関東大震災から102年の節目となる9月1日、東京都墨田区の横網町公園で「朝鮮人犠牲者追悼式典」が開かれました。関東大震災では災害後の混乱の中、「朝鮮人が井戸に毒を流した」「朝鮮人が攻めてくる」などの流言が広まり、各地で軍、警察、自警団などにより多数の朝鮮人、中国人らが虐殺されました。炎天下に約500人が参加。追悼の辞では、この夏の参院選での排外主義的な言説の高まりに警鐘を鳴らすものが目立ちました。
「日本を愛する女性の会」を自称し、同公園で同日同時刻に朝鮮人虐殺を否定する集会を開いてきた「そよ風」は、今年は集会を開きませんでした。このグループは「犯人は不逞朝鮮人」などの集会の発言で2020年と2023年に東京都人権条例に基づきヘイトスピーチの認定を受けていました。
一方、小池百合子都知事は就任2年目から9年連続で追悼メッセージを送りませんでした。
異質性が感じられる人間集団が標的に
日朝協会東京都連合会の宮川泰彦会長は内閣府中央防災会議が2009年にまとめた災害教訓の継承に関する専門調査会報告書の一部を引用、朗読しました。
「(関東大震災の朝鮮人虐殺の背景には)当時、日本が朝鮮を支配し、その植民地支配に対する抵抗運動に直面して恐怖感を抱いていたことがあり、無理解と民族的な差別意識もあったと考えられる」
「時代や地域が変わっても、言語、習慣、信条等の相違により異質性が感じられる人間集団はいかなる社会にも常に存在しており、そのような集団が標的となり得るという一般的な課題としての認識が必要である」

その上で、次のように話しました。
「今日、外国人差別は全くなくなっているのだろうか? 友人、共に生きる人ではなく、治安、統治の対象として見ることはないだろうか? 朝鮮人、中国人、アジア各国の人たちとの共生は、今を生きる我々の課題だ。そのためには悲惨な史実から目を背けず、1974年から開催されているこの式典を継続することは今を生きる我々の責務だ」
排外的なヘイトスピーチが憎悪を増幅させる
亀戸事件追悼会実行委員会の中嶋育雄さんは「当時、当局の日本人の間に、朝鮮人は何をするかわからないという偏見が生まれ、大虐殺が正当化された。今、一部の勢力が外国人を脅威としている。その思想は100年前に朝鮮人が危険だという理由で虐殺されたのと同じではないか。差別を許せば再び人権侵害、暴力が広がる」と指摘しました。
日本平和委員会の岸松江さんは「恐ろしい虐殺行為の根底には差別意識がありました。いま、外国人への排外的なヘイトスピーチが問題になっています。このような差別は憎悪を増幅させ、ジェノサイドや侵略戦争へとつながっていく。私たちはそれをすでに経験しています。いまこそ虐殺事件の真相を掘り起こして学び、教訓にしていかなければならない」と述べました。

昨年まで毎年行われていた韓国伝統舞踊家の金順子さんによる鎮魂の舞に代わり、今年は「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑を守り、語り継ぐ会」の女性3人が追悼碑の前で、朝鮮の伝統的な祭祀の礼法「クンジョル」を行いました。
その一人、在日2世の李栄(イ・ヨン)さんは、「追悼碑の前に立ち、虐殺された朝鮮人の無念の気持ち、ハン(恨)を感じた。8月は長生炭鉱での遺骨発掘にも立ち会い、意味のある夏だった。慰霊を引き継ぐという重いメッセージを受け取った」と話しました。

人間集団が宿命的に持つ危険性や脆弱さを凝縮し露呈
今年7月15日、参院選の最中に出版された一冊の本があります。
「関東大震災 虐殺の謎を解く なぜ発生し忘却されたのか」(筑摩選書)

著者は元朝日新聞記者の渡辺延志さん。横浜支局時代に取材した関東大震災時の朝鮮人虐殺を退社後も追い続け、これまでにちくま新書から2冊の本を出版しています。
今回も、新たに発見された史料や当時の新聞記事を丹念に読み解き、「なぜ」に迫っています。
そうして先行研究を離れて自分なりの「事件の実相」をつかんだのち、最終章の「忘却のメカニズム」で、渡辺さんは書いています。
「おそらく関東大震災における朝鮮人虐殺とは、人間あるいは人間の集団が宿命的に持つ危険性や脆弱さを凝縮し露呈した出来事だったのだ。どのような社会、どのような地域、どのような時代においてでも起こり得る惨事だったのだ」
「軍国主義だった戦前の日本で発生した特殊な出来事という枠組みから朝鮮人虐殺を解き放つこと。まずそれから始めるしかないだろう。(中略)『殺さなくては』という衝動がなぜ生まれたのかに迫ることが求められる。人間とはそのような衝動を抱く生き物なのである」
虐殺を「過去のもの」と捉えず、「現在のもの」として見直し、自分たちの中にある、差別や偏見、虐殺への衝動を見つめる——関東大震災に関連した9月初めの一連の追悼行事をその契機としたいと思いました。