米軍による広島・長崎への原爆投下から、今年で78年が過ぎました。ずいぶん「昔の話」に感じるかも知れませんが、いまだに明らかになっていないことが多くあります。その一つが、「黒い雨」の問題です。広島では県内広範に降ったとの証言や調査がありますが、時間帯や降雨域は確定していません。つまり、現在進行形の問題なのです。
厚生労働省は、広島原爆の「黒い雨」が降った範囲を調べるための検討会を2020年に設置しており、2023年12月27日、第7回会合が開かれました。気象シミュレーションや土壌調査の結果が報告されましたが、いずれも降雨域の特定は「困難である」との内容でした。
一方、広島では「黒い雨を浴びた」と訴えるものの、その被害が認められていない人たちがいます。これまでの調査では降雨が確認されていない地域にいたためで、救済を求めて裁判を続けているのです。原告の1人は「明日の命もわからん中で待たされて、ノイローゼになりそう」と、一日も早い解決を求めています。
検討会へは、設置から3年間で計8.5億円もの国家予算が投じられました。その結果は「被害者」の救済や核廃絶につながるものといえるのでしょうか。広島を拠点に原爆被害の取材を続け、著書に『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)があるコモンズ記者が報告、解説します。
(小山美砂)
記事では、「黒い雨」問題の基本やこれまでの経緯も【そもそも】の項目でおさらいしています。検討会の内容を知りたい方は【詳しく】へどうぞ。以下の目次から読みたい項目へ飛んでください。
「影響確認できず」ワーキンググループの調査結果が出揃う
第7回会合は東京都港区の会議室で開かれ、YouTubeでのオンライン配信もありました。会合の開催は1年8カ月ぶりでした。
この日報告された内容は、検討会が設置したワーキンググループによる「気象シミュレーション」「土壌調査」「健康影響調査」の結果です。検証結果の報告としてまとめられた文章には、「精度の高い領域の推定は困難」「黒い雨を浴びたことによる放射線被ばくの直接の健康被害を確認することは困難であった」といった言葉が並びました。つまり、黒い雨が降った範囲を特定することも、雨による健康影響も確かめられなかった、との報告でした。
進展がなかったわけではありません。土壌中にあった火災由来とみられる炭の微粒子とセシウムの濃度に相関があったことがわかり、長崎を含め、降雨域を調べる手がかりになりそうだといいます。ただ、原爆が投下された1945年以降、宅地開発などで手が加えられていない土地を探すのは困難を極め、統計的に十分なデータを得ることができなかったと報告されました。
これまでに進行していたワーキンググループによる検証結果は、これで全て出揃いました。黒い雨の解明につながる結果は得られなかったものの、厚労省は来年度当初予算にも1.7億円を計上し、検討会を続ける方針です。詳しい進め方は「本日の議論も踏まえて整理する」として、この日は明らかにされませんでした。
救済を待つ黒い雨の被害者にとっては、結論が先延ばしにされた形となりました。
爆心地から西に約30km離れた場所で灰をかぶり、黒い雨を浴びたと訴える河野博さん(87歳)は、いまだ「被爆者」としての医療を受けられていません。河野さんがいた地域は、これまでの調査で雨が降ったことが確認されていないためです。
河野さんは数々の重い病気と闘ってきました。前立腺がんや脳梗塞を患い、今年は9月に心不全、11月に肺炎を患ってそれぞれ1カ月の入院を余儀なくされました。脳梗塞の後遺症で左半身が動かないため身体障害者の1級に認定されており、車いすでの生活を送っています。
電話で検討会の結果を伝えると、怒りを帯びた広島弁でこう語ってくれました。
「ばかな金をつこうて。当時のことを今のもんは知りゃあせんのじゃけえ、シミュレーションなんかしてもわかるわけなあ(ない)。わしは実際に雨を浴びたけえ、そう訴えとる。待ちくたびれて、ノイローゼになりそう」
【そもそも】「黒い雨」問題とは?
