日本軍「慰安婦」について語られる際に、気になるキーワードがあります。
「和解」です。
韓国・世宗大学名誉教授の朴裕河氏が、日本軍「慰安婦」問題をめぐり悪化した日韓関係の改善に向けて書いた2冊の著作「和解のために」、「帝国の慰安婦」がきっかけとなり、とりわけ日本国内の議論で「和解」が「慰安婦」問題に紐付けて語られるようになりました。朴氏の著作は、前者が大佛次郎論壇賞、後者が石橋湛山早稲田ジャーナリズム大賞を受賞するなど日本で高く評価された一方で、韓国では裁判にもなっています。
両義性をはらむ朴氏の著作が、なぜ日本ではとりわけ左派・リベラル知識人に絶賛されたのでしょうか?
その後、東アジアの戦後補償を検討する「国際和解学会」の発足にまでつながった経緯をどう考えるべきでしょうか?
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」が14日、東京都内で開いたシンポジウムでは「和解という名の暴力」をテーマに2人のパネリストから発表がありました。70人が会場参加しました。
朴裕河氏の著作をめぐって
『和解のために』は2005年に韓国語版、06年に日本語版(平凡社)、
『帝国の慰安婦』は13年に韓国語版、14年に日本語版(朝日新聞出版)が出版されました。
前者は「教科書」、「慰安婦」、「靖国」、「独島(竹島)」について、日韓双方の主張の根底にある不信をあぶり出し和解への道筋を探る、後者は「慰安婦」を「性奴隷」「売春婦」とみなす双方の主張の矛盾を突きつつ、解決への道を探ることを主眼としています。
14年6月、元「慰安婦」の人たちが共同生活を送る韓国・ナヌムの家のハルモニ9人が、「帝国の慰安婦」の出版差し止めを求める民事訴訟を提起、本の中の記述について名誉毀損で朴氏を刑事告訴しました。民事訴訟では原告が地裁で勝訴、原版から34カ所が削除され、なお係争中です。
一方、刑事訴訟は17年に1審で朴氏無罪、2審で有罪、23年10月に大法院破棄差し戻しとなり、24年4月に差し戻し審で無罪が確定しました。
刑事訴訟をめぐり、研究者の著作の内容を司法的判断の対象とすることに対し、韓国内外の知識人の声明が相次ぎました。「公権力から学問の自由を守れ」という趣旨です。それとは別に朴氏の著作には事実関係の誤りなどが散見され、研究書として問題があるという研究者らの指摘もあります。
「日本は植民地でいいこともした」
シンポジウムで、東京経済大学教授の早尾貴紀さんは、「1990年代以降の右傾化の流れと、戦後民主主義者たちの躓きや限界が合致した先に「和解論」がある」と発言しました。
1990年代は「冷戦」と「昭和」の終焉とともに始まりました。戦争の記憶が急速に過去のものになり、「戦後50年」の1995年には漫画家小林よしのり氏の「戦争論」、96年には藤岡信勝氏の「教科書が教えない歴史」の連載が始まり、両者は「新しい歴史教科書をつくる会」で合流します。政治家も、中川昭一、安倍晋三(ともに故人)両氏らが「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成。「日本は植民地でいいこともした」「じいちゃんは悪くない」などの感情をベースに、戦争や植民地支配による加害を否定する歴史修正(改ざん)主義が強まっていきました。
2000年代には石原慎太郎・東京都知事の「三国人」発言や小泉純一郎首相の度重なる靖国神社参拝があり、中国、韓国、北朝鮮との関係が悪化しました。こうした右傾化の流れと並行するように、リベラル派の知識人の著作や論争で「戦後民主主義」の欺瞞性が明らかになりました。
少年兵から「慰安婦」への感謝は「愛」?
