんがウィッグの装着を手伝った=2026年6月、東京都千代田区のアートセンター「BUG」で、明珍美紀撮影

医療的ケア児の養育者らが「ドラァグクイーン」に”変身“して自身の思いを表現

ケアする側がパフォーマンス

  「医療的ケア児」の母親らが、「ドラァグクイーン」に変身――。

 こんなライブ・パフォーマンスを披露するイベントが、東京都千代田区丸の内のアートセンター「BUG(バグ)」で6月にあった。同性愛者(ゲイ)であることを公表していたダンサーの門戸大輔さんが、「子どもをケアする養育者が自己表現する場をつくろう」と発案した。だが、がんを患っていた門戸さんは4月下旬、54歳で旅立ち、仲間や友人らが遺志を継いで開催にこぎつけた。

肩ひものないストラップレスの衣装をまとった女性が、鏡台の前で念入りに化粧をする。濃いアイシャドーとつけまつげ。眉の上を白く塗り、赤毛のかつらをかぶると、詩の朗読を始めた。沖縄出身の詩人、山之口獏さんが自分の死後を描いた「告別式」という作品だ。

 このパフォーマンスは、写真家、美術家の山本美里さん(46)が、「キセツカニューレ」というドラァグネームをひっさげて披露した。山本さんの次男、瑞樹(みずき)さんは、生まれつき重い障害があり、幼児期に食道の静脈瘤(こぶ)が破裂して気管を切開したため声を失った。「この名は、瑞樹が気管切開部に付けていた、気切カニューレという器具を基にした」と語る。瑞樹さんは昨春、16歳で旅立った。

発案した門戸大輔さん、開催を待たずに旅立ち

故門戸大輔さん=2025年1月25日、東京都内で菅野恒平さん撮影

 パフォーマンスのタイトルは「ドゥーリアのボールルーム」。ドゥーリアは、古代ギリシャ語で「奉仕」などの概念が含まれる言葉で、現代ではケアの担い手などを意味する。ボールルームは英語で舞踏室の意だ。

 門戸さんは京都の高校に通っていた時、自分がゲイであることを家族に打ち明けた。関西の大学を中退後、上京して一時期、性的少数者(マイノリティー)の権利擁護を求める社会運動に関わった。派手なメークと衣装でパフォーマンスをするドラァグクイーンを「多様な生き方や性の在り方を伝えるメッセンジャー」と捉えていた。

 医療的ケア児は、人工呼吸器の管理やたんの吸引などの医療行為が不可欠な子どもたちのことで、養育者は子どもたちの声を代弁し、その生活を支える重責を担う。だからこそ、門戸さんは「ケア児を養育する人がケアされる場、自分の気持ちを表現して抑圧から放たれることが必要だ」と考えたのだ。

 門戸さん自身、若いころから医療を受ける当事者だった。20代半ばで後腹膜腫瘍(しゅよう)と診断され、手術で腫瘍は摘出したものの、再発のリスクがある「ままならない体」になった。社会運動を離れた門戸さんは2012年、京都に戻り、以後はシステムエンジニアの仕事をしながら、身体表現の道を追求した。目が見えない、耳が聞こえない、車いすを利用するなど、それぞれ異なる身体性、感覚を持つ人々が集うダンスカンパニー「Mi-Mi-Bi(ミミビ)」(22年結成)のメンバーとなり、「も/(MO)」の名で活動した。この頃にはすでにがんが再発していたという。

ケアする側を抑圧から解き放とう

 今回の「ドゥーリアのボールルーム」は、自分の病と向き合っていた門戸さんが、ケアの担い手と、多数派(マジョリティー)の規範を揺るがして社会に発信するドラァグクイーンを重ね合わせて企画書を作成し、昨秋、「BUG」の主催で実施することが決まった。そして、山本さんら3人の女性がパフォーマンスに挑むことになった。

 山本さんが写真の道を目指したのは、瑞樹さんが通っていた特別支援学校(小学部)での出来事がきっかけだった。
 通学の送迎は保護者の役目。瑞樹さんが学校にいる間は「万が一に備えて校内で待機を」と求められたうえ、「学校は子どもたちの自立の場。必要な時以外は気配を消していてほしい」と教師に言われた。
 「私は透明人間のような存在なのか」。自分の人生が奪われたような気がした。息苦しい日々が続き、医師に「適応障害」と診断された。

 瑞樹さんが8歳のとき、転機が訪れた。心配する友人から「いま、何をしたいのか」と聞かれ、以前から興味があった「写真を撮ろう」と思い立った。京都芸術大の通信教育部で基礎技術を習得し、カメラのセルフタイマーを駆使しながら、瑞樹さんに寄り添う自分の姿をとらえるようになった。撮りためた作品を写真集「透明人間 Invisible mom」にまとめ、21年に自費出版(23年にタバブックスから新版刊行)したところ、医療的ケア児や障害のある子どもを育てる親たちを中心に反響があった。

 保護者が付き添わなければ、子どもが学べない。そんな現実に、「もやもやとした気持ちを抱いているのは自分だけではない」と分かった。各地から展示や講演の依頼が来るようになった。瑞樹さんがこの世を去って以後は、「喪失感にさいなまれる自分を可視化しよう」と、これまで撮った写真、布やビーズなどを用いてコラージュ作品を制作している。

「キセツカニューレ」というドラァグネームで登場した山本美里さん。亡くなった息子の瑞樹さんの写真を傍らに置いて山之内獏さんの詩を朗読した=2026年6月、東京都千代田区のアートセンター「BUG」で明珍美紀撮影

華やかな表現の世界にケアの要素

一方、山本さんに誘われて、「ピンクノナースフクスキー」という名のドラァグクイーンにふんした竹之内祐子さんは、先天性の重い障害がある長男の綾介さん(18)=特別支援学校高等部3年=を育てるシングルマザーだ。「綾介が幼いころに入院していた病院の看護師さんがピンクのウェアを着ていた」と振り返る。

パフォーマンスでは、濃いピンクの衣装を身にまとい、ブロンドのかつらとピンクのスパンコールを施したナースキャップをかぶった。また、綾介さんが普段使用している人工呼吸器を会場に持ち込み、「ドラァグの華やかな世界にケアの要素を取り入れてみた」。

  今回のイベントでは、日本のドラァグクイーンの一人で脚本家のエスムラルダ(本名・村本篤信)さんがメークや衣装の監修を引き受けた。門戸さんと親交を重ねたエスムラルダさんは「門戸さんの思いがこうして形になって感無量。多様な立場の人が関わり合うことで新たな可能性が生まれる」と話していた。



ドラァグクイーンにふんした3人のうちの1人、大野郁子さん。18トリソミー(18番目の染色体が通常2本のところ3本ある染色体異常)と診断された二女が2024年2月に1歳3カ月でこの世を去った。「短い生涯だったが、(二女が)この世に生きていたことを知ってほしいという気持ちと、ケアによって自己を犠牲にするべきではないことを伝えよう」と参加した=東京都千代田区で、明珍美紀撮影