〈遅くとも、初産を35歳までに‼〉〈脱草食化!脱セックスレス!〉〈子どもを望むなら、手遅れにならないように…〉―
秋田県が、公費で全県の高校2年生に配ったプレコンセプションケア(女性やカップルに将来の妊娠のために健康管理を促す取り組み)の冊子「将来、ママにパパになりたいあなたへ~妊娠・出産のリミット」(全14ページ)に書かれている内容です。
冊子を作成したのは「一般社団法人 日本家族計画協会」(北村邦夫会長)。
1954年に設立され、国や自治体と協力しながら家族計画や母子保健の普及啓発事業などを展開している団体です。
日本家族計画協会によると、冊子は協会内で執筆し、会長の産婦人科医・北村邦夫さんが監修して2013年に刊行したものです。協会の「保健指導用・健康支援用 教材・備品カタログ」(2025年版)では〈成人式・各種イベントでの配布にも最適〉と紹介され、自治体などが購入しています。
静かに浸透する「日本版」プレコンセプションケア
いま日本では、自治体による「官製」のプレコンセプションケア(女性やカップルに将来の妊娠のために健康管理を促す取り組み)が国策として静かに浸透しています。
2021年、「プレコンセプションケアに関する体制整備」が盛り込まれた政府の基本方針が閣議決定され、2023年には基本方針の変更によってプレコンセプションケアの教育・普及啓発が「国民運動」の中に位置付けられました。
この流れの中で、秋田県は2023年度に公費で冊子を1万700部(約160万円分)購入。全県の高校2年生に配布したほか、市町村の窓口を通じて婚姻届を出した人たちにも配布しています。また2020年度と2022年度にも、同じ冊子を購入して全県の高校2年生と新婚世帯に配布しました。
際立つ「卵子」と「妊娠のための健康」
秋田県が配布したプレコンセプションケアの冊子に触れる前に、いくつかの自治体によるプレコンセプションケアを見てみます。まず東京都のプレコンセプションケアのサイトとYouTube動画です。
次に、神奈川県のプレコンセプションケアのサイトとユーチューブ動画です。
ここに挙げた秋田や東京、神奈川だけでなく、官製プレコンセプションケアは各地の自治体に広がっています。
〈妊娠はいつかだなんて、のんびり屋さんね!〉〈女性はエステで綺麗になっても卵巣までは若返らないのよ〉――。神奈川県の公式アニメ動画では、産婦人科医が夫婦にそんなアドバイスをする場面が続きます。
なぜ個人のライフプランに、行政がここまで踏み込む必要があるのか――。民間のクリニックなど「私的」なところではなく、国や自治体という「公的」なところが公費で一斉に「妊娠のための健康」を啓発することの問題について、考えてみたいと思います。
まずは、日本でSRHR(性と生殖に関する健康と権利)の実現を目指す #なんでないのプロジェクトの福田和子さんとともに、秋田県が配布した冊子を読んでいきます。
「年老いた顔」になった卵子のイラスト
日本の官製プレコンセプションで強調されがちなのが「卵子の老化」です。 https://www.pref.tokushima.lg.jp/ippannokata/kenko/iryo/5052383/ (徳島県) https://www.pref.oita.jp/soshiki/12470/preconception-care.html (大分県)
冊子にも「卵子の老化」「卵子の数が減っていく」ことが強調して記されています。
最初のページにあるのは〈女性のライフサイクルと妊娠・出産について〉。そこに描かれている女性は20歳の時には「バリバリのキャリアウーマンよ」と言っていて、35歳になると妊娠について「えっ手遅れ!?」と困ったような顔をします。
35歳を過ぎた女性の卵子には皺が寄り、年老いた表情に描かれています。そこに精子が「熟女キラーです」と言って手を差し伸べる――。
「卵子中心に動くんでしょうか、女の人生は。とにかく子どもを産むことへの『圧』が強いと感じます。もちろん、産みたいのに産めないということは、なるべく減ってほしい。しかし同時に、産むことが強迫観念のようになるほど『産む』ことを迫る社会はつくるべきではないし、実際に今、その圧に苦しんでいる人もいます。まずは、何より重要な『産むか産まないかは自分で決めてよいのだ』という権利の視点が見当たりません」。福田さんはこう指摘します。
冊子では、卵子の老化とともに「高齢出産の危険性」についても強調されています。そこには〈奇形および染色体異常の頻度が上昇する〉〈遅くとも、初産を35歳までに〉〈妊娠・出産にはタイムリミットがあるのです!〉などの言葉が並びます。
「不妊治療をしている人、治療に苦しい思いをしている人たちは、これを読んでどう思うでしょうか。不妊に悩んでいる当事者を追い詰めることにならないでしょうか。また、不妊の原因の半数が男性にもかかわらず、ほとんどのフォーカスが女性、卵子にばかり向けられているのも気になります」
男性に「肉食」になれと説く
最終ページには〈脱!草食化!女性だけではない妊娠・出産について〉とあります。