検討会についてお伝えするために、「原爆の「黒い雨」って何?まだ解決していないの?」ということからお話ししたいと思います。検討会の結果を詳しく読みたい方は、読み飛ばして【詳しく】へお進みください。
米軍が広島に原爆を投下した1945年8月6日、県内広域に黒く汚れた雨が降りました。詳しい証言はぜひ拙著をお読みいただきたいと思いますが、「土にしみ込まず、ぽろぽろと転がっていった」「油を含んだようにべたっとしていて、洗濯しても落ちなかった」といったものがあります。
ただ、雨が降った時間や範囲は、いまなお確定していません。下図は、これまでの調査で示された3つの降雨域を示しています。
降雨域は、それぞれ作成者の名前を取って次のように呼ばれています。
① 宇田雨域――1945年末作成。紫のエリア内に「大雨」、オレンジに「小雨」が降ったとした。
② 増田雨域――1989年発表。ピンクが「大雨」、青が「小雨」。
③ 大瀧雨域――2010年発表。緑の線内に雨が降ったとした。
こうして見るとややこしく感じられますが、要するに、緑や青の線で引いた範囲内に雨が降った可能性があるということです(なお、河野さんがいた地点は左側の赤い点です。いずれの調査でも降雨が確認されていない場所でした)。青の北端ならば爆心地から約40km、緑の外縁も約30kmくらい離れています。それだけ遠いところにまで、雨が降った可能性があるのです。
ところが、国が当初援護を認めた範囲は、紫のエリアだけでした(1976年)。
明らかに狭すぎます。紫の外側で雨を浴びた住民は、「わしらのところにも雨が降ったと認めえ!」と怒りの声を上げました。1970年代後半から、援護区域の拡大を求めた運動が広がっていきます。
【そもそも】どうして「被爆者」を援護するの?
黒い雨の被害者たちは、「自分たちも『被爆者』と認めてほしい」訴えています。
実は「被爆者」の定義は法律で定められていて、一定の基準を満たした人に被爆者健康手帳が交付されています。いわば、「被爆者」であることの「証」ともいえるでしょう。報道ではこの手帳を持っている人のことを指して、「被爆者」と呼んでいます。逆に言うと、黒い雨を浴びたのに手帳を受け取れていない人は、(法律上は)「被爆者」ではない、ということになります。
しかし、冒頭に紹介した河野さんのように、手帳の交付は認められていなくても雨を浴び、たくさんの病気に苦しんでいる人は大勢います。黒い雨の被害者が今日に至るまで求めてきたことは、国が定めた範囲の外側で雨を浴びた人も「被爆者」に認めて救済してほしい、という基本的で切実なものです。
なぜ「被爆者」に対してこのような手厚い支援をしているかというと、《原爆放射線の影響はいまも未解明なことが多く、健康影響がいつ現れるかわからないから》です。いつ大病になるかわからない恐れ、そして現に多くの病気を患い「原爆のせいかもしれない」と思い詰めながら過ごす日々。そんな生活を少しでも助けるために、被爆者援護が講じられています。
【そもそも】「『黒い雨』訴訟」とは?
黒い雨の問題に話を戻します。紫色のエリア(宇田大雨雨域)に援護対象を限定されて以降、署名や陳情といった地道な運動が続けられました。増田雨域(青)、大瀧雨域(緑)が発表されるも、有識者会議に「科学的根拠がない」として区域の拡大は否定されてしまいます。「最後の手段」として、黒い雨の被害者たちは2015年、裁判を起こしました。県内の88人(最大時)が広島県、広島市、そして国に手帳を交付するよう求めました。これが、「『黒い雨』訴訟」です。
2020年7月に出た広島地裁判決は、原告側の全面勝訴を言い渡しました。紫のエリアの外側にいた人たちも、全員「被爆者」だと認めたのです。調査の信用性が認められ、青、緑の線の中にも雨が降った可能性が指摘されました。
しかし、国は判決の受け入れを拒みました。判決確定を求めていた広島県・市に対して「(援護区域の)拡大も視野に入れた検証を行う」ことを約束して説得し、国と県市は足並みをそろえて控訴したのです。この約束を受ける形で設置されたのが、27日に第7回会合が開かれた検討会です。
