暴力をふるう訓練をしている基地のそばで、平和に生きられる? 沖縄、佐世保、逗子……隠蔽された米兵の性暴力

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軍隊の側で、女性が平和に生きていくことは難しい

沖縄で昨年12月に発生した米兵による少女誘拐暴行事件について、政府が沖縄県に半年間も伝えず「隠蔽」していたことを受け、衆議院第一議員会館で9月2日、院内集会「『運用改善』で終わらせない!女を利用した軍事化と米軍性暴力の不処罰を許さない」が開かれました。隠蔽がわかったのは6月25日。沖縄県や市民の批判を受けて政府は7月5日、「今後は所定の手続きに従って情報共有の運用を改善していく」と述べました。しかし、他にも複数の米軍性暴力事件が沖縄県に伝えられていなかったほか、米軍基地がある他の自治体でも、情報が隠蔽されていたことが次々と発覚しています。集会では各地の女性たちから追及の声が上がりました。

被害者保護を口実に、人権侵害を過小に見せかけ

はじめに、アジア女性資料センター代表理事の本山央子さんが開催趣旨を話しました。

今回の問題は一部にすぎず、米軍性暴力をあえて見えにくくする構造があることが見えてきました。しかしその要因についてはなんら十分な調査も行われておらず、誰一人、責任をとってもいません」

「特に重要なのは、被害者の名誉とプライバシーが隠蔽を正当化する口実に使われたことです。性暴力を含む人権侵害を繰り返さないためには被害者のプライバシーを保護しつつも、市民が必要な情報にアクセスし、ジェンダー等の要因を視野に入れながら、必要な対策を検討していくことができる体制が不可欠です」

「被害者保護を口実にして基地がもたらす人権侵害を過小に見せかけ人々に危険を押しつける政府のやり方は、きわめて家父長的といわざるを得ません」

「来年は、少女性暴力事件をきっかけに基地押しつけに対する大規模な抗議が沖縄で燃え広がり、また安全保障を含むあらゆる領域における女性の権利擁護を政府の責務とした北京女性会議から30年。世界のフェミニストたちはこの間、家父長的な政府によって女性たちが守ってもらうのではなく、性暴力のスティグマを被害者に押しつけ黙らせてきた構造を解体し、平和と安全保障の意味をジェンダー的な視点から根本的に考え直そうとしてきました」

「女性の権利を一層の軍事化の口実として利用させない。口先だけの運用改善で終わらせず、米軍性暴力を二度と繰り返させないために、必要な行動とは何か今日は一緒に考えて参りたいと思います」

◆宮城晴美さん講演

続いて沖縄の米軍性暴力について調査を続けている「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会の宮城晴美さんが、戦後史の中での米兵の性犯罪の変遷を話しました。

「来年で米軍が居座り続けて80年になります。最初の50年間にもたくさんの性犯罪が起こったのに、すべて隠されてきた」

宮城さんと高里鈴代さんは1995年の米兵による小学生のレイプ事件をきっかけに、96年から冊子「沖縄・米兵による女性への性犯罪」の発行を始めました。沖縄県公文書館や図書館に通い、地元の新聞記事から拾い出した1945年4月以降の事件を年表にまとめています。最新版は2021年12月までの被害をまとめた2023年4月発行の第13版で、70ページに及びます。

米軍、沖縄上陸当初から性暴力

1945年3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島に上陸した米軍はすぐに現地の女性に性暴力をふるいました。

本島北部の東海岸に住民用の収容所が作られ、その中でレイプが起きました。野戦病院でも入院した重傷の女性たちがレントゲン技師に襲われたり、憲兵隊に襲われたり。46年以降は畑仕事の女性たちが、夫の目の前でレイプされる事件が相次ぎました。47年は昼の外出禁止が解け、自由通行中に被害に遭いました。48年以降は仕事帰りや住居侵入による被害が目立ちます。当時沖縄には米軍による軍警察(MP)と日本人による民警察(CP)がありました。民警察の統計によると、46〜49年の4年間に訴えがあった性被害は1030件。宮城さんらの調査では、いずれの年も被害者より加害者の方が多く、1人に対し2〜3人で襲う形態が目立ちます。

