戦後80年「被爆の実相」体験なき世代に問われる言葉を超えた理解 日本被団協事務局次長 和田征子さん

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被爆当時者がいなくなる時代、体験のない私たちは核の実相を伝えていくことができるのか?

 広島、長崎の原爆投下から80 年。国内の被爆者は9万9130人(2025年3 月末時点、厚生労働省)となり、10万人を割り込んだ。被爆者の平均年齢は86 歳。証言を直接聞くことができない時代を迎える時、体験や記憶を伴わない世代は「被爆の実相」にどのように耳を傾ければよいのか。 世界に被爆証言を伝え続け、昨年ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の和田征子・事務局次長(81)=横浜市鶴見区=に聞いた。

記憶のない「体験」 語ることへの葛藤 

 「母から聞いた言葉をそのまま伝えることしか、私にはないんですよ。『たったこれだけ?』と思われるかもしれない」。1歳10ヶ月の時に長崎市内の自宅で被爆した和田さんには、原爆投下直後の記憶はない。「だから、いつもためらいがあるんです」

 物心がついた頃から、家族や母の友人の間で自然と原爆の話題になるのを耳にしてきた。話は断片的であり、時系列もままならない。それでも和田さんは、講演やスピーチに立つ際、間接的な伝聞を 補ったり、自身の気持ちを付け加えたりすることなく母の言葉を語ることにしている。「自分の中で は、それが長崎で暮らした母の『実相』だと思う」からだ。

 1945 年8月9日、爆心地から南東2.9 km に位置していた自宅は、爆風で窓ガラスなどが割れたものの、金比羅(こんぴら)山の山陰に当たり大きな被害は免れた。家族は全員無事だった。原爆投下直後、金比羅山の斜面に山道を「アリの行列のように」歩いて下る被災者の姿を見たと、母は折に触れて話していた。母が手当した近隣の人々は、顔や体は火傷や血液で黒く、血のついた毛髪は固まって逆立っていたという。 

「知りたい」米国で暮らした経験を機に

 被爆証言の継承に携わり始めたのは、40 歳を過ぎてからだった。夫の転勤に伴い、家族4人でアメリカで過ごした経験が一つの契機になった。現地で日系人が集まる教会へ礼拝に通い、日本人移民の住民から戦時中に強制収容所に収監されたり、戦地に部隊として送られたりした体験を聞いた。アメリカでは、原爆投下が終戦を早め、結果的に多くの犠牲を救ったとの論調は根強かった。「やっと 安定した生活を取り戻した日系人の人々を前に、被爆者であることは言えなかった」と和田さん。 「帰国してから、これではいけないなと思ったんです。(原爆投下が)正当化されているという思いは ずっとあった」。被爆者についてもっと知りたいとの思いから、東京都大田区の原爆被害者組織「大友会」の一員として、証言集や新聞の発行などを手伝い始めた。

  活動の一環で、会員の証言集を出版する機会があった。和田さんも、それまで母から聞いた原爆投下直後の様子を1ページ半ほどに書いてまとめた。長崎に帰省した際、目の前で文章を読んでもらっ た時の母の表情は今も頭に浮かぶ。文章に目を通した母は「こげんもんじゃなか」と、不満そうに一言だけつぶやいた。「なんでも喋る仲の良い親子」だったが、母の長い沈黙には「(原爆については)そこにおった人にしか分からんとよ、といった感じの寄せ付けない雰囲気があった」と言う。その後、 2011 年に母が89 歳で亡くなるまでの間、自分から原爆の話題を切り出すことはできなかった。

「実相」を受け止める人間力 そしてノーベル平和賞

 体験者にとって「実相」とは、「言葉では表現できない、一言ではくくることができないリアリティ (現実)だ」と和田さんは話す。「母の言葉を私が文章にして伝えても、母が感じた実相は自分の受け止めた言葉とは違うもの。そこに『実相』を伝える難しさがある」と感じている。証言集ではたびたび、「地獄のような」との形容が用いられる。しかし「そうした言葉は後付けだ」と和田さんは思う。 まだ小学生や中学生だった子どもが親しい人を原爆で亡くした記憶には、遺体や傷口の匂い、日差し の暑さや喉の渇きといった感覚がこびりつき、悲しみや恐怖が言葉として心にあったわけではない。

 文字や写真、音声などの媒体、2 世や3世被爆者の証言から実相を知るためには、見聞きする側の 「想像し、共感する人間力」が欠かせないと和田さんは話す。そうした人間力を発揮した一人が、ノルウェー・ノーベル委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長(40)だったと感じている。

 フリドネス委員長は昨年12月の平和賞授賞式で、日本被団協の授賞理由について「被爆者はわれわれが言葉で言い表せないことを表し、核兵器によってもたらされる理解し難い痛みと苦しみを何とか理解する助けとなっている」と評した。フリドネス委員長は当時、まだ被爆体験者に直接会ったことはなく、広島や長崎を訪問した経験はなかった。