2020年11月に検討会の初会合が持たれる一方で、裁判も進みました。21年7月には広島高裁も原告全員を「被爆者」と認め、菅義偉首相(当時)の政治判断によって判決が確定しました。この判決を受けた新しい審査基準(2022年4月~)では、「『黒い雨』訴訟」の「原告と同じような事情にあった」ことが確認できれば、手帳が交付されるようになりました。紫のエリアの外側で、青や緑の範囲内にいた人でも「被爆者」と認められています。
しかし、手帳の申請が却下されるケースも相次いでいます。それは、河野さんのように青や緑の「外側」で雨を浴びた人たちです。2023年4月には新たに、「第二次『黒い雨』訴訟」もはじまりました。下図の赤い点は、原告たち(提訴時)が黒い雨を体験した場所を示しています。青や緑の外側をどう救済するかという問題に、焦点はうつっています。
もともとの検討会は、「青や緑のエリアにいた人たちの救済」を求める議論の中で発足しました。新基準で救済対象が拡大してからは検討会の意義が消滅したようにも感じられますが、厚労省の担当者は「検討会として、科学的知見に基づいて援護区域を見直したい」と説明します。新基準は司法判断を踏まえた、個々の申請内容を審査するための基準であり、検討会としては科学的な検証によって援護区域そのものを見直したいということでした。
検証の結果、これまでよりも広い範囲で雨が降っていたことが確認されれば、河野さんたちも救済される見込みがある、ということです。
ただし、当事者が検討会に期待を寄せていたかというと、そうではありません。それもそのはず、検討会が発足したのは、広島地裁判決の確定を望んでいた広島県・市に控訴することを飲んでもらう交換条件として、国が提示したものだからです。「『黒い雨』訴訟」の原告や弁護団としては、「検討会は援護の拡大を否定するためにつくられたもの」と認識しています。さらに、2010年にも同様の検討会が設置されましたが、被害者の救済にはつながらなかったという苦い経験もあります。弁護団の竹森雅泰事務局長は「本当に援護対象を拡大するつもりなら、判決を受け入れればよかったのです。思惑つきの調査だと感じているので、検討会には目もくれずに裁判を闘うしかありません」と指摘しています。
【詳しく】これまでの検討会
検討会は、「科学的知見」を追い求めて突き進みます。検証課題としては「原爆由来の放射性物質を確認する」ことと「健康影響が生じているか確認する」ことの2点が設定されました。2022年4月にあった第6回会合までに、被爆体験記や原爆投下時の気象に関する文献の調査、原爆病院のカルテを用いた健康影響の検討結果などが報告されました。その後も取り組まれていたのが気象シミュレーションと土壌調査、そして黒い雨に遭った当事者を対象とした健康状態の調査です。
しかし、75年以上も前の情報が十分に得ることは難しいのが現実です。特に気象シミュレーションについては、当初から懸念が表明されていました。
「増田雨域」を作成した気象学者の増田善信さんは今年100歳になりましたが、委員として毎回、この検討会に参加しています。初会合で、「爆発した時から推定するのは、恐らく不可能ではないか。初期値にどのような放射性物質が分布していたかを正確に与えなければなりません。これは本当に難しいのではないかと思います」と、指摘していました。
環境放射能を専門とする山澤弘実委員も「かなり難しいことをやることになる。結果は慎重に検討する必要がある」(第2回)、「シミュレーション自体極めて難しい。計算結果は何ら出てくると思うのですが、それが現実をどの程度再現しているかの確認はもうできないのです」(第5回)と、繰り返し懸念を表明していました。
【詳しく】第7回会合(2023.12.27)での報告内容と議論
冒頭でも記した通り、この日報告があったのは「気象シミュレーション」「土壌調査」「健康影響調査」の結果についてです。ワーキンググループの報告内容と会合での議論をお伝えします。
気象シミュレーションと土壌調査について
京都大学の複合原子力科学研究所特任教授の五十嵐康人さんを中心とするワーキンググループが、調査を進めていました。
まず、気象シミュレーションによって降雨域を特定することは、「2020年代にあっても依然困難性を伴う」との結論になりました。「依然」というのは、降雨域を推定するシミュレーションは1990年代にも取り組まれていましたが、「現代的な手法」で計算をしても原爆の衝撃による塵や破砕物の巻き上がる機序を再現することは困難だった、ということでした。