民警察が統計を作ったのは、知事が軍政府に慰安所設置を訴えるためでした。1950年、若い米兵が性的欲求を満たす場所があれば、性犯罪や性病の蔓延が防げるとして、ダンスホールを兼ねた慰安施設が各地に作られました。

1949~52年の米兵による性被害件数宮城さん作成のパワーポイントから)

「朝鮮戦争に行きたくない」増える性暴力

しかし、それでも事件は続きました。1950年6月、朝鮮戦争が勃発していたからです。

「戦場に行きたくないから事件を起こしてつかまる。つかまれば行かないですむ。その事件の中にレイプがたくさん含まれていた」(宮城さん)

特に狙われたのは子ども達です。

1955年9月3日、6歳の女児が嘉手納高射砲隊所属の米兵に拉致、強姦され、惨殺されました。「由美子ちゃん事件」と呼ばれています。その7日後には、マリン部隊の一等兵が住居侵入し、父親が妻と長女を退避させて隣人に助けを求めた間に、9歳の二女が拉致され、強姦を受け、翌日になって血だらけになって倒れているところを発見される事件も起きました。

ベトナム戦争により凶悪化

「ベトナム戦争が始まると性犯罪が凶悪化し、特に本島中部地区に集中するんですね」

被害者はホステスが多く、レイプ後、絞殺し、裸にして墓地や排水溝に放置する事件が相次ぎました。

「ベトナム帰りの米兵は目つきからして怖かったそうです。でも米兵がいないと商売があがったりなので、兵士たちが戦地から帰還する船が着くと、ホテルまで行って迎えて同伴出勤する。怖いけれどもそうしなければならなかった。食事に誘われて断ると殴られる。店のものを壊して暴れる。体調が悪い女性の代わりに『食事だけよ』と言って出て行ったホステスが翌日遺体で発見されたこともあったそうです」

1972年に沖縄は日本に復帰しますが、ベトナム戦争が終わる75年までこうした事件が続いたといいます。

米国ではベトナム戦争反対運動を受けて、徴兵制から志願兵制に切り替わります。沖縄に駐留する海兵隊は19~25歳の若年兵を中心に組織され、訓練の中で女性蔑視が強化されます。アジア人や沖縄に対する差別的なイメージもあったそうです。宮城さんは「米軍基地には性と暴力の密接な関わりがある」と証言した元軍曹の記事を引用し、「個々の海兵隊員の問題ではなく軍隊という構造の問題なんですね」と話しました。

宮城晴美さん=東京都内

メディアの報道による二次被害

メディアによる性犯罪報道の問題点も指摘しました。「被害者に対する描き方がひどいなあ、って思うんです」

1949年9月、生後9ヶ月の赤ちゃんが襲われたことを報じた当時の記事の見出しは「痴漢 嬰児を襲う」。

「この赤ちゃんの両親は米軍のレストランで働いていて、加害者の米兵と家族ぐるみの付き合いになって、赤ちゃんを預けた。連れ帰った時に高熱を出していておかしいということで病院に連れて行ったら、陰部裂傷で重体だった。その後、亡くなったと聞いた。由美子ちゃんと、この赤ちゃんはもし生きていたら、私と同じ年なんです。沖縄では、いつ誰が襲われてもおかしくない。でも、メディアは軍政府の出版許可が打ち切られないように、米軍を逆撫でしないような書き方をした」

最近は、沖縄の新聞も「性的暴行」とはっきり書くようになりましたが、宮城さんは「以前は乱暴、暴行、いたずら、わいせつ行為。記事の内容からはレイプなのか、器物損壊なのかわからないものが多かった。性的な犯罪ときちんと報道してほしい」と言います。

宮城さんは大学で10年間、授業を持ってきました。1995年の事件について、学生から「少女が殴られたぐらいでなぜ県民大会を開いたのか?」ときかれ、驚いたそうです。「若い人はレイプとわかっていない。きちんと伝えないと事件の深刻さがわかりにくい」

止まない「落ち度」論

レイプされた女性に落ち度があると見られることも多いです。

由美子ちゃん事件をめぐり当時の婦人連合会会長は琉球新報への寄稿で「関係のない私共まで憤まんと恥ずかしさにふるえる」「子供一人をエイサーに行かせたのは軽率」「(沖縄の)大抵のお母さん方は子供の帰宅が遅れても無関心」と被害者の母親を責めました。

