狭山事件で無期懲役となり、仮釈放後に再審を求めていた石川一雄さんが亡くなった。最後まで闘う意欲を失わず、果敢に司法の壁に挑んでいた姿が忘れられない。訃報を聞き、後悔しかない。朝日新聞に在籍中に、石川さんの闘いについて書くことができなかったからだ。
「ボブ・ディランに曲を依頼」 出稿予定が没に
2002年、兵庫県の被差別部落にルーツを持つ人たちが、ボブ・ディランに会いに行くという企画を立てた。
ボブ・ディランには、冤罪を被った黒人ボクサーのルービン・カーターに寄せた「ハリケーン」という曲がある。兵庫県の若者が、同じくボクサーで冤罪被害者の袴田巌さんと、被差別部落出身というマイノリティの石川一雄さんに寄せた曲を作ってもらいたいとボブ・ディランに依頼に行く。実際に会えるかはわからないし、会えても依頼を受ける可能性は低いだろう。それでも、その道中を取材してもらうことを通して、冤罪や反差別を社会に広くアピールしたい、という趣旨だった。
私はとても意義のある企画だと思い、デスクに出稿予定を出した。
開口一番、デスクは言った。
「冤罪って断定できないでしょ? 新聞社は司法機関じゃないんだから」
そう、当時は袴田事件も狭山事件も、せいぜいが「冤罪とされる」という枕詞で語られていた。いや、その枕詞すら否定され、紙面で扱うことはまかりならないというデスクも少なくなかった。
司法当局が認めていない事件について「冤罪」と断定するには、深く長い調査報道が必要だ。日本テレビの清水潔記者の足利事件報道などがあるが、例外に過ぎない。多くのマスメディアはその努力以前に、司法当局が冤罪と認めないものを「冤罪」と書き切ることができない。まして司法担当記者の中には、冤罪に対して露骨に懐疑的な人もいた。捜査当局の言い分を信じ、「あいつがやったに違いない」という先入観にとらわれていたのだ。
とても恥ずかしいことだけど、私は有罪報道を覆すだけの長く深い取材に携わっていなかった。ただ、世の中から忘れられそうになっている事件について、若い人たちがなんとかして光をあてようと努力をしている、その様を伝えたかっただけだ。その点で、たいそう甘ちゃんだった。
出稿予定はそのままゴミ箱に捨てられた。
企画はひょうご部落解放・人権研究所の岸本眞奈美さんが実現させ、ホームページで発信し、多くの読者を勇気づけた。でも、新聞には載らなかった。
名前の後に「仮釈放中」と書く残酷さ
2022年9月、記者生活の最後の方に、東京の司法記者クラブで再審を求めて会見した石川一雄さんの話を聴いた。そのとき、石川さんは背筋をピンと伸ばして次のように訴えていた。
「検察から新たに開示された証拠は、当時、わかっておれば、果たして有罪判決が出されたであろうか、というもの。鑑定人は、取り調べ時の録音テープ、万年筆、スコップといった物証について、それらがすべて当時の捜査の間違いと、科学的に明らかにしてくれた。裁判所が証拠を精査され、事実調べをしていただければ、石川一雄の無実が明らかになる。しかし、裁判所が無実性を明らかにしない限り、無実にならない。どうか新証拠をみていただきたい。83歳の石川はまだまだ元気だが、再審請求は3次で終結しなければならない。なんとしても再審請求を通さなければ」

私が所属していた新聞社からも複数の記者がこの会見に参加していたが、紙面化はされなかった。
このたびの訃報でもほとんどの新聞社が、「無実を訴えていた」とあくまで石川さんの側の主張であるかのように書き、名前の後に「=仮釈放中=」とただし書きを入れた。それはとても残酷なことではないだろうか。
訃報の後、静岡大学名誉教授の黒川みどりさんが著した「被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件」(岩波書店、2023年)を読み返している。
黒川さんは次のように記している。
そもそも狭山事件を知らない、あるいは(仮釈放中という)「見えない手錠」がかけられたままの状態の背後に「差別という事実」の存在することを知らない人はいまだ少なくない。そこに目を向けることは「最大の差別であり人権の欠如」に陥らないための入口になるのではないか、そしてそうあらねばならないと思う。
日本では一度有罪とされた人間のレッテルを剥がすことに尽力するマスメディアの記者は、非常に少ない。たとえ再審請求が通っても、無罪が確定しなければ、「冤罪とされる」の枕詞は取れない。無罪が確定して、初めて大々的な記事になり、その時点になってやっと、今までの自分たちの報道についての「反省」が掲載される。
それでいいのか。
新聞社を離れた今、冤罪事件に関心を寄せる責務を石川さんから預かったのだと感じている。
石川さん、生前に書けないままで、ごめんなさい。今からでも、あなたの雪冤を晴らしたい。
多くの支援者とともに、そう思っています。