「日米地位協定とは米国が罪を犯した米国民を守るもの。日本は自国民を守らない」 米兵による交通死亡事故の遺族が、損害賠償を求め提訴

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神奈川県横須賀市の国道で米海軍横須賀基地所属の米兵が運転する乗用車と日本人青年が運転するバイクが衝突、日本人青年が亡くなった事故をめぐり、青年の遺族3人が10月31日、米兵、車の所有者、国(日本政府)の3者に対し、総額約1億800万円の損害賠償を求め、横浜地裁に提訴しました。

米兵は過失運転致死罪で有罪判決が確定。判決後間もなく米国に帰国し、賠償を受けることが困難になりました。訴状の送達先である米兵の住所も、不明のままです。遺族側の弁護士は「日米地位協定のあり方を問う、きびしい裁判になる」と話しています。

事件のあらまし 2024年9月18日、横須賀市小川町の国道16号で米海軍横須賀基地所属の米兵ジェイデン・エドウィン・ヤノス氏(23)が運転する乗用車(同僚3人が同乗)が、右折禁止の交差点を右折し、対向車線を直進してきたオートバイと接触。オートバイを運転していた伊藤翼さん(当時22)が亡くなった。横須賀署はヤノス氏を現行犯逮捕せず、後から到着した米海軍憲兵隊に身柄を引き渡した。ヤノス氏は容疑を認めたが、警察の調書には署名をしていない。2025年5月27日、横浜地裁横須賀支部は禁固1年6月、執行猶予4年の判決を言い渡したが、ヤノス氏は判決から30日以内に米軍の規定により帰国し、連絡が取れなくなっている。

提訴したのは、伊藤さんの両親と妹。訴状は被告らの賠償責任を次のように定めています。

  • ヤノス氏……加害自動車の運転者、運行供用者として運行供用者責任を負い、かつ過失によって自身の運転する自動車によって本件交通事故を発生させた不法行為による賠償責任を負う。
  • 車の所有者……加害自動車の所有者、運行供用者として、物損を除く原告らの損害につき賠償責任を負う。
  • 国(日本政府)……在日米海軍司令官を含む被告ヤノスの米海軍上司らの監督義務違反によって生じた原告らの損害について、民事特別法1条に基づく賠償責任を負う。

民事特別法「米兵の職務上の加害行為は日本に賠償責任」

なぜ、米軍上官の監督責任について日本政府が賠償責任を負うのでしょうか?

民事特別法とは日米地位協定の実施に伴う法律。1条は「日米安全保障条約に基づき、日本国内にある米国の陸軍、海軍または空軍の構成員・被用者が、その職務を行うについて、日本国内で違法に他人に損害を加えたときは、国の公務員・被用者がその職務を行うについて違法に他人に損害を与えた場合の例により、国がその損賠を賠償する責に任ずる」と定めています。

日米地位協定は公務中の出来事について、米側に優先的な裁判権があるとし、東京新聞によると最近10年間で531人が「公務中」を理由に不起訴になっています。

ヤノス氏が起こした事故は公務外でしたが、日本の警察と米軍が現場に同着した場合は米軍に身柄確保の優先権があります。横須賀署は現行犯逮捕をせず、米軍に身柄を引き渡しました。

座学だけで運転許可証 死亡事故でも免停にならず

今回、訴状では米軍上官が公務中に監督権限を行使しなかったことについて争っています。具体的には自動車運転に関する教育が不十分だったということです。

遺族は亡くなった伊藤翼さんの遺影を持って提訴会見に臨んだ=横浜市内

日米地位協定10条1項は米兵らの運転免許について「合衆国が発給した運転免許証または軍の運転許可証を、運転者試験または手数料を課さないで、有効なものとして承認する」と規定しています。日本国内の運転について米軍は座学による講習のみを実施し、実技試験はなし。基地の外の日本の公道を走る際も運転許可証さえあればよく、国際運転免許証は必要ありません。さらにこの事件では、米海軍は事故後もヤノス被告の運転許可証を取り消していませんでした。外務省の日米地位協定の運用規則によれば、「米軍関係者に日本の当局が行政処分を行うことはできない」という取り決めになっています。ヤノス被告は検察の取り調べに対し、事故後5カ月にわたり、交際相手の車を週4回の頻度で運転していたと認めています。

訴状は「日本政府が、米兵らに対し、他の一般人とは異なり、日本の当局による運転者試験を課さず、しかも、日本の当局による運転免許の取消、停止等の行政処分も課さないという特別の地位を与えている以上、在日米海軍司令官を含む上司らには、ヤノスによる米海軍横須賀基地外の日本の公道での自動車運転について高度な監督義務を負っていたと解すべきである」としています。