1966年4月19日に米兵2人に強姦された13歳の少女について、琉球新報は「近くに民家があり、大声で叫んで抵抗すれば逃げられる可能性があった」と書いています。

2016年5月にうるま市で20歳の女性が元海兵隊員に強姦、殺害された事件では、新聞各紙とNHKが「女性は短パンをはいていた」「(女性がウォーキングしていたのは)こんなに暗い場所です」などと報じました。

「いかにも被害者に非があるような報道の仕方が問題だと思います。被害者がなかなか声を上げられなくなる」

家父長制度により集落に居られなくなる

また沖縄の家父長的な家族制度「門中制度」が被害者をより一層追い詰める、とも指摘しました。

「本家の長男嫁は必ず男の子を産まなければいけない。レイプされた女性は家族だけじゃなく、集落の恥とみられ、事件の箝口令(かんこうれい)が敷かれる。集落におれなくなる。沖縄はみんなきょうだいのように仲がいいと聞くと、嘘つけと思います。男性には確かにそうかもしれない。けど嫁いできた女性やシングルマザーには冷たい」

「コザ騒動、島ぐるみ土地闘争などの反米闘争の中に女性のレイプ事件は入っていないんです。ある活動家からは『基地問題を女性問題に矮小化するな』という意見もあった。女性の人権が等閑視されてきたんです」

米兵犯罪は発表されず、起訴されず

メディアが初めて大きく取り上げたのは1995年の米兵3人による少女レイプ事件でした。世界女性会議に参加した女性たちが帰国後怒りの記者会見を開いたことで海外メディアにも大きく取り上げられました。

「基地問題が女性の人権の視点から語られるようになるまで50年かかったんです」

しかし、日米両政府の密約がネックとなり、最近でも米兵犯罪が裁かれることは稀です。

2001~08年の米兵犯罪の不起訴率は平均83%、07~16年の米兵による強姦罪で送検された33件のうち起訴は1件のみでした。

昨年12月の誘拐・暴行事件が半年間、隠蔽されていたことを知った宮城さんの感想は「ああ、またか」でした。

「これまで、いかに事件が封じ込められてきたか。県警が毎年発表している犯罪統計の中に件数として上がっていても、メディアに発表されていない事件が必ずある。今後は是非探ってほしい」

日本復帰前、琉球警察は強姦発生件数と検挙件数の両方を発表していましたが、復帰後は逮捕しても不起訴が多いため、統計は検挙件数と検挙人員のみとなりました。沖縄県警によると1972年〜2023年末の米軍構成員による犯罪検挙総数は6235件、うち強姦は138件ありました。

1995年の事件を受けて、日米地位協定の運用が改善され、起訴前の米兵の身柄引き渡しが行われるようになりましたが、2002年のレイプ未遂事件で米軍は拒否に転じ、以後は行われなくなりました。

米軍の事件・事故の通報経路(宮城さん作成のパワーポイントから)

被害に遭った人が救われるにはどうしたら

話は8月の少女誘拐暴行事件の裁判に及びました。

宮城さんは問題点を次のように指摘しました。

「加害者は罪を否定しています。検察官は何度も性的行為の具体的内容を少女に聞いた。弁護士も検察官も裁判官も、抵抗しなかった理由を少女に問い続けた。被告の弁護人は事件に関係のない少女の容姿のことにまで触れたのに、それに対して、検察官も裁判官も異議を唱えなかった」

「少女への尋問は7時間半もかかったのに、別室からのビデオリンク方式ではなく、少女はコの字型の遮蔽板の狭い中に閉じ込められて答えたんです。司法、行政、立法、すべて問題が多い。本当に被害に遭った人が救われるにはどうしたらいいのかを、沖縄だけじゃなくて、日本のみなさんも一緒に考えていってほしいなと思います」

◆リレートーク

リレートークでは7人が語りました。

宮古島「有事の時にはどうなるんだろう」

◆石嶺香織さん(「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」共同代表)

