9月4日、ネパール政府がFacebookやYouTubeを含む26のSNSを使えなくする措置をとった。これを機に8日、Z世代の若者らの抗議デモが始まった。彼ら彼女らは自らの運動を「Z世代プロテスト」と呼ぶ。その後、鎮圧を理由に警察が出動し、同日の夜までに制服を着た学生を含む19人の死者と350人を超える負傷者が出た。それによりネパール市民の怒りは激化し、その混乱に乗じて平和的なデモを行っていたZ世代の若者たちに加えて、一部には放火や破壊活動をする人も現れた。
9日、K・P・シャルマ・オリ首相は退任に追い込まれ、12日夜、Z世代が推していた女性で元最高裁判所長官のスシラ・カルキ氏が暫定政権の首相に就いた。
日本では「SNS禁止で暴動」と報道されているこの事件、本当は何が起きていたのか。
9月8日の最初のデモに参加したネパール在住の日本人女性で学生のCさん(20代)に現地で一体何が起こっていたのか、話を伺った。
Q:Cさんは世代の若者らの抗議デモをいつどのような形で知ったのですか?
9月7日16:00過ぎ
SNSで「Z世代のデモ」への参加を促す投稿が散見されるようになったんです。既に使えなくなっていたMessengerやWhatsAppに加え、LINEへの接続も不安定になり、私は慌てて以前ダウンロードしておいたVPNアプリ(海外のサーバーを通じてネット接続できるアプリ)を起動しました。SNSの発信をみて、私は翌日のデモに参加することにしました。
SNSで拡散されていたZ世代のデモのポスターには、SNS規制のことはあまり書かれておらず、代わりに“Corruption”(汚職)や “Enough is Enough”(もうたくさんだ、もう限界だ)というフレーズが目立ち、「もう汚職はうんざりだ」といった発信が多かったです。

Q: 9月8日のデモに実際に参加されたんですよね。どんな様子だったのか、教えてください。
9月8日11:00
集合場所であるマイティガル(Maitighar)に到着しました。マイティガルから国会議事堂までは東西2キロ程の大通りがあり、そこでデモが行われました。私が到着した時はすでに多くの若者でごった返していました。制服を着ている人も多く、ほとんどが午前の授業を終えた高校生や大学生でした。3〜4人のグループで参加している人もいましたが、驚いたのは1人や2人での参加も少なくなかったことです。女性の参加者もたくさんいました。組織的な動員というより、個人の意思に基づいて参加しているように見えました。この時は平和的なデモをしている人が多かったです。
集合場所にはDJブースが設置され、クイーンの“I Want To Break Free”(自由への旅立ち)がかかっていました。これまでのネパールの社会運動とは異なる、Z世代の運動ならではの光景でした。後で調べてみると、この曲はかつて南アフリカなどで抑圧に対するたたかいの歌として高く評価されていたそうです。


ネパールでは自宅にプリンターがある人は少なく、1枚のデジタルカラーコピーは日本円で10~20円(バス1回の乗車券くらい)かかるのですが、多くの若者がA4サイズの紙に思い思いのスローガンを印刷し、持参していました。
たとえば、デモの現場でもらったプラカードには、「汚職に対してあなたの声をあげよう!指導者に説明責任を果たさせろ、ネパールの尊厳と未来を守ろう!」と書いてありました。

12:00ごろ
大通りの半分くらいを過ぎたところで人が詰まっていたので、中央分離帯に上がって様子を見ることにしました。この頃、抗議活動は盛り上がっていて、コールに合わせてみんなが声を上げ、歓声に包まれていました。
しばらくすると、遠くに白い煙のようなものが見えたので、私は危険を感じてデモを離れ、南北に流れる小川に沿って南に下り、途中でバイクタクシーを拾って家の近くまで移動しました。ちょうどその頃、デモに参加できなかった友人から「12時半から外出禁止令が出たから、気をつけて」というメッセージが入ったのも、現場を離れる大きな理由になりました。
15:00ごろ
家に戻ってSNSを見ると、12:30ごろに投稿された「デモ隊が国会議事堂に到達し、警察が放水砲と催涙ガスを使用!」との情報が目に飛び込んできました。
16:00ごろ
死亡者や負傷者が出たと大手メディアが報じ、この時点で14人の死亡が確認されていました。彼らは警察による実弾の発砲により死亡したのです。この暴力に対する怒りが抗議行動を拡大させ、混乱が広がっていったのだと思います。
この頃から、SNSで血に染まったスニーカーと、血だまりの上に置かれた「もう腐敗は十分だ」(No More Corruption!)と書かれた紙の画像が、政府と警察による暴力を非難するメッセージとともに拡散されるようになりました。