 和田さんは「地球の裏側にいても、被爆者の証言を読み、想像することができた。それは彼の人間力なんだと思います」。 7月下旬に初めて来日したフリドネス委員長は都内で講演し、「不安定な核の時代に突入する瀬戸 際だからこそ、被爆の実相へ道徳的に立ち戻る必要がある」と若い世代に訴えた。「(核の非人道性を)記憶する作業には私たちの命がかかっている。それは生き抜くだけの命ではなく、尊厳のある、 希望を持って生きることができる命のことです」と語り掛けた。

 被爆の実相を語り継ぐ人間力について、和田さんは「国や人種を問わず与えられた命が尊いものだということへの理解」だと表現する。若い頃に洗礼を受け、英文学を学んだ和田さんは、「自分が被爆者であることと、クリスチャンであることは表裏一体だと思っている」と話す。文学や宗教、哲学といった学びが「自分の人間性をどうのように培うか」を考えさせてくれるという。知識や情報を得ることに終始しがちな現代において、言葉を丁寧に紡ぎ、感性や想像力を鍛える学びが問われている。

核兵器禁止条約第3回締約国会議の開会に臨む和田さん=3月3日、ニューヨーク(和田さん提供)

「道徳上、許されない兵器」核に依存する世界に訴え続け

 今年6月、米軍がイランの核施設を攻撃したことを受けて、トランプ米大統領は「あの一撃で戦争は終わった」との認識を示した。広島と長崎の原爆投下に触れ、「本質的に同じ」だと発言。和田さんは「核兵器がもたらす結末を何もわかっていない」とし、憤りを隠さない。核兵器が人道的に許されない兵器だという理解は「世界でも、日本の中でも十分ではない」と語る視線は険しい。

  ロシアがウクライナに侵攻した2022 年以降、核兵器を巡る情勢は危うさを増している。今年3 月に開いた核兵器禁止条約の第3回締約国会議では、過去にオブザーバー参加した北大西洋条約機構 (NATO)加盟国のノルウェー、ドイツが不参加。日本は、北朝鮮や中国に対する安全保障環境の悪化を理由にアメリカの「核の傘」への依存を深める中で、今回も参加を見送った。 核兵器禁止条約は 2017 年、国連総会で 122 カ国の賛成を受けて採択された。採択の瞬間を自宅から中継動画で見守った和田さんは、「重い鉄の扉がぎいっと音を立てて開き、明かりが見えた」ように感じた。しかし、一触即発の世界情勢が報じられる近年を眠れない気持ちで過ごしている。

  条約の批准国は73カ国で、国連加盟国193カ国の4割ほど。原水爆実験で放射能汚染を受けた南半球の国々を中心に、人々の健康や生活、環境に深刻な影響を与える核の非人道性を知る当事国が多い。和田さんは「なぜ核兵器を再び使用してはいけないのか、なぜ条約が機能する必要があるのか、 少しでも多くの国に知ってもらいたい。核保有国ではない国が果たす役割は大きい」とする。核兵器が 国際人道法に反するとの規範を示した条約へのサインは「被爆証言を普遍的に受け止めてもらうことを意味する」とし、「日本の役割は非常に大きい」と強調する。

 今年 3 月、歯がゆい思いで締約国会議に参加した和田さんに、ニューヨークで喜ばしい再会があっ た。13 歳の時に広島で被爆した平和活動家のサーロー節子さん(93)=カナダ在住=が、和田さんの講演会場を訪ねてくれた。和田さんはかつて、記憶のない被爆体験を語ることへのためらいをサー ローさんの前で口にしたことがある。サーローさんは「日々の生活の中でお母さんたちからたくさん の話を聞いて、その中であなたは育った。話をしてください。若い人が話をしてくれることがうれしい」と背中を押してくれた。 核兵器について「一人でも多くの人に自分ごととして、考えてほしい」との和田さんの思いは約40年の活動を通じて確信に変わった。「私たちができることは、語り続け、拙い言葉であっても伝えてい くことしかありません」。 

今年3月に核兵器禁止条約第3回締約国会議のため渡航し、現地で再会したサーロー節子さん(右)と和田さん(和田さん提供)

和田征子(わだ・まさこ)
1943 年、長崎市生まれ。明治学院大卒。英語教員を経て、結婚。夫の転勤に伴い、77年から5年間、米カリフォルニア州で過ごした。2015年から日本被団協事務局次長。24年から日本 国内のNGO関係者でつくる「核兵器をなくす日本キャンペーン」副代表理事として、若い世代とと もに日本政府に対して核兵器禁止条約の批准に向けた働きかけを続けている

*ノルウェー・ノーベル委員会のフリドネス委員長の言葉は下記より一部引用

【共同通信(オスロ・2024年10月11日)「ノーベル平和賞授賞理由全文」】

【上智大学(東京・2025年7月27日)「ノーベル平和カンファレンス in Tokyo 基調講演 (日本語同時通訳)」】

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