宮古島からリモートで参加した石嶺香織さん

私達は宮古島で7月10日ごろに抗議声明を書いたんですね。沖縄で他の市町村がすでに議会での抗議決議など上げている中で、宮古島では市議会が決議を上げられていなくて、やきもきしていたんですけど、市民からでも行動しようと作り始めて、みなさんの(7月2日の女性団体によるもの)が心に響いたんですね。プライバシーについて明確に書いてあったところを引用させてもらいました。

私達は米兵による性暴力が何度も繰り返される状況を許してきた米軍および日本政府に強く抗議する。また日本政府による情報隠蔽、特にその口実として被害者のプライバシーが利用されることに強く抗議する。被害者のプライバシーに配慮しつつ情報を市民、自治体と共有することは可能であるばかりでなく、あらゆる性暴力、ジェンダーに基づく暴力を根絶するためにも不可欠である。政府が被害者のプライバシーをたてに、必要な情報を隠蔽することは許されないことであり、政府の都合のよい解釈運用が沖縄の女性・少女たちを傷つけている

今回、政府が隠蔽したことも大問題だけど、その理由にプライバシーを挙げたというのがすごく問題だと思っています。いま普通に小学校の不審者情報でも、具体的に「どこどこのコンビニの前で、どこどこの小学校の何年生がどういう被害を受けた」と保護者に連絡メールで回ってくる。名前さえ出さなければ、プライバシーが公になることもないし、より具体的なことを書くことで、近所の人たちが注意したり、被害を予防したりできる。そんな世の中で、米軍の問題だけ、プライバシーと言って、具体的な市町村名も、公園の場所も、少女の年齢も明かさない。小学生か中学生かもわからない。そんな状況で、プライバシーを理由にしているというのがやはりすごくおかしいと思いました。政府がプライバシーと言ってしまったことで、沖縄のメディアも萎縮したのではないかと思う。プライバシー保護と情報公開は別なのに、情報が表になったら少女のプライバシーを傷つけるという忖度が働いて、これまでの米軍による事件のように自治体名が報道されなかった。具体的な情報が明らかにならないことで、県民が実感を持って事件を感じられなかったり、怒りの矛先が見つけられなかったりした。なぜ県民集会が起きないんだといわれますけど、情報がきちんと公開されないから怒ることができなかった。

私たちの声明文に宮古島市民51人が賛同してくれて、7月14日に記者会見をしました。「てぃだぬふぁ」の共同代表の楚南さんと私の娘たちが参加しました。小学生と中学生です。子どもたちも自分たちの問題として怖いし、こんな世の中を変えてほしいと思ったんだと思う。子どもがこんなことを言わなきゃいけない沖縄の状況を考えてもらいたいと思っています。

その後、毎週日曜日にスタンディングを続けています。

米軍による性暴力事件は基地があることによる平時の事件なんですけど、いま、私たち宮古島の市民はそれ以上に有事になったらどうしようという不安と懸念が大きいんですよね。宮古島や八重山では島外避難ということが実際に言われている。シェルターを作るという話もある。与那国では島外避難をするための、条例ができました。あと何年この島に住み続けられるんだろうという状況の中で、平時の危害を考える余裕もないくらい、生活の基盤が失われるかもしれない状況にあります。

今回なぜ政府が隠蔽したかというと、国が軍事化を進めていて、米軍と共同訓練する自衛隊基地をどんどん作っている。どんどん軍拡している中で、性暴力事件が起きたという報道がマイナスになると思っての隠蔽だと思う。隠蔽の理由はどこにあるのかにも目を向けてもらいたいなと。軍拡の犠牲になっているのが女性たちだということだと思います。

自治体への通報ルール、なぜ守られなかった?