一方で、土壌調査では黒い雨の及んだ範囲を探るための手がかりも得ました。それは、市街地の火災で発生したと推測される炭の微粒子です。土壌を調べたところ、1945年頃のものとみられる地層で炭の微粒子が増え、その近くの土壌ではセシウムの濃度も高くなっているというのです。五十嵐さんは、この発見は「『黒い雨』領域特定の指標になりえ」、「長崎でも広島で培った手法を活用できる可能性」があるとしています。
ただし、ぼう大な手間と時間を要するとして、現段階ではこの成果を用いた降雨域の調査は困難だと結びました。
当初から調査の限界を指摘していた山澤委員は「かなり苦労されたと思います。ですが、計算しても何も言えないでしょうね、と推測していた結論になったと認識しています」と発言しました。
増田さんは「高温の原爆雲や衝撃塵が上昇していくのを無視した」1990年代の計算モデルを踏襲したシミュレーションならば「推定は不可能」だとして、雲や塵の上昇を考慮しているのか質問しました。五十嵐さんは「現代的な手法を用いて、可能な範囲で再現を目指している」と答えた一方で、「衝撃塵の他、土壌や建物からの破砕物が巻き上がる過程を再現することは現代でも相当難しい。これまでにかけた以上の時間をかけないといけないし、私たち以外の専門家の力も求めないといけません」と、改めてシミュレーションの難しさを強調しました。
健康影響について
黒い雨による健康影響を調べたワーキンググループでも、「黒い雨を浴びたことによる放射線被ばくの直接の健康被害を確認することは困難であった」と結論づけられました。
この調査では、当初の援護区域(紫、宇田大雨雨域)外で雨を体験した899人、区域内にいた399人、原爆も黒い雨も体験していない1196人(非体験郡)に質問紙を送付し、病気の有無や生活状況をたずねました。同意を得られた人には電話調査も実施しました。
その結果、区域外で雨を体験した人と非体験郡を比較すると、内分泌腺機能障害を伴う病気を患う人が前者のグループにやや多くいました。しかし、この点については「被ばくの直接的影響よりむしろ生活習慣などの地域差が要因となっている可能性がある」として、黒い雨との関連は退けられました。
広島県庁からリモートで参加していた広島大学名誉教授で医師の鎌田七男さんは、「内分泌腺機能障害について糖尿病がやり玉にあげられているが、甲状腺機能低下症が出てきていない。この病名が分類される形で調査し、解析したのか」と質問しました。
ワーキンググループの報告書には「糖尿病」しか例にあがっていませんでしたが、原爆症の審査の際に「被曝した放射線との関係を積極的に認定する」とされている甲状腺機能低下症への言及がないことを疑問視したのです。
これに対し、報告を取りまとめた帝京平成大学の高橋秀人教授はまず、調査方法について「本来ならばカルテを集めて調べたかったが、年数も経っていて難しい。本人に聞くにしても記憶があいまいです。よって、かかりつけ医から現在の疾病について回答してもらいました」と答えました。その上で、「甲状腺機能低下症が表に出てくるかというと、圧倒的に糖尿病が多いので隠れてしまうだろうと思う」と答えました。
会合後、報道陣の取材に応じた鎌田さんは、「これを読んだら被爆者は怒りますよ。『被ばくの直接的影響』ではないとした文章は削除してもらわないと」と力を込めました。委員である鎌田さんもワーキンググループが用いた質問票は確認できておらず、調査手法も不明確だとして、「この結論を導くのは拙速だと思う」と指摘。追って、厚労省へ意見を出す方針を明かしました。
「わしらは実際に浴びたんじゃけえ」救済を待つ黒い雨被害者
当事者からは落胆というよりも、「早く解決してほしい」という切実な反応がありました。
冒頭にご紹介した河野さんは、「ばかな金をつこうて。シミュレーションなんかしてもわかるわけなあ」と憤りました。「当時のことを今の者は知りゃあせんのじゃけえ」との指摘は、莫大な金をつかってどれだけ計算を重ねようと、実際に雨を浴びた当事者の証言に叶うものがないことを教えてくれています。
「死ぬのを待ちよるんか、とイライラする。明日の命もわからん中で、どうにかこうにか頑張りよんじゃけえ。なんぼ国が降っとらん、ダメじゃ、言うても納得がいかんです。わしらは実際に浴びて、えっと(たくさん)病気もしたんじゃけえ」