頻発する米兵による重大交通事故

米兵による重大交通事故は頻発しています。

横須賀市内だけでも伊藤さんの事故後の1年半に2件の死傷事故が相次ぎました。

・2025年3月5日、米兵(44)が運転する乗用車が、横断歩道を渡っていた男性(87)をはね、男性は骨盤や腰の骨を折る重傷。

・2025年4月27日、米兵(32)が運転する乗用車が右折禁止の場所で右折しようとして、対向車線を直進してきたバイクと接触。バイクを運転していた会社員の男性(47)が死亡。

こうした状況も受け、「米海軍上司らが、日本の公道での自動車運転について教育を怠ったことは著しく不合理であるから、民事特別法1条の違法があった」と立論しました。

被告米兵の住所開示 米海軍が拒否

遺族側代理人の呉東正彦弁護士は「ずさんな米兵の体制を改めさせる裁判だ。日米地位協定の改定も求める」と位置づけました。ただし困難な点があります。ヤノス氏の住所がわからないことです。呉東弁護士らは米軍に現在の住所の開示を求めましたが、断られました。本人宛に手紙を書き、6月17日に米海軍に託しましたが、4カ月経っても返事は来ていません。手紙には賠償金の振り込み先口座も記していましたが、送金もありません。呉東弁護士は「米海軍に住所を開示させ、訴状を送達し、まずは裁判を開始させることが重要だ」と話しました。

中村晋輔弁護士=横浜市内

中村晋輔弁護士は「米兵による強盗殺人事件や傷害致死事件でかつて、上司に監督責任を問うたことがある。しかし認められた例は皆無だ」と話しました。公務外の交通事故について上司の監督責任を問う裁判は「知っている限り初めて」。米兵の事件について、日本政府に損害賠償を求めた例も数は少ないそうです。中村弁護士は「米兵による交通事故の多発は、運転許可証の発行や教育体制に問題がある。国家レベルで考えてもらいたい」と訴えました。

処罰を求め賠償を受けるという権利が日本人に保障されていない

呉東弁護士は「日米地位協定は、罪を犯した米兵を日本の裁判権にさらさないという建て付けになっている。米国は米国民を守るという発想だ。しかし、一方で日本政府は自国民を守ろうとしていない。処罰を求め賠償を受けるという当たり前の権利が、日本人に保障されていない」と語気を強めました。

「米兵に対する交通教育の改善はできると思う。少なくとも死亡事故が起きた日をメモリアルデーとして、運転しない日を作ることはできるはずだ。そういうレベルから始め、地位協定の改定まで勝ち取りたい」

呉東正彦弁護士=横浜市内

「再発防止の仕組み整えて」

提訴後の記者会見で、伊藤さんの母(56)は、胸中を記した文章を読み上げました。

事故から1年以上が経ちました。しかし私たちの息子・翼が帰ってくることはありません。そしてこの1年間で事故の原因となった米軍人やその背景にある制度についても何ひとつ変わっていません。
国は、米軍人に日本での運転許可証を発行していながら、事故を起こしても行政処分もなく、責任の所在をすべて米軍基地側の判断に委ねています。事故後も被告人は基地内で自由に運転を続け、賠償も果たさないまま刑事裁判が終われば即帰国させるという、あまりにも米国側に有利な仕組みが続いています。
被告人は葬儀の際、「この事故を重く受け止め一生背負って生きていく」と私たちに言いました。また裁判では「借金をしてでも賠償して償いたい」とも言いました。しかし、判決後、一切連絡もなく、今どこにいるのかさえ、わかりません。自分で発した言葉の通り、心からの償いを果たしてほしいと強く思っています。
私たちは今回の訴訟を通して国の責任を明らかにし、再発防止のための仕組みを整えてほしいと思っています。息子の死を無駄にせず、これ以上同じ悲しみを抱える家族が生まれないよう、真摯に向き合っていただきたいと強く望みます。

「兄の死を無駄にしないで」

伊藤さんの妹(20)は「兄が亡くなってから日が経って、ますます悲しく感じています」と嗚咽でとぎれとぎれになりながら、話しました。

米兵による事故がその後も続いていることについて問われ、「兄の死が無駄になっているような気がして悔しいです。被告は人を殺しておいて、母国に平気で帰れるというのが信じられません。自分の罪を認めて、もう一度しっかりと裁きを受けてほしい」と訴えました。

会見で質問に答える伊藤さんの妹=横浜市内