
自民党参議院議員の西田昌司氏が、沖縄戦のひめゆり部隊について事実無根の発言をし、現在も発言内容を撤回していません。今回の参院選に、西田氏は自民党公認で立候補を予定しており、選挙区の京都では、なお「出馬するな」と抗議行動が続いています。
発言の直後に京都での抗議行動に参加した同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授の岡野八代さんに、西田発言を支えている政治の劣化について、お話を伺いました。
西田議員の発言要旨と経緯
西田昌司参議院議員は5月3日那覇市であった講演で、憲法を改正して国民保護法制をつくるべきだという持論を述べる中で、次のように発言した。
「私も何十年か前、国会議員になる前に、ひめゆりの塔にお参りに行ったことがある。今はどうか知りませんけど、ひどいですね。ひめゆりの塔で亡くなった女学生の方々が、たくさんおられるが、あの説明をみていると、要するに日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり隊が死ぬことになっちゃったと。そして、アメリカが入ってきて、沖縄が解放されたと。そういう文脈で書いているじゃないですか。亡くなった方々は救われませんよ。歴史を書き換えられるとこういうことになっちゃうわけですね。(中略)沖縄の場合には、地上戦の解釈を含めて、かなりむちゃくちゃな教育のされ方をしています。(中略)自分たちが納得できる歴史を作らないとできないと思います」
西田議員は7日には「発言を撤回しない」とし、「昔は沖縄に軍隊はいなかった。終戦直前にアメリカに占領されるという情報があって、なんとかしなければということで日本軍が沖縄に入ってきて、結果的に島民が巻き込まれて大きな犠牲が出た」と史実に基づかない見解を重ねて表明。9日に記者会見を開き、謝罪と撤回を表明したものの、「自分の言っていることは事実だという前提でいまも話している。問題は、事実(かどうか)ではなく、県民の感情を分かっていなかったことだ」とも発言。「むちゃくちゃな教育」という部分は「撤回しない」とした。
不確かな記憶に基づき発言「これはないな」
——問題発言があったのが5月3日、いつ、どんな風に知りましたか?
沖縄での発言はニュースで知りました。
西田は京都選出の参院議員で、歴史改ざんや憲法改正の発言で有名ですから、そんな人を沖縄に呼んだんだなと、まず驚きました。
不確かな記憶に基づき、沖縄でこの発言をした。
沖縄は今、台湾有事に備えるという名目で全体が要塞化している状況にある。沖縄の人たちは、ミサイルが配備されたり、戦車が通ったり、日米軍事合同訓練をしているのを目の前で見ている。
1972年までアメリカに占領され、その後も日本政府により自分たちが示した民意が踏み潰され続けている。
いまもなお、米軍基地に苦しめられている沖縄でこの発言をした。
歴史を無視したということもそうですが、本当に沖縄の人たちの気持ちをふみにじるような発言だと感じました。
これまでも西田は「国民に主権なんてあり得ない」という発言をしてきた。(*1)
*1……2012年7月28日、テレビ朝日系「朝まで生テレビ」で「主権は国民にはない。日本が長年培った伝統と歴史に主権がある」と発言。
彼はYouTube番組でこれまでもひどい発言を繰り返しているんですけど、沖縄に関するこの発言は許しがたいと、とにかく頭にきました。
今の沖縄は自衛隊の基地が増え、ミサイルが運び込まれ、住民の人たちはおそらく何かあった時は逃げられない。
有事の際に被害に遭うのはまた住民です。かつて本土決戦の「捨て石」にされた沖縄の人たちに与えた加害を、日本政府はまた繰り返そうとしている。その沖縄であの発言。「これはないな」というのが最初の驚きでした。

「歴史の捏造は絶対に許されない。これに尽きる」
——京都での抗議行動に参加されたのが発言から5日後の5月8日。非常に早かったですね。