血に染まったスニーカー。SNSで拡散された。
India Todayの記事“Democracy is indivisible: Manisha Koirala echoes grandfather amid Nepal protests”より。

血だまりの上に置かれた「もう腐敗は十分だ」(No More Corruption!)と書かれた紙。
Pressenza international press agencyの記事“Nepal’s Youth (Gen-Z) Raising their Voice against Corruption”より
18:30ごろ
私は頭痛がひどくなり、横になりました。外の気温は30度くらいだったので暑さのせいもあったかと思います。
21:00ごろ
負傷した犠牲者の画像や映像を見て気分が悪くなり頭も痛いので、夕食を食べることができませんでした。
22:00ごろ
死者が増え19人の若者が亡くなったことがわかりました。
Q: 9月8日のデモは平和的なものだったんですね。警察の発砲により若者が亡くなったことで怒りと混乱が広がっていく様子が伝わってきます。翌日さらなる混乱になったんですよね?
ええ、9月9日から放火や、主要な政治家の自宅への襲撃、刑務所への放火などの破壊行為が見られるようになりました。主要な政治家の自宅をはじめ、大型スーパー、新聞社、通信会社、大手ホテルなどをはじめ、各種省庁や国会議事堂まで放火され、死傷者も出始めました。
私は、前日9月8日のデモの中心だった若者たちが放火や破壊活動には関わったとは考えにくいと思っています。なぜなら彼ら彼女らは「公共施設は私たち市民のものだから、放火をしないで」などとSNSでしきりに呼びかけていたからです。また、デモの中心的な存在だったZ世代の若者たちの団体“Hami Nepal(私たちネパール)”は、破壊活動について「これはGEN-Z(Z世代)の運動ではありません」とSNSで発言していました。