今年、続けて入院を余儀なくされた河野さんは体重が落ち込み、ベッドで寝るばかりの日々だと言います。「今の人は知りゃあせんのじゃけえね。降った降らんいうことはわかりゃせんのじゃけえ」。自分がいた場所にも雨が降ったと認めてほしいと、電話口で繰り返し訴えました。
【詳しく】検討会のゆくえと記者の視点
「すっきりしたことが言いにくいですね。早く結論を出してもらいたいと思います」。3時間近く続いた会合を終えた鎌田さんが苦い表情でこぼした通り、本当にすっきりしない内容の報告でした。
検討会はこれで終了するのかと思いきや、厚労省は検討会を継続する方針で、「進め方は本日の議論も踏まえて整理、検討します」と述べてこの日の議論は終わりました。来年度の当初予算にも1.7億円を計上しており、成立すれば累計10億円以上のお金がこの検討会に投じられることになります。
調査すること自体を否定するつもりはありません。核兵器の被害がどこまで及んだかを明らかにするためにも、とても意義深いことだと思います。しかし、検討会の議論を追っていて、生身の人間が置いてけぼりにされている、と感じざるを得ませんでした。10億円あれば、広島、長崎で救済を待つ原爆被害者がどれだけ救えただろうか、と考えてしまうのです。
検討会は3年かけて科学的な検証を続けてきましたが、めぼしい結論を得ることはできませんでした。検討会が設置される前から「黒い雨」問題を追っていた筆者としては、「やっぱり」との感想にならざるをえません。あの日から75年以上が経過した今、原爆由来と特定できる物証を得ることは難しく、シミュレーションに限界があることも指摘されていました。検討会の発足経緯を振り返ってみても、本当に被害者を救済する気があるのなら速やかに広島地裁判決を受け入れ、審査基準の策定に取り組めばよかったのです。
そもそも被害者を救済するために必要なことは、新たな「科学的知見」を追い求めることなのでしょうか。
国が「科学的知見」にこだわるのは、1980年の「原爆被害者対策基本問題懇談会」の報告書に基づきます。ここに「被爆地域の指定は、科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべき」とありますが、これは救済対象の拡大に「歯止めをかけることを強く意図して、政策的な見地から作成されたもの」だと、広島高裁判決(2021年7月29日)で認定されています。
できるだけ多くの黒い雨被爆者を救済できる、弾力性のある審査基準の策定にこそ取り組むべきだと私は思います。区域で線を引いてその外側を切り捨てるようなやり方では、この議論に終止符は打てないでしょう。証言の真実性を吟味して、被爆した可能性が否定できないならば「被爆者」として認めることが、確定した「『黒い雨』訴訟」の判決でも取られた手法です。
今回示された報告の中で、「指定地域と同様のサポートが受けられなかったことにより、健康不安が増大し、PTSD症状の回復が遅れていた可能性がある」と指摘されていることは重要だと感じました。
黒い雨が被害者のからだをむしばんだ可能性があることは言わずもがな、雨を浴びたことへの恐怖感、さらには国に放置されてきたことによる心理的な影響を見逃すわけにはいけません。河野さんも「ノイローゼになりそう」とこぼしていました。
黒い雨の健康影響を心理的な「不安感」に矮小化するわけではありません。しかし、病苦の中で「国に見放された」と絶望している人がいます。「どれだけ訴えても認められんけえ、はよ死んだ方がいいと思ったこともある」と、打ち明けてくれた女性もいました。
調査の限界にぶち当たり、検討会は深い霧の中に迷い込んだといえるでしょう。「降雨域」の外側にいた人たちの救済について、広島県・市は検討会の結果を注視するとしていますが、落としどころさえ見えません。「第二次『黒い雨』訴訟」も始まったばかりで、原告は「判決はいつかのう」と気をもんでいます。河野さんが口癖のように「明日の命もわからん」と繰り返すたび、不安と焦りで胸がぎゅっと苦しくなります。
生身の人間を救うために、国費が投じられる国であってほしい。この国で暮らす一人の人間として、願うことです。