京都には市民活動を続けている方がたくさんいます。かつては朝鮮学校の襲撃事件への抗議行動があり、今もガザの虐殺に抗議するスタンディングをしている人がいる。さまざまな運動があって、市民運動のメーリングリストがあるんです。
そこに、5月7日、自民党京都府支部連合会の事務所前で抗議行動をやりますと連絡がありました。
私はその日は授業で行けなかったのですが、「明日もやります」と書いてあった。
そこで、5月8日の抗議行動に参加しました。
慰安婦問題の研究に端を発した「女性・戦争・人権」学会があり、会員には沖縄の方がすごく多いんですね。
沖縄には戦時中に慰安所があったし、現在は米軍基地があって性暴力の問題がある。

学会の前代表の秋林こずえさんに「ぜひ沖縄の声を聴いてほしい。特に宮城晴美さんに聞いてほしい。抗議の中で伝えるので」とお願いし、コメントをいただきました。
秋林こずえさんのコメント
沖縄タイムスの記事を読んで、腸が煮えくり返る思いでした。沖縄に行って、沖縄戦での沖縄の方たちの大変な経験と歴史、研究を愚弄する発言をする人が政治家でいることが許せません。沖縄の方たちの命を軽んじる発言も許せません。京都選挙区の有権者として言いたい。沖縄を侮辱するな!沖縄を戦場にするな!
宮城晴美さんのコメント
歴史の捏造は、絶対に許されない。これに尽きる。
宮城さんは本当に一言ですよね。言葉を失うぐらい怒っている。「何度言ってもおまえらはわからないのか」という宮城さんの怒りがこの一言で伝わってきました。
私は「保守を自認する政党である自民党が、過去に真摯に向き合わずに、いったいどう未来をよりよいものとしていくのか。しっかり反省しろ」と発言しました。
参加者は30人ぐらいで、若い人も来てくれました。小さな集まりだけどやってよかった。西田には届いていないかもしれないけど、それぞれ抗議の声を上げていくのはとても大事なことだなと思いましたね。

選挙に強い岩盤支持層に、「ダメなんだ」と
——本土の人間が沖縄に応答する責任について、どのように考えていますか?
「沖縄問題」は「沖縄の問題」では全くない。沖縄に基地を押しつけて、台湾有事だの専守防衛だの全部沖縄に押しつけて、何かあった時にまず危害が及ぶのは沖縄。こうした政府の考えを厳しく批判していくのは、私たちの責務ですよね。
国民主権なんてない、憲法を改正すべき、選択的夫婦別姓に反対と言っている西田は、過去の参院選ではダブルスコアでトップ当選なんです。強いんですよ。支持層は自民、公明で占められ岩盤ですからね。
でも、だからこそ京都の私たち市民の責任として、やっぱり西田はダメなんだ、恥ずかしい人なんだというのを言っていかなければいけない。このたびの発言を受けて、京都の人間が西田に投票するかどうかを問われている。他人事ではなくなりました。

政治がもたらした被害を無視
——西田氏は「自分たちが納得いく歴史を作っていかなければならない」と発言しています。
自民党や神社本庁や日本会議が納得する歴史を作らなければいけないと言っているんですよね。
沖縄では集団自決についても、ひめゆり部隊についても、沖縄戦についても、膨大な研究が行われている、都道府県の中では群を抜いて市民の聞き取りがされているのを、西田は読んだことはないんでしょう。
西田がここまで踏み込んで沖縄の歴史を踏みにじる発言をしてもいいんだという雰囲気を作ってきたのは、長く日本を牛耳ってきた自民党、そして安倍政権です。新しい歴史教科書をつくる会が発足した1997年がある種の分水嶺になった。それまでは、政治家こそが歴史をしっかり見つめて、二度と繰り返さない、政治は必ず被害を生む大きな権力なので、その都度過ちを見つめて直さねばいけないという認識が曲がりなりにもあった。けれど、この30年間は、政治がもたらした被害を無視し、なんの痛みも感じずに放置するようになってきた。その日本の政治の末路が、現在かなあと思います。
1990年代から政治がどんどん劣化し、与党・自民党に緊張感がない。一方で、京都は今回の参院選は候補者が乱立しているんですね。維新も出るし、参政党も出るし、今までにない保守反動組が出てくる。西田は保守層が割れることに危機感を持ち、大きく右に振れたんだと思います。とんでもない反動的な発言をして、票を集めようとしたのではないか。