9日の早朝、昨日の混乱を受け、SNS規制が撤回されたとのニュースが入って来ました。
7:50ごろ
カトマンズ中心部、環状線内に外出禁止令が発表されたことを友人たちからのメッセージで知りました。外出禁止は8時半からとのこと。
SNSでは、UML(ネパール共産党統一マルクスレーニン主義派)の現首相オリだけではなく、これまで政界を牛耳ってきたネパール会議派のシェル・バハドゥール・デウバや、ネパール共産党毛沢東主義派のプシュパ・カマル・ダハルなど全員が悪いという言説が広がっていました。
11:00ごろ
急に家の外が騒がしくなってきました。ベランダから通りを眺めると、3カ所でタイヤやゴミが燃えており、抗議する人々がこちらに向かって声を上げながら歩いてくるのが見えました。この頃から、家へ燃え移るのではないか、投石があるのではないかなど、不安を感じ始めました。
12:00ごろ
政治家の自宅、市役所、UMLの事務所などが激しく燃えている様子や、政治家がヘリコプターで逃げているという情報がSNSを通して伝わって来ました。13:00には、トリブバン国際空港閉鎖の知らせが入りました。
14:00ごろ
中西部ネパールの友人が住む地域でも市庁舎への投石や放火などの破壊活動が激化する一方、公共財を壊しても自分たちが困るだけだと破壊活動を続ける人々に呼びかけながら配信を続ける人たちもいました。
14:30
オリ首相辞任のニュースが流れました。
ネパール人の知人に電話したところ、彼女は「オリ首相が、昨夜死者が出た時点で辞任を表明していれば、ここまでひどい破壊活動には繋がらなかったのではないか」と言っていました。
14:50ごろ
ニュースで国会議事堂が黒煙を上げて激しく燃えている様子が報じられました。
この頃、いくつかのNGOが前日の警察による暴力と人権侵害に懸念を示す声明を出し始めました。
- National Human Rights Commission (NHRC / 国立人権委員会)は、「デモ参加者に対して過度の暴力を行使する行為をやめなさい。次世代の声に対して真剣になれ」と題した声明を発表。
- 1995に設立されたWomen for Human Rights(寡婦・シングルの女性のために活動する女性団体)は、「多くの若者が亡くなり、負傷したことを深く悲しんでいる。遺族に連帯する。政府の過剰な武力行使を非難し、説明責任を求める。亡くなられた魂が安らかに眠り、彼らの犠牲が無駄にならないことを祈る」といった声明を発表。
- 2004年に設立されたカースト最下層を支援する人権団体Dalit Social Development Center(DSDC)ダリット社会開発センターは、「平和な抗議活動中に治安部隊が不必要な致死的武力を用いて抗議参加者を残酷に弾圧したことに深い悲しみを覚える、すべての市民が平和的な方法でデモを行う基本的な権利を有している。政府は民主主義の価値と規範を尊重していない。」などと声明を発表。
15:30ごろ
家の前の道がかなり騒がしくなり、興奮した群衆の叫び声や鳴り響くバイクのクラクションなどを聞いて恐怖を感じました。外も見るのも怖くて、カーテンを閉めました。でも閉めれば余計に外が気になりまた不安にもなりました。
16:00ごろ
もし投石などがあった場合、下の階は危ないのではないかと、上の階に移動し、友人の家族と一緒に過ごすことにしました。屋上から通りを眺めると、群衆は近くにあるナク(Nakhu)刑務所に向かっていることがわかりました。そこには二重国籍や金融詐欺などで何度も失脚しながらも、一部の熱狂的な支持者を持つラビ・ラミチャネ(Rabi Lamichhane)元副首相が収監されており、群衆は彼の解放を求めているようでした。刑務所の建物からはうっすらと灰色の煙が上がっていました。すでに刑務所の門は壊されているようで、受刑者らしき人々が大きなプラスチックのバッグを持って続々と出て来ました。特に焦る様子もなく、普通の速度で歩いて逃げていました。
16:30ごろ
大量の支持者と野次馬、脱獄者に囲まれて、ラビ・ラミチャネ氏が車に乗って刑務所から出て来ました。車の上部についた窓から顔を出し、群衆に向けて笑顔で手を振っています。まるで英雄気取りでした。
やがて刑務所は激しく燃え上がり、次第に黒煙が私の部屋の中まで入ってくるようになりました。煙を吸ってしまったのか、頭が痛くなってきました。
その後のニュースによると、この刑務所から、1400人の受刑者が脱獄したようでした。
出典:Nepal Press(2025)
この日は友人家族と夕食をとりました。ダルバート(ネパールの代表的な家庭料理。ダルは豆のスープでバートはご飯)に加えて、手作りキムチとゼンマイの付け合わせを出してくれて、とても美味しかったです。夕食後は私が日本から持ってきたお菓子を食べながら皆で話し込み、心も身体も満たされました。
20:30〜10日1:30
友人たちとビデオ通話で話し、他愛もない話で笑い合ううちに心が落ち着いてきました。
でも、友人たちとの電話を終え、独りになると、脱獄した受刑者が周辺にいるのではないかと急に心配になり、なかなか寝付けませんでした。
22:00ごろ
ネパール軍が治安維持のために街に配備されるとの知らせが届いていました。
Q: 長い1日でしたね。この日の夜、私にも連絡くれたんでしたね。
そうですね。その日は結局なかなか眠れず、外が明るくなってから眠りについたため、9月10日は、14:00頃、ようやく目を覚ましました。この日も外出禁止令が出ていました。
16:30ごろ
友人たちと連絡取り合っていると、30分後にトリブバン国際空港が再開される予定だとの発表がありました 。外からは子どもが遊ぶ声も聞こえるようになりました。夜になるとまた眠れないだろうと予想し、少し仮眠をとりました。
17:00ごろ
Discord(チャットアプリ)で開かれたZ世代による大規模なオンラインミーティングのライブ配信をYouTubeで聞き始めました。

