私を悶々とさせる正体は?婚姻届に思うこと

記者名:

20数年前に出した婚姻届・・・

 昨日、阿久沢悦子記者がリリースした「『妻の氏を選択』は175分の1」を読んで悶々とした。記事にモヤモヤしたのではない。結婚当時、なんの違和感も持たずに夫の姓に変更した「自分」にだ。

せめて仕事は旧姓で

 結婚した20数年前は、今よりもっと「結婚したら妻が夫の姓に変わる」は当たり前だった。母もそうだったし、私自身、なんとも思わなかった。ただ仕事は旧姓を通した。記者として、働く私の存在が名前を変えることで吹き飛ばされてしまう気がして、「このアイデンティティは守りたい」と考えた。紙面に旧姓の署名が載っているのを見た夫の母から「なぜ名前を変えないの」と尋ねられ、「仕事の私と家庭の私は別なので」と答えたが、全く理解されていないのはわかった。

次は年賀状にモヤモヤ

 次に悶々としたのは年賀状だ。お世話になっている人たちに子どもたちの成長を知らせたいと、よくありがちな子どもの写真を基に作った年賀状に、毎年家族の名前を入れた。夫が先頭、2番目私、その次子供たち・・・。でも次第に「なんでわたし2番目?」と思い始めた。夫婦はパートナーであり対等な立場だ。名前を載せる以上、だれかが先頭にならなければならないのかもしれないが、なぜ毎回わたしは「夫の添え物」のように2番目なのか。婚姻届は譲ったが、次は夫が譲る番じゃないか。そう思い、「私が2番目な年賀状はおかしいと思う」と夫に持ち掛けた。
夫は怪訝な顔をして「じゃあ、別々に作ればいいんじゃないか」という。先頭を譲る気はないらしい。というわけで、子どもが大きくなったこともあり、数年前から自分だけの年賀状を作っている。

自分のうかつさに後悔も

 それにしても、やすやすと姓を変えてしまった当時の私も「浅はかだった」と思うが、それが当たり前だと思う「夫」を含め世間の常識にも腹が立つ。この経験を誰かに伝えなきゃと思っていた矢先、弟が結婚することになった。
 弟に「結婚したらどっちの姓を名乗るの?」「自分の姓が変わるって結構後々響くことなんだよ。ちゃんと彼女と話し合った方がいい」と諭した。弟は「まためんどくさいのが始まった」という空気を醸しながらも「わかった。話してみる」と。結果彼女が弟の姓を名乗ることで合意したらしい。

憲法で保障された「個人の尊厳」「両性の本質的平等」

それを軽んじる婚姻制度

しかしそもそも、こんなに私を悶々とさせている正体は、結婚したらどちらかが名前を変えなければならないとする日本の婚姻制度なのだ。日本国憲法は13条で「個人の尊重」を、24条2項で「家族関連の立法における個人の尊厳と両性の本質的平等」を掲げている。性別の違いにかかわらず、個人の自己決定が尊重されなければならないと憲法がうたっているのに、日本の婚姻制度はそれを軽んじている。
 これまで何度も国会で夫婦別姓制度が議論されてきたが、そのたびに反対派から「日本人の家族観にかかわり国民的な議論が必要」などの理由で時期尚早とされ、議論は前に進まない。反対派は「夫婦別姓になれば家族の絆が壊れる」「子どもがかわいそうだ」という。夫婦別姓制度を用いる国は多々あるが、それが原因で離婚が増えたとか、家族が崩壊したという話は聞いたことがない。何を根拠としているのか。

自治体のジェンダーバイアスに愕然

 あー、私が生きている間に夫婦別姓制度ができるだろうかといつも思う。仕事で旧姓を使うのも、職場の理解がなければ一苦労だ。この不便さや不利益が早く解消されないだろうかと思うが、阿久沢記者の記事にあった、自治体の記入例が「夫の氏」92・6%、「妻の氏」0・6%という自治体のジェンダーバイアスに愕然とし、道のりは長いとクラクラする。

 まずは、自分の住む地域の役所に行って婚姻届の記入例を確認したい。氏の選択で夫の氏が例になっているなら、やんわりと役所に指摘をしたい。そして今年もそろそろ「わたし」の年賀状に取り掛かるか・・・(空)