ただ、維新でさえこの発言には危機感を持っています。京都市議会は6月6日、西田発言に端を発した「沖縄戦の歴史に真摯に向き合うことなどを求める」決議を賛成多数で可決した。維新の議員も賛成しています。
目に余るメディアの批判力の弱さ
——西田氏は発言の内容を撤回していないのに、多くのメディアが「謝罪・撤回」という見出しを立てて報じました。
私は、沖縄のニュースについては沖縄の地元紙を読み、本土の報道は読まないようにしています。戦後50年から戦後80年へ。この30年の右傾化に拍車をかけたのは、政治家の発言にちゃんと対峙してこなかったメディアです。事実を伝えない。あまりにも表面的で、とりわけ与党の政治家の発言は上っ面だけを取り上げている。西田が「謝罪しない」「私の発言は事実」と言っていることこそ、大きく報道しなければ。見出しは実態を伝えていない。

多くの国民はニュースを見出しで判断します。杉田水脈(元衆院議員、今回参院選に自民党公認で出馬予定)の「同性カップルには生産性がない」発言の時も謝罪したと報じられたが、「傷つけたとしたらごめんなさい」というものだった。発言が「事実に基づいているか」「人権侵害にあたるか」というようなことは検証しない。当事者は傷つくどころか怒ってるんですけど。
この30年の大手メディアの批判力の弱さは目に余ります。事実を掘り起こして、記者の声で批判なり、反論なりを書いてほしい。
政治家の発言をそのまま書けば終わり。あとは自分たちが言えないことを専門家にインタビューしてちょびっと付け加える。そんな形式では本当のことは伝わりません。
女性を守るどころか戦争に巻き込む
——西田氏の発言は、「ひめゆり」部隊という女性が戦時下で担わされた役割への軽視と、米軍によって女性が解放されたという物語から成っています。「ミソジニー(女性嫌悪)」の要素をはらんでいると思うのですが。
太平洋戦争後の大きなストーリーとして、連合国軍により民主化され、女性が参政権を得られたというものがあります。本当は戦前だって女性たちは労働運動も普選運動もしてきたけれども、女性たちが行ってきたことは無視されているんですね。
西田発言では、ひめゆり部隊について「日本軍が米軍から守るために沖縄に入った」「米軍により解放された」という物語に回収してしまっている。でも、実際は守るどころか、何の訓練もしていない10代の女性を戦場に動員した。そして、軍による「解散命令」で前線に放り出したわけですよね。女性たちが「米軍により解放された」「軍に守られた」という物語は、彼女たちがどういう苦しみでどういう役割を果たしてきたかを一切無化してしまう効果があります。
戦争になると女性は「守らなければいけない対象」と言われるようになる。
「集団的自衛権の行使は合憲」と言った安倍首相(当時)の後ろには、朝鮮半島から逃れてくる「母子」の姿が書かれたイラストパネルが掲げられていました。自分たちのマッチョ性を際立たせるために、女性たちは「守られるべき、か弱い存在」「守ってあげないと戦争から生き延びられない存在」という思想を差し挟む。

ところが現実は女性たちを守るどころか、戦争に巻き込むんです。いまの沖縄もそうですけど、性暴力も含め女性が最も軍隊の被害にあっている。
十五年戦争中、日本軍は戦場で女性を慰安婦として使いはしたが、守りはしなかった。日本の場合、男性は国外に攻撃に出ていたので、女性たちが家を守った。国は「爆弾が落ちてきたら箒で火を消せ」というチラシをまき、病人や高齢者は全部女性に押しつけた。自分たちは女性を守ると言いながら、中国に侵略戦争に行ったんですね。いたいけな女性を守るという戦争のフィクションは、戦争が持っている最も残虐な面を覆い隠してしまう。
沖縄の場合、民間人にスパイの嫌疑を掛けて殺した。軍が住民に集団自決を促した。「自国の軍は国民を守らない」というのが沖縄戦の最も大きな教訓です。