元「慰安婦」への補償と問題解決のための民間基金「女性のためのアジア平和国民基金」の呼びかけ人に、ベトナム戦争反対など戦後の市民運動を率いてきた歴史学者の和田春樹、哲学者の鶴見俊輔両氏が名を連ねました。
鶴見氏は著作で「日本の国内事情から言って国家補償はできないので、民間募金でするしかない」「少年兵が戦地で慰安婦を抱いて慰めてもらい感謝しているのは、愛だと思う」と記しています。これに対し、川本隆史氏が「兵士の側の思いを愛と呼ぶのは一方的だ、当の慰安婦が感じていた苦痛も考慮すべき」と反論。「慰安婦」被害当事者や支援団体からも意見が出て、対立を招きました。
また、アイヌ民族に関する著作で知られる花崎皋平氏は「戦後の日本社会が戦争責任を果たせなかったのは、アメリカの占領と東アジア冷戦に規定されていたから」とし、在日朝鮮人の作家、徐京植氏の戦後責任論に対し、「正解がすでに想定されており、それを認めろという糾弾モードである。これでは相手を萎縮させる。『わかってもらう』という対話モードが必要だ」と指摘し、論争に発展しました。
並み居る「戦後民主主義者」「リベラル知識人」が、日本が戦争責任を果たせないことを「仕方がない」「国家補償はできない」と白旗を揚げ、「日本人の立場をわかってくれ」と侵略を受けた側に訴えるという転倒がみられます。
歴史修正主義とミソジニーの結託
早尾さんはここに、「和解論」の素地がある、とみます。朴裕河氏の「和解のために」は韓国内のナショナリズムに対する批判に、日本のリベラルが飛びつくという形で賞賛されました。その後、和解論はアジア平和基金による補償を肯定し、2020年には早稲田大学を拠点として国際和解学会が発足します。
早尾さんは「露骨な歴史修正主義とリベラル派知識人の中道主義が結託できた背景には、植民地主義の認識の希薄さがある。中道知識人が持っている左翼嫌い、フェミニズム嫌悪(ミソジニー)も和解論を後押しした」と話しました。
女性たちの「事実」は長らく歴史ではなかった
岩手大学教授の古橋綾さんはフェミニスト視点から和解論を読み解きました。2010年〜18年に韓国の大学で研究した経験があり、朴氏の著書についての韓国内での反応もリアルタイムで知っています。
女性たちの「事実」が長らく歴史として考えられてこなかった中、1990年代以降の、日本軍「慰安婦」だった女性たちの告発は大きな衝撃を持って受け止められ、女性たちの口述生涯史(オーラル・ライフヒストリー)の聴き取りが進みました。証言をどう聞くのか、どのように記すのか、矛盾のある語りをそのまま採録するのか。こうした点に注意が払われ、研究が進められてきた中で、「朴氏の著作では証言が粗雑に扱われていた」と古橋さんは指摘します。
さらに古橋さんは、社会学者の上野千鶴子氏が、「慰安婦」支援団体の共同代表だった尹貞玉氏による発言「あなたたち(日本側)は、フェミニズムの視点はあったが、植民地問題をちゃんと理解していない」をひき、「韓国の運動は植民地と宗主国、被害者と加害者を線引きするもので、韓国のフェミニズムはナショナリズムの下に置かれていた」と批判したことを取り上げました。(2024年6月23日、デモクラシータイムス「慰安婦問題の現在到達地点」)
女性と民族、植民地への差別が複雑に絡まり合う
古橋さんは「上野さんは『慰安婦』運動とは韓国国内の民族主義だ、と見なしている。『慰安婦』問題は、女性差別と民族差別、植民地差別が複雑にからまりあった複合差別(インターセクショナリティ)だという視点がない。白人女性が人種差別的であるのと同様に、私たちは日本人女性が民族差別的であると直視する必要がある」と話しました。
韓国のナショナリズムが、「若い娘が無理矢理連行され、性暴力を受けた」「慰安婦=無垢な被害者」という硬直したイメージを作っているという上野氏の批判に対しても、古橋さんは「韓国の人たち、とりわけ30代以下の女性たちはそうは思っていない。元『慰安婦』のハルモニの多様性について、知っているからです。むしろそれは、日本の右派が持っているイメージでは?」と疑問を呈しました。
「慰安婦」運動についてのあいまいなイメージを掲げ、そのイメージを批判することは、正しい理解の助けにはならない、と古橋さんは言います。
「人権」という価値が日本では重視されない