◆片山かおるさん(沖縄を孤立させず、日本政府の情報隠しに抗議し自治と文献を求める地方議会議員の会、東京都小金井市議)

片山かおるさん

隠蔽が明らかになったのが6月下旬。すでに6月議会が終わっていて意見書が出せない自治体がある中、長谷川くみ子相模原市議の呼びかけで全国の264人の地方議員や元議員、市民が賛同して、この会を結成し、7月19日に外務省、防衛省、警察庁に対し「在沖縄米空軍兵による少女誘拐・暴行事件に関する緊急要請」を行いました。

かなり密な質疑が行われております。6点の項目に沿って質疑を行いましたが、外務省と警察庁が責任を押しつけ合うような情けないやりとりをしていて、当日の回答では不十分として、後日文書回答を求めました。外務省と警察庁からは回答が返ってきました。しかし、それも納得のいく物ではなかったので、国会議員に連絡し、国会での質疑に生かしてほしいと依頼しています。

私達が特に何を求めていきたいか。

日米合同委員会による自治体への通報のルールがきちんとできていたのに、それがなぜ守られていなかったのかということについて、追及しています。日米地位協定の改定も求めていきたい。こちらについては各自治体の9月議会で意見書を出して行こうと呼びかけているところです。小金井市議会では日米地位協定の改定を求める意見書を何回も出してきている。他の自治体では外交関係に関する意見書は出せないとも聞くが、今回に関しては取り組んでもらいたいとお願いしているところです。

・1997年の日米政府の合意文書の主旨と合意に至った経緯を再認識し、在日米軍人・軍属にかかる事件・事故の発生の情報を通報手続きに従って地元自治体に速やかに提供する体制を再構築すること
・外務省は米政府が被害者に謝罪と十分な補償を遅滞なく行うよう責任をもってあたること
・米軍人等を特権的に扱う日米地位協定の抜本的改定に向けて力を尽くすこと
・米軍基地の有無にかかわらず、地方自治体に対し地方分権の推進において対等な関係を築いていくために不断の努力を講じること

こういったことを求める意見書を提案しようと思っています。

10月にもジュネーブで国連女性差別撤廃委員会の日本報告審議があります。こちらについても、省庁交渉で外務省には伝えましたが、担当でないと意識はしていないということでした。そういう状況の中でこういったことを放置しているのは非常に恥ずかしいと考えております。怒りを持って抗議することを意見書に盛り込んでいきたい。

性暴力は憲法13条「幸福追求権」の蹂躙

◆飯島滋明さん(名古屋学院大教授、憲法学)

飯島滋明さん

憲法学者に一番大切な条文を挙げよと言ったら、かなり多くの学者が13条を挙げると思います。一人ひとりの個人を大切にしましょう。一人ひとりの個人が幸せになる、それを権利として認めましょう。個人の尊厳、あるいは幸福追求権を保障しているのが憲法13条。

性犯罪はまさに13条を蹂躙する行為です。憲法研究者の声明でも個人の尊厳、女性の性的自己決定権を侵害するということを書いてあるかと思います。

8月2日に憲法研究者66人が記者会見し、「相次ぐ米兵性犯罪に関する憲法研究者抗議声明」を発表しました。

今回、本当にいろんな問題があると思います。米兵の犯罪が公務中とされると、日本で裁けなくなってしまう。飲酒運転で人をはねて殺しても無罪やきわめて軽い刑になることが非常に多くあります。さすがに強姦に関しては公務外だという言い方をするんですが、その場合は第一次裁判権は日本にあるんですけど、起訴までは被疑者の身体拘束ができないということになっています。刑事裁判権が著しく侵害されている。

刑事訴訟法は警察が動き出す段階から定めているが、米兵の犯罪に関してはその最初の段階から著しく制約される。

国民に主権があると定めた憲法前文、憲法76条の司法権を制約する。犯罪を犯したのなら日本人と同じように裁かれなければいけないのに、そうではない。憲法14条の法の下の平等違反です。

1953年に日米間で「裁判権放棄密約」というのを結んでいる。「日本にとって著しく重要と考えられる事件以外については第一次裁判権を行使するつもりがない」という密約です。その結果、東京新聞が報じていますが、2008~12年に神奈川県内で米兵の起訴率がわずか5%。性犯罪にいたってはすべて不起訴だったと。

沖縄でも3件不起訴が相次いだ。不起訴だからいいですね、という話にはならない。抗議集会をやっていた7月4日にも米兵が女性の胸を触る事件があったが、それもあっという間に不起訴になっている。

少女誘拐暴行事件の裁判がひどい。あの裁判官は米兵を無罪にするかもしれないと私は感じました。女性の証言があいまいだとしかねない。訴訟指揮がおかしいと声を上げることが、被害者の女性を守る意味でも必要です。

性犯罪の事件は普通保釈されないが、米兵はあっという間に保釈されている。裁判権放棄密約の影響がないかを見る必要がある。

刑事裁判で裁けない時、民事裁判でどうなるかというと、賠償命令が出ても米兵は払わない、米国も払わない。払うのは日本政府です。そういう馬鹿げた実態がある。

被害を受けた女性は精神的なカウンセリングや補償を受けているのか。されていないと思う。

コロナの感染も米軍基地があるところで広がった。沖縄は水不足で断水するような状況でPFASで汚染されている水を取らざるを得なかった。こうした問題も日米地位協定があるから基地の中に立ち入り調査ができない。

日米地位協定の改正について、歴代の政権はどういう対応をとってきたか?

小泉純一郎首相は2001年、沖縄県北谷町の放火事件を受け、国民に対し、「あまりギスギスしないように」と話した。

安倍晋三首相は2013年、国会で「他国との地位協定との比較においても、日米地位協定が特に不利なものとなっているとは考えておりません」と発言した。

いったい何人の女性が犠牲になれば変わるのか?今回も厳重に抗議した形跡がないですよね?

日本を取り戻すのであれば、憲法改正よりも地位協定の改正が必要だ。東京の中野から西の制空権は横田基地が持っている。ここから取り戻さないといけない。

沖縄に被害を押しつけているのは誰?

◆與儀睦美さん(基地・軍隊はいらない4・29集会実行委員会)

與儀睦美さん

2016年に20歳の女性が殺されたうるま市の事件のことをアピールしたり、学習会をしたりしてきました。

今年の4月29日にも、東京・原宿で小さなカードを配ってきた。そのカードに書かれたメッセージを紹介します。

2016年4月28日午後8時過ぎから、29日の未明にかけて、沖縄県うるま市で痛ましい事件が起きました。
ランニングをしていた20歳の女性が、元海兵隊員の軍属に背後から襲われ暴行を受け、殺された上、遺棄されたのです。
沖縄では戦後、米軍統治下から今日まで、米軍人による事件・事故が後を絶ちません。沖縄の女性たちは性暴力におびえる日常生活を強いられているのです。それは日米両政府が狭い沖縄にあまりに多くの軍事基地を押しつけているからです。それに加え、今は自衛隊基地が琉球弧の島々に配備・強化されています。
暴力装置としての軍隊が日常のすぐ隣にある限り、性暴力はなくなりません。基地・軍隊による被害をなくすため、日本に住む私たちに何ができるかともに考えませんか?

年に1回だけでもこういうことを続けてきたのは、「押しつけているのは誰なのか?」ということを考えるためなんです。

日本政府が、沖縄をそういう状況に置かせている。日本政府を許しているのは日本国民であるということで、こういう行動を毎年続けています。

今回の事件については、特に日本政府が隠蔽している、隠蔽してきたということが明らかになった。議員の方々の政府交渉もありますが、私たちも9月13日13時半から省庁交渉を行います。警察庁、法務省、外務省、防衛省とやります。その後の院内集会では高里鈴代さんに来ていただきます。18時半からは首相官邸前行動もあります。

長崎でも強制わいせつを隠蔽 「なんかせんば」

◆松尾亜紀子さん(エトセトラ・ブックス)

松尾亜希子さん

沖縄での隠蔽が発覚してから、長崎、山口、福岡などでも隠蔽されていた性暴力が報道され、長崎でも2016年に強制わいせつ容疑、17年には準強制わいせつ容疑で米軍関係者が書類送検されたという事件が隠されていたことが明らかになりました。そこで、米国の原子力空母エンタープライズ号入港にずっと反対してきた宮野由美子さんや、相談員をされてきた方など超党派でつくった「佐世保女性ネットワーク」のメンバーたちが要望書をつくりました。ちょうど佐世保にいた私や琉球大の阿部小涼さんもそこに加わり、8月26日、20名ほどが集まり佐世保市長、市議に対して次のことを求めました。

1・米軍関係者による性暴力事件に強く抗議すること
2・再発防止策を主体的に講じること
3・県警と日本政府に対し発生した事件を速やかに公表するよう求めること
4・日本政府に対し日米地位協定の抜本的改定を求めること


 市役所前で佐世保では初のフラワーデモも行いました。
 佐世保は第2の沖縄にならないようにという日米両政府の思惑で、基地犯罪への抗議活動が抑えこまれてきた歴史があります。しかし、すでに九州全域が着々と軍事化されている中、沖縄に連帯するため、佐世保で長年活動してきた女性たちが、「なんかせんば」と集まったわけです。その中のおひとりは、「被害者にこの自分達の行動を知ってほしい、そしてあなたは悪くない、この加害を生む基地システムがおかしいのだという私たちの訴えが届いてほしい」と言っていました。
佐世保市長への要請に続き、もっと賛同を集めて長崎県知事宛てと県議会議長宛にも米軍への抗議のための要望書を出すそうです。小さなうねりかもしれませんが、地元によるたいへん切実な抗議です。全国の基地のあるところで基地にも暴力にもNOを突きつける運動が広まり、連帯できることを望みます。

逗子で米兵が暴行、7カ所骨折の女性も

◆池田尚代さん

池田尚代さん

私は起訴率が低いと言われた第三の基地県、神奈川の逗子市から参りました。

逗子海岸で2年前の7月に起きた事件についてみなさまに知って、賛同署名をいただきたいと思って報告します。

逗子市には米軍基地があり、隣接する横須賀市にも基地がいくつかある。逗子市は米軍住宅もあります。

逗子海岸は駅から歩ける海岸で、外国の方もくるんですが、7月9日の夜8時半頃、飲酒をしていた米兵が何を思ったか駅に向かう道で急に走り出して、歩いて帰宅する途中の海の家の職員4人を暴行したんです。駅で現行犯逮捕されたんですけれども、逗子署はすぐ釈放してしまいました。アルコール検査は本人が拒否してできず、薬物検査にも至っていない。女性1人は7カ所も骨折させられています。海の家の組合が抗議をし、市長も抗議をしました。ようやく米兵が基地の中で拘束されるという状況になった。起訴をされても身柄が日本に引き渡されず、今もって補償はされていません。裁判は民事も刑事も継続中です。判決が9月26日に予定されています。7月16日に弁護人が頼んだ精神鑑定結果が出ましたが、アルコールによる譫妄(せんもう)状態で本人には責任能力がないというものでした。そんな主張が判例になったらとんでもない。民事の方も10月18日に次回期日が開かれます。ぜひ、電子署名にご賛同ください。

ずっと米軍の特権を維持させ続けている日本

◆渡辺美奈さん(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」)

渡辺美奈さん

沖縄で性暴力の問題に取り組んできたからこそわかった、さまざまな視点が共有されたと思います。

今日9月2日は1945年にミズーリ号上で日本が降伏文書に調印した日です。それからほとんど何も変わっていない。ずっと米軍の特権を維持させ続けているということを改めて確認した会になったと思います。

宮城さんの話の中に出てきた、由美子ちゃんの事件は1955年の9月3日です。そして(沖縄県民大会につながった)1995年の少女暴行事件は9月4日です。9月の第1週というのは、日本がずっと占領下にあるということを思い起こす時期にしたいぐらいの日程だと思います。宮城さんが、もし由美子ちゃんが生きていたら私と同じ年と言った言葉は、心に突き刺さりました。

宮城さんたちが作成した年表にある女性たちは、殺されていなければ、生きていまこの状況を見ているわけです。また女性が性暴力事件の被害にあったということを、沖縄でも、違う地域に移り住んでいたとしても、いつも見ている。そして痛みを抱えながら長い長い時間を過ごしているということを、改めて想起したいと思います。

1995年の事件の後に、自分が告発しなかったから、またこのような事件が起きてしまったと被害を語った女性のメッセージを一つだけ紹介して終わりたいと思います。

「暴力をふるうことを目的に人間の殺し方を日夜訓練している軍隊の側で、平和に生きていくことはできるのでしょうか」

この問いに対して、宮城さんの話も、逗子の話も、佐世保の話も、「そうではない」と突きつけていると思います。

絶対にこのことを風化させない。今度こそ変えるという気持ちでがんばっていきたいと思います。