西田発言はどんな断片を拾ってつなげたとしても、単なるウソです。「国民を守るために戦争をする」というのがいかにウソかというのは強調して言っておきたい。
「責任を取れ」という言葉に応える
——空襲被害者救済法や沖縄戦のPTSDへの補償について、このたびの国会では審議に入れなかった。戦後80年の政治の不作為をどこから解きほぐし、声を上げていったらいいでしょうか。
戦後50年の1995年を境に、「戦後責任論」が大きくフォーカスされました。
当時、私は20代。高市早苗(衆院議員)が「自分は戦争をしていないのに、なんで責任を取らなきゃいけないんだ」と言っていたのをよく覚えている。私自身、「戦後50年もの間、天皇の戦争責任をはじめ、問われてきたことに応答しなかった無責任を、なぜ若い世代に押しつけるんだ。無理じゃん」と思っていた。
けれども、その後、慰安婦問題を通して実際関わってこなかった世代の私が、「責任を取れ」という声に応えなければいけないのではないか、と真剣に考え始めました。

ところが、日本国は慰安婦問題について歴史を修正。外務省は「性奴隷制度はない」「被害者の数が間違っている」との公式見解を出し、「日韓条約で解決ずみ」と言い続けている。
日本はかつての戦争の最終的な解決が終わったとした。日本が戦争で東アジアに2000万人の被害者を出した、帝国主義で加害を行ってきた国だということを、国民はほぼ忘れているし、政府も「何度も繰り返して言う必要はありません」とした。
慰安婦問題は1991年に金学順さんが名乗り出て、広く知られるようになった。国は政府文書を1992〜1993年に調査したが、それ以降はしていません。日本政府しか持っていない資料は開示せず、研究者が個々に調査をしている状況が続きました。
一方、この間、日本の軍国化が進んだ。2015年、戦後70年の節目に集団的自衛権の行使を容認する安保法制が通った。2022年、岸田文雄内閣は反撃能力の保持を認めた「安保3文書」を閣議決定し、軍事費の上限を「GDP(国民総生産)の2%」とする軍事優先の国にはっきりと舵を切った。
子どもの生活の貧しさに目を向けて
でも、軍事優先国家で本当にいいのか?
その副作用が福祉や教育予算の削減で、すでにほころびが見えている。
「先の戦争は忘れましょう」という流れの中で、国民は戦争の被害に苦しみ続けて救済がない。権力者たちは戦争の準備はするけど、その後始末はしません。日本は非常に脆弱な国土で、逃げるところもない。原発が54基ある。弾頭もいらない。何か飛来物が飛んで来ただけで大惨事です。
今回のコメ不足で明らかになりましたが、食の安全保障がない国が戦争してどうするんですか。
第二次世界大戦でも、餓死した兵士の方が多い。戦争に行かせるのはいいが、どうやって食料を賄うかという兵站は考えていなかった。だから、中国に行った先で食料を掠奪した。それが日本軍への怒りをかき立てた。
戦争ってどういうものか。当時の日本政府がいかに軍人を雑に扱ったか。天皇の軍隊というのは権威主義的で、自分たちの部下を人間と思わない。そういうことを国民に知らせたくないんですよね。その構造が変わっていないから。
変わっていれば、事実を突きつけられても堂々としていられるはず。大日本帝国とは違う、民主化した国の政治家だというアイデンティティが確立していれば、「当時起こしたことは悪かった、反省して二度とそういうことはないようにする」と国民に伝えられる。隠さなくていいはずです。
隠すというのは「この人たちはまたやる気なんだ」ということ。国民の命は国家の道具だと思っている。福祉や教育など、国民の生活を豊かにすることに税金を使いたがらない。何も変わっていません。
「日本を守る」「国を守る」というのは、誰を犠牲にして守るのか、何を優先順位から外して守るんですか?と聞きたい。
子どもの生活が本当に貧しい。京都の小学校の給食はまるで病院食です。ギリギリのタンパク質、牛乳を飲まないとカロリーが足りない。こども食堂がこれだけあることが示すように、給食だけで栄養を取っている子どもがいる。政治家は何がいま日本の政治課題なのか、ちゃんと見ているんだろうか?