〈近年、がつがつと異性を求めない、いわゆる草食系と呼ばれる男女が増えています〉〈脱草食化!脱セックスレス!〉
裏表紙では女性がウエディングドレスを着ていて、男性はライオンとして描かれています。
「男性に『ライオンになれ』と、いわゆる肉食になれと言いたいのでしょうか? こういう昔ながらの有害なマスキュリニティ(男らしさ)をやめよう、互いを尊重したコミュニケーションをとろうとたくさんの人が声を上げてきて、少しずつ社会は変わってきたはずです。相手に嫌な思いや無理をさせることのないよう、慎重になることが『草食系』とネガティブに揶揄されるべきではないと思います。また、ここには『性的同意』についても書かれていません。SRHR(性と生殖に関する健康と権利)の根本にあるのは『個人が決める』ということであり、人口調整とは対極にあるものです」(福田さん)
さらに福田さんが指摘したのは、同性を恋愛対象とする人など性的マイノリティの存在が排除されている点です。
「女性のライフステージのイラストでは、15歳になった女性が『彼氏ほしい』と言っています。前提がすべて異性愛規範(男性は女性を、女性は男性を好きになるという考え方)になっています。そこに、同性愛者やノンバイナリー(性自認が男性・女性に当てはまらない人)、無性愛の人たちは入っていません」
使い方を誤れば人権侵害になる
日本には1996年まで「優生保護法」という法律がありました。〈不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護すること〉を第1条の目的にかかげ、国と地方自治体、医療が一体になって、障害のある人たちに強制的な不妊手術を「行政の方針」として行っていました。強制的な不妊手術は1976年まで続いたといい、決して大昔の話ではありません。
福田さんはこの歴史を踏まえ、次のように語ります。
「プレコンセプションケアだけでなく、すべてに言えることですけれど、使い方を間違えるとすさまじい人権侵害になりえます。例えば性教育も『家族はこうあるべき』といった価値観を押し付ける教育にすることもできれば、包括的性教育のように『いろんな家族がある』という人権をベースにしたものにもできる。使い方を誤ると性教育だって『産め』という圧になりかねません」
「不妊相談」の声をきっかけに作成
日本家族計画協会は、東京都の電話相談「不妊・不育ホットライン」の事業を受託しています。協会によるとホットラインに寄せられた相談をきっかけに、この冊子は生まれたと言います。
「40歳を過ぎた段階で不妊治療をする、あるいは『30代後半だけれど、2人きりの時間を数年楽しんでから子どもを考えたい』といったお電話が続いたことをきっかけに、『卵子の老化』に特化して伝えたいという思いで冊子を作りました。それが2025年の今日に至るまで、なぜか売れているという状況です」(同協会)
冊子は2013年の刊行後、自治体などに継続的に購入されているということでした。
北村邦夫会長にも話を聞きました。
北村会長は「『卵子の老化』という表現が適切かどうか分からないですけども、間違いなく妊娠・出産には生物としての限界があるんだということを知らせようというのは、私たちにとっても非常に重要なテーマだと思っています。産むか産まないかというのは個人の選択の問題であって、国が旗振りするとかそういう類のものではないという疑義を私自身も持っていましたが、一方で、このようなリーフレットがあってもいいと考えています」と語ります。
冊子が「産まない」選択や性的マイノリティの存在、性的同意などの視点に欠けている点については「この冊子の内容自体が古くなっている」と話しました。冊子は2013年の刊行後、一部改訂を重ねていますが改定の内容はデータの更新などにとどまっているといい、協会の担当者も「冊子の内容はほぼ2013年のままであり、2025年現在の目で見るとかなり古くなっている」と話します。
秋田県が高校2年生に一斉に配布していたことについて、北村会長は「そういうところに配布されているということは初めて知った」とし「学校の副読本というような発想は全然ない。一般向けに、より興味を持てるように書いたものであり、学びの全てがここに集約をしているとは思えないので、冊子を使うに際しては、学校で(補足的に説明をするなどの)対処ができたらよりよい教育になるのではないか」と話しました。
「選択できる環境を整えたい」と秋田県
「プレコンセプションケア」として、なぜこの冊子を選び、高校生という年齢層に配布したのか。秋田県に文書で尋ねたところ、次のような回答が寄せられました。
〈(秋田県が)特定不妊治療費助成の申請を受け付けた際、「卵子は増えるものではないこと」など、治療開始後に初めて知る情報が多く、若い頃から正しく知っておきたかった、という意見が寄せられたことから、将来、妊娠や出産を希望するとした場合に備え、正しい情報を、タイミングをみて届けることを検討したものです。監修者は思春期保健の分野では著名な方で、中高生向けの性教育に関する著書も多く出されている方でもありますので、高校生でも受け入れやすいものであると考え、活用させていただきました〉