17:30ごろ
Discord上での投票の末、元最高裁判所長官であるスシラ・カルキ氏が暫定政権の首相として推薦されることが決まりました。カルキ氏は、1952 年生まれの73歳で、ネパール初の女性の最高裁長官、そしてネパール初の女性の首相です。彼女はこれまで政治家による汚職に厳しい判決を下し、女性の権利向上のためにも闘ってきました。
20:30
暫定政権の首相として若者から一定の支持を集めていたカトマンズ市長のバレン・シャハ氏も、Z世代の決定を尊重し、カルキ氏を支持することを表明しました。
その後、9月11日には6:00から10:00まで外出禁止令が一時的に解除され、食料品など生活必需品を扱う店が一時的に開き始めました。私も上の階の友人と商店に出向き、水や食料を買うことができました。
その後、警察官3人も含め死亡者は51人になったと報じられました(9月14日には72人に達した)。
そして12日夜、Z世代が推薦した元最高裁長官のスシラ・カルキ氏が暫定政権の首相に就きました。
Q: ここ数日の出来事を詳細に報告していただき、現地の様子、雰囲気が少し伝わって来ました。
日本の報道では、当初、放火や破壊活動の画像がメインで取り上げられ、市民が暴徒化したことにフォーカスしていて、最初にデモを始めた若者たちの思いと乖離していると感じていました。
ネットニュースやニュース動画のコメント欄には「ネパール人は危険」「暴動起こす人たち」「日本もいずれこうされる」といった趣旨の書き込みがありました。今回のネパールにおける運動が日本での外国人に対する排外的な言説と安易に結びつけられてしまうことに、危うさを覚えます。
アルピニストとして有名な野口健氏はエックスで、「これはもはやデモではない。暴徒化した犯罪行為。……ネパールも発展途上国とはいえ法治国家。デモにもルールがある。……ネパールの国際的なイメージは地に落ちたように思う。」と投稿しています。野口氏は、登山を通してネパールの方に長年お世話になってきて、ネパールの人々の本来の穏やかな人柄も十分に理解しているはずです。にもかかわらず、野口氏は、8日の警察による暴力と19人の若者の死という市民の怒りの背景には触れず、9日の破壊行為にのみフォーカスを当てて強く非難し、ネパールのイメージを歪曲するような投稿をしています。ネパールの人と長年関わり、日本でも影響力がある野口氏が、このような発信をしていることが残念でなりません。
また、SNSを禁止したことに怒っているとだけ報じるのでは、ネパール人にとってSNSがどのような意味をもった手段なのかが伝わっていないと思います。
ネパールのGDP(国民総生産)の約30%は海外からの送金によって支えられています。出稼ぎ労働者が多く、その人たちとっては、SNSを通じたビデオ通話が、遠く離れて暮らす家族や友人と気持ちを共有するための非常に重要な手段なのです。私自身、今回のSNS規制で日本にいる家族との連絡が滞った時、強い不安を感じました。そのことをもっと想像してみてほしいと思います。日本にも現在23万3千人のネパールの方がいるのですから。
データ出典: World Bank(2024) Personal remittances, received (% of GDP) – Nepal、出入国在留管理庁(2024)「令和6年末現在における在留外国人数について」
私が強調したいことは、最初にデモを企画したZ世代の若者たちは平和的な手段で現状に抗議することを望んでいたということです。デモの会場では平和的なZ世代プロテストのための情報を提供するビラも配られていました。

当初、ネパールの若者たちは政治家たちの汚職と、それに下支えされた政治家の子どもたちの豪勢な暮らし、そして、そうした子どもたちと自分たちの置かれた現実との格差に平和的に抗議していました。その平和的な抗議活動の中で、19人の若者が警察によって放たれた実弾で亡くなりました。翌日、そのことに怒りを覚えた市民たちが放火や破壊活動に手を染めました。一方で、当初平和的なデモを担っていた若者たちは放火や破壊活動に関わっていないとの声明を出しています。
このような背景や詳しい因果関係を伝えず、一部の市民が放火や破壊活動をしたことだけを強調する日本の報道やSNSの書き込みは現実に即していないと思います。
スシラさんのような女性を首相に選ぶセンスのある抗議活動の中心になった若者たちが、暴力的な放火や破壊活動したとあなたは本当に思えますか?
19人もの自国の若者を国家の暴力によって殺された悲しみ、そして怒りを、想像することができますか?
このことを日本社会の人々に訊きたいです。
(取材日:2025年9月12日)
*写真は出典がない限り、この女性が撮影した。
コモンズは、みなさまのご寄付に支えられています
生活ニュースコモンズの記事や動画は、みなさまからのご寄付に支えられております。これからも無料で記事や動画をご覧いただけるよう、活動へのご支援をお願いいたします → 寄付でサポートする