資源がない日本 誰が欲しがるの?
——「日本を守る」として外国人排除を掲げる政党が、支持を伸ばしています。
「日本を守る」というけど、こんな何も資源がない、いるのは従順で言うことを聞く市民だけ。この国を誰が領土として欲しいかということです。
外国人排除の何が問題か。JICA(国際協力機構)の指標によると、外国人労働者は現在280万人。2030年には400万人になると言われている。それでも60〜70万人不足するんです。500万人入れないと社会が回らない。
日本は特殊技能実習生という労働法の外の規定を作って、外国人を労働者として扱っていない。法の下の平等に反する姑息な手段で、ベトナムなどから来ていただける人を使ってなんとか維持しているような経済力になってきている。
少子化は、国の経済や未来を考えたら一番の問題。それを解消するには、男女平等を達成するなど日本の根っこを大きく変えければいけない。今のままの政治、勢いだけで国を守るというような政治では一切解決されません。
国の力とは、「国民が幸せに未来を想像できる」こと
——ジェンダーについては、どんなところに注目されていますか?
女性たちが産む時だけ、「出産の無償化」などとしてお金を付ける。女性の生き方、働き方、この国で想像できる未来をどう変えて行くのかというところは白紙。この国で子育てすることが、どれほどの責任やエネルギーを伴うものなのか、想像してほしいと思う。
男性も女性も、この国では決められた生き方しかできない。選択的夫婦別姓は「選択」だと言っているのに、通らない。
経済は低迷。学術会議も解体。国の力とは国民がどれだけ幸せに未来を想像できるかにかかっていると思うけど、政治が劣化していくと同時に、それができなくなっている。
30年前の世論と今の世論は違ってしまった。30年前にはなかった「自己責任論」が当たり前になってしまった。長いスパンで見るとそのことがよくわかります。
目先のことばかり見ているとわからない。西田は「北陸新幹線」を持って来てくれる、として建設業界から支持されている。
それは高度経済成長期の政治家と支持者のあり方で、今はそうじゃないだろうというのに気づかないと。
保守とか文化伝統とか言う人たちがどんな破壊力で日本の自然や人への信頼をずたずたにしてきたか。
長時間労働を強いて家族をズタズタにしてきたか。今の若い人たちは給料も安いし、家族を作れないと言っていますよ。
今回も選挙前に給付金がばらまかれましたが、国民はちょろいと思われているんでしょうね。兵庫県知事選を見ればわかるように、違法行為をしても選挙さえ勝てばいいとなっている。国民の判断を示すという「投票」が機能していない。司法も同じ。この国にはチェック機能がない。
トランプ大統領により、アメリカの圧政はひどいことになっているが、それでも司法とメディアががんばっている。
日本はそこが決定的に弱い。それはひいては市民の力が弱いということなんですよね。
私ができることは西田に投票しないように呼びかけること。西田の対抗馬を応援する人を支援すること。京都以外の人は「京都の選択を見ているぞ」と言い続けてほしい。戦争で被害を受け、いまなお被害に苦しむ人を踏みつけるような人物を京都の代表にしてはいけない。今度の参院選は末路を決定的にするか、踏みとどまるかの闘いになると思う。弱い者を踏みつけても思い通りにする人間を代表にさせないということを大目標にして活動しようと思っています。