排外主義が猛威を振るっている。
その圧倒的な暴力を、歴史の改ざんや忘却を、私たちはどのように超えていったらいいのか——90歳の朴壽南(パク・スナム)監督の「よみがえる声」はそのことを教えてくれるドキュメンタリーだ。
スナムさんは在日朝鮮人2世。朝鮮人被爆者を描いたドキュメンタリー映画「もうひとつのヒロシマ」(1986年)、沖縄戦と朝鮮人兵士、<慰安婦>を描いた「アリランのうた−オキナワからの証言」(1991年)などで知られる。
16㎜フィルムの復元から始まった
「よみがえる声」の制作は、それらを撮影した16㎜フィルムの復元から始まった。2019年に始まったプロジェクトは、クラウドファンディングで資金を集め、これまでに全体の2割にあたる約10時間分のデジタル化を終えた。

映画はスナムさんの長女・朴麻衣(パク・マイ)さん=「よみがえる声」共同監督=と、スナムさんが、古いフィルムの内容を確かめながら復元していく様子を随所にはさみながら、スナムさんの半生とフィルモグラフィーを振り返っていく。
加害者の母と被害者の母
1958年、小松川事件が起き、民族学校の教師をしていたスナムさんの人生は一変する。在日朝鮮人2世の18歳の青年・李珍宇(イ・ジヌ)が、日本人の16歳の女子高校生を殺した事件だ。青年は極貧の家庭に育ち、母親は耳が聞こえず、さらに青年本人も「朝鮮人は採用しない」と就職差別を受けていた。精神鑑定も少年法も適用されずに死刑を求刑された青年の背景を知り、日本人の作家や文化人らから減刑嘆願が起きる。スナムさんも往復書簡を交わすなどして獄中の青年を支援した。書簡はのちに「罪と死と愛と」(三一書房)として出版された、日本の学校の解放教育や民族学級でも使用された。
スナムさんは一方で、被害者の両親にも会いに行った。被害者の家には見知らぬ在日朝鮮人らから「青年に代わってお詫びする」とたくさんの香典が届いていた。驚くのは両親の言葉だ。関東大震災(1923年)時の朝鮮人虐殺に家族が関わっていたことをスナムさんに詫び、「日本が朝鮮の方々にしてきたことを思うと、李君を恨むことはできないのですよ」と話したという。青年の死刑が執行されると、被害者の母は、加害者の母に会いたいといい、スナムさんが同行して、邂逅を果たした。
「貧しさ」が人を分断している現状からは考えられない人間の共感性のつながりが、かつてはあったのだということに驚く。
日本語でも朝鮮語でもない言葉と、沈黙と
スナムさんは、日朝関係に悪影響を与えるから小松川事件に関わるな、という民族団体の指示を拒否して組織を離れ、記録作家の道に入る。広島や長崎に被爆同胞を、韓国に被爆者を訪ね歩いた。そこにあったのは「沈黙」だった。もしくは日本語でも朝鮮語でも言いよどんでしまう「間」の中にある言葉。それを記録するために、ペンをカメラに持ち替えた、という。被爆の影響を理由に離縁された女性が、言葉につまり体を震わせ、ただ涙する。その肩をスナムさんが抱きしめる場面に、沈黙を記録することの重さが表れていた。

消えゆく「戦争の足跡」刻む
1980年代のフィルムには、消えゆく戦争の足跡が刻まれている。
長崎県の軍艦島(端島)は2015年世界文化遺産に登録され、観光地となった。しかし、朝鮮人の強制連行や過酷な労働は、その説明板からきれいに消去されている。一方、14歳の時に海底炭鉱に強制連行された徐正雨(ソ・ジョンウ)さんは1985年、こう証言している。「中は40度くらいになってね。暑いし、喉は渇くし。あんな地獄は思い出したくもない」。
三菱重工長崎造船所が朝鮮人徴用工を収容していた木鉢寮の映像もあった。すでに崩れかけた建物の壁にはハングルで「早く帰ろう、懐かしい故郷へ」と書かれていた。
「強制連行はなかった」「炭鉱に朝鮮人はいなかった」という甚だしい歴史修正主義が跋扈する今だからこそ、この映像は必見だ。

「純粋に母を愛する気持ちを、永遠に奪われた」
スナムさんは映画制作を通して「ハン(恨)を晴らす」ことを念頭に置いてきた。その意味は、理不尽な暴力により傷つき、沈黙するしかない人の、尊厳を回復することにあるという。
映画はスナムさんの原体験に遡る。
幼い日、チマチョゴリを着た母と外を歩いて、「汚い」と石を投げられた。それまでは美しい母を誇らしく思っていたのに、一緒に出歩くことができなくなった。
「そのとき、私は純粋に母を愛する気持ちを、永遠に奪われた」
スナムさんはそう振り返る。
「出て行け」「帰れ」「汚い」という侮蔑の言葉には、それほどの重みがあるのだ。
日本人市民との連帯
植民地支配という暴力、戦争という暴力、原爆という暴力。
それは個人の力ではどうしようもない理不尽だ。しかし、沈黙を含む被害者の声がきちんと聴かれることによって、尊厳回復への道が開かれる。そこに一抹の希望がある。
映画は朝鮮人被爆者のために証言を集めた人、軍艦島から海に飛び込んだ朝鮮人の顕彰碑を建てた人ら、日本人市民の連帯も捉えている。
映画公開中の2025年8月25日、山口県宇部市の沖合にある海底炭鉱「長生炭鉱」跡から、戦時下の坑道崩落事故により命を落とした坑夫らの遺骨が見つかった。事故で亡くなった183人の7割が朝鮮人だった。この遺骨発掘もまた日韓の市民の力によるものだ。
歴史と事実を見つめ、被害を回復しようとする愚直な営みをもって、「排外主義」を超えていく。おそらくはそれしか道はない。先人たちに連なる市民の連帯を確かなものにしていかなければ、と映画を見てあらためて感じた。
ドキュメンタリー映画『よみがえる声』
2025年/148分/日韓共同制作
監督/朴壽南・朴麻衣
政策/映画社ハルピン、アリランのうた政策委員会 朴壽南
上映は、東京では8月29日(金)までポレポレ東中野。
9月1日(月)〜7日(日)=シネマ・チュプキ・タバタ
10月以降、長野松竹相生座・ロキシー(長野県)、シネマスコーレ(愛知県)、第七藝術劇場(大阪府)などで上映する。