【Z世代の群像①】「被爆体験の継承をゴールにしない」 核廃絶ネゴシエーター・高橋悠太さん

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連載【Z世代の群像】社会を変えたいと動き出す20代がいる

環境やジェンダー、核廃絶――。さまざまな社会課題の解決に向け、若者たちが声を上げ、動き出している。デジタル環境を活かしてゆるやかにつながり、リアルな現場で連帯を深めるといった、従来の組織的な活動とは違う、新たな形の政治参加を模索する活動家たち。「Z世代」を中心とする若い人の声を、政治や市民社会は受け止めていけるのか。時代背景を読み解きながら、活動家たちの素顔を探る。

核の問題 自分の言葉で語り合う

 「戦争はだめ。核兵器のない世界を。子どもは、大人に求められる『答え』が分かってしまう。それらの『答え』を越えて、子どもたち自身の言葉で問題を語ってほしい」。8月7日の広島市内、前日の平和記念式典に沖縄県から参列した親子連れらを前に、核廃絶に向けた政策提言を行うシンクタンク代表理事の高橋悠太さん(23)は力強く語り掛けた。この日は、教員グループが主宰したワークショップに講師として参加。戦争の悲惨さを学んだその先に、子どもたち自らが考え、行動できる平和教育のあり方を探った。

 高橋さんは2019年1月、岸田文雄首相(衆院広島1区選出)をはじめ与野党の国会議員に核政策に対する考えを直接聞こうと、仲間と共に「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)を発足。昨年5月に広島で開催された主要7カ国首脳会議(G7サミット)向けて核軍縮の議論に市民の意見を反映させる活動に奔走した。大学卒業後の23年5月、核問題を専門とするシンクタンク、一般社団法人「かたわら」を設立。政府や国際機関に働き掛けを行うネゴシエーター(交渉人)として活動を続けている。

平和教育と政治の距離 10代から見つめて

 広島県福山市出身。私立の中高一貫校に進学し、友人に誘われて核やハンセン病問題などについて学ぶヒューマンライツ部に入部した。同部では、毎年8月を中心に核廃絶に向けた署名活動を行い、中高生が街頭に立つ。だが、行き交う人の目線は容赦がない。「子どもは家に帰って勉強しろ」「原発にも反対するのか」。高圧的な言葉で迫る人は珍しくなく、当初は戸惑った。

 ある高齢女性の記憶が鮮烈に残った。署名をしながらポロポロと涙を流し始めたその女性は、原爆で家族を失い「あの日を思い出すから辛くて、今までサインできなかった」と打ち明けた。街頭活動や署名運動を素通りする市民が大半だ。それでも、高橋さんは「平和を願う誰かの声を受け止め、時に可視化する」意義を実感。「多様な意見がある中で、自分はどこに立脚するのかということを街頭で学んだ」と自負する。

 広島や長崎における平和運動や教育現場が背負う歴史は複雑だ。高橋さんの地元である福山市の教育現場を巡っては1998年、人権教育が社会運動や政治活動の影響を受け、中立性の観点から「不適切」だとした文部省(現・文部科学省)が県教育委員会に異例の是正指導を行った。さらに60年代を生きた世代は、ソ連の核実験を巡って旧社会党と日本共産党の対立が激化し、全国的な核廃絶運動の組織が分裂するという苦い経験もした。

 10代だった高橋さんも、政治や政党色と慎重に距離を置いて人権平和教育に当たる顧問の姿勢は強く感じた。「当時はそれが正しいと信じて、大きな疑念は抱かなかった」という。高校へ進級した2016年から、日本原水爆被爆者団体協議会代表委員を務めた坪井直さん=21年に96歳で死去=ら、被爆体験者の証言を聞き取る活動を本格化。高齢化が進む戦争体験者に高校生が話を聞く姿はメディアから度々取材を受けた。「原爆の問題において、記憶の継承は特に重視され、絵として切り取られてきた」。高橋さんは「被爆者の体験を継承することのみが目的化していった。若い世代が体験者の証言をどのように咀嚼し、核廃絶への解決策を探るかという問い掛けが抜け落ちてしまっていた」と平和教育における課題を指摘する。