古橋さんは国際和解学研究所が編纂した和解学叢書全6巻を精読し、その問題点についても指摘しました。
所長の浅野豊美氏(早稲田大学教授)は日韓の「国民形成のあり方」には断層があるとし、論文の中で、「(日本は)国民の記憶や感情が結びつけられるところの普遍的な価値は、『発展』=『豊かさ』と結びつけられる『平和』であり、両者を合わせた『文明』や『近代』であり、その前提として国民としての『平等』が位置づけられる」「『人権』を保障することこそ文明であり、平等の基礎であるという(韓国をはじめとする諸外国の)考えとは対極にある」と定義しています。だから、「『植民地責任』が認識され得ず、『自虐的』なものと受け止められる」とも書いています。
古橋さんは「人権という価値が日本では重視されない。植民地責任には向き合えない。本当にそうでしょうか?」と疑問を投げかけます。そして、「大規模な人権侵害に対し事後的に司法的、非司法的な解決を試みる『移行期正義』の考え方や、それに基づく紛争解決学は日本にはなじまない。だから、日本式のやり方で東アジア共同の未来を構想しよう」という和解学の提案を、「新たな帝国主義ではないか」と批判しました。
叢書には「慰安婦」に関する論文はフィリピンの運動の状況に関する1本しか掲載されていません。ジェンダーの視点に立った論文もなかったといいます。
古橋さんは「1990年代後半の歴史修正主義は明確な日本中心主義と男性優位主義に基づいていた。続く2000年代以降の和解論では韓国を下に見て、女性の存在を無視している。思想や担い手、系譜は全く異なるが、根っこの部分では重なる」と結論づけました。
性暴力が重大な問題だという「文化」がなかった
続くパネルディスカッションではなぜ日本の中道リベラルと「和解」に親和性が高いのか、が話題になりました。
早尾さんは「いわゆる戦後民主主義者、日本の中道リベラルは、植民地支配という『犯罪』への認識が弱かった。欠落があった。アジアへの優越意識は日本の知識人が明治以来抱えている根深い問題だ」と述べました。
古橋さんは「問われているのは慰安婦と現在の性暴力の連続性です」と言います。
「日本社会には性暴力が重大な問題だという『文化』がなかった。ずっと被害者に落ち度があると、被害者が下に見られてきた。刑法改正などで性暴力の被害に目が向けられるようになった今、慰安婦問題を日本社会がどう考えるのか、新たに議論を始めたい」と話しました。
被害者の側が「度量を示す」の?
シンポジウムの後、筆者は上野千鶴子氏と朴裕河氏が出演したデモクラシータイムスの配信を再見しました。番組の最後に上野氏は朴氏の「帝国の慰安婦」の一節を読み上げました。
「被害者の示すべき度量と加害者が身に付けるべき慎みが出合う時、初めて和解が可能になる」
日本人には天皇制や連合国軍の占領という「特別な事情」があったのだから、植民地支配や戦争犯罪の責任を取れない、日本人にその議論は馴染まない。だから旧植民地の方が理解しろ、歩み寄れ、度量を示せ、その上で和解しよう。
そのような言説はそれそのものが暴力です。そこに性暴力に対する理解が進まない状況が上乗せされている。だから慰安婦問題が解決されないままでいることを、私たち現代の日本の女性は見過ごせないのだ。そんな原点を確認できた集会でした。
シンポジウムに先立ち、同日午前、wamのエントランスで「追悼のつどい」が開かれました。2017年以来、毎年8月14日に、この1年間に物故者となった各国の日本軍「慰安婦」サバイバーの女性たちの名前を呼び、エピソードを話したり、詩を読んだりして、数ではなく名前と顔を持った人として追悼しています。
今年亡くなられた方は9人で、お名前は次の通りです。
【中国】
王志鳳さん 2023 年 8 月 29 日 死去
偉さん 2023 年 8 月 30 日 死去
蒋さん 2023 年 9 月 18 日 死去
李美金さん 2023 年 11 月 9 日 死去
欧陽さん 2024 年 2 月 14 日 死去
沈建美さん 2024 年 2 月 18 日 死去
劉年珍さん 2024 年 2 月 27 日 死去
林さん 2024 年 6 月 7 日 死去
【フィリピン】
フェデンシア・ダビッドさん 2023 年 12 月 18 日 死去