また「卵子の老化」「高齢出産に伴う危険(奇形や染色体異常を含む)」「出産のタイムリミット」が強調され、妊娠・出産をせかすような内容のものを高校生に配布することについて問題を感じなかったか尋ねたところ
〈県では希望する方の妊娠・出産を支援することとしておりますが、そのような印象を受ける方がいることについては、今後も配慮してまいります。他方、記載されている「卵子の老化」等の記載内容は事実と言われているものであり、プレコンセプションケアにおいては、伝える必要がある情報だと考えています〉〈若者に十分な情報を提供し、選択できる環境を整えていきたいと考えており、いろいろな受け止め方や考え方があることにも配慮しながら、今後もプレコンセプションケアの推進に取り組んでいきたいと考えております〉
との回答が寄せられました。
医療だけでなく「人権」の視点を
秋田県が配布した冊子は、日本の官製プレコンセプションケアのほんの一端です。
そして秋田県の取り組みが特殊かというと、決してそうではありません。自治体が設けているプレコンセプションケアのサイトを見ると「出産のリミット」「卵子の老化」「妊娠のための健康」が強調されたものが目につきます。そのような考え方は「日本版のプレコンセプションケア」を提唱してきた医療者側の資料からも垣間見えます。
福田さんは、スウェーデンでパブリックヘルス(公衆衛生)の修士を取得した際の経験をもとに、次のように語ります。
「日本に限らず、世界ではパブリックヘルス(公衆衛生)の名のもとに深刻な人権侵害が行われてきました。スウェーデンにもナチス・ドイツの優生思想を含めて『未来の医療のため』といった美辞麗句のもと人体実験が行われてきた歴史があり、大学ではそういった歴史をまず教わりました。パブリックヘルスに携わる人間は良くも悪くも力を持ち、恐ろしいことに加担しかねない存在だからこそ、倫理が大事であると学びます。日本には優生保護法下で人権侵害をした歴史があります。プレコンセプションケアには、医療だけではなく人権を学んできた人たちの意見を入れることが、非常に重要なのではないかと思います」
日本の官製プレコンセプションケアは、なぜこうも個人のライフプラン(人生設計)に介入するものになったのか。次回②では「日本のプレコンセプションケアとWHOのプレコンセプションケアの相違」について考えます。
〈参考・引用資料〉
・こども家庭庁サイト https://sukoyaka21.cfa.go.jp/infographic/thema6/
・国立成育医療研究センターサイト
https://www.ncchd.go.jp/hospital/about/section/preconception/
・一般社団法人日本家族計画協会サイト https://www.jfpa.or.jp/we-healthcare/12.html
・「男女共修 将来、ママにパパになりたいあなたへ~妊娠・出産のリミット」(一般社団法人日本家族計画協会)
・「成育医療等の提供に関する施策の総合的な推進に関する基本的な方針について」(2021年2月9日閣議決定)https://warp.da.ndl.go.jp/collections/info:ndljp/pid/12895174/www.mhlw.go.jp/content/000735844.pdf
・「成育医療等の提供に関する施策の総合的な推進に関する基本的な方針」改定(令和2023年3月22日)のポイント https://www.mhlw.go.jp/content/11908000/001076349.pdf
・東京都福祉局公式サイト https://www.fukushi.metro.tokyo.lg.jp/kodomo/shussan/preconceptioncare
・神奈川県公式サイト「丘の上のお医者さん」 https://www.okanouenooisyasan.com/
・徳島県公式サイト https://www.pref.tokushima.lg.jp/ippannokata/kenko/iryo/5052383/
・大分県公式サイト https://www.pref.oita.jp/soshiki/12470/preconception-care.html
・令和元年度厚生労働科学研究費補助金(女性の健康の包括的支援政策研究事業)
分担研究報告書「日本におけるプレコンセプションケアの定義案と目標案の検討」
・優生保護法 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00219480713156.htm
・CALL4サイト「優生保護法に奪われた人生を取り戻す裁判」
https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000086