平和教育を考える親子連れのワークショップで参加者と語り合う高橋さん=8月7日、広島市

「広島」というフィルターを外して

 高校時代に重なるように、核廃絶を巡る機運には変化があった。16年5月、米国のオバマ大統領が広島市を訪問。17年に核兵器禁止条約(24年1月現在、日本を除く70カ国が批准)が国連で採択され、同年10月、採択に貢献した国際NGO「核兵器国際廃絶キャンペーン(ICAN)」がノーベル平和賞を受賞した。国内外の関係者を招いた講演やイベントが広島市で開かれ、足を運んだ。「広島の外では、世界では広島がどのように語られているのか」。その問いの答えを探そうと、大学進学のため上京した。

 核問題に取り組むシンポジウムや研究室を訪ね歩き、全国各地から集まった学生と会って議論を交わした。共有したのは、これからを生きる世代は、安全保障に加えて、人権や自然環境など多くの課題を左右する核問題の当事者であるということ。21年、首都圏から核廃絶を訴える学生団体「KNOW NUKES TOKYO(ノウ・ニュークス・トウキョウ)」を発足。新型コロナウイルス感染拡大を受けて、オンラインによる交流やクラウドファンディング(資金募集)が定着したことも追い風になった。

 翌年、集まった資金でオーストリアの首都ウィーンへ渡航し、核兵器禁止条約の第1回締約国会議にNGO組織として参加。別の国際会議のために訪れていた日本の外務省担当者に直接署名を届けた。日本が締約国会議にオブザーバー参加として留まることを迫ったものの、担当者はあいまいな答えに終始。高橋さんは、その瞬間を「最も悔しい思い出」に挙げる。

教育現場と市民社会につながりを

 大学3年だった21年10月、高校時代から交流があった坪井さんが亡くなった。さらに、翌年2月には核保有国であるロシアがウクライナに軍事侵攻。危機感が募った。大学卒業後も活動を長く続けるため、「就職した方がよい」と言う周囲の声を押し切ってシンクタンクを起業。将来への不安や活動家としての無力感に心が揺れた時期もあったが、今は「10代、20代の声を先行世代や政治の場に橋渡しをする」役割を見据える。

 「安全保障問題は秘密裏に交渉が進んだり、情報公開が妨げられたりするなど、市民側は主体的な意識を奪われがちだ」と感じる。たとえ小型の核弾頭であっても、被災地には長く放射性物質が残留し、地域の分断や差別を助長するなど、市民社会への影響は免れない。「体験者の証言に耳を傾け、現在の核問題を語ることは若い世代が問題への主体性を取り戻すことにつながる」と高橋さん。子どもたちの活発な議論の場を支えるため、教育現場とNGO活動との接点を新たに生み出したいと考えている。

5月、24年のG7議長国となったイタリアで開催した「C7サミット」に参加した高橋さん。(左から2人目)核廃絶に取り組む欧州の市民と意見を交わした©︎一般社団法人「かたわら」提供

高橋 悠太(たかはし・ゆうた) 
2000年、広島県福山市出身。盈進中学高等学校を経て、慶應大法学部卒。核廃絶を目指した発信や政策提言を行うシンクタンク一般社団法人「かたわら」(横浜市)代表理事。「核政策を知りたい広島若者有権者の会」共同代表。超党派の政治・市民団体、個人などでつくる核兵器廃絶日本NGO連絡会幹事。24年5月には、同年の主要7カ国首脳会議(G7)の議長国となったイタリアで開催した市民団体・NGOなどによる「C7サミット」に参加するなど、国内外の核政策に対する監視や提言